原作良し、脚本良し、役者も良しだった、「風の峠~銀漢の賦~」。
2015年 02月 20日
記事の内容はネタバレもあるので、再放送(下記日程)を楽しみにしている方は、ご覧になってからお読みのほどを。
--------「風の峠~銀漢の賦~」最終回再放送-------------------
再放送:【総合】2015年2月25日(水) 午前1時25分~2時8分(火曜深夜)
再放送:【BSプレミアム】2015年2月25日(水) 午後0時~0時43分
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葉室麟の作品では、漢詩や和歌が実に効果的に使われる。
将監、源五、十蔵の三人の友情の象徴として、すでに「銀漢」の出典でもある蘇軾の「中秋月」があるが、最後の場面でも蘇軾の詩、「玲瓏山に登る」が登場する。
元の七言律詩は、次の通り。
登玲瓏山
何年僵立兩蒼龍
瘦脊盤盤尚倚空
翠浪舞翻紅罷亞
白雲穿破碧玲瓏
三休亭上工延月
九折巖前巧貯風
腳力盡時山更好
莫將有限趁無窮

葉室麟著『銀漢の賦』
さて、原作では、どのようにこの漢詩が登場するかをご紹介。
風越峠での決闘をなんとかしのぎ、松浦将監は、残り少ない命を振り絞って、絵師として評価を得ている老中松平定信に直訴することで、月ヶ瀬藩藩主惟忠が幕閣入りを狙い、その条件として不平等な国替えを強いられることを阻止することに成功した。
日下部源五は、鷹島屋敷の屋敷番になっていた。
(漢詩の部分、ふりがなが読みにくいかもしれませんが、ご容赦のほどを)
九月になって、鷹島の古屋敷にいる源五のもとへ将監の遺品が届けられた。見ると一幅の掛け軸である。
みつからの書状によれば、将監が死の直前まで絵筆を取って描きあげたもので、
「源五に-」
と言い残したそうである。掛け軸が届いた日の夜、源五は茶室の床の間に掛け軸を掛けた。そして茶室の障子を開け放ち、月光で将監の絵をしみじみと眺めた。
見る者を粛然とさせる山水画だった。濃淡の墨で豪宕(ごうとう)な山容が描かれている。将監の絵らしく代赭が刷かれ、地肌の熱を伝えるかのようだ。墨のにじみはなだらかな斜面を表し、鋭い描線は天を切り裂く峰を描いていた。
二つの高い峰が天を切り裂き、お互い向い合うように聳えている。その景色は、あたかも二頭の龍が天に飛翔しようとしているように見えた。雲が湧き起り、疾風が峰々を駆け巡っている。自然の厳しさを見つめ、その偉容を称えている絵であり、山を越えて広がる天空へ思いを馳せる絵だった。
この絵には凛冽(りんれつ)という言葉が最もふさわしいと源五は思った。
(将監は死の直前にこのような絵を描いたのか)
画賛は漢詩が書かれていた。源五は、月光の中で胡座をかき、掛け軸を眺めながら、静かに画賛を読んだ。
なんねんきょうりつ りょうせいりゅう
何年僵立す兩蒼龍
そうせきばんばん なお よ
瘦脊盤盤として尚空に倚る
すいろう ひあ
翠浪舞い翻る紅の罷亞
はくうんうが あお れいろう
白雲穿ち破る碧き玲瓏
さんきゅうていじょうたく ひ
三休亭上工みに月を延き
きゅうせつがんぜんたく たくわ
九折巖前巧みに風を貯う
きゃくりょくつ さら よ
腳力盡きる時山更に好し
ゆうげん もつ むきゅう お なか
有限を將て無窮を趁うこと莫れ
蘇軾の詩、「玲瓏山に登る」である。
蘇軾は号を東坡居士、詩人であり宋の高官だった。「新法」をかかげて改革政治を進めた王安石と対立して地方へ流され、一時は死を覚悟したこともあった。地方へ左遷された際、名所の玲瓏山に登って詠んだ詩である。
玲瓏山には二頭の青龍にも似た、二つの高い峰がある。
蘇軾は、二つの峰は一体、何年の間、聳え立っていたのだろうか、と思いをはせたのだ。二つの峰は老人の背骨のように折れ曲がって空によりかかっている。
田圃は紅色に色づき、青葉は風に翻っている。
白雲をつきぬける峰を眺めながら山に登れば、月を見るのによい三休亭がある。
風が心地よく、ここで歩き疲れた足を休める時、山の景色は一段と美しい。
限りある人間の身で無窮の美をこれ以上、追い求めてはいけない、というのが詩の大意だ。両青龍、二頭の青龍という詩句に、将監は自分と源五を見立てたのだろうか。
しかし、将監が伝えたかったのは、この詩が、はるかな山上に登った時の感慨を表していることだろう。
「唐詩は酒、宋詩は茶」と言われる。杜甫を始め唐詩は悲哀に満ちているが、宋詩は同じように悲哀がありながらも、これに酔わず、乗り越えようとする気概があった。
-脚力尽きる時、山更に好し
源五は詩の一節をつぶやいた。
将監は源五と支えあうようにして上った風越峠で見た風景を、この世で見た最後の最も美しいものとしたのかもしれない。人は脚力が尽きる老いの最中に、輝かしいものを見ることになるのだろうか。
最初に本書を読んだ時、この漢詩のイメージから作品が出来上がったのではないか、とも思ったものだ。
あとで紹介するが、実際は友人との温泉での体験が元になっている。
ドラマでは、この二つの峰の間に天の川が流れていた。これは、実に良い脚色。
源五と蕗との会話で、二つの峰が将監と源五ならこの天の川は、と言う場面、私も「十蔵」と声を出していた。そして、少し目が潤んだ。
風越峠での決闘でも、映像ならではの好演出があった。
原作では、将監は、蕗の鉄砲の助けを借りずに鷲巣清右衛門を倒すのだが、ドラマでは、二人が睨みあっている間に鉄砲を持って蕗が走った。「お、これは!」と私は思った。
源五は清右衛門の助っ人である目付を相手にしている。その時、気丈な蕗なら、十分に鉄砲を用意できる。
結果、将監が躓き清右衛門が斬りかかった時、蕗の打った鉄砲の弾丸が清右衛門の目の前を遮り、その隙に将監が清右衛門を下から突き刺す、という演出。これは、大いにあり得るし、なかなか見事な脚色だった。
では、こういった原作にはない脚色について、作者の葉室麟自身は、どう思っているのか。
文藝春秋の「本の話web」というサイトに、作者葉室麟と源五を演じた中村雅俊の対談が掲載されている。
そこに、脚本への感想や、本書を書いたきっかけなどが明かされているので紹介したい。
「本の話web」サイトの該当ページ
葉室 僕は、映像作品は小説とは別物だと思っているので、おおもとの話さえ変わらなければどう脚色していただいてもいいと思っているんです。ただ今回ドラマ化のお話があったとき、原作が入り組んだ構造なので、脚色は結構骨の折れる作業になるんじゃないかなと心配していました。
中村 現在の話と昔の話が行ったりきたりして、やや複雑な作りかもしれないですね。
葉室 ところが脚本を読んだらまったくの杞憂でした。原作のややこしいところをうまく躱(かわ)しながら、すごく魅力的に脚色していただいていて。自分で言うのも変ですが、本当に面白かった(笑)。才能ある方々によって映像化され、原作も面白いと錯覚してくれる人がいたらいいなと思っています。それで本が売れてくれたらなお嬉しいなと(笑)。
中村 ハハハハ。中年を過ぎた方には、たまらない物語だと思います。ところで、この小説はどういう風にして生まれたんでしょう?
葉室 『銀漢の賦』を書いたのは、50歳を過ぎてからでした。そのときに、やっぱり友情を書きたくなったんです。小説の中で、源五と将監が温泉に行くシーンがありますが、これは実体験です。僕が社会人になって非常に辛い時期があったときに、友だちが温泉に行こうと声をかけてくれて。といっても200円払って入るような小さな温泉なんですけど。それで2人で山を見ながらぼーっとして。彼は僕が大変な時期にあることをわかっているんですけど、慰めたりはしないんです。何てことのない世間話をして帰ってくる。ただそれだけのことが、僕にとっては本当にありがたかった。これが貴重な経験になっていて、そのときの思いを小説にしました。
葉室麟も、脚本を高く評価しているのだ。
たしかに、‘原作のややこしいところをうまく躱(かわ)し’ながら、映像表現ならではの脚色をしていると思う。
本作執筆の元は、友と行った温泉での経験だったようだ。なるほど、あの場面はドラマでも実に良かった。
辛い時に傍にいてくれるのが、友なのだなぁ。
対談している二人は、同じ昭和26年生まれで、誕生日も葉室が1月25日、中村が2月1日と極めて近い。
葉室は、‘学生時代はジーパンで下駄を履いていました。弾けもしないギター持って歩いてた’、のは中村の影響、と話している。
対談から再度引用。歴史における敗者について、そして、中村は源五をどう演じたのか。そして、原作を読んだ印象などについて。
中村 学校で歴史を習いますけど、それは結局勝者が作ったストーリーですよね。葉室さんの作品には、敗者への温かい眼差しを感じます。
葉室 僕は歴史の真実は、負けた人の側にしかないと思っているんです。源五にしても、世間的に見たら成功者ではありません。出世もしないし、友だちは死んでしまう。でも彼のように生きたら、自分なりに生きられたという満足感はきっと持てるんじゃないかなと。
中村 「風の峠」で源五を演じていて気持ち良かったのは、彼が義に生きた男だからなんですよ。地位が大事だったりお金にこだわったりする人もいるけれど、源五が一番大事にするものは、3人の友情なんですよね。それは他人から見たらどうでもいいことだけど、源五はブレない。将監にしても十蔵にしても、大事なものの選び方が素敵だと思いました。その優先順位の中で、自分が一番じゃないんですよ。他にちゃんと大切なものがある。そこがかっこいいなあと。
葉室 いろんな方に書評を書いていただきましたけど、今の中村さんの言葉が一番心に響きました。
私も、原作を読んだ後は、中村雅俊と同様の感想を持った。三人の友情、それも、命を張った友情を背景にしているから、読む者の心を打つ。
同じ年の二人、なかなか楽しい対談だったようだ。
このドラマは、葉室燐が言うように、‘才能のある方による映像化’だったと思う。
原作良し、脚本も良し、そして役者の了見も良しのドラマがお開きとなり、寂しい限り。
4月からの前田慶次(利益)に関する次作については、あまり期待していない。原作がなく、原案があの「天地人」の原作者。
あの本は書店で少し立ち読みしただけで買う気がしなくなったものだ。文章の質は葉室麟と比べようもない。時代考証にも問題があるように思った。作者の思い込みが強すぎるようにも感じたなぁ。
そもそも、なぜ直江兼続を描くのに藤沢周平の『密謀』を元にしなかったのか、疑問だ。たしかに、藤沢作品は、史実にできるだけ忠実であろうとするので、ドラマ性は低いのかもしれない。しかし、それを、巧みに脚色することで、映像化はできたはずである。
何より、藤沢も葉室も、善悪の単純な二者択一的、勧善懲悪のドラマなど描かない。
対談にもあったように、葉室麟には歴史の敗者側に真実を見ようとする姿勢が強く、他の作家とは人物を描く深さが違ううように思う。そして、登場人物のそれぞれが魅力的である。
そのうち、また葉室麟の作品をドラマ化して欲しいと願うばかり。
拙ブログに、『無双の花』や『川あかり』のドラマ化を期待されているとのコメントをいただいた。もちろん、どちらも結構。
立花宗茂を題材とする『無双の花』は、大河でも良いと思う。しかし、あのNHK会長は、選ばないだろうなぁ。
『川あかり』は木曜向きだろう。七十郎と‘流れ星’たちの活躍は、ドラマ性が十分にあると思う。お若をどんな女優さんが演じるかなども興味深い。
他にも『柚子の花咲く』などは、本来の教育とは何か、を問いかける意味でもドラマ化を期待したいものだ。
ファンとしては、葉室作品のどれでも結構。
なぜなら、そこには懸命に生きる生身の人間が存在するからだ。
一見敗者と思われる側に視点を定め、厳しい環境下でも自分らしく生きようとする人間像が描かれ、登場人物たちの深い愛情、友情に熱いものを感じ、読後には清々しさや生きる元気をもらえる作品であれば、映像化しても十分に見応えがある。
NHKの大河や木曜時代劇に限らず民放においても、そういった作品、作者に陽の目が当たることを期待したい。
いつもは政治ブログでブーたれてるものです。
泣きました 原作でも少し泣いたけど、テレビでは毎回泣きました
最近の、あざとい泣かせようとした(でも、こっちは引いてしまう)ものでなく、自然と泣けました。
定年間近とか出世とか友情とか・・・・いろんなものが去来して泣かされました
作者の実体験があったから、真に迫ったストーリーになったんでしょうね。
幕閣になりたいがために、藩の財政も顧みず・・・なんてのは常任理事国になるためなら国の財政も顧みず、、、のどこかの国を連想 中村獅童の悪役、どの組織にもいますね 株価暴落の悪役と同じタイプ
個人のアピールのためなら、組織は二の次 でも、こんなタイプが結構出世する これもよくある話
友情に至っては、社会に出てから 友と心理的壁を作る(社会的ステータスで)
それは、こっちが引け目を感じて遠慮する場合もあれば、逆にこっちが見下して忌避する場合も有り。
なんだか時代劇という設定で身につまされる話でした。
少年時代の友情、社会へ出てからの変遷 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカを連想しました。
音楽もどことなく、あそこらへんの香りがしましたね。
葉室麟の優れた原作を、映像ならではの脚色をした、近来稀に見る時代劇ドラマの秀作でした。
葉室作品は、ご指摘の通り、時代を超えて共鳴できる人間ドラマが展開されますね。
次にドラマ化されるなら・・・と考えたら、どの作品も該当するので、一つには絞れません^^
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は、私の好きなアメリカ映画トップ10の中の一作です。
ジェニファー・コナリーの若かりし頃が好きだ、ということもあります^^
今後も気軽にお立寄りください。
コメントありがとうございます。
感じ方は人それぞれだと思います。
俳優の好みなども違うでしょうし、原作のどの部分を映像化の力点にして欲しいか、という思いも皆さん違ってらっしゃるはず。
私は、好印象でした。
落語もお好きでしたら、お気軽に拙ブログへお立ち寄りください。
葉室 麟さんが、お亡くなりになりました。
いまだに、葉室さんの作品は「銀漢の賦」しか読んでませんが、、、
3年前のコメンと読むとかなり感動してたんですねぇ~
66歳は、若すぎます。
心よりご冥福お祈りいたします。
お久しぶりです。
私も訃報に接し、落胆しております。
私は、全作品の七割位しか読んでいないと思いますが、駄作が一つもないと思います。
時代小説ながら、現代の組織で生きる人間の生の呼吸を感じられる稀有な作家でした。
過去形で書かなければならない日が、こんなに早くくるとは・・・・・・。
合掌
こんなに心に深く
しみじみとした思いのかたまりが
残る作品、
初めてです。
漢詩のことが知りたくて
ここへきました。
ありがとうございます。
中村雅俊さん、柴田恭兵さん、
味わい深く 魅力的でした。
十蔵と小弥太が
天狗と代官として出会う場面 心に残ります。
その後も
そのやり取りを言葉にして 説明しない、言い訳しない。
そうして 進んでいく話に とても惹かれました。
原作、脚本、役者、本当にその通りですね。
みんな揃ってこの作品の素晴らしさが あるのですね。
作品の中の人間たちに出会えて 私は幸せでした。
漢詩のすばらしさ、はじめて知りたいと思いました。
ありがとうございました。
古い記事へのコメント、ありがとうございます。
録画かDVDをご覧になったということでしょうか。
最近は、ネットでも見ることができるのかな。
ともかく、良いドラマでしたね。
だんだん、葉室麟の作品で未読なものが減ってきており、できるだけ全作品読み終わる前に、以前読んだ本を再読していたりする日々です。
『蛍草』もドラマ化され、ついこの前までNHK総合で再放送されましたね。
まだまだ、ドラマ化や映画化に相応しい作品があります。
ぜひ、映像でも葉室さんに再会したいものです。
covid-19 で 家ごもり中、
出会った 良いことのひとつでした。
葉室麟さんの本は
まだ読んだ事がなく
次回日本へ帰国の時には
読みたい本 になりました。
こちらの ブログに
聞かせてもらえる、教えてもらえる
楽しいことがいっぱいありそうで
とても嬉しいことでした。
ありがとうございます!
あら、海外にいらっしゃるんですね。
ぜひ、帰国されたら、お読みください。
いろんなことを書いているブログですが、気軽に立ち寄りのほどを。
COVID-19、長期戦になりそうですが、お互い頑張ってしのぎましょう。
