寅さん「あじさいの恋」-落語ネタが救いとなった作品か。
2015年 08月 03日
小林信彦の『おかしな男』を紹介した三回目に、この作品に関する山田監督の言葉を引用した。
2015年6月21日のブログ
重複するが、このシリーズを考える上で重要なことなのだ、再度ご紹介。
小林信彦著『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)
重大な変化は1982年(昭和57年)にきた。
この年の八月に封切られた第二十九作「寅次郎あじさいの恋」について、山田監督は、
「大きなターニング・ポイントです」
と語っている。
渥美清、五十四歳。肝臓に異変が生じていたとのことである。
<「本格的に病院に通いだしたのに気がついているんですよ。どの辺からとははっきり言えないけれども、私も彼が治療を開始しているのは知っていました」
「第二十九作はつらかった。渥美さんは元気がなくって、芝居がはずまないんです。まいったな、と思った。二十九作がどこかに暗い話になっているのは、渥美さんの体調と関係あるかもしれませんよ。確実に、このころから病気が始まってるんです」>
この件はNHKのドキュメンタリー番組(1999年2月)でも、山田洋次自身によって語られていた。「男はつらいよ」は二十六年間の真ん中で変貌せざるを得なかった、と。
第二十九作「あじさいの恋」は、マドンナの“かがり”役はいしだあゆみ。
ラスト近くの重要な場面は、鎌倉のあじさい寺が舞台。
かがりから呼び出された寅は、一人では出かけにくく、満男を連れて行ったのだった。
たしかに、この作品は全体に暗いトーンがあったと思うが、その背景には、こんな事情があった。
あらためてこの作品を見て思ったのは、山田監督が、渥美清の体調不良をシナリオで補おうとした一つの策が、落語であったのか、ということ。
冒頭、おなじみの夢のマクラ。
信濃を旅する老人に扮する寅。道に迷った老人を泊めてくれた貧しい農家がさくら一家。
自分たちは腹が減ってグーグー鳴らしているのに、白米を出してくれた夫婦のために老人は襖に雀を描く。そして、その雀が本物の雀になって朝になって襖を飛び出し・・・・・・。
これはまさに『抜け雀』なのだ。
そして、本編。
京都の葵祭りでバイをする寅。万能接着剤を売るが、なかなな売れず店終い。
鴨川の河川敷で下駄の鼻緒が切れた老人(片岡仁左衛門演じる高名な陶芸家加納作次郎)を見かけ、下駄の鼻緒を継いであげたのを機に、その老人の家に泊めてもらう。
マドンナいしだあゆみを巡るいろいろがあった後、加納作次郎の家を去る際にもらった茶碗を柴又に持ち帰った。すると、サゲ前に、タコ社長が灰皿に使っていたその茶碗が大変な名品と分かる。
まさに、これは『井戸の茶碗』だ。
正直なところ、同じ夏休み公開作品で比較するなら、二年前の傑作「ハイビスカスの花」(マドンナは、もちろん、浅丘ルリ子)、一年前の「浪花の恋の寅次郎」(マドンナは松坂慶子)と比べると、この作品は、寅に躍動感が、ない。
それは、監督山田洋次が吐露するとおり、この作品は大きなターニングポイントだったのだろう。
肝臓に異常が見つかり医者に通っていたことに‘気がついた’山田監督が、なんとか、筋書きで寅の元気のなさを補おうとしたのが、マクラと、本編での落語ネタの活用だったような気がしてしょうがない。
それが、どこまで効果的であったかは、人それぞれの判断によるだろうが、私は全体の暗いトーンを救っていたと思う。
48作もあれば、いろいろあるだろう。
次回は、あの二人の恋のきっかけとなった作品である。
これも、楽しみだなぁ。
このあいだテレビで見はじめてどうも乗らないので途中でやめたのはそういうことだったかな。
そうなんです。
あの作品には、そういう事情があったんですよ。
興行的にも動員数が減ってます。
しかし、次作はまた200万人以上の動員をしているんです。
ゲストのおかげもありますが、少し、体調が持ち直してもいると思います。
とにかく、48作まで頑張っていますからね!
さらにさりげなく田中邦衞も出しちゃえば.....失礼しました。
そうでしたか。
私は、「北の国から」を見ていないのですよ。
毎晩のように飲み歩いていた時期だったからかなぁ(^^)
さぁ、今夜はあの「花も嵐も」ですね。
こちらは、久しぶりに観客動員が200万人と突破し、歴代三位の大ヒット作です。