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池波正太郎が愛した町、神田連雀町‐代表的なエッセイより。

神田連雀亭に関連した記事が続いているが、池波正太郎の本のことも書かないわけにはいかない^^

 池波が愛したお店、そして味に関するエッセイは数多い。

 その中で、先日神田連雀亭に行った際に持参した本は、新潮文庫の次の三冊。

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池波正太郎著『食卓の情景』(新潮文庫)
  『食卓の情景』 
   「週刊朝日」の連載の書籍化。朝日新聞での発行が昭和48年。文庫初版は昭和55年。

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池波正太郎著『散歩のとき何か食べたくなって』(新潮文庫)
  『散歩のとき何か食べたくなって』
   「太陽」の連載の書籍化。平凡社での発行は昭和52年。新潮文庫初版は昭和56年。

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池波正太郎著『むかしの味』(新潮文庫)
  『むかしの味』
   新潮社から単行本が昭和59年、文庫が昭和63年の発行。

 『鬼平犯科帳』をはじめとする池波作品を、半分も読んでいない私のような中途半端な池波ファンが、このような記事を書くのは、おこがましいと思っている。しかし、神田連雀町つながりで、お許しをいただきたい。
 あえて付け加えると、池波の時代小説ではなく、これらの食べ物やお店に関するエッセイとの付き合いは長い。
 今から約30年前、越後にいた頃、これらの本を読んで、どうしても京都の松鮨に行きたくなり、週末を利用して、まだ三条小橋にあったお店にうかがったことがある。京都に住む先輩宅に泊めてもらうことで、宿泊費を浮かして鮨代をひねり出したのだった。
 すでに代替わりをしていた。予約もなくうかがったが、二代目から快く迎えていただいた。
 千枚漬けを素材として用いた創作鮨の川千鳥をはじめ、熱燗と一緒に美味しくいただいたことを、昨日のように思い出す。
 今回調べてみたら、今では蛸薬師柳馬場に場所を替えてはいるが、お店はまだあるようなので、なんとか行きたいものである。

 さて、池波正太郎と連雀町のこと。
 『食卓の情景』と『散歩のとき何か食べたくなって』の二冊には、どちらにも「神田連雀町」という章がある。

 同じ人が、過去を回想するのだから、似た部分はある。しかし、『食卓の情景』には、その前の章(群馬の法師温泉での逸話)とのつながりのある、一つの事件(?)が書かれている。これが、珍しい池波正太郎と小学校時代からの友人との武勇伝なのだ。しばらくは、そのお店に行くことを躊躇わせた事件とは、いったいなんだったのかは、実際にお読みいただきたい。

 『散歩のとき何か食べたくなって』から、少し引用。

 小学校の五、六年生ともなると、大人が読む小説を見たくてたまらなくなる。少年雑誌に書いている作家が、大人のために書いている小説は、私たちにとって、
「驚異そのもの・・・・・・」
 だった。
 そうした私たちを見て、私たちを担任しておられたT先生が、
「よし、それなら、オレがいっしょに行って、値切ってやろう」 
 そういって、わざわざ神田までついて来て、私たちがえらんだ小説本を、いちいち値切ってくれたりしたものだ。
 こういう先生が、子供のことの私たちを教育してくれたことは、四十年後の、いまの私たちへ大きな影響を、それぞれにもたらしている。T先生は、生徒の一人一人の個性を、強いて矯めるようなことをしなかった。
 さて、こうして・・・・・・。
 私たちの、ささやかな古本漁りが終わると、先生は連雀町の汁粉屋〔竹むら〕へ連れて行き、汁粉を食べさせてくれたものだ。


 T先生のような先生が、昔は少なくなかっただろうと思う。
 今、生徒と一緒に神保町へ繰り出して、古本を値切ったりしたら、いったいどんな反応があるものやら。
 
 このように、竹むらと池波正太郎との付き合いは、長いのである。
 もちろん、他の店も続々登場する。

 〔竹むら〕が旧態をとどめているのは、神田連雀町一帯が戦災をまぬがれたからであって、あんこう鍋の〔いせ源〕も、鳥屋の〔ぼたん〕も、蕎麦の〔藪〕も、むかしのままの店構えだ。
 戦前の私は、仲よしの友だちと、これらの店で、よく酒をのみ、それから目と鼻の先の〔竹むら〕へ入って粟ぜんざいを食べた。
 先ず〔藪〕で、みんなと待ち合せる。酒を一、二本というところか。顔がそろうと〔ぼたん〕である。〔寿司長〕である。それから〔竹むら〕というふうに、まるで軒から軒へ食べ歩いた。
 しかるのに、竹むらの〔揚まんじゅう〕をおみやげに包んでもらう。このおみやげはを殊勝に家族のものへ持って帰るのかというと、そうではないのだ。
 これからあとに、われらの真の目的があるわけで、揚まんじゅうは白粉(おしろい)の匂いのする生きものの口に入ってしまうのである。



 白粉の匂いのする生きもの、については詳しく書かれていないが、町名の由来は、しっかり書かれているのだよ。

 神田の連雀町という町名は、昭和のはじめに消えてしまい、現代(いま)の千代田区・神田須田町一丁目と淡路町二丁目の間が、むかしの連雀町ということになる。
 およそ四百年もむかしに、徳川家康が豊臣秀吉によって関東へ封ぜられ、草深い海辺の村にすぎなかった江戸の地へ本城をさだめて以来、江戸は急速に発展し、ついには徳川幕府の〔本拠〕となるに至った。
 秀吉が歿し、家康の実力が、ようやく〔天下人〕としての威風をそなえるようになった慶長年間に、商人たちの品物を背負うための用具である連尺造りの職人たちが、この土地へあつまっていたところから〔連雀町〕の町名が生まれたのだそうな。
 私どもの年配から上の人びとが、旧町名をもって、いまも、この町すじをよんでいるのは、ひとえに、街すじがむかしの東京の匂いをただよわせているからなのだろう。


 この後、洋食屋の松栄亭のことに話題は替わる。この店は、夏目漱石に関する逸話のある老舗だが、ぜひ行って食べてから、書きたいと思っている。

 『むかしの味』から、〔まつや〕についてもご紹介。

 〔まつや〕の太打ちと柚子切り・・・・・・ことに太打ちの蕎麦は、遠いむかしの江戸の蕎麦を目前に見るおもいがする。
 味も形態も、実に、みごとなものだ。
 そして、この店も午前十一時に店を開けたが最後、夜の八時の閉店まで片時もやすまない。
私のような者には、まことに便利な店なのである。
 〔まつや〕は、明治初年からあった店だそうな。
 それが大正十二年の関東大震災で焼けてしまった後を、いまの小高家が引き継いだのである。


 先週の土曜日、連雀亭に行く直前に、私は〔まつや〕で、もりと熱燗を、おごった。
 つい、いい気持ちになってしまい、この本にある太打ちの写真を店員さんにお見せし、予約すれば食べられることを確認。「ぜひ、次は太打ちを召し上がってください」とのこと。ぜひ、そうしようと思っている。店員さんからは連雀亭の場所も、丁寧に教えていただいた。

 うれしいことに、池波正太郎が愛した連雀町の老舗が、味も人情も残っている。

 そして、その町に、その旧町名を冠した寄席ができた。

 神田連雀亭に、そして、池波の愛した味とお店に、これらの本を鞄に詰め込んで、私はこれからも行くつもりだ。
Commented by at 2014-11-14 07:20
「食卓の情景」は私も拝読しました。
池波氏のなじんだ食を通じて暮らしぶりが目に浮かんでくる、
その意味で真のグルメ本だと思います。

神田連雀町界隈、粋ですね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-11-14 08:54
「食卓の情景」は、今読み返しても、とても楽しいし、ためになる本ですね。
池波正太郎が取り上げているお店の多くが閉店したり、代替わりして趣が変わったりしている中で、連雀町のそれぞれの老舗は、しっかり頑張っていらっしゃる。
味も、料簡もぜひ今後も継承していただきたいと思います。

寄席の前に軽く、お開きになってからは、しっかり。
そんな楽しみの多い町です。

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by kogotokoubei | 2014-11-13 19:25 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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