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噺の話

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ざま昼席落語会 桂文我・桂福丸 ハーモニーホール座間 3月14日

 座間の今期最後の会に行った。一月、二月に続き今年は今のところ、皆勤^^

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 ホールの外のガラスに張られたポスター。少しピントが外れているのはご容赦。

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 少し拡大。プログラムにあるプロフィールによると、最多出演の文我は、通算28回目の出演とのこと。福丸は、福團冶門下。初出演らしい。

 通算187回。今年は20年、来年は通算200回と記念の年が続くなぁ。
 先月よりは少ないかと思ったが、最終的には九割がた席は埋まっていた。追加のパイプ椅子は出されなかったが、なかなかの入り。きっと最多出演の文我ファンが多いのだろう。

 次のような構成だった。
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(開口一番 柳亭市助『一目上がり』)
桂福丸 『延陽伯』
桂文我 「3.11と小金治さんの思い出」&『紺田屋』
(仲入り)
桂福丸 『生駒のオーロラ』
桂文我 「この一年のニュース」&『能狂言』
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 文我の長いマクラについては、私が名付けた。どちらも、なかなか結構だった。

柳亭市助 『一目上がり』 (15分 *14:01~)
 この会の前座として安定した開口一番ぶりだ。隠居に知恵をつけられてから訪ねた大家の家で、掛け物を褒めようとした際の「大家さんちに、‘ばけもの’はありますか」「おばあさんかい」などを含め、全体的にしっかり笑いをとっていた。
 ちなみに、大家が見せた掛け軸には根岸の亀田望斎の詩がある。「近江(きんこう)の鷺は見がたく、遠樹(えんじゅ)の烏見易し」。大家は、「近くの雪の中のサギは目立たないが、遠くのカラスは黒いから目立つ」と言い、良いことは目立たないが、悪いことは直ぐ露見する、と説明するのだが、この掛け軸、ぜひ永田町の先生たちの部屋に飾って欲しいものだ。彼らの悪事は、ミエミエである。

桂福丸 『延陽伯』 (23分)
 初である。いまだに上方落語家協会サイトからの落語家名鑑へのリンクはできないが、天満天神繁昌亭からはリンクできるので、福丸のプロフィールを確認した。その中から、彼の人柄を表わしているような部分をご紹介。
上方落語家名鑑の該当ページ

ひとこと/落語が大好きです!演るのも聴くのも!落語には、様々な境遇、場面での人の「心」がつまっているように思います。「心」を伝える伝統芸能にたずさわらせて頂くのは、本当に幸せです。ありがとうございます。お客様と、そして登場人物と、心が一つになれるよう精進してまいります。宜しくお願い致します!


 入門から今年で八年目、三十七歳、らしい。
 二席目もそうだった下手から登場する際の、やや陰気な表情は、きっと演出なのだろう。高座に上がってからは、なかなか明るくしっかり演じる。マクラはケーキをつくる工場でのアルバイト体験、というネタ。ベルトコンベアーを流れてくるケーキに、イチゴや蝋燭を乗せるバイトでのネタで、結構、会場から笑いをとっていたし、語り口も良い。
 本編は東京の『たらちね』。あちらこちらが東西では違っている。物の呼び名も違っていて、たとえば七輪は“かんてき”だ。サゲは顔見知りの棒手振りの八百屋との会話で、“京”都と“今日”をかけた地口にしていた。上方ではこの噺を元に小佐田定雄が改作した『御公家女房』もあるが、『たらちね』に慣れた関東の落語愛好家としては、枝雀くらいの爆笑ネタにしないと、上方らしさが出にくい噺かもしれない。しかし、福丸の高座は、とても入門八年の噺家とは思えない、しっかりしたものだった。

桂文我 「3.11と小金治さんの思い出」&『紺田屋』 (52分)
 3.11から四年、ということで、その時に新宿駅にいた、と振り返る。なぜなら、翌日が、この落語会への出演だったのだ。そして、その会は中止とならず、多くのお客さんの来場により開催されたらしい。地元のお客さん中心だから開催できたのだろう。
 ハーモニーホール座間のサイトに、これまでの出演者の一覧が掲載されている。ざま昼席落語会の記録
 たしかに、平成23(2011)年3月12日、次の顔ぶれで開催したと記録されている。
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 第148回 3月 12日 桂 文我  桂 雀五郎  柳亭 市也
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 文我は、前日に町田のホテルで泊まる予定で、新宿駅であの地震に遭遇した思い出を語る。
 ・地震発生後、駅崩壊の恐れがあるとのことで、ホームから避難し駅で待機
 ・その後なんとか町田に着いたのが夜中1時頃
 ・予約していたホテルのロビーにもたくさんの避難の人々
 ・シングルが一杯なので、最上階のスィートルームに泊まってくれと
 言われ、「ロビーの人たちにスィートを解放してはどうか」と言ったが、
 トラブルの責任がとれないので、どうしても泊まってくれと頼まれた
 ・とても、広いベッドに泊まる気になれず、床で寝た
 など。
 3.11のことに続き、昨年11月3日に亡くなった、桂小金治さんの思い出が語られた。
 私もその場に居た、2011年9月29日、最後の『渋酒』を演じた国立演芸場の出来事が語られた際には、少し目が潤んだ。
2011年9月30日のブログ

 文我の独演会に出演し落語を演じられる時、小金治さんは、開催一週間前くらいからは、「ちゃんと稽古しているから、大丈夫」と毎日伝電話をされたらしい。律儀な方だったのだ。
 『渋酒』を最後に落語を辞められた後も、東京での独演会に小金治さんを招き、出演された映画を上映してから、対談などをしていたらしい。
 昨年春、東京でお会いしようとしていたが、引越しされるとのことで延期になり、夏には入院され、お見舞いにも行ったらしい。しかし、入院のことは、身内と文我などごく一部の人にしか知らされなかったとのこと。
 そして、11月3日、東北で仕事中の文我は一関で訃報を知ることになったとのこと。内密に、とのことで、一緒に東北に来ていた新聞社の方にも言わず、東京で別れて品川のお寺で、棺の中の小金治さんにお会いした、とのこと。
 この後、先代の文我の葬式での師匠枝雀の逸話-これも泣けた-などが語られてから、本編へ。
 26分のマクラは、実に内容の濃いもので、私は「3.11と小金治さんの思い出」と勝手ながら題をつけた。
 この日は、二席とも、過去27回では演じなかった噺を選んだようだが、どとらも初めて聴いた。
 『紺田屋』のあらすじ。
 (1)京都三条室町に紺田屋忠兵衛という旧家で裕福な縮緬問屋があった。
   お花さんという今小町と呼ばれる美人の娘がいたが、原因不明の病に
   なった。
 (2)お花は自分が死んだら奇麗な着物着せて化粧もして、三途の川を
    渡る六文銭ではなく、後で両親が天国に行けるよう閻魔様に渡す
    ため五十両を持たせてくれ、と頼む。
 (3)お花は、四条新町しん粉屋新兵衛のしん粉餅が食べたいと言う。
    おいしいと言って3個目を食べたときに顔色が変わって息を
    引き取ってしまった。
    娘の遺言通り五十両を首から提げさせて棺桶(当時は座棺)に
    納めて、四条寺町の大雲寺に葬った。
 (4)夜中、手代の新七はご通用金を埋めると主人が罪になると思い、
    大雲寺に行って土を掘りお花の棺を開け、五十両を付けた紐を
    引っ張った。すると、紐がお花の首にかかり、顔が上を向き、
    なんとお花が生き返った。実は、お花は餅をのどに詰めた
    だけだったのだ。
 (5)元々新七に思いがあったとお花は打ち明け、二人してその五十両を
    持って江戸へ。
 (6)娘に先立たれた忠兵衛夫婦は商売も手に付かず、店をたたんで
    西国八十八箇所を巡礼した後、お花が亡くなって三年後、
    坂東三十三箇所も巡ることにして、浅草の観音様に参詣した。
 (7)浅草に「紺田屋」という自分の以前の店と同じ名を見つけ、これも
    縁と店先で手を合わせた。それを見たその主人新七が二人に気づき、
    四人は再会を果たす。
    孫もおり、お花は、ぜひ一緒に住んで孫の面倒を見て欲しいと
    両親に頼む、忠兵衛夫婦は大いに喜び、祝いの酒となってサゲへ。
    サゲは、お棺と酒の燗をかけたもの。 

 前半と同じ26分のネタも、実に結構だった。後で調べると、二代目円歌の音源が残っており、上方では六代目松鶴が十八番にしていたようだ。
 長講をまったく飽きさせず、前半の話を自然にネタにつないだ高座、全体として今年のマイベスト十席候補としたい。

桂福丸 『生駒のオーロラ』 (21分)
 仲入り後は、福丸の新作。マクラでは大阪のオバハン達の生態(?)から、オーロラ見学ツアーのことにつなぎ、本編へ。
 妻を亡くして三年の男と一人息子の物語。息子に何が欲しい、と聞くと、「オーロラが見たい」と言う。これまで母を早く亡くすなど、自分は運が悪いと思っていた。先生に聞くと、オーロラを見ると運が良くなるらしいから、とのこと。しかし、息子は、アラスカやアイスランドまで行くとお金がかかるし、必ずしも見れるわけではないから、無理しないでと父に言う。そんな父が目にしたのが、格安で生駒の山でオーロラが見れる、という情報。さて、本当にオーロラを見ることができるか、父親は生駒に「オーロラ屋」を訪ねる、という話。自作なのだろうが、サゲの良さを含め、感心した。オーロラの科学的な説明の言い立てで笑いをとっていたあたりも、この人らしさなのだろう。

桂文我 「この一年のニュース」&『能狂言』 (40分 *~16:46)
 しっかり、羽織も着物も替えて再登場。このへんは、鯉昇、喜多八とは違う^^
 今年は、暗いニュースが多い、と昨年のニュースを振り返った。
 ゴーストラーター騒動→渡辺喜美への8億円献金事件→STAP細胞騒動→号泣議員→団扇騒動→オブチ騒動、などなど。
 この人ほど、明確に政治について語る噺家はいないのではなかろうか。昨年末の選挙、「あれ、やる必要ありますか!?700億円かかっています。そのまま東北に送るべきでしょう」に、会場から大拍手。
 「原発を輸出している場合じゃないでしょう」「政党助成金は企業献金をやめるためだったんでしょう」など、どれも頷ける内容のマクラが18分。落語家は世情のアラで飯を食い、と語り、気持ちよく‘アラ’を斬ったマクラ、「この一年のニュース」と題させていただく。
 本編は、なんとも珍しいネタ。Wikipediaにあったので、引用したい。Wikipedia「能狂言」(落語)

あらすじ
江戸で能狂言を見て気に入った田舎大名が、国元へ帰って家臣に演じて見せるように命じるが、田舎者の家臣達は能狂言を知らないので困惑する。たまたま江戸から旅回りで来ていた二人の噺家に率いられて、出鱈目な能狂言を繰り広げる家臣達の騒動を描いた滑稽話である。

3代目三遊亭圓馬が上方落語から東京の6代目三遊亭圓生へ伝えた。近年では6代目三遊亭圓生しか演じた者はいない。『疝気の虫』と同様に、「演者が実際に舞台から歩き去る」動作で終わるという珍しい型のサゲとなっている。


 さすがに、文我は舞台から去る、という演出ではなかった。若手の家臣三人に、口で太鼓、鼓、笛の役割をさせるなどが、可笑しかった。狂言の場面の演技も、この人が幅広く芸能に接していることを物語っていた。それにしても、この人の持ちネタの豊富さには驚かざるを得ない。


 最多出演の文我が、馴染みのお客さんたちを前に、絶妙のマクラ-決して、漫談ではない-と、なかなか聴けないネタ二席を見事に披露し、若手の福丸は、潜在能力とセンスの良さを感じさせてくれた。大いに満足の会だった。
Commented by ほめ・く at 2015-03-17 11:55 x
文我の時事問題への切込みは鋭いです。あそこまで語る東京の噺家はなかなかおりません。原発の被災地に行ってきて、被災者はもっと声を上げて怒って欲しいと語っていたのも文我らしいところです。
語り口の品の良さは師匠より大師匠の米朝に近い様の思います。埋もれたネタを積極的に高座に掛けていて、貴重な存在です。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-03-17 12:18 x
おっしゃる通りですね。
座間でも、被災地へ大阪のH市長を連れて行って声をあげさせれば、被災者にも大阪にも結構な、一石二鳥、と言ってました^^
文我の高座には、風格のようなものが備わってきましたね。
上方落語協会には所属せず、我が道を行く姿勢にも、彼ならではの姿勢を感じます。
今年はできるだけ聴きたい人なのですが、結構土曜の夜や日曜の会が多いので、縁があれば、と思っています。

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by kogotokoubei | 2015-03-15 18:44 | 寄席・落語会 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛