今日は旧暦1月15日、小正月は年の初めの満月を祝う行事!
2015年 03月 05日
韓国の新聞「中央日報」日本語版から引用。
中央日報の該当記事
豊作祈願する小正月の行事=韓国・大田
2015年03月05日08時20分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
小正月を翌日に控えた4日、豊作と新年の祈願をするタルジプテウギ(わらや薪の山を燃やす行事)が大田市杞城洞(テジョンシ・キソンドン)の野原で行われた。
該当記事には、写真もある。
左義長(さぎちょう、三毬杖)と言われる、小正月に行われる火祭りの行事は、日本にももちろんあって、地方により、どんど焼、どんと祭り、歳の神、墨塗り、ぐろ、かんがり、などさまざまな呼び方がある。
多くは正月飾りや書き初めを燃やす行事で、その煙に乗って年神様が天上に帰るとされており、その火で焼いた餅を食べると一年健康で過ごせる、という言い伝えもある。
今でも、新暦1月15日に行事が行われる地方があるので、テレビのニュースなどで知っている人も多いだろう。
しかし、お祝いの主旨が月に関わっているので、これは旧暦で祝って欲しいと思う。
旧暦の1月15日は立春後の望月(もちづき。満月)、その年の最初の満月であることを祝うのが小正月。
元日のことを「大正月」、1月15日を「小正月」と呼ぶようになった。。
無病息災を祈り小豆粥を食べる習慣がある、いや、あった、と過去形で書かなければならないかなぁ。
正確な月齢では明日6日が満月だが、今夜だって非常に結構なお月様である。
正月を小正月までと考える地域もある。
餅花を飾り、豊作を祈る行事など、まだ残っているのだろうか。
中国では「元宵節(げんしょうせつ)」と呼び、地域によってさまざまな行事があるようだ。
また、元宵節はランタンとの関わりが強いらしい。Wikipediaより引用する。Wikipedia「元宵節」
ランタンの歴史
元宵節にランタンが用いられるようになって以来、歴代の中国王朝では元宵節は盛大な年中行事となった。南北朝時代、梁の簡文帝による元宵節の様子を描写した『列灯詩賦』なども残されている。また隋代になると外国使節の参内を元宵節に定め、多くのランランを用いた元宵節を見学させることで国力の充実を内外に示した。
中唐になると更に盛大な行事となった。唐代にランタンを用いるのは元宵節及び前後一日とされ、漢代から1日とされた元宵節が3日間とされた。唐朝では都城である長安では夜間の外出が禁じられていたが、元宵節に限ってはこの禁令が解かれ、民衆がランタンを見るために賑わった。また国力が充実していた時期には王侯貴族が自らの富を表現する場として元宵節が選ばれ、『開元天宝記事』には玄宗により高さ150尺のランタンを、楊貴妃の姉に当たる韓国夫人も「百枝灯樹」なる大規模なランタンを製作したと記録されている。
宋代になると元宵節は更に盛大になり、太祖により期間も正月14日から18日の5日間に延長された。ランタンも唐代のものに比べて精巧且つ豪華なものとなり、辛棄疾の『青玉案・元夕』に当時の元宵節の盛大さが描写されている。宋代の元宵節は朝廷より民衆に酒が下賜されたことで更に多くの人出を見るようになった。またこの時期よりランタンに謎掛けを行う習慣も登場している。
清代になると満洲より氷灯が中原に紹介され、ランタンの製作に影響を与えたと言われている。
中国の人が、元宵節に何を食べるか、ということをご紹介。
元宵節には湯円を食べる習慣がある。湯円はもち米を原料とした団子であり、中には様々な具が入れられる。甘いものとしては砂糖、胡桃、ゴマ、小豆餡、氷砂糖などが、塩辛いものとしては肉や野菜で作られた具が入れられる。
熱湯の入れられた鍋で茹でる際、湯の中で団子が踊る姿を天に輝く満月に見立てた。そして家庭が団円(円満の意味)と音が似ている「湯円」という漢字が使用され、宋代の周必大も『元宵煮浮円子」という詩の中で「今夕是何夕、団円事事同」と表現し、現在でも台湾では「吃了湯円好団円」という民謡が広く知られている。
月--丸い団子→家庭円満、とは、なかなか洒落てるね。
会社の中国人の社員は、昨夜いろんな種類のお団子をつくって、今朝も食べてきたらしい。
子どもの頃、故郷の町では道路の両側に色とりどりのランタンが飾られ、夜店で買ったものを食べながら眺めるのが毎年の楽しみだったとのこと。
このWikipediaでは、落語に関する新たな発見があった。有名なあの怪談噺の原作についてである。
牡丹燈籠
牡丹燈籠の原作である剪燈新話では、主人公二人は元宵節のランタン見物で出会うことになっている。これを牡丹燈籠では、盂蘭盆会に移し変えた。
落語愛好家にとっても、勉強になるねぇ^^
日本は、アジアの隣人たちとの関係を、もっと友好的なものに改善する必要があると思う。
同じ時期に、同じような祭事を祝うことで、共通の話題に花が咲くこともあるだろう。
何度も書いているが、中国や韓国、そして東アジアの人たちは、新暦はあくまで方便として使い、生活習慣や農作業、祭事などは自然と密着した旧暦(ほぼ太陰太陽暦)が基本である。
日本は、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という勢いで、旧暦を忘れてしまった。
それは、アジアの人たちとの共通言語を失ったともいえる大きな損失だ。
本来の旧暦で、伝統のある行事を祝おうとする動きがないのが、残念でならない。
こんなことを書くと「旧暦オタク」などと言われるのだろうが、それでも結構。
望月(満月)を祝う行事は、満月の時にしましょうよ!