噺の話

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師松陰に寄せた詩にみる、「花燃ゆ」では分からない久坂玄瑞の才能など。

昨日の「花燃ゆ」は、文さえでしゃばらなければ、松陰との別れを描く、そう悪くない内容だったように思う。最後の紀行も良かったように思う。
 
 野山獄の司獄官福川犀之助の計らいで最後の一夜を実家で過ごし、早朝に野山獄に戻って、江戸に護送される松陰。
 故郷萩が見渡せる最後の場所での、有名な場面がヤマだった。

 「花燃ゆ」では表現されなかった、詩人久坂玄瑞について、補足したい。
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古川薫著『花冠の志士 小説久坂玄瑞』(文春文庫)

 長州を舞台にした歴史小説で定評がある古川薫の『花冠の志士 小説久坂玄瑞』から、引用。

 萩城下の郊外に大家というところがあり、そこに涙松と呼ばれる大樹が数本しげっていた。旅に出かける者が、そこから城下を見納めて涙をうかべることからの名である。玄瑞ら門下生が、濡れながら追う松陰の駕籠も、そこで停まる。役人の手で駕籠の戸がわずかに開けられた。ぼんやりと白い松陰の顔が覗き、二、三度うなずくのがわかった。
 名残りを惜しむ門弟たちや、雨にけむる城下の景色を目に焼きつけると、松陰は役人に出発をうながした。
 「帰らじと思ひさだめし旅なればひとしほぬるる涙松かな」
 そのとき松陰が詠み遺したふるさとへの別れの歌である。
 松陰が発って間もなく、空は嘘のように晴れあがり、日本海からの乾いた風が、狂おしく吹きつのる炎熱の午後となった。
 西洋学所を早退けした玄瑞は、杉家に帰ると、ひと気のない村塾の講義室にこもり、涙のまじる汗をしたたらせて、一詩を書きなぐった。

   「懐(おもい)を回先生に寄す」

  炎日白草を蒸し
  黯風(あんぷう)しきりに沙(すな)を飛ばす
  檻與(かんよ)去りてまさに遠し
  君子意如何
  ・・・・・・国家の興る何れの日ぞ
  君子帰ることを期し難し
  わが心はなはだしく耿歎(こうたん)す
  静かにこれを思ふにたへず

  (炎日蒸白草/黯風頻飛沙/檻與去方遠/君子意如何/・・・・・・国家興何日/君子帰難期/我心酷耿歎/不勝静斯思)



 「花燃ゆ」でも登場した涙松での松陰の歌も印象的だが、松陰に捧げた久坂玄瑞の詩の才能も特筆すべきだろう。
 玄瑞は、九州を行脚した際にも数多くの詩を作っている。玄瑞は、優れた詩才のある人なのだが、残念ながら「花燃ゆ」では、そういった側面が描かれていない。
 
 昨日の放送で、松陰最後の杉家での一夜と涙松での別れの間に、野山獄での高須久子との相聞歌ともいえる歌のやりとりがあった。
 この二人の歌については、古川薫の『吉田松陰の恋』を原作とする映画のことなどを含め、昨年の旧暦の松陰の命日に記事を書いた。ご興味のある方はご覧のほどを。
2014年12月18日のブログ

 印象的な歌と句を、再度紹介したい。

 死出の旅にたつ松陰に、高須久子は餞別に手布巾を贈った。
 次は、「高須うしのせんべつとありて汗ふきを送られければ」と前書きした松陰の和歌。

 箱根山越すとき汗の出でやせん君を思
 ひてふき清めてん


 そして、久子が松陰に贈った絶唱ともいうべき別れの相聞の句

 「手のとはぬ雲に樗の 咲く日かな」

 それにたいする松陰の返し歌は、「高須うしに申し上ぐるとて」とした次の句。

 一声を いかで忘れん ほととぎす

 まさに、相聞歌とも思える、二人のやりとりではなかろうか。


 あらためて思うが、古川薫の原作を元に、松陰、あるいは松陰と松下村塾という主題で大河をつくっていたら、もっと見ごたえがあったと思う。古川薫が‘一人静’のような人、とたとえる文は、脇役でたまに登場すればよいのだ。

 「花燃ゆ」は、せっかく良い流れで進行していても、途中で無理な脚色により文が登場する場面で、全体の流れを止めてしまう。
 それは、以前にも書いたように、主演女優の責任ではない。彼女に、あの番組から抹殺された長女千代や松陰の盟友中谷正亮が本来果たしたであろう役割を強引に押し付けるプロデューサーや脚本家、演出家のせいであり、その元凶は会長である。

 これから怒涛の時期を迎える。
 久坂玄瑞や高杉晋作の姿が、‘幕末ホームドラマ’の中で、無理に文を主役にする脚色のために矮小化されないことを祈るばかりだ。
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by kogotokoubei | 2015-04-20 20:49 | 歴史ドラマや時代劇 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛