杉浦日向子さんの『合葬』-その‘マクラ’や、彰義隊の本のことなど。
2014年 12月 16日
杉浦日向子著『合葬』(ちくま文庫)
先日、杉浦日向子さんの『合葬』が映画化されることを書いた。
あらためて、『合葬』を読み直した。漫画であろうと、見るのではなく、読むのである。
もっと言うなら、この本を漫画と思って馬鹿にしてはいけない。しっかりした時代小説、といった趣がある。
本書の冒頭には、このようにある。落語好きの杉浦さんらしい‘マクラ’だと思う。
ハ・ジ・マ・リ
「・・・・・・このきせるはちょいと面白いね。アノー上野の戦争の時分にゃ随分驚いたね。エエ!?ウン、雁鍋の二階から黒門へ向って大砲を放した時分には、のそのしてられなかったなァ、ウン、買いたくねぇきせるだな。」
ご存知志ん生の火焔太鼓のまくらです。天道干の道具屋をひやかす客の世間話の中に上野戦争がひょっこり出て来て、とても不思議なそして身近な親しみを感じました。
「合葬」は上野戦争前夜の話です。描くにあたり、この志ん生のまくらを終始念頭に置くようにしました。四角な歴史ではなく身近な昔話が描かればと思いました。
彰義隊にはドラマチックなエピソードが数多くあります。勝海舟、山岡鉄舟、大村益次郎、伊庭八郎、相馬の金さん、松廻家露八、新門辰五郎等。関わるヒーローもたくさんいます。
が、ここでは自分の先祖だったらという基準を据えました。隊や戦争が主ではなく、当事者の慶応四年四月~五月の出来事というふうに考えました。
この選択に悔はありませんが、好結果となったかどうかは心もとない限りです。
江戸の風俗万般が葬り去られる瞬間の情景が少しでも画面にあらわれていたら、どんなにか良いだろうと思います。
著者
志ん生は明治23年生まれなので、小さい頃美濃部孝蔵少年の周囲には、上野広小路にあった料理屋、雁鍋や松源の二階から官軍がお山に向かって打った大砲の音を聞いたお年寄りがいたことだろう。中には、彰義隊の隊員が逃亡する際にかくまった人などもいるかもしれない。
そういった、上野の地元の人たち、江戸庶民の‘空気感’で、杉浦さんはこの作品を描きたかったということなのだろうと思う。
『合奏』を読むと、幕末から明治にかけて歴史の流れに翻弄される若者を主人公にした松井今朝子の『幕末あどれさん』を思い出す。「銀座開花おもかげ草紙」という全四巻のシリーズに発展した第一巻と位置付けることができる本。このシリーズで主人公の久保田宗八郎は、まさに歴史の奔流の中でもがき続ける。この本、シリーズのことは、また別途書きたい。
と、前にも書いたような気がするが、なかなか果たせないでいる。結構長いお話で、いろいろ盛りだくさんなのだよねぇ。
また、ノンフィクションとして彰義隊や「上野のお山の戦争」について知るには、森まゆみさんの労作『彰義隊遺聞』がある。上野戦争から二廻り目の戊辰の年1988年から丹念に土地の古老などに聞き書きをした内容で、実に貴重な歴史の記録。「谷根千」は、まさに上野戦争の舞台と言ってもよく、森さんの熱い思いが書かせた本だと思う。
*杉浦さんや森さんには、どうしても‘さん’づけで呼びたくなる。
また、吉村昭の『彰義隊』は、上野寛永寺山主・輪王寺宮能久親王が主人公。輪王寺宮は、鳥羽伏見での敗戦後、寛永寺で謹慎する徳川慶喜の恭順の意を朝廷に伝えるために奔走する。しかし、その努力は報われず、逆に彰義隊に守護されたことで宮は朝敵とみなされ、上野から逃れて、会津、米沢、仙台まで諸国を落ちのびて行く姿が、吉村昭ならではの丹念で緻密な調査を元に描かれている。
私は、かつて、この時期のことや上野戦争を知るために、司馬遼太郎が大村益次郎を主人公にした小説『花神』や『鬼謀の人』を頼りにしていた。それは、勝った官軍側中心に書かれた本。勝者側から歴史を見た上野戦争や、大村という人を知るには悪くない小説だとは思う。しかし、その歴史の真実に近づくためには、やはり、上述した小説や史伝、ノンフィクションにより、庶民や被害者側から光を当てる必要があると思う。
その中でも、杉浦さんの『合葬』は、漫画という形態をとってはいるが、フィクションではあっても、彰義隊の若き隊員たちの素顔に迫る作品だ。きっと、ああいう若者たちが、あの日、上野の山にいただろうと思わせる。
本書において、秋津極、吉森柾之助、福原悌二郎という三人の若者が、どのような経緯で彰義隊と関わっていき、どのような最後を迎えるのか。その詳しい筋書きは記さないが、映画化を機に、ぜひ多くの方に読んでもらいたい本だ。
上野に西郷さんの銅像があることを、森まゆみさんをはじめ地元の人は必ずしも喜んでいるわけではない。しかし、為政者によって都合よく作り変えられた歴史は、時間とともに捏造の実態を風化させていく。
上野戦争という内戦は、日本人がぜひとも振り返るべき歴史の一つだと思う。戦い自体は数時間で決着がついているが、その戦争に巻き込まれていったそれぞれの若者の人生が存在する。
そして、偉そうなことを言うが、生き続けたくても時代の巡り合わせで叶わなかった幕末の若者を知ることで、現在の若者が自分を見つめ直すことにつながることを、期待したい。
もちろん、私たちも、あの時代を振り返ることで、戦争のない幸福な時代を貴びたい。だから、戦争をしようとする政府の行動や、戦争に巻き込まれ可能性のあるあらゆる動きに、反対だ。
上野公園の彰義隊のお墓の前の碑文を読んでいて、
ウォーキング中断したことがあります。
撫で殺しの暴力が行われたのは、会津戦争も、
会津戦争は、これが人間がやることだろうかと言う様な事が沢山。
読み進んで気持ちが悪くなって
何度も分けてよみました。
酷いことばかりです。戦争は嫌です。
戦争を起こすのは、
小さな遵法意識の無さから。
ちゃんとした男の人達が、話してくださるとホッとします。
生きたかった若者の為に。
彼等をまた、主義などに利用するようなことがあってはならないと思います。
人間を殺虫するように簡単に始末するようなそういう物語もこまりますね。
きれたら血が出ていたい、、
指先でも治るまでは色々な事に支障があるし、
痛いと考えもまとまらない、、
そういう、想像力、欠如の人が多いいです。
その内に拝見しますね。
西郷さんの銅像、、両国の鷹狩の家康公の銅像と同じ顔してますよ。
西郷夫人は、夫に似ても似つかないとおっしゃったそうで、
江戸っ子の洒落かと思ってました。
両方拝見して、はぁ~~とおもいましたが、、いかが?
幕末戊辰の戦争、そして太平洋戦争も、将来ある若者たちの命をたくさん奪っています。
そして、このまま安部政権が暴走を続けると、現代の若者が戦地に赴かなくてはならないかもしれないのに、その当の若者が投票所には行かない・・・・・・。
上野の西郷像は、明治22年の大日本帝国憲法発布に伴う大赦により、それまでの「逆徒」の汚名が解かれたのをきっかけに薩摩出身者が中心になって作られたらしいですね。
しかし、妻の糸子さんは、除幕式で見て「似ていない」と呟かれたようですし、あんな普段着の恰好の像が作られたことを喜んではいなかったようです。
鹿児島にある像は軍服姿です。
モデルは当時健在だったお孫さんではないか、と言われています。
上野の像、高村光雲のモデルは分かりませんが、フルベッキ写真も西郷ではないというのが通説で、写真を遺さなかった西郷にまつわるミステリーと言えるでしょう。
『合葬』の映画化で、上野戦争が振り返られることは実に良いことだと思っています。
立派な反戦作品と言えます。