人気ブログランキング | 話題のタグを見る

NHK木曜時代劇「風の峠~銀漢の賦~」における女性たち。


NHK木曜時代劇「風の峠~銀漢の賦~」における女性たち。_e0337777_11133646.jpg

NHKサイトの「風の峠~銀漢の賦~」のページ


 昨夜の「風の峠~銀漢の賦~」も、実に見応えがあった。

 私が演出面で注目したのは、原作を生かし映像として、どう人物像を描くか、ということ。
 文章で読む楽しさと、映像で観る楽しさは、もちろん違う。
 たとえば、小説では、登場人物の見た目などは、最後まで隠すこともできる。映像ではそうはいかない。
 また、文章ではさまざまな文言をつらねて人物の心理描写を形容するが、映像では一目で、その人の喜怒哀楽を伝えることができる。

 また、小説の原作の意図を、映像化して伝えるには、良い意味で脚色も必要となる。

 私が小説と映像の違いをもっとも印象づけられたのは、ピエール・ブール原作の『猿の惑星』だ。
 『戦場に架ける橋』の作者としても知られるブールの『猿の惑星』原作のエンディングは、映画とは違う。宇宙を航行中に拾ったカプセルに入っていた物語には、元々人類が支配していた世界において、その後知能で逆転した猿が人類に替わって支配しするようになった、ということが書かれており、それを読んだ宇宙船の乗組員が「人類が高い知的能力を持っているなんて、そんな馬鹿な」、と嘲笑しながらカプセルを捨てる、その腕が毛に覆われていた、というエンディング。要するに、物語を読んでいた宇宙船の船員が、知能が向上した猿だった、ということ。
 そして、この原作を元にした映画の第一作のエンディングは、皆さんよくご承知のように、自由の女神である。

 私は、先に映画、そして後から小説を読んだが、どちらも大いに楽しんだ。
 映画のエンディングの演出も見事としか言いようがないし、原作も小説の特性を見事に活かしたものだった。

 要するに、読む物語を観る物語にするためには、そのメディアの特性を活かすための演出があって当然なのである。

 さて、「風の峠~銀漢の賦~」について。

 昨夜の第四回には、いくつかヤマ場があった。

(1)将監が源五に明かす藩の危機と脱藩の意思~それを聞いていた妻みつ
 まず最初は、将監と源五の対面。前回からの続きで、将監宅を訪ねた源五が、成り行きから庭で将監と刀を抜いて睨みあうが、将監の妻みつの機転で立ち会いは収まり、二人の会話の場面。
 将監が家老職を追われたのが、藩主が周囲にそそのかされて、月ヶ瀬藩と、より貧しい藩との国替えを条件に幕閣入りを目指しており、それを非難したために罷免された、と源五に打ち明ける。
 将監は、残り少ない自分の命を、藩を守るために捧げようとしており、心にある秘策のため脱藩したいので源五に手伝ってくれ、と依頼する。源五は即答を避ける。
 この場面で、ドラマならではの演出が、この二人の話を将監の妻であるみつが聞いており、最後まで夫と一緒にいたい、一緒に脱藩したいと夫に乞うことになる。麻生祐未が、いいんだよなぁ。

(2)悩む源五に、娘たつの談判
 日下部源五の娘たつ。
 津田伊織に嫁いでおり、夫は側用人の山崎多聞から義父の源五に家老の松浦将監暗殺を依頼するよう命じられた。
 伊織は、源五が将監と幼馴染であることを活かして家老を、あくまで私怨ということで殺して欲しい、これは上意だが、闇の中で処理したい、と依頼する。藩主は幕閣入りを目指しており、藩の不祥事として明るみに出るのを多聞も藩主も恐れているのだ。
 たつは、源五が病に臥せていた母を、仕事を理由に顧みなかったとして、父を恨んでいた。それは、ちょうど井堰の普請に没頭していた時期だ。
 昨夜の内容で、もう一つのマヤは、父がまだ将監を討っていないことを知ったたつが、憎むべき父だが、私たちのために将監暗殺をなしとげて死んでもらえれば無駄死にではないとばかりに、父源五に、早く目的を達するよう迫る場面だ。
 小説でのたつは、父を憎んでいたことは書かれているが、夫からの要請に父が従わないからと、父に談じ込むような場面は存在しない。
 ドラマでは、あえて、吉田羊演じるたつに、中村雅俊演じる父源五に詰め寄らせた。この場面、最初は若干の違和感を抱いたのだが、「母を見殺しにした」と思っているたつにとって、父の命が、せめて嫁いだ夫の出世に役だってくれれば、母も喜んでくれるだろう、という強い女を表すには、悪い演出ではなかったと思う。また、吉田羊が演じるので、説得力もあった。

(3)たつに負けない蕗~源五の井堰工事の思い出
 源五、そして小弥太(将監)と幼馴染だった十蔵を、百姓一揆の首謀者として、当時家老に復職した将監が、心を鬼にして死罪に処した。その十蔵の娘である蕗は、源五が引き取って下女として働いていた。
 蕗は、源五の娘たつから、世間体を気にして家を出ていけと言われるが、蕗は頑として居残る。桜庭ななみ演じる蕗、見た目は弱々しいように見えるが、さすが十蔵の子だと思わせた。
 さて、源五。藩主の命令であるから将監を切れという娘婿夫婦。そして、その藩主が幕閣入りという欲望を満たすために藩の民を苦しめかねない国替えをしようとしていることを、残り少ない命をかけて防ごうとしている将監。
 板挟みに悩む源五は、蕗を連れて月ヶ瀬の田畑を眺める。思い出すのは、あの井堰普請だった。
 かつて、庄屋五郎右衛門が、毎年氾濫する雲居川に堰をつくり、水を田に引きこんで安心して米づくりをしたい、と家老の将監に願い出た。その時将監は、絶対に失敗するな、失敗したら磔であるとして普請を認めた。それが難工事であることを知る将監は、庄屋に背水の陣で村民の協力をあおぎ完成させて欲しいから、そう命じたのだ。
 源五は、鉄砲衆であったが、堰の普請に駆り出された。難工事に自ら石運びなどの力仕事も厭わずに努めた日々を思い出す。その頃、病の床についていた妻は、源五に、私には構わず仕事に励んでほしいと懇願した。しかし、そんなことは、娘たつは知らない。病床の妻と源五の場面も、良かったなぁ。
 源五は、青々と実る稲穂を見て、あれだけ苦労して井堰を普請し、ようやくここまでになったことを振り返り、決心した。


 こうやって、振り返ると、それぞれの場面で、なんと女性が輝いていることか。

 将監が残り少ない命をかけて脱藩しようとしていることを知り、夫と最後を共にすると訴える、みつ。
 母の死は父が早めたと思い込み、嫁いだ津田家のために生命を捨ててほしいと父に乞う、たつ。
 亡くなった父十蔵への友情から面倒を見てくれる源五のために、愛情を込めてつくそうとする、蕗。

 それぞれの立場で、その時代に精一杯生きようとする女性たちがいるから、なおさら‘漢(おとこ)’のドラマとしても際立つように思う。

 大河「花燃ゆ」は、女性を描こうなどと無理をして史実を無視したり捻じ曲げるがために、結局は幕末の人間像をリアルに描くことに失敗している。
 実在の人物を題材にしながら、その時代における人間模様のリアリティを欠くドラマよりも、その時代に生きた男、女、侍、農民のあり方を深く洞察したフィクションのほうが、どれほどリアリティがあるか、と思う。

 来週はついに「脱藩」である。NHKのサイトには、次のように紹介されている。
源五(中村雅俊)は国替え阻止のため脱藩を決意した将監(柴田恭兵)を手伝うことにする。それは主命を破り、ひいては娘のたつ(吉田羊)を裏切ることを意味していた。一方、なかなか家老暗殺に踏み切らない源五に苛立っていた多聞(中村獅童)は、源五が将監を湯治場に連れ出し斬ると聞き、胸を撫で下ろす。が、書院番の鷲巣清右衛門(平岳大)は源五に疑惑の目を向け始めていた…。

 最終回の峠での戦いにつながる内容だろう。
 ちなみに、最終回の題は「風の峠」か、あるいは「峠」、もしかして「峠の決闘」か^^

 さぁ、幼い頃一緒に銀漢を眺めた十蔵への思いも胸に、将監と源五の悪との戦いが始まる。
 来週木曜が待ち遠しいぞ!
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2015-02-06 19:58 | ドラマや時代劇 | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛