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菅原文太が遺した、大事なメッセージ。

兄弟ブログ「幸兵衛の小言」の内容と重複するが、こちらの記事でも残しておきたい。

 高倉健の後、菅原文太の訃報が続いた。高倉健が東映を離れてから、「仁義なき戦い」シリーズや「トラック野郎」で人気者となった、得難い役者。

 よほど、学生時代にエキストラのアルバイトをしたこともある「仁義なき戦い」について、何か書こうかとも思ったが、3.11以降の菅原文太の行動を振り返る方が、今の私たちには大事ではないかと思い直した。

 菅原文太は、俳優をやめてから、山梨県で農業をしていた。
 そして、3.11以降の日本の状況を見て決心したのだろう、「いのちの党」を旗揚げした。

 故郷の新聞、河北新報から引用。河北新報の該当記事

<文太さん逝く>「仁義」なき世相憂う

◎文太さん「脱原発を」

 「さみしい世の中になった」「危うい時代になった」。ことし4月末、河北新報社のインタビューに仙台市出身の俳優菅原文太さんは、こう繰り返した。多くの人から「兄貴」と慕われた菅原さんは晩年、俳優業の傍ら「護憲」「脱原発」の立場を鮮明にし、「仁義」を軽んじる世相に反骨のメッセージを発信し続けた。

 1980年放送のNHK大河ドラマ「獅子の時代」は、戊辰戦争で敗れ、青森県下北の斗南藩に移封された会津藩士が、自由民権運動に目覚め、むしろ旗を掲げてススキの原を疾走するシーンで終わる。
 主役の会津藩士を演じたのが、40代の菅原さんだった。
 「憲法九条の会」の活動を通じて親交のあった宮城学院女子大学長の山形孝夫さん(82)に菅原さんは、ドラマを回想して「東北人の魂を自分も忘れていませんから」と語ったという。
 山形さんは「菅原さんは最期までむしろ旗を掲げて疾走した」と評し、その姿に「東北人の反骨精神」を見た。
 九条の会を提唱したのは、仙台一高で菅原さんの1年後輩の作家で劇作家の故井上ひさしさんだった。「2010年に井上さんが亡くなると、その遺志を継ぐように菅原さんは、護憲にのめり込んでいった」と山形さんは在りし日をしのぶ。
 東日本大震災の後は、ふるさとの復興に心を砕き、原発再稼働の流れに懸念を示した。
 ことし10月の福島県知事選では「脱原発」を掲げて与野党相乗り候補に挑み、落選した元宮古市長熊坂義裕さん(62)の応援に駆け付けている。熊坂さんは「体調は相当悪そうだった。おとこ気だけで来てくれた」と振り返る。
 その熊坂さんに11月24日、一通のメールが届いた。
 「政治家の世襲が当たり前になっている状況は民主主義と言えません。政治が貴族化しているばかばかしさに有権者が目覚めなければ、日本は良くなりません」
 亡くなる4日前、妻文子さんに送るよう菅原さんが託したラストメッセージだった。
2014年12月02日火曜日



 「政治家の世襲が当たり前になっている状況は民主主義と言えません。政治が貴族化しているばかばかしさに有権者が目覚めなければ、日本は良くなりません」、というメッセージ、実に重要だと思う。

 「財界さっぽろ」に、ほぼ一年前のインタビューが掲載されているので、引用したい。「財界さっぽろ」サイトの該当記事

インタビュー 掲載号・2013年12月

菅原文太が語る「農」「日本の未来」そして「いのち」
菅原文太元俳優

 2009年、俳優稼業にピリオドを打ち、山梨県で農家になった菅原文太さん。昨年12月には「命を大切にする社会」をテーマにした国民運動グループ「いのちの党」を結成した。その背景には、日本の未来への危機感があった。

山梨県知事の誘いで農業に参入

——農業はいつから。
菅原 4年前の10月から始めている。
——もともとやろうと思っていたんですか。
菅原 俳優業はそろそろ引き上げ時だなと思っていてね。でも、何もしないでブラブラしてたらボケるだけだから(笑)。それなら妻が農業をやろうと。俺は宮城県の生まれで、ガキの頃から農業の手伝いをやっていたから、何の違和感もなく始められた。
——お父さんは画家だったとか。
菅原 画家っていっても戦争中だからね。もともとは河北新報の記者。途中で画家になって、河北の社長からは、うちにいてやればいいじゃないかみたいな話だったようだ。でも一番脂が乗ってたときに戦争に取られて、すべてがパー。
 終戦後帰ってきてからは河北は覚えていてくれて多少の便宜は図ってくれたようだけど、戦後の食うや食わずの時代。絵なんか見向きもされない。あの時代の芸術家は気の毒だよ。

——子どもの頃、手伝ったという農家は。
菅原 親父の実家に疎開していた。岩手と宮城の県境の村で、小学校2年から中学を出るまで過ごした。コメどころ。それに戦争中だから増産増産でジャガイモとかサツマイモとか、どんどんつくらされていた。いま考えてみれば、日本中が有機農業なんだよ。農薬も化学肥料もない。自分たちが食べて出したものを、ちゃんと土に返していた。そういう循環型農業だったから、非常に力のある野菜や穀物ができていた。


 菅原文太に、ややジャーナリスティックな姿勢を感じるのは、お父上からのDNAによるものかもしれない。
 疎開中の農業体験からは、昔の方が、よほど体に良いものを食べていたことがわかる。
 私には、中国産食材の問題の後も、ファストフードに小さい子供を連れて行く母親の心理が、まったく理解できない。

 さて、菅原の話は、農業から原発問題にまでつながっていく。

原発継続はあり得ない無茶苦茶な話

——菅原さんのところはどんな作物を。
菅原 結構な量をつくっているのはシイタケ、アスパラ。アスパラは農園の標高が900メートルくらいで準高冷地という気候が合っている。このあたりは獣害が多いところなんだが、なぜかアスパラはサルもいたずらしない。あとはニンジン、ダイコン、カブ、トマト、ナス、なるべく風変わりでカラフルな野菜。イタリア系だとか。よくある野菜だと大産地にはかなわない。だから隙間産業。ちょっと変わったものを発掘してはやっている。
——種類は。
菅原 30種類くらい。
——何人で。
菅原 研修生2人、正社員2人の男4人。普通1人で1ヘクタール見るというんだけど有機だから雑草が生える。てんてこ舞いしているよ。
——このままいくと遺伝子組み換えが入ってきたり、取り返しのつかないところに行ってしまいそうです。
菅原 科学というのはどんどん深まっていくじゃないか。より優れたものへと。果てしなく進んでいくと人力というのがいらなくなってくる。農家はただ運転席にさえいれば、耕すのも、種をまくのも、雑草を取るのも、薬品をまくのも、刈り取るのも全部、機械がやってくれる。戦争だってロボットでする時代だ。農家にとっては、よくないよな。そのために電気もガソリンも大いに消費して。だから原発なんてものもできた。
——原発問題も含めて、この国はどこへ行ってしまうと思いますか。
菅原 世界で最も大きな被害を原発でこうむったのに、首相は原発を継続しようということを言い出している。こんな無茶苦茶なことは本来あり得ないよね。ドイツのメルケル首相は、すぐではないけど原発はやめると宣言している。

——小泉純一郎さんが脱原発を訴えました。
菅原 主要な政治家としては初めてだ。小泉さんというのは、ときどき無茶苦茶なことをやるけど、なかなか大したもんだ。
 原子力の専門家も国も資源エネルギー庁も、原子力は二酸化炭素を出さないクリーンで安全なエネルギーだとみんな言っていた。俺だって事故が起きなければ、多分原発ノーなんて言わなかった。日本中みんなそうだったんじゃないかな。近代化のためには仕方ないんだろうって。小泉さんも同じで、でもここまでくればやめなければダメだという理屈だよね。

命を大切にする国民運動グループ

——原発問題での小泉さんの意見は、確かにまっとうです。でも小泉政権がやってきた政治は、日本の絆を分断するようなものではなかったか。
菅原 アメリカに寄りすぎたことは致命的だった。そういうよくない政治がいまだに続いている。でも今回の原発事故は、それ以上の大きな出来事だ。ある意味、放射能問題はどうにもならない。いったん地球上に現れたら収拾がつかない。俺たちはそんなことはわからないでいたけど、学者たちは知っていたはずだ。これが開けてはならないパンドラの箱だって。
 そういうことを考えると、原発のことを見過ごしていくわけにはいかないよね。その点だけでも小泉さんはすごい。あの人の発言は誰よりもインパクトがある。そのインパクトを逃さないことが大事だ。だから一度、小泉さんに会いに行かなきゃならんなあと思っているよ。お前なんか会いたくないって言われるかもしれないけど(笑)。
——農業の問題も原発の問題も、国は一体どこを見てやっているんでしょう。
菅原 誰ということはわからないけど、明らかなのは国民じゃないということだ。では誰が支配しているのか。オバマでもないし、安倍でもないし。彼らも大きな渦に巻き込まれているだけだろう。いろんな説はある。世界経済を席巻する巨大な資金の流れのような巨悪の見えざる姿。闇の中に潜んでいる。それは暴きようがない。ただこのままいけば人類の最後。大袈裟に言えばそういうことだと思うよ。



 ‘ただこのままいけば人類の最後。大袈裟に言えばそういうことだと思うよ’、この危機意識は、私もまったく同感である。
 
 このインタビュー記事は、次のような内容で締められている。 

辺境からの人が立ち上がればできる

——いまの日本人にそれは期待できますか。考えることを放棄してしまっているような感じすらします。
菅原 中心にいる人たちには何も期待できない。辺境にいる人たちが立ち上がればできる。昔から言うよ、辺境に光があるんだと。辺境にこそ人間らしい暮らしがあるんだと。辺境からの人よ、立ち上がれということかな。
 明治維新は、長州や薩摩や高知の辺境の人たちが立ち上がり、中央に攻め込んで、日本の近代化が始まったけど、その人たちが中央になってしまった。
 いまは社会の仕組みの中で辺境というものがどこにあるのか。非正規雇用の人たちがそうかもしれない。有機農業者もそうかもしれない。彼らが立ち上がったとき、何かが変わる。それをするようにするのも、いのちの党の役割だと思う。
 有機農業者には結構、侍がいるよ。批判や差別に耐えてやってきているから、すごい人がいっぱいいる。
 人間は、科学からいったん離れてみるべきかもしれないな。科学が進み過ぎるのは人間にとってよくないよ。原始生活に戻る必要はないが、なるべく科学に頼らないで人力をつける。単純で素朴な暮らし方を取り戻さないといけない時期にきているのだと思う。
——地理的には北海道はまさに辺境です。
菅原 東北から北の人はみんな立ち上がって、日本から離脱するのもいいんじゃないかな。



 北海道の雑誌なので、こういう質問、そして答えなのであろうが、精神的な意味で、‘辺境’から立ち上がる、ことが大事なのだろう。中心にいる連中が、あの体たらくなのだから。

 林家彦六の「選挙のこころ」という文章を先日紹介したが、菅原文太も、役者をやめた後とは言え、政治についての思いを素直に語ることのできる稀有な存在だったかもしれない。

 吉永小百合のコメントには、‘近年の社会的な御発言も、私の心に強く響いております’という内容が含まれていた。
 そう、たしかに、心に強く響いていたよ。

 もう一度、原発に関する菅原文太の言葉を振り返る。

 ‘世界で最も大きな被害を原発でこうむったのに、首相は原発を継続しようということを言い出している。こんな無茶苦茶なことは本来あり得ない’

 ‘最期までむしろ旗を掲げて疾走した’、と評された菅原文太の遺した言葉や行動を、生き残った者は大事にしなければならないと思う。
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by kogotokoubei | 2014-12-03 00:05 | 幸兵衛の独り言 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛