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噺の話

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旧暦12月28日、天和の大火は八百屋お七火事とも言われるが・・・・・・。

 先週7日の土曜日は、ざま昼席落語会で、入船亭扇遊の『鼠穴』を堪能した。

 落語のマクラでよく耳にする江戸の名物が、「武士、鰹、大名小路、広小路、茶店、紫、火消、錦絵、火事に喧嘩に中っ腹、伊勢屋、稲荷に犬のくそ」と最後はやや下品になるが、もちろん火事は欠かせない。

 火事にまつわる小咄は多いが、ネタとしては、先日の『鼠穴』以外に、『富久』、『大坂屋花鳥』、『火事息子』、江戸ではないが『厩火事』なんてぇのもある。

 江戸の大火で被害が大きかったものを、Wikipedia「江戸の火事」を元にご紹介。Wikipedia「江戸の火事」

明暦3年1月18日・19日 (1657年)  明暦の大火(別名、振袖火事) 死者数は最大で107000との推計

天和2年12月28日 (1682年) 天和の大火(別名、八百屋お七の火事)  死者数830-3500

明和9年2月29日(1772年) 明和の大火(別名、行人坂の火事)死者数14700、行方不明者数4060

天保5年2月7日 (1834年) 甲午火事 死者数4000

安政2年10月2日(1855年) 地震火事 死者数4500-26000


 
 2月16日は、旧暦で12月28日。天和2年のこの日に「天和の大火」があった。

 なぜ「八百屋お七の火事」と言われているかはWikipediaにも書かれているのだが、「歴史人」のサイトの昨年12月28日の「今日は何の日?歴史人カレンダー」からご紹介する。
「歴史人」サイトの該当記事

お七火事=天和の大火が起こる (天和2年=1683年1月25日) 12月28日 

 331年前の今日(旧暦)、天和の大火が江戸の町を焼いた。お七火事とも呼ばれる。
 天和2年(1683)、駒込大円寺が火元という大火が江戸の町を襲い、死者3500名にも及ぶという大惨事となった。
 井原西鶴の『好色五人女』を始め、歌舞伎や文楽などで名高い八百屋お七の物語は、この天和の大火に始まる。
 天和の大火で焼け出された江戸・本郷の八百屋、八兵衛なる男は、檀那寺であった駒込の吉祥寺に避難した(本郷の円乗寺ともいう)。八兵衛にはお七という16歳になる娘がいた。お七は避難場所で出会った寺小性、生田庄之介と恋仲となる。
 やがて八兵衛は新居を再建、一家は寺を引き払うが、お七の庄之介への恋情はやみがたかった。
 お七は、火事になればまた庄之介に会えるかもと、なんと自宅に放火をしたのである。
 お七の火付けによる火事は幸い大火にはならずすぐに消し止められて小火で済んだ。
 しかし、当時、火付けは大罪である。
 お七は捕われ、鈴ヶ森で火あぶりの刑に処される。
 天和3年のことだった。
 この事件の3年後の貞享3年(1686)、井原西鶴が『好色五人女』でお七を取り上げたことにより、お七の名は全国に広く知られるようになる。
 歌舞伎や文楽などの悲恋のヒロインがこうして誕生したのである。
(文/宮本次郎=コラムライター)



 お七が小姓の庄之介(佐兵衛とも言われている)に会いたい一心で放火をしたのは、天和3年の3月2日とされている。
 ぼやで済んだようだが、放火は大罪。

 お分かりのように、別名「八百屋お七火事」と言われる「天和の大火」は、あくまでお七を吉祥寺(あるいは円乗寺)に避難させ、小姓に合わせるきっかけになった火事だ。

 実際のお七という人物に関しては、天和3年の3月に放火で断罪された女性がいたことだけは事実のようだが、詳細は謎に包まれている。

 西鶴の本、その後の人形浄瑠璃、歌舞伎によって、お七の姿が、あくまでフィクションとして伝説化したと思ったほうがよいだろう。

 ネットで調べているうちに、お七の墓は、生まれ故郷である八千代市の長妙寺にあるらしいことが分かった。「長妙寺」サイトの該当ページ
 しかし、このお寺のサイトでは、お七の放火で江戸の町が焼かれた、とある。‘小姓吉三’で説明されていることもあり、大変失礼だが、もう少し史実に沿った内容に訂正してもらいたいものだ。

 史実と、その後に読み物や浄瑠璃、歌舞伎などで脚色されて世に流布している内容とが大きく違うことは多い。
 忠臣蔵の討ち入りの時は前日までの雪がやんでいた、とか、堀部安兵衛が高田の馬場で倒した相手は多くても五人である、とか。人々は、どうしても、物語として大袈裟に脚色(歪曲?)されたり美化されたりするフィクションの方を好みがちだ。

 八百屋お七についても、お七の放火で江戸の大火になったと勘違いしている方も多かろう。

 ことほど、史実がフィクションによって歪曲され、それが、事実のように広まることもあるのは、実に恐ろしいことだ。

 しかし、よ~く考えると、フィクションと分かった上で、一つの物語を楽しむのであれば、お七も浮ばれるかもしれない。

 落語では、円生が得意にしていた『お七』があるし、『七段目』でも重要な演出の一こまをつくっている。『くしゃみ講釈』では覗きカラクリが大事な要素である。小姓と胡椒だよね^^


 八百屋お七のことから、史実(ノンフィクション)とフィクションのことに思いが至る。

 たとえば、史実(史伝)の吉村昭、歴史小説の司馬遼太郎という二人の対比を思い浮かべるが、最近は、そういう二者択一的な考え方ではまずいのではないか、と思い始めた。

 たとえば、藤沢周平や葉室麟は、どう位置づけられるのか、ということ。

 いわば、ノンフィクションとフィクションの狭間にある作品は存在すると思う。

 たとえば、定説のある歴史的な事実に、まったく別な角度から光を当てる試みは貴重だ。
 また、無名の庶民を題材としていながら、当時の世相なども巧みに織り込み、リアリティのある人間像を描き出し読者を魅了するフィクションも存在する。藤沢や葉室は、そういった作品の代表的作家だと思う。

 時代小説、あるいは歴史小説において、肝腎なことはいったい何なのだろうか・・・・・・。

 描かれた作品が人の心に迫ってくるかどうかは、作者の想像力と了見によって決まるのだと思う。

 視聴率だけがその番組を測る指標とは思わないが、NHKの大河の低い視聴率が話題になるのは、当然の帰結である。想像力と了見の両方に問題があり、観る者の心を揺さぶらない。

 それに比べて葉室麟の原作『銀漢の賦』を元にした、同じNHKの木曜時代劇「風の峠」は違う。原作の良さを、映像化する人達も的確に演出しており、実に観る者の心を揺さぶるではないか。そこには、定めの中で必死に生きる男や女が、侍も農民も含め描かれている。脚本家や演出家の想像力と了見が大河とは違うのだろう。今週で最終回なのが惜しくてならない。

 ノンフィクションがフィクションより上とか下とかの問題ではなく、小説やドラマ、映画という作品において、どれほど読者や視聴者に、その時代や環境において、悩み、もがき、葛藤する、生きた人間が描けているかが大事なのだろう。
 その結果、読む者、観る者に、感動や、それこそ勇気を与えることができる作品こそが傑作なのだと思う。

 昨今、テレビのスポーツ番組で「勇気」や「感動」という言葉が大安売りされている。「勇気と感動をありがとう!」という軽~いノリのアナウンサーの言葉を聞くと、興醒めだ。
 しかし、優れた文章や映像から、本当に勇気や感動を受けた場合、しばらく何も言えず、じ~んと胸に沁みてくるものだと思う。目が潤むこともある。とても、軽々しく言葉など発せられないのが、心から感動した時の状況のはずだ。


 「八百屋お七の火事」の日、最近の時代劇ドラマなどのことも含め、いろんなことを考えていた。
 相当発散してしまったが、じ~んとくる、小説や映像に一つでも多く出会いたいと思う。それは、ノンフィクションでもフィクションでも、もちろん構わない。
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by kogotokoubei | 2015-02-16 19:45 | 今日は何の日 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛