十三回忌に、榎本滋民さんのことを想う。
2015年 01月 17日
2003年のこの日、火事で逃げ遅れて亡くなったので、十三回忌になる。
落語評論をする人は、これまで多くいらっしゃったが、榎本さんは私の好きな評論家、あるいは、落語の優れた聴き手の上位に間違いなく入る。
本来は敬称略の拙ブログで、どうしても‘さん’づけで呼びたい人の一人。
生まれが早い順に、ざっと、私が知っている範囲で、副業であろうと落語に関して評論的な作品を残している人を並べてみる。明治生まれから、昭和は戦前生まれの人までとする。
□明治生まれ
岡鬼太郎(M5年生まれ)、野村無名庵(M19生)、久保田万太郎(M20生)、
今村信雄(M25生)、小島政二郎(M25生)、正岡容(M37生)、宇野信夫(M37生)、
安藤鶴夫(M41生)、暉峻康隆(M41生)、宇井無愁(M42生)
□大正生まれ
加太こうじ(T7生)、小島貞二(T8生)、興津要(T13生)
□昭和生まれ(戦前生まれまで)
色川武大(S4生)、小沢昭一(S4生)、大西信行(S4生)、榎本滋民(S5生)、
山本進(S6生)、江國滋(S9生)、矢野誠一(S10生)、保田武宏(S10生)、
麻生芳伸(S13生)、川戸貞吉(S13生)、延広真治(S14生)、平岡正明(S16生)、
京須偕充(S17生)
抜けはあるかもしれないが、主だったところは並んでいるのではなかろうか。
榎本さんは、岡鬼太郎、久保田万太郎、宇野信夫という、明治の劇作家や劇評家の流れを継承している人といえるだろう。
自ら「花の吉原百人斬り」「愛染め高尾」や「たぬき」などの戯曲を書く人なので、「落語特選会」の解説では、落語の舞台となる江戸や明治の生活、文化や風習に関して詳しく説明してくれたし、頗る楽しく、そして勉強になった。
榎本さんの本を読んだり、落語特選会の解説を聴くと、落語の聴き方や見方について、大いに参考になる。
何度か引用している榎本さんの『落語小劇場』(三樹書房)。
劇作家らしい題名のついた本、下巻の巻末にある「はね太鼓」から引用する。
以前の歌舞伎は、座頭役者が演出家をかねていたから、上演のたびに脚本の細部に変更があり得たが、現在では、せりふもほとんど一字一句まで定型化されていて、俳優のいわゆる仕勝手は非難されるし、久し振りに発掘された演目の場合は、かならず外部の識者に監修・補綴・潤色・演出を依頼して定本を作り、これに準拠するのが常識になっている。だから、「古典歌舞伎」ということばが、存在し得るわけなのである。
落語も以前は、台本製作の才能や演出の適性に富んだ演者が多くいた。だから、つぎつぎに名作が生まれ、演出も改良されていたわけなのだが、現在では、演出者を完全にかねることのできる演者は、絶無ではないにしても、ごく少ない。
もっとも、歌舞伎俳優と同様に、演者としてすぐれていさえすれば、それで十分に立派なのであり、演出者の力量が欠けていることを指摘されたところで、いささか悲しんだりくやしがったりするには及ばないのである。
ことわっておくが、ここで私のいう演出とは、ちょっとした表現の工夫などではない。状況の把握、展開の調整、用語の選定、風俗の考証、その他、一編の落語を話芸として成り立たせるすべての要素を、統合し発揚する作業のことである。
落語は、演者と演出家をかねる一人芸であるにはちがいないが、厳密な意味での演出力のない者が、演じにくいとか受けないとかいうくらいの理由で、勝手気ままにテキスト・レジイするのは、公共文化遺産の私有化であり、ゆゆしい破壊ですらある、といわなければならない。
演劇と話芸、戯曲と演芸台本の次元の相違は重々承知しながらも、なおかつ私が古典落語の定本化をうながし、克明なテキスト・レジイの必要を主張するのは、以上の観察からである。とはいえ、これはもとより一朝一夕に成ることではなく、議論百出するところでもあるから、私はとりあえず、検討用の試案として、私見を提出してみたにすぎない。
この本、私が持っているのは昭和58年の三樹書房版だが、最初は昭和40年代に寿満書店で発行されているらしい。
だから、名人や実力のある中堅や若手が大勢いた昭和40年代の落語界について、榎本さんは、“現在では、演出者を完全にかねることのできる演者は、絶無ではないにしても、ごく少ない”と評しているのだ。
だったら、今日の落語界で、演出者をかねることのできる演者は、存在するのだろうか・・・・・・。
テキスト・レジイ(略してテキレジ)は、舞台用語で台本を変更することを意味する。
紹介した文章において、“勝手気ままにテキスト・レジイするのは、公共文化遺産の私有化であり、ゆゆしい破壊ですらある”という指摘を、今日の噺家さんは、十分に噛み締めるべきではないかと思う。
榎本さんの“私見”は、落語の歴史を継承してきた数多の噺家さんに敬意を示せ、と言っている。
噺の内容には、そうなった理由もあれば、多くの先人たちの苦労が背景にある、ということを演者側はもちろんだが、聴く側も肝に銘じたいと思う。
一日遅れの榎本さんの十三回忌に、そんなことを思っていた。
テキスト・レジイについては考えさせられますね。
圓生『鰍沢』の榎本さんの評、落語という芸能が、話し手と聴き手、双方で成り立つする芸であることも大きな要因でしょうね。
聴き手の中に、どんどん噺の舞台が広がっていく、そんな高座を一つでも多く体験したいと思います。