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噺の話

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「花燃ゆ」で誤って伝わる松陰と家族のこと-『宗族に示す書』などから。

実は、まだ「花燃ゆ」を見ている。それは、あまりに酷い歴史の捏造については異を唱え、本来の史実をできるだけ伝えたいからだ。

 12日の放送も酷かった。
 あらすじとしては、間部詮勝暗殺計画が漏れたため、安政五年末に再び野山獄に幽閉された松陰が、翌年二月には「伏見要駕策」を立案した。これは、藩主の毛利敬親の参勤交代の途上にある伏見で、討幕派の公家である大原三位卿と会ってもらい、敬親の京都入りを説得させようとしたものだ。この作戦を成功させるためには、まず大原三位卿の説得が必要。
 入江杉蔵の弟である野村和作(のちの野村靖)が松陰の密書を持参して単身萩を出発したのだが、藩当局の知るところとなり、和作は捕えられ投獄されて伏見要駕策は失敗に終わった。
 
 この内容は史実の通り。
 「花燃ゆ」の困ったところは、無理やり文を登場させるところなのだが、今回は、伏見要駕策が失敗したことを、小田村伊之助と文が野山獄に伝えに行き、なんと、文は松陰に対し、天下国家のことなど考えずに、家に戻ってきて欲しい、と泣いて頼むのである・・・・・・。いわば、兄の言動を非難しているのだ。

 この当時のことを考えると、これはありえないことだろう。

 来週以降、松陰に幕府から召喚命令が出て江戸へ向かう場面が放送されるようだが、東上はこの「伏見要駕策」が破綻してすぐの安政六年五月のこと。 

 吉田松陰に関して、杉家の長女千代が登場しない不思議について書いた記事で、「吉田松陰.com」というサイトを紹介した。
2015年1月13日のブログ
 「吉田松陰.com」は、リンクフリーで連絡も不要、とのことなので助かる。
吉田松陰.com
 
 江戸東上が命じられ、覚悟を決めた松陰が野山獄から家族に書いた手紙と解説部分を引用したい。
「吉田松陰.com」の該当ページ

十九日(安政六年五月)
 『宗族に示す書』

安政六年五月十九日  松陰在萩野山獄 二十九歳
(吉田松陰全集:第九巻五五一頁、東行前日記)

吾が宗祖そうその行、吾れ詳つまびらかにするに及ばず、子の行おこなひ、吾れ未だ知る能あたはず。謹んで吾が父母伯淑はくしゅくを觀るに、忠厚勤儉ちゅうこうきんけんを以て本と為す。吾れ竊ひそかに祖母の風を仰ぐ、蓋し由あり。今吾が兄弟けいていの行こう漸く将に泰者たいしゃの風を萌さんとす、誠に惧おそるべきなり。而して其の忠厚を存する者は兄伯教に若しくはなし。その勤儉を存する者は妹千代・従兄弟毅き甫ほに若くはなし。為之兄は兄弟中の長者、敬せざるべからず。矩方の如きは一鴟し梟きょうなり、然れども亦嘗て泮はん桑そうを食くらふ。時に或は好音あり、況や其の将に死せんとする、其の言哀かなしく且つ善きをや。群ぐん弟群ていぐん姪てつ、宜しく愼んで之れを聽き、永く後人ごじんに傳つたふべし。

【用語】
宗族 = 本家と分家と一族。
宗租= 一家一門の先祖。
詳かにするに及ばず = 詳しく知ることが出来ない。
忠厚勤儉 = 真心を尽くし親切で仕事に励み、つつましく暮らすこと。
祖母の風を仰ぐ = 松陰の祖父、杉七兵衛常徳の妻(岸田氏)の教え。
泰者の風を萌さん = 贅沢をすること。
兄伯教 = 実兄梅太郎。伯教はそのあざな。
若くはなし = 及ぶ者はない。
妹千代 = 松陰の長妹。松陰は度々彼女に書簡をしたためている。
毅甫 = 叔父玉木文之進の嫡男・玉木彦介。
為之兄 = 従兄・高須為之進。
長者 = 年長の人。
矩方 = 松陰の本名。
一鴟梟 = ふくろう。夜出て、他の鳥の子を捉えて食う惡鳥。転じて凶悪な人に例える。
松陰は度々罪を獲、俗人の目からは鴟梟のように見られたことを言う。
泮桑 = 学校の食禄のこと。藩校明倫館に出仕して食禄を得ていたことをさす。
好音 = 美しい鳴き声。ここでは大義名分を説いたことをさす。
其の将に死せんとする、其の言哀しく且つ善き = 『論語』泰伯篇第八章に『曽子言日、鳥之将死、其鳴也哀。人之将死其言也善』とあるのを踏まえている。
群弟群姪 = 数多い兄弟や甥。
後人 = 子孫。

【解釈】
東行を目前にして一族の将来について、一抹の不安を松陰は抱いていた。此の一族が生活の指針としていたのは「忠厚勤倹」であった。この家風は、百合之助、大助、文之進をそれぞれひとかどの人物に育て上げた祖母岸田氏によって作り上げられたものと松陰は謝意をいだいていたようである。松陰にとって気がかりなのは、今は父や兄の力で杉家は安定しており、そのため反って勤倹の気風が廃れつつあると思われることであった。

妹の千代に宛てた書簡でも「父母様のご苦労を知って居るのそもじまでぢゃ。小田村(寿)でさへ山宅(松陰達が生まれ育った団子岩の家)の事はよく覚えまい。増して久坂(文)なんどは尚ほ以ての事。されば拙者の気遣ひに観音様を念ずるよりは、兄弟、をひ(甥)、めひ(姪)の間へ、楽が苦の種、福は禍の本と申す事を篤と申してきかせる方が肝要ぢゃ」(妹千代宛・安政六年四月十三日・全集第八巻、三○二頁)と言い聞かせている。(松風会刊行・吉田松陰撰集より)

自らの死を予感しつつも、一族の将来に思いを致す松陰の人となりに、吾々は心打たれる。本来は、自分の生命の危険を予知したら、己のことへの思いに精一杯であるはずなのに、ここが松陰の人間性を感じさせるところで、こうしたことが不朽の名を残す一因なのかも知れない。松下村塾での教育の成功は、門弟の出世の実態に焦点をあてたものが多いが、人間の「感化力」は、知識や行動のみでなく、松陰の言う「人の道」を歩む人生態度の中に見出されるべきだと思うのである。それ故に、松陰の愛国心は、以心伝心で門下生の国事行為に繋がって、民族の独立を全うさせる使命に立ち向かわせる原動力となったのであろう。こうした事実の中にこそ、「維新の精神的指導者」としての松陰の偉大さを見出すべきであろう。



 「宗族に示す書」には、松陰が自らを卑下する文面として、「忠厚勤儉」(真心を尽くし親切で仕事に励み、つつましく暮らすこと)が大事であるが、忠厚は兄梅太郎には及ばす、勤儉は妹千代や従兄弟玉木彦介には及ばない、と書かれている。しかし、文の名は登場しない。
 文が大事ではないということではなく、杉家にとって後を託せる者として、兄と長女千代が強く松陰の念頭にあった、ということだ。

 この手紙きを書く少し前までは、松陰の心が乱れた時期もあったようだ。
 間部暗殺を計画したものの、久坂、高杉たちの反対に遭って以降、たしかに松陰は取り乱した形跡がある。
 二か月ほどは、「小生発狂」とか「父兄親戚皆狂人もて遇せらるるも覚悟、絶交の由を明告すべし」などという言葉で、さかんに塾生への絶交状を送っている。
 それは、日本の危機に対し、信頼する塾生たちが何ら行動しないことへの焦燥感が強かったからでもあるだろう、と私は思う。
 しかし、安政六年四月頃には、平静を取り戻し、伏見要駕策は間違いであったという手紙を野村和作に送っている。

 だから、江戸東上を命じられた頃は、そしてこの手紙を書いた時期は、もう萩には戻ることはできないだろうと、冷静に覚悟を決めていたと思われる。
 
 解説で補足されている千代への手紙を確認したい。
 ‘父母様のご苦労を知って居るのそもじまでぢゃ。小田村(寿)でさへ山宅(松陰達が生まれ育った団子岩の家)の事はよく覚えまい。増して久坂(文)なんどは尚ほ以ての事’とあるように、幼い頃からの教えや苦労をよく知っているのは、あくまで二歳年下当時二十七歳の千代であり、この時十六歳の文ではない。
 だから、千代が野山獄を訪ねて兄の心情を聞かされることはありえても、この時に文が、野山獄に出向いて松陰の言動を非難するような発言をしたり、帰ってくれと懇願するなどは、まず考えられない。
 文は、ひたすら夫である久坂玄瑞の無事を祈って大人しく過ごしていたことだろう。野山獄に松陰に会いに行く家族は、子供の頃から仲が良かった兄梅太郎と千代が中心だったに違いない。

 また、手紙には、‘為之兄は兄弟中の長者、敬せざるべからず’とある。為之兄とは高須為之進で、松陰の父百合之助の姉の子だ。
 松陰は年長の従兄弟である為之進を大事にせよと妹たちに書いているが、「花燃ゆ」には、為之進は、今まで登場しない。

 「花燃ゆ」は、視聴者に大きな誤解を与えている。
 もちろん、まともに信じる人ばかりではないとは思うが、なかには、あのドラマで描かれていることで、誤った歴史認識をしてしまう人もいるだろう。
 松陰の最後が近づくにつれて私が危惧するのは、松陰という人物が、過激な思想により家族や松下村塾の塾生たちを不幸にさせた、‘困った人’と印象づけられることだ。

 家族は、松陰のことをどう思っていたか。以前も引用したが、「吉田松陰.com」から、千代へのインタビュー記事を紹介する。
吉田松陰.comの該当ページ
 

【兄の書簡集】

 『この兄の手紙を前にすると、慙愧の念に堪えず、この手紙について、人さまにお話しするとなると、私は、ほんとうに顔を伏せたいような気持になります。
 御覧いただければ、おわかりになりますとおり、文面は情愛に満ちているだけではなく、〝ここまで書いてくださったか〟と思われるほどに、細やかなことまで注意してくれています。それにもかかわらず、私は、兄の厚情に応えることのできないまま生きてきて、何と申してよいかわかりません。
 このように兄の手紙を貼り付けて、本にしているのは、兄が最期をとげた翌年、長兄の梅太郎が、松陰からの手紙がバラバラになってしまうのではないかと心配し、注意してくれたので、こうしているのです。私はそのあとも、ことあるごとに、この手紙を開いて読み、自分を戒めてまいりました。
 読んでいると、兄の深い情愛に心が動かされ、いつも涙を禁じることができません。ここにいる私の娘や、その姉は、子供のころ、この本がどんなものだかわからないので、「母上は、その本を御覧になると、いつもお泣きになりますのね」などと、私にその涙のわけを聞いてきたものです。
 この他に、手紙というわけではないですが、私から送った手紙の端っこに、兄が「お前はそういうが、それはこういうことだよ」などと書き添えて返してくれたものが、たくさんありました。そのなかで、忘れられないものがあります。
 まず私が、こう書いたのです。

 「お兄さまに誠があるのは、はっきりしています。罪もないのに罪人にされることはございません。なにとぞ、そのお心のほどを、上の方々に打ち明けてくださり、早く赦されて、帰られる日をお待ちしております」

 すると兄は、その手紙の余白に、自分の思うことを書いてくれたのです。
 兄が書き込みをしてくれた私の手紙は、兄が江戸に送られる前日、家に帰ってきた時に、すべて持ってきて、私に渡してくれました。それらの手紙は、小さな引出しに入れておいたのですが、長い歳月の間に、どこかへ行ってしまいました。今になると、深く気をつけて保存しておくべきであったと、くやしく思うのですが、もう仕方がありません。
 兄は、いつも妹の私たちを戒めて、「心さえ清ければ、もうそれでいいのだよ。貧しいのに豊かなように見せかけたり、破れたものをムリに破れていないように見せかけようとしたりするような、そういう心はよくない。女性たる者、そういうところを、よくよく心得ておかなければならないよ」と言っておりました。
 私には、そう言ってくれた兄の声が、今も耳の底に響いてくるような気がしてなりません』


 あの番組の中で、松陰と文との関係から想起されるものと、この千代の言葉から伝わる松陰、そして家族の印象は、あまりにも違う。

 最後の部分を、再度確認したい。

 ‘兄は、いつも妹の私たちを戒めて、「心さえ清ければ、もうそれでいいのだよ。貧しいのに豊かなように見せかけたり、破れたものをムリに破れていないように見せかけようとしたりするような、そういう心はよくない。女性たる者、そういうところを、よくよく心得ておかなければならないよ」と言っておりました。
 私には、そう言ってくれた兄の声が、今も耳の底に響いてくるような気がしてなりません’


 この記事は、明治41年発行の雑誌「日本及日本人」の臨時増刊として吉田松陰の特集が組まれた中にある。

 だから、妹の千代が、松陰を美化して語る面もあったかもしれない。

 しかし、冒頭に紹介した「宗族に示す書」や、千代の回想にこそ、吉田松陰という人物と家族との関係を読み取れるはずだ。とても、文を無理やり登場させる演出からは、松陰や家族、そして幕末の長州の実態は見えてこない。

 あえて、来週以降の「花燃ゆ」で、この「宗族に示す書」は、紹介されないだろうと思い引用した。あるいは、部分的に紹介されるかもしれない。

 しかし、千代への手紙が登場することはない。千代自身が、「花燃ゆ」に存在しないからだ。
 だから、一度ついた嘘のための嘘を重ねるように、兄の死を十六歳の若さで迎える文に、無理な役を脚本家や演出家が押し付けることになる。
 来週は、冷静さを取り戻した、家族にやさしい‘寅兄い’松陰の姿が描かれるかもしれない。しかし、その周囲に千代や盟友の中谷正亮は存在しない。
 
 やはり、この番組は、無理に文を主役にドラマを作ることを決めた、最初の段階で失敗だった。
 そして、すでに先日書いたように、その失敗の責任は、組織の最高責任者である会長がとるべきだ。

 今になっても「花燃ゆ」について小言を書くと、「弱いものいじめ」をしているかのように思われるかもしれないが、視聴率10%だって相当多くの方が見ているし、公共の電波が使われ、税金だって投入されているし、もちろん受信料が費やされているのである。

 そして、NHKは間違いなく影響力の強い大手メディアである。

 私にとって許されないと思う歴史捏造の背景に、あの籾井会長による安部政権への媚びへつらいが遠因している以上、今後も小言を書くつもりだ。
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by kogotokoubei | 2015-04-13 00:12 | ドラマや時代劇 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛