やはり思う、NHK新人落語大賞は予選を公開すべきだ!
2014年 11月 07日
この大会について、記憶がまだ残っているうちに、思いを書いておきたい。
Wikipediaの「NHK新人演芸大賞」には、過去からの名称の変更や、表彰対象の違いなどを含め、詳しい情報がある。
Wikipedia「NHK新人演芸大賞」
新人演芸大賞、という名称になり、落語部門と演芸部門に分けて表彰するようになってから21年間の大賞受賞者は、次のようになっている。
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西 東
1994年 桂平治(→桂文治)
1995年 柳家三太楼(→三遊亭遊雀)
1996年 古今亭志ん次(→志ん馬)
1997年 桂宗助
1998年 柳家喬太郎
1999年 桂都んぼ(→米紫)
2000年 林家彦いち
2001年 桂三若
2002年 古今亭菊之丞
2003年 古今亭菊朗(菊志ん)
2004年 桂かい枝
2005年 立川志ら乃
2006年 笑福亭風喬
2007年 桂よね吉
2008年 三遊亭王楽
2009年 古今亭菊六(→文菊)
2010年 春風亭一之輔
2011年 桂まん我
2012年 桂宮治
2013年 鈴々舎馬るこ
2014年 春風亭朝也
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来年は、会場が大阪(のはず)。加えて、最近三年間は東京勢の大賞受賞、となると、上方勢の受賞の可能性は高いように思う。
しかし、今回の上方からの本選出場者は、決して有資格者としては認めにくいものがあった。
桂三度は、入門三年目という経験の少なさが疑問。新人演芸大賞の頃は、二ツ目や真打という制度のない上方では、「四年以上」の経験を出場資格にしていたはずだ。
私は、「新人落語大賞」という名称への変更は、過去の資格をうやむやにすることも目的ではないかと、勘ぐった。
また、笑福亭べ瓶は、師匠鶴瓶から、三度破門になっている。それこそ、笑福亭三度、と名前を替えて登場したら、うけただろうに。
しかし、破門理由の一つは知人女性への暴力沙汰なので、決して笑えるものではない。
過去の過ちを後々までずっと引きずらせるのは可愛そう、というご意見もあるだろう。たしかに、再挑戦の機会を与えることは大事だと思う。
私も、師匠が復帰を認めたのだから、落語家やタレントとしての活動をすることに異論はない。しかし、この大会に参加していることには、納得がいかないのである。NHKは、‘資格あり’と認めたようだが、私は反対だ。
彼が出場することで、他に機会を失う噺家さんがいたのである。また、被害にあった方は、果たして放送を冷静に見ることはできただろうか。見ることさえ避けたに違いない。
来年の大会がどうなるかは分からない。しかし、以前に、なぜ予選を公開しないのか、と書いた記事の最後を、私はこう結んだ。
2013年10月21日のブログ
何か予選を公開できない理由があるのだろうか?
たとえば、
次回の優勝者が所属する協会があらかじめ決まっているとか、
NHKへの貢献度の高い芸能事務所を優遇するとか、
その噺家の師匠にNHKの担当が脅されているとか・・・・・・。
そんなことがないなら、ぜひ予選も公開制にして欲しいものだ。
この思いは変わらないどころか、、ますます強まるばかりである。
拙ブログにいただいたコメントでは、結構大忙しの予選を行っているらしい。観客は、いわゆる公開録画ファンのおばさん達(ゲラ子さんたち)が多いようだ。早い話がサクラである。
そういった予選の場合に危惧するのは、短時間で“公開録画おばさん”達の笑いをとる高座を、誰か知らないが審査員が高く評価することだ。それは、ほとんどお笑い芸人の“一発芸”を評価することに近くなる。
落語を愛する客と、落語を分かる審査員が存在する予選であるべきではないか。お客さんの一票も生かされるなら、なお結構だ。
もっと言えば、予選から落語愛好家を楽しませて欲しいのだ。寄席など出番の少ない二ツ目さんを知る、よい機会にもなる。そうすることによって、出場する二ツ目さんのやりがいも高まるだろう。
加えて、上方の出場資格を明確にして欲しい。経験3年から可、ならばそのように明記すべきである。
また、次のような結果だった審査員の採点にも、疑問がないことはない。(一人のみ高得点の場合太字にした)
昇吉 ベ瓶 三度 歌太郎 朝也
桂米丸 9 8 8 8 8
桂文珍 8 8 9 9 9
松倉久幸 9 9 9 9 10
恩田雅和 9 9 10 9 9
山本一力 9 9 7 10 9
神津友好 9 8 8 7 10
三溝敬志 9 8 8 8 9
合 計 62 59 59 60 64
天満天神繁盛亭の支配人である恩田雅和は、桂三度に満点の10点を与えた。
私は、韓国でのアジア大会の疑惑の採点と同じような違和感に襲われた。
桂米丸も芸術協会の昇吉のみ9点、他は8点だった。しかし、満点はつけていない。
逆に文珍が、べ瓶を8、三度を9としたのは、どうしても桂と笑福亭の一門の違いを思わないわけにはいかない。兄弟子である文枝への追従がミエミエである、と言ったら言い過ぎだろうか。
浅草演芸ホールの松倉会長の朝也の10点は分からないでもないが、他が一律で9というのは・・・・・・。
神津の歌太郎が7、というのも不思議だ。江戸っ子の啖呵が嫌いというわけでもあるまい。五人の中で最低点の高座とは、私には思えなかった。
私が違和感なく、「こういう採点もあるなぁ」と思うのは、作家の山本一力とNHKの三溝の二人だけである。
審査員は所属部門や地域の利害代表になりつつあるにが気になる。かつては、逆に、東京の審査員が上方を、上方の審査員が東京を推すことの方が多かったようにも思うがなぁ。
堀井憲一郎は、どこかで審査員をやめた(やめさせられた?)ことについて、語っているのだろうか。
そういった審査への疑問も、予選を公開することから、是正される方向に進むはずだ。
東京の二ツ目さん、そして上方の若手噺家さんは、非常に多い。そして、今もなお彼らが目指す最高の権威ある勲章は、この賞ではなかろうか。だからこそ、できるだけ“公正”で“公平”、かつ落語愛好家も参画できるような催しであって欲しい。
来年の開催、果たしてどのようなことになるのか。このままでは、本選出場者の顔ぶれや、審査結果に不安が残る。