円朝を演じる芝居を前に旅立った、加藤武。
2015年 08月 04日
(この記事は、敬称を略しますので、ご了承ください)
日刊スポーツより紹介。
日刊スポーツの該当記事
名脇役の加藤武さん86歳急死、ジムのサウナで倒れ
[2015年8月2日8時22分 紙面から]
劇団文学座代表で、黒沢明監督の映画などで脇役として活躍した俳優の加藤武(かとう・たけし)さんが7月31日夜、都内の病院で死去した。86歳だった。文学座が1日に発表。加藤さんは31日夕方にスポーツジムのサウナで倒れ、その後、搬送された病院で死亡が確認されたという。葬儀・告別式は親族で行う。
文学座によると、加藤さんは先月31日夕方、都内のスポーツジムに行き、サウナに入った際、体調不良を訴え、救急車で病院に搬送。その後、死亡が確認された。日ごろからジムなどで体を鍛えていたといい、持病もなく、元気だったという。7月19日に東京・日本橋で「加藤武語りの世界『牛若みちのく送り(新平家物語)』『八代目市川中車の大島奇譚』」の公演を行った。これが観客の前に立った最後の仕事に。娘が2人いるが、現在は都内で1人暮らしだった。
9月26日からは、岐阜・可児市文化創造センターと文学座の共同制作の舞台「すててこてこてこ」に出演予定だった。落語家三遊亭円朝を演じることに意欲を燃やしていたという。同公演は10月東京・吉祥寺シアターでも開催予定だった。
加藤さんは早大卒業後、中学教諭を経て、52年に文学座入り。看板女優の杉村春子さんにかわいがられた。こわもての風貌と愛嬌(あいきょう)のある演技で、悪役や個性の強い役どころを務め、北村和夫さんとともに同座の中核俳優として活躍した。
黒沢監督の「悪い奴(やつ)ほどよく眠る」「乱」、今村昌平監督「豚と軍艦」など数多くの映画に出演。市川崑監督「犬神家の一族」「八つ墓村」など横溝正史原作の金田一耕助シリーズでは、市川監督に人柄を見抜かれ、シリーズ途中でコミカルな役柄に変更された。演じた警察官役では「よーし、分かった」の名せりふが生まれた。映画「仁義なき戦い」「釣りバカ日誌」や、「風林火山」などのNHK大河ドラマでも、印象的な脇役を演じた。
今年2月、演劇界での長年の貢献が認められ、読売演劇大賞の芸術栄誉賞を受賞。太鼓打ちの名手としても知られ、低音の声で朗読劇や海外ドラマ、アニメの吹き替えでも活躍した。
「芝居がしたくて文学座に来たのだから。ここにいたいんだよ」と晩年も舞台に立ち、文学座の代表に。最近も、劇場で後輩の舞台を見守っていた。
◆加藤武(かとう・たけし)1929年(昭4)5月24日、東京・中央区生まれ。早大で演劇研究会に入り、文学部英文科を卒業後に1年間、中学の英語教師を勤めるも、芝居への思いを断ち切れず、52年に文学座入り。74年に中学時代の友人、小沢昭一氏主宰の劇団「芸能座」の活動に参加するため文学座を退座、座友となるが、80年に文学座に復帰。14年「夏の盛りの蝉のように」で葛飾北斎を演じ、第49回紀伊国屋演劇賞個人賞、第22回読売演劇大賞の優秀男優賞を受賞。著書に「昭和悪友伝」「街のにおい芸のつや」。
プロフィールを補足すると、麻生中学時代の同級生が、小沢昭一・フランキー堺・仲谷昇・なだいなだという錚々たる顔ぶれ。早稲田大学の演劇研究会に入り今村昌平や北村和夫らと知り合った。
正岡容の弟子の一人であったこと、また、「東京やなぎ句会」の会員であったことも、知る人ぞ知るところ。
だから、「東京やなぎ句会」は、今年に入って3月19日の桂米朝、そして7月10日に宗匠入船亭扇橋に続き、加藤武までも失った。
残った人たちの落胆ぶりを察するばかり。
ちなみに、「東京やなぎ句会」のメンバーと俳号、生年は次の通り。
入船亭扇橋 俳号・光石。昭和6(1931)年生まれ。
永 六輔 俳号・六丁目。昭和8(1933)年生まれ。
大西信行 俳号・獏十。昭和4(1929)年生まれ。
小沢昭一 俳号・変哲。昭和4(1929)年生まれ。
桂 米朝 俳号・八十八。大正14(1925)年生まれ。
加藤 武 俳号・阿吽。昭和4(1929)年生まれ。
柳家小三治 俳号・土茶。昭和14(1939)年生まれ。
矢野誠一 俳号・徳三郎。昭和10(1935)年生まれ。
まさに、昭和は遠くなりにけり、だなぁ。
正岡容門下生も、残るのは大西信行だけか・・・・・・。
最期の仕事になった7月19日の「加藤武 語りの世界」の会場は、お江戸日本橋亭だったようだ。あの会場も、久しく行ってないなぁ。
9月に予定されていた「すててこてこてこ」について、可児市文化創造センターのサイトでは、出演者変更での公演実施を案内している。
「可児市文化創造センター」サイトの該当ページ
10月開催予定だった吉祥寺シアターのサイトから、この芝居についての説明を少し引用する。
「吉祥寺シアター」サイトの該当ページ
―「真を写す」か時流に乗るか
噺家師弟二人、
芸と意地の火花を散らす。―
第一線で活躍する俳優・スタッフが可児市に滞在しながら作品を制作し全国に発信するala Collectionシリーズが、今年も吉祥寺シアターにやってきます!
第8弾となる本作は、名人三遊亭円朝と奇才三遊亭円遊の師弟関係を軸に、
明治という新時代の荒波に翻弄されながらも必死に芸に生きる
落語家たちの姿を描いた、『すててこてこてこ』。
円朝役には文学座の重鎮、加藤武。
円遊役には数々の名舞台に引っ張りだこの実力派俳優、千葉哲也が演じます。
落語と演劇を一度に楽しめる贅沢な舞台をお見逃しなく!
円朝と弟子の円遊を中心とした作品らしいが、加藤武は、きっと円朝役に気合いが入っていたことだろう。
KAWADE夢ムック・文藝別冊 総特集 小沢昭一
別冊文藝のKAWADE夢ムック『総特集 小沢昭一』に、次のような加藤武の小沢昭一に関する文章が載っているので、少し長くなるが紹介したい。
欠落者こそ俳優・小沢昭一
加藤武
小沢昭一が、私の舞台、『富島松五郎傳』を見て涙したといった。私の芝居に感動して泣いてくれたのかと喜んだら、そうじゃなくて、本物の役者でないやつが、よくここまで生きのびて精一杯ごまかしてると思ったら、不憫になって泣けてきたというのである。
「武さんは、結局、まじめなんだな」
「まじめかい、おれが?」
(こう正面切ってまじめだといわれると、逆に不まじめだといわれたくなった)
「じゃ、昭ちゃん、本物の役者ってのは、不まじめなのかい?」
「そう、不まじめだね。おれなんざ、まだまだまじめだよ」
「へェー、こりゃ驚いた。昭ちゃん、あんた相当の道楽者で助平だよ。世間では、エロ事師だの、トルコの大家だのとお前さんいわれてるじゃないか。およそ、お色気に関する執筆、対談、講演に引っぱりだこの身分じゃないか。近ごろは、念願のヌード劇場の演出も手がけるとか。なんとも、うらやましい限りで、私も友だちがいに、お前さんにあやかろうと、精一杯助平で苦労してるつもりなんだけどなあ」
「いやあ、そんなこっちゃ、とてもダメ。助平になったからって、芸がうまくなるわけじゃない。武さんよ、あんた人から莫大な借金うぃしてだな。なおかつ、ふみ倒して、ケロリとして舞台に立てるかい?たとえば、お前さん女優だとする!きたない女優だね、オカマの仁王様だよ。まあいいや。お前さん、私と寝るよ、今晩。寝るんだよ、今晩。寝るもんなんだよ、本物の女優はすぐ。翌日、私の前でアッケラカンと、他の男とイチャツけるかい?どうだい!出来なこったよ、こりゃ。けど、これが出来て、初めて本物の女優といえるんだ。
そりゃ中には、借金ふみ倒せる役者、だれとでもオネンネしちまう女優は、いるかもよ。それだけでは、ダメ。ただし、タダシだよ、その上にゼッタイにうまくなくちゃダメナンダ。腕がなきゃいけないのよ。欠落、人生の欠落者こそ、本物の役者といえる資格があるわけなんだ。本物の役者でもないのに、テレビに顔が出るだけで、威張っちゃいけない。少々、こむずかしい事をするからって、芸術家づらしちゃいけない。本物の役者は、雑草みたいなもんで、その代わりにゃ、時の権力にも媚びたりしないで、のびのび生きてるものなんだ。
私はね、欠落にあこがれ、欠落者になれないわが身をくやんで、欠落の本質を執拗につきつめてみたんだ。まあ、いまでは助平な俳優だ、なんだかだと、おかげでいわれるようになっちまった。まあ、いいや、そんなこたァ。ところで読んだかい?武さん。『私は河原乞食・考』って本、ありゃ、いい本だぜ」
(『昭和悪友伝』 話の特集 76・7)
もちろん、加藤武が小沢昭一を“欠落者”と思って書いたわけではない。
この文章からは、本物の役者は“欠落者”である、という小沢昭一の主張に頷けるものがあるものの、「昭ちゃんも、おれも、やっぱり、“まじめ”なんだよなぁ」、という加藤武の感慨が伝わる。
では、加藤武が演じようとしていた円朝は、果たして“欠落者”だったのか、どうか。
そんなことも、演じようとしていた身として、考えていたのではなかろうか。
亡くなった7月31日は、珍しく同じ月で二度目の満月の日だった。
満ちた月の力が、加藤武を天上に誘ったのだろうか。
すでに待ち構えていた小沢昭一、桂米朝、そして入船亭扇橋が、「あら、お早いお着きで!」と迎えているだろう。
さっそく発句が始まっているかな。
合掌
名探偵=正解 VS 警察関係=誤解、という図式があります。
そんなはかない図式の中、「犬神家の一族」の加藤武は印象深いものがあります。
落語にも造詣が深かったようなので、残念でなりません。
役者として、渋かったですよねぇ。
私は、加藤武さんを見ると、小沢昭一さんを思い浮かべてしまったものです。
いろいろ考え方はありますが、苦しむ時間が少なかったのなら、それは幸せなことだったかもしれません。