小朝と権太楼がNHKの大賞を争った頃のことなど—『権太楼の大落語論』より。
2014年 11月 05日

『権太楼の大落語論』(柳家権太郎、【聞き手】塚越孝、彩流社)
先日、人形町らくだ亭に行く前に、神保町の古本まつりを少しだけのぞくことができた。
落語や歌舞伎など伝統芸能関係が中心の手塚書店が、岩波のすぐ脇の青空掘り出し市に出店しており、そこで『権太楼の大落語論』を入手。
2006年発行の本なのだが、読もう読もうと思いながらも手に入れる機会をなくしており、今になって読んだ次第。
しかし、同世代である聞き手の塚越孝(つかちゃん)が、彼岸の人になるとはなぁ・・・・・・。
NHK新人落語大賞の放送を見て記事を書いたが、春風亭昇吉の『紙屑屋』を見ながら、小朝が『稽古屋』で大賞(最優秀賞)を受賞した時のことを思い出した。
この本には、その時、二ツ目さん光として『反対俥』で出場した権太楼の述懐が掲載されている。
当時は、NHK新人落語コンクール、という名称。この名称で14回開催されている。
Wikipediaの「NHK新演芸大賞」から、その14回の最優秀賞、優秀賞の受賞者を確認。
Wikipedia「NHK新人演芸大賞」
NHK新人落語コンクール
1972年に始まった、若手落語家を対象にしたコンクール。
第1回(1972年) 最優秀賞:柳家小三太「時そば」、優秀賞:桂南笑「権助魚」
第2回(1973年) 最優秀賞:桂小勇「出来心」、優秀賞:桂欣治「馬の田楽」
第3回(1974年) 最優秀賞:古今亭志ん駒、優秀賞:春風亭橋之助「うどんや」
第4回(1975年) 最優秀賞:柳家小丸「たがや」、優秀賞:三遊亭歌司「あくび指南」
第5回(1976年) 最優秀賞:三遊亭栄馬「青菜」、優秀賞:5代目柳亭小痴楽「鮑のし」
第6回(1977年) 最優秀賞:三遊亭楽松「掛取り風景」、優秀賞:春風亭鶏昇「野ざらし」
第7回(1978年) 最優秀賞:春風亭小朝「稽古屋」、優秀賞:柳家さん光「反対俥」
第8回(1979年) 最優秀賞:林家正雀「七段目」、優秀賞:三遊亭夢二「湯屋番」
第9回(1980年) 最優秀賞:雷門助三「権助魚」、優秀賞:立川談四楼「大工調べ」
第10回(1981年) 最優秀賞:朝寝坊のらく「蔵前駕籠」、優秀賞:立川談生「たいこ腹」
第11回(1982年) 最優秀賞:柳家小蝠「富士の雪」、優秀賞:林家時蔵「権助芝居」
第12回(1983年) 最優秀賞:春風亭愛橋「粗忽の使者」、優秀賞:入船亭扇遊「浮世床」
第13回(1984年) 最優秀賞:春風亭正朝「祇園祭」、優秀賞:11代目柳家小きん「湯屋番」
第14回(1985年) 最優秀賞:古今亭志ん八「片棒」、優秀賞:金原亭駒平「辰巳の辻占」
ご覧のように、小朝と権太楼が大賞を争ったのは、第7回、1978(昭和53)年のことだ。
ちなみに、小三太が小燕枝、小勇が小満ん、志ん八は、右朝である。
この後1986年から1990年は、新人演芸コンクール、という名称となり、1989年と1990年は、落語と漫才系の部門を分けないで表彰した。この流れは、新人演芸大賞と変わってからも三年間続いた。
林家たい平が、先日の放送で、「大賞とっていませんよね」とNHKのアナウンサー(古今亭菊之丞の奥さん)にいじられていたのは、部門分けのなかった1993年、大賞を爆笑問題が受賞し、たい平と林家染吉が優秀賞だったからである。ちなみに翌年からは部門別表彰になっているので、たい平は、この大会について結構微妙な感想を持っていると察する。
さて、間違いなく自分が大賞と思っていた権太楼は、次のように当時のことを振り返っている。
権太楼が十八人抜きで真打に昇進したという話題の後の対話である。
つかちゃんの問いかけから。権太楼の言葉を、太字にする。
-抜く、抜かれるで、大きな岐路となったNHK新人落語コンクールでの「俺は最優秀だと思った」という話。
権太楼さんは「反対車」をやった。「絶対、最優秀だ」と思ったときに、小朝さんが「稽古屋」でトップをさらうわけですよね。
ほんとにそう思った。あのときは結婚してたから、会場にはかみさんもおふくろさんもいたんです。いや、別になんとも思わないんだよ、俺。平気だったんだよ。そういうふうに育ってきてるから。
「今度、イイノホールで落語やるから。来る?」ってね。
結局、他人の落語って見えないんですよ。あのころは。まだ、二つ目の時代には他人の落語のことは見えない。これはね、正直いっていまでも見えないやつは見えないんです。そういうやつがね、「何だ、あいつが」とか「なんだよ、面白くもなんともねぇじゃねぇかよ」って言ってるような人はね、売れてないんです。
-おっしゃるとおりですね。ぼくらの喋り手の世界も、ある程度年数を経て、アナウンサーも五年でダメになってやめちゃって、他の道で花開く人もいます。だけど、ある程度やって力があるやつは、他人のいいものがちゃんと見えます。
そう。このときは、まだその辺がわからなかったんだねえ。二つ目のときは見えない。わかんないから俺が一番だろうって。
それで聞いたんですよ、うちのかみさんに「どうだった?」って。そしたら「一番うけたのは、あんただった」と言われたんですよ。「そうかい、そりゃいいや」って。
現場では「俺のほうが・・・・・・」と思ってましたよ。これはねえ、偽らざる心境。「ここでもって、俺がとらなかったら、おかしいだろう。こいつら相手にして」というぐらいに思ってたんですよ。
ところが、その録画が放送されたときに、すーっと見るわけじゃないですか全員のを、たしか江ノ島で見たんですよ、仕事で行ってて。「きょう放送があるから見たいな」つって。
で、見たら「あ、俺が審査員でも、小朝です」って思ったの。あとで冷静に見たら「この人、うまいわ。また、ちゃんといい構成を持ってきてる」ってね。
-審査員用に「稽古屋」を。
うん。「稽古屋」でやってるところやなんか。あの時代で、あれをやれるのは完璧でしたよ。自分のを自分で見たときに、粗すぎた。威勢はいいかもしれないけれども、「反対車」という話を覚えて、人のまえでやったときにそこそこ慣れていたんだけど、「あ、粗いわ」って思って見たんだね。
だから、そのあと、ものすごくいろんな方から電話もらったり、「あんたのほうがよかった」とか、「面白かったよ」とか。それから、「態度が悪い!」とかって、いろいろあるんですよ。
-「態度が悪い」ってのも!?
各賞の発表の段階で、「優秀賞の発表です」って言われて、「誰かだろ・・・・・・俺じゃないや」と思ってね。でも、「柳家さん光さん」「・・・・・・えっ?なんで俺が優秀賞なんだ?」って、それでアナウンサーが寄って来て、「おめでとうございます。いかがですかいまの気持ちは?」って聞いてきた。
ここで、あの名言(迷言?)を吐くわけです。「カップが軽すぎます」って。「ホントのこと言って返したいです」って言葉まで出そうになった。でも、そこまで言っちゃうといろいろ差し障りがあるんで・・・・・・とにかく「俺は、このカップならいらないんです」と。
なんでそんなことになったかというと、優勝するつもりで、トップで行くつもりでいた人間がですよ、たとえば野球やってて、準決勝、決勝まで残って1対0で惜しくも負けた二位のチームは必ずうな垂れるんですよ。そのときに、ベンチの人たちが、「おまえら、首を垂れるな。上向いて堂々と行進しろ」って言っても、相手を見れば悔しいから「そうだ」と思いながら・・・・・・でもやはり、そのときには、ある程度の一瞬の冷静さというものがある。人間は人の手前、やらなきゃいけない行動があるんですよ。
だけど、問題はその前の段階です。1対0で試合に負けた瞬間。「ゲームセット!」って言ったときに、負けたほうが相手に握手を求めて「おめでとう!」なんてことを言うやつがいたとしたら、そいつはほんとの根性、持ってねえと思うんです。相手が自分の校歌を歌ってるときに、反対側でむちゃくちゃ泣いてる、めちゃくちゃ悔しがってる。「聴くな、あんなものは・・・・・・」それがほんとうだと思うんです。勝負というものは。
この悔しさに関する考察(?)は、よく分かる。なぜなら、私も野球やテニスで、圧倒的に負けることの方が多かったから。特に勝てるつもりで戦っていて負けた時の心理は、まず「茫然」であり、「ちくしょう!」であって、とても冷静ではいられない。だから、二位である優秀賞で「おめでとうございます」と言葉をかけるアナウンサーは、まったく相手の心理を慮っていないのである。きっと、負けた経験の少ない人だったのだろうなぁ。
この負けた時の悔しさということで最近のNHKの放送で思い出すのは、文菊(当時は菊六)が王楽に負けた時の表情と、まん我が一之輔に負けた時の表情である。彼らの悔しさはテレビ向けの表情で隠すことはできなかった。そんな思いがあったから、彼らはリベンジを果たすことができたのだろう。
さて、その場では悔しくてしょうがなかった権太楼。しかし、仕事で行っていた‘江ノ島’で放送を見た時は、少し時間を経たこともあるだろうし、小朝の『稽古屋』に負けたことを、素直に認めたようだ。このへんが、並の二ツ目ではなかったことを物語っている。
権太楼は、‘江ノ島’での経験を、その後の糧とした。紹介した内容に続く部分を引用する。
ただ、碁でも将棋でも、もう一回やり直せる。プロはそこでもう一回、「あ、ここはこうしたんですよねえ、ここでこうだったんですよねえ」って、棋譜を見ながら振り返るでしょう。これが要するに江ノ島だったわけです。これがプロの一番いいところ。
‘江ノ島’を‘棋譜’にたとえるあたりが何ともいいじゃないか。しかし、プロだからといって、誰でもそうできるわけではなかろう。やはり、権太楼が今の地位を築けたのは、‘江ノ島’を糧にすることができたからだと思う。そこが、他の二ツ目との大きな違いであったのだろう。そして、その差こそが、十八人抜きにつながったはずだ。
今回のNHKを見て、朝也以外の出場者や、テレビを歯ぎしりしながら見ていた多くの二ツ目さんが、いかに自分の高座を‘棋譜’さながらに振り返ることができるのか、それが成長の鍵なのだろう。自分なりの‘江ノ島’を持てるか、ということだ。
言い換えると、若手噺家が成長できるかどうかは、感情を抑えて、冷静に自分の芸を、もう一人の自分が的確に評価できるかどうかにかかっているのだと思う。
今、高座の主役になっている噺家さんは、際立った演者であるとともに、卓越した自分自身の芸への評論家であるはずだ。そして、その自分が大好きな一人のファンでもあるかもしれない。
NHKの放送を見ながら、小朝の『稽古屋』とともに、この本で知った権太楼の回想を思い出し、こんなことを考えていた。
いい加減な事を申し上げちゃったです・・・
『反対俥』でしたね。
記憶とは曖昧なものですねぇ、と言い訳。
遅ればせながらこの本読みましたが、なかなか結構。
権太楼が、どんな思いで高座に臨んでいるか、よく分かったような気がします。
また、支える奥さんがいいですよねぇ。
そのうち、また記事にしようと思います。
でも今や立派な大看板、天国(もしかして地獄かな)の談志はどう思ってるでしょう。権太楼に関しては談志の眼が狂いました。
大学の落研時代に談志の落語会を開きましたが、その時に談志からは、落語は聞くだけにしておけ、と言われたようです。
それも一つの背景にあって、友人を介した縁から柳家つばめに弟子入りしたようです。
そんなことを談志が覚えていたかもしれません。
談志の言葉は、弟子として‘逃がした魚が大きかった’という思いが言わせたようにも思います。
