噺の話

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志ん朝 大須の「まくら」 (2)『お見立て』 1990年10月4日

 台風で、恒例のテニスは、もちろんお休み。
 こうなれば(?)、昨日の続きをやってやろう、と思った次第。

 どの日のどのネタにしようか迷ったが、昨日紹介した、大須10年の初日の、もう一席、『お見立て』のまくらに決めた。

 その前に、大須と志ん朝の関係をあまりご存知ない方のために能書き、というか本からの引用。

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文芸春秋サイトの該当ページ

 『よってたかって~』の続編にあたる『まわりまわって古今亭志ん朝』(文藝春秋)は、『よってたかって~』が一門によるトリビュートだとすると、一門以外の縁のある方々による回顧談が中心。著者は「志ん朝の仲間たち」となっている。2007年6月20日の発行。
 本書には大須の足立席亭へのインタビューによる、“「志ん朝三夜」の思い出”があるので引用する。

 席亭の足立さんは、1973(昭和48)年に、当時の大須演芸場の席亭だった樋口君子さんから、相談を受け、地元大須のために、業績好調だった不動産屋を整理して一億円の軍資金をつくり、大須演芸場の経営をすることになる。
 しかし、演芸場の経営は、決して順調には進まなかった。

—演芸場の経営は順調にいきましたか?
足立 二年で軍資金は底をついたね。<客席は二百五十席あるから、一日に百入れば食っていける>と思ってたんだけど、客は三十人も入ればいいほうでね。それだって東京や大阪から芸人を呼んだ時だけで、地元の芸人だけだったら、その三十人も入らないだから。そうなると旦那時代のよしみで来てくれていた芸人も来なくなるし、無名時代に面倒を見て、名前が売れるようになった芸人は見向きもしてくれない。この時、芸人のいやらしさを目の当たりにしたね。
—最初の危機は、何時頃でした?
足立 1978(昭和53)年かな。金目の物はすべて売り飛ばしてしまって、もう金融業者も金を貸してくれない。芸人さんに出演料は払えないし、電気代や水道代も払えない。仕方がないから社員は全部リストラして、芸人が切符を売ったり、掃除をしたりして、なんとかやりくりしていた。
—そんな大変な時に志ん朝師匠が来たわけですね。
足立 ふらーっと入ってきて・・・・・・。
—何の予告もなしに?
足立 そう。
「足立さん元気?」
 って。わしはビックリしてね。
「どうしたの朝さん?」
 って言ったら、
「ちょっと頼みがあるの」
「何?」
「悪いけど、高座に上がらせてよ」
「客、おらへんよ」
「いいから、いいからやらせてよ。稽古させて」
「じゃあ、どうぞ」
 で、その時志ん朝さんがやったのが『小言幸兵衛』
 志ん朝さんが、
「稽古させて」
 って言ったのは嘘やと思う。多分、大須が危ないって聞いて心配になって、<どうしてるかなあ・・・・・・>と思って、来てくれたに違いない。で、志ん朝さんが帰る時、わしも見栄があるから、幾らか包んで、
「これ、タクシー代」
 って渡したら、
「こういうことするから、駄目になるんだよ」
 って、なかなか受け取らないんだ。結局、
「いいんだよっ」
 って強引に渡すと、
「俺で役に立つことがあったら、いつでも電話をくれ」
 って言って、すーっと帰って行ったんだけど、あの時は本当に嬉しかったね。ほかの芸人さんのいやらしさをいやというほど見せられてた時期だったから。
—結局、そのままで?
足立 余程頼もうかと思ったんだけど、<志ん朝という看板を掲げて客が来なかったら、志ん朝さんの名に傷をつけることになるし・・・・・・。志ん朝さんだけ来てくれても、他がセコいと一過性になっちゃうからなあ・・・・・・>ってゴチャゴチャと悩んでたとき、労音かなにかの仕事で志ん朝さんが名古屋に来たんで、顔を出したの。
 その時に志ん朝さんが演ったのは、『鰻の幇間』だった。志ん朝さんはわしの顔を見ると『鰻の幇間』をやって、からかうんだ。で、帰る時に、志ん朝さんが、
「足立さん、一遍行くよ」
 って言ってくれたの。
 で、丁度うまい具合に、五十年ぶりに大須観音の御開帳があったから、その時は客も結構来るに違いないと思って、志ん朝さんに来てもらって、一週間くらいやってもらったの。もちろん、たいしたお金は出せなかったけど、ちゃんと出演料は払えたし、冷房装置を新調することもできた。さすが志ん朝さんだと思ったね。
—それからは、たびたび志ん朝師匠が出演するようになったんですか?
足立 頼みたかったんだけど、あの人には頼みきれなくて、結局、疎遠になっとったんだわ。


 その後も大須演芸場の経営危機は続くが、足立席亭は周囲の支援もあって何とか踏ん張る。そして、1990(平成2)年6月のある日、足立さんを訪ねる一人の女性がいた。その人の訪問がその後十年続く「志ん朝三夜」のきっかけになるのだった・・・・・・。

 ということで、その後十年に渡った大須の初日の二席目、『お見立て』のまくらである。

 えぇ、あと一席お付き合いをいただきます。うウ、さきほど休憩をとりまして、休憩のあと、幕を開けたら、あらかたいなくなっちゃうんじゃないかと、大変心配をいたしまして、「なんだい、あの程度のものかよ」なんというんでね、お帰りになられちゃったら困るな、なかにはお帰りなった方もいらっしゃるようですけども、そういうことは構わないんでございます。
 大変に心細い思いをいたします、ねぇ。こうやってもう一杯残ってくださると、本当にうれしいですな、えぇ。一番ぞっとすることですね、夢に見たりしますよ、えぇっ。休憩後、客がいなくなったなんて・・・ねぇ。夢中でしゃべってるうちに、気がついたら、誰もいなくなった。そして、誰もいなくなった、なんて有名な小説がある。怖いですねぇ、そういう話はねぇ。(会場から、「志ん朝、たっぷり」の声?)ありがとうございます、そういう方が頼りでございます。
 う~、もう、やっぱりこういうような寄席でもってなんかしゃべっているというのが、いちばんわたくしらの性分に合います。あっちこっちでもってお仕事をいただいて方々へ出かけて、千五六百入るなんというところへ、連れて行かれることがありますが、頼りないですよぉ、えぇ、もぅほんとうにゴルフの練習場みたいな、そんなようなところでやってんですから、えぇ。で、まぁ、おんなじたとえば、人数、今、いっぱい入ってくだすってらっしゃる、この人数をそのまんまその会場に移すと、もぅさみしいもんですよ。だから、このぐらいがちょうどいいんですね。人数もちょうどいいです。少しお立ちになってらっしゃる。ま、立ってらっしゃる方、誠にお気の毒でございますが、このぐらいが一番いい。もうちょっと入ると、やりにくいです。えぇ、だから今、表で断わっておりますけども。このぐらいがいちばんいい、ねぇ。
 うぅ、こういうところに出てきて、さて何をしゃべろうとかねぇ、どんなこと言おうかな、なんというんで、考えてなかなか決まらない時の気持ちというのは、せつないような妙な気持ちで・・・いいもんですよ、うぅ、私もちょっと変態なところがありますから。そんなことを喜んだりなんかするんですが。
 うぅ、よく遊びなんということを申しまして、遊びということを聞くと、人によっていろんなことが頭に浮かんでまいります。まぁ、私なんかやっぱりこのご婦人というものが、まず最初に遊びってぇと、女、酒、なんというふうに浮かびますな。まずだいたい一緒に浮かびますよ。女、酒ってのがね、えぇ、順を追ってなんてもんじゃない、ぱっと両方一緒に。女と飲んでる、というね、こういう感じで、遊びっていうとぱっとそう。人によっていろいろです、えぇ。女の人はそうは思わないでしょう、ねぇ。こないだ、あるところに仕事に行って、仕事終わって宿に引き揚げて、皆で一杯やっておまんま食って、さぁ寝ようかなと思ったら、仲間が一人、「まだ寝んのは早いから、ちょっとどっかへ出かけない、えぇ、いい娘(こ)いるかわかんないよ」なんてなこと言われて、「そうだな、行ってみるかい、ここ初めてなんでよくわかんねぇんだよ。誰かに聞いてみよう」なんてなこと言ってたら、お膳を片付けに、そこの女中さんが入ってきたので、「お姐さん、このあたりに、遊ぶところない」ったら、「裏に遊園地がありますよ」なんて・・・。夜中に、ブランコに乗りましたけど、あんまり、おもしろいもんじゃございません。やっぱり、女の人が出てこないってえと、おもしろくないですな。でぇ、そういうこと言うと、よく怒るご婦人がいらっしゃいます、「失礼じゃありませんか。遊びの対象だなんて」なんてんでね。そりゃあ確かに、そう言われるとそうなんです。だけど、これは、だいたい落語というか噺というものは、男のほうがこしらえて、男のためにしゃべってるという部分が、なきにしもあらず、でございます。正直言うと、えっ。
 怒んないでくださいよ、女の方。今あたし正直に言ってんですから。だから、ちょっと、女の人を侮辱した部分がある、かもしれません、ねぇ。
 うウ、そう思ったかなんだか、昔そういう遊び場所があったのが、昭和33年3月31日をもって、なくなってしまった。それをなくしたのは、えぇー、婦人議員でございます、ねぇ。女の方、偉い方ですよ、ねぇ、この方が、「そんなものが我が日本にあっては恥です、ねぇ、いりません、不必要です」・・・ご自分は不必要かもしれません。そういうことを言ったら、男の議員のほうも、「あぁ、そうですなぁ、あぁ、不必要でしょう」、なんてなことを言って、賛同したんです。自分は他にいろいろと囲ったりなんかしてる人がいるからいいけれども、若いもんのことはちっとも考えてくれない。ただ、やっぱりなるほどな、と思うのは、そういうものは、国が認めてちゃあまずいかな、という気はいたします。そりゃぁたしかに、今でもおんなじようなものは、あるんですよ。おんなじようなものは、ねぇ。名前は変わってますけどもね、えぇ。いろんな名前・・・あれっ日本って国は、不思議ですね。そういう名前を一般公募したんでしょ、ねぇ。トルコという国から文句がきたんで。「なんですか、トルコ風呂とは、失礼なこと言っちゃいけません!」てなこと言われたもんだから、日本が慌てふためいて、なにかいい名前はあるかしら、これはいいという思うもの、どんどん言ってください、なんというんで募集したらば、ソープランドというのが、これが、採用された。こんなことをやってる国はちょいとないですよ。粋な国ですよ、考えようによると、ねぇ。落語が生まれる国なんですから。もっと自分の国を愛したほうがいいと思います、えぇ。


 このトルコ人の真似(?)をした科白が、とんでもなく可笑しい。

 紹介した部分で、廓のネタにつながる話にすでに入っていると言えるが、この後も、貴重な志ん朝の吉原体験が暴露(?)される。まさか、後世に音源が発売され、私のような暇人が内容を書き起こすことは、まったく思わなかっただろうが、美濃部家の秘密(?)を含め、後半も隠さず書き起こすことにしよう。

 そういう国でございますから、そういう場所はあるんですけれども、今と昔では、ぜんぜん違うんです、ねぇ。わたくしは、なくなるちょいと前に、うウ町内の先輩がたに連れてってもらいまして、昔は縦のつながりがありますから、あそこの倅が遊びを知らないよってぇと、よし、じゃあ連れてってやろうというんで、まぁ、先輩たちがお金を出し合ってくれて、あたしの遊ぶ金をこしらえて、そして、連れてってくれました。いっぺん、そういうこと教わると、もう、その後は、自分でなんでもわかってますから、どんどんどんどん出かける、ねぇ。今になって考えると、懐かしい話でございます。
 これ不思議なもんでね、あたくしよりいくつか上でも、そういうきっかけのない人は、行ったことないって方がいらっしゃる。あたしより、二つ三つ下でも、ちょいとませてる奴ぁ、おかげさまで見ることができました、なんという奴がいる。そりゃぁ、人生ですな、それぞれ、えぇ。あたしは、うまいぐあいに、ちょっと、見られた、ねぇ。一回、覚えりゃあ、あとは手順がわかってますから、どんどんどんどん自分で行きます、えぇ。懐かしいです。
 いっぺん、ご婦人とまじわる、ねぇ。えぇ、高尚な言葉で言うと、まぐわう・・・いい言葉ですね。まぐわい、なんという、ねぇ。早い話が、早い話で言うと言いにくくなっちゃうんですが、ご婦人とまじわるのに、一回、五百円でございます。五百円、ね。じゃ、その頃の五百円ってのは大変なお金なんでしょうねぇ、って言われますけれども、こりゃぁ、そんなことがないような気がするんです。お金の値打ちは、今の五百円よりは、もちろんあったんでしょう。五百円手に入れるということは、そんなに、大変なことではなかったような気がするんです。ってのは、自分で行かれてましたから。別に悪いことして金を儲けたとかってんじゃないんです。前座で働いている時に、その頃、前座でもって、あたくし達が入ったときには、百円から始まって、百五十円、ねぇ、二百円、というぐあいに、上がっていきます。一番上が二百五十円、いちんち二百五十円、だから二日寄席でもって働くと、ねぇ、高座返ししたり、楽屋で着物をたたんだりなんかすると二百五十円、二日でもって、五百円もらえる。だから、そんなに手に入れるのに難しいお金ではなかった。ところが、この五百円で、いろんなことができた、ねぇ。だから、値打ちがあったんでしょう、五百円。だから、千円手に入れると、もう、すぐにそちらの方へ、ひゃぁっと行きますよ、ねぇ。まず、それが、五百円、タクシー代があたくしの住んでいるところから、百二十円でございます、その頃、で二百四十円、ねぇ。行って帰ってきてお茶でも飲めるというような、そういう感じですな。
 タクシー乗っかってうちの方から行きますと、あたくしのうちは、日暮里、ね、谷中のほう。日暮里の外側に出て、タクシーぱっーと行くってえと、ちょうど吉原の裏っ側の方から入っていくんです。竜泉寺ってとこ通ってね。ざぁーっと行く。反対側の方に表門でございます、大門というのがあって、仲の町がこう、で、いちばんはじの通りが、これが江戸町、ねぇ、上(かみ)のほうから、一丁目、二丁目、真ん中のところが、角(すみ)町、揚屋、いちばん奥が、京町、一丁目、二丁目、あたくしのうちの方から行くと、こう、こっちのほう、こっちのほう、ね、分かります、こっちのほうっす。こういうことはね、地理関係が分かんないと、おもしろくない。そこから、ブ~ンっ入ってきて、京町二丁目のこっちの入り口のところから、ブゥっと入る。あそこは、ちょっと盛り土がしてある、ちょっと高いんです、わきよりねぇ。そこんところに、どぶがある、今ぁ暗渠のようになっちゃってますけどね、こうずっとどぶがこうなってって、そこんところに石の橋みたいなのがある。そこんところに、デンと乗り入れ上げた時には、「あぁー俺はもう何をしてもいいんだ」、という感動は、今日(こんにち)まで、ない。あのぐらい強い感動は、ねぇ。話をしているだけでも、血が、こうなりますね。えぇ、良かったですよ。そういう思いをして帰ってきて、まぁ、いろんな人に報告しますな。初めて連れてった人に報告する。あるいは町内のお年寄り、我々の方の仲間の師匠、先輩方に話をする。「うん、昔はもっと良かったよ」ということを、必ず言われるのが、悔しかった。だけど、たしかにそうなんでしょう。
 あたくしの親爺の志ん生なんというのは、女郎(じょうろ)買いのほうにかけては、名人と言われました。あたくし、今でも思い出しますけれども、教わりましたよ、えぇ。ああいうとこに行って、偉そうにしてちゃだめだぞって。これを、あたくしちゃんとじかに、それも、おふくろのいる前で、おせえてくれた。だが、おふくろはあたしに、「女郎買いは構わないけど、芸者買いはいけないよ」って、こう言う。普通の家庭じゃないけどね、もっとも噺家の家庭だから。こういうことを、親爺とおふくろが、あたしが遊ぶというようなことになった時、初めてそういってくれたのが、その言葉がいまだに耳に残ってます。女郎買いはいいけど、芸者買いはいけないよ。どうしてなんだろうなぁ、と思って、うちのおふくろに、どうしてなんだい、って聞いたら、うちのお父ちゃんが、女郎買いに行っている時はそういうことないけど、芸者買いに行って帰ってくると、病気を背負ってきたよ、こういうことを言う。すごく、世話場の話でしょ、ね。あまりシーンとしないで聞いてもらいたいんだけど。これはねぇ、おふくろとしては、切実な話ですよ。「・・・この人は、もう病気なんか背負って・・・・・・」。これ、芸者買いてぇと必ずそうだったらしんです。で、女郎買いはそんなことがなかった。女郎買いのほうが奇麗事なんだから、っていうことを言う。
 これ、母親が倅に向かって言う科白じゃ、普通はない。そういうとこ行っちゃいけない、って言うのが当り前なのに、行っても構わないけれども、芸者買いはいけないけど、女郎買いはいいよ、てこの言葉ねぇ、あたくし、今色紙かなんかに書いて飾っておきたい。そういうことを、教わりましたから、ねぇ。
 「昔は、おまえなぁ、張り見世ってんで、ええ、こう格子がはまっていて、その向うに客がいて、こやって冷やかしてるんだ」「あっ、そう」「で、いいやって思うと、こっちに番台があって」「なんだい、番台ってのは」・・・・・・。


 この後、ネタにつながる。

 竜泉寺で、樋口一葉を思い浮かべた。

 大須ならではのまくらで明かされる、志ん朝の吉原体験、そして美濃部家の教え(?)という、なんとも貴重な回顧録である。東京の気取った(?)ホール落語では、とても聴けない内容。
 もちろん、オフレコのつもりで、大須のお客さんだけに特別に語られたものだが、志ん朝という人、そして美濃部家を知るには、非常に重要な情報とも言えるのではなかろうか。

 つい、台風のおかげ(せい?)で、1990年10月4日、大須の独演会初日の二席目のまくらも、書き起こしてしまった^^

 音源が発売されているのだから、部分的に書き起こすことを、河出書房新社には許していただこう。
 結構、拙フブログで、褒めているしね^^
 しかし、もし訴えられでもしたら、公開しません。自分だけで楽しむためにじっくり時間をかけて、書き起こすつもり。

 大須の音源を聴きたくなった方は、河出書房新社の下記の該当ページをご参照のほどを。
河出書房新社の該当ページ

 次は、さて、いつのどのネタか。

 あたくし(志ん朝の真似^^)自身が、どのネタにするか、まだ決めきれていないのだ。

 いくつかあらためて聴いてから、考えようと思う。

 長々のお付き合い、誠にありがとうございます!
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Commented by 喜洛庵上々 at 2014-10-06 14:38 x
幸兵衛さん、こんにちは。
テープ起こし、もの凄く時間のかかることを知っているものですから・・・
誠にご苦労さまです!

かげで往年の語り口調が頭の中でよみがえりました。
それにしても、大須の小屋はどうなるのでしょう・・・。再開して欲しいものですが。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-10-06 14:54 x
えっ、やられたことあるんですか!?

おっしゃる通りで、止めては書き、また戻して確認して修正し、の繰り返しですね。
書き終わってからも、最初から聴き直し校正しました。
私の記事の間違いなら自分の問題で済みますが、あの方の貴重な記録ですからね。それでも、間違いはないと言い切れません。

志ん朝特有の「うぅ」とか「ねぃ」なども、出来るだけ生かそうと思ったので、半日潰れます^^
ですから、たぶん週末しか無理だと思いますが、挑戦し続けようと思います。

大須が今後どうなるかは分かりませんが、あまり楽観はできないと思います。
残念ですが。

Commented by 楠運平 at 2014-10-07 20:30 x
矢来町の師匠の大須「まくら」良いですね。文字に起こすのは大変ですね。
拙者の持っているCDはホール落語だからあまり「まくら」が入っていないので新鮮です。残念ながら生で矢来町の師匠を聞いたことがありませんでした。全く残念です。寄席などで聞きたかったです。
大須のCDをお持ちですか?良いですね。
Amazonなどのコメントを見ると大須の寄席のCDは音質が悪いなど書いてありますね。ホール落語でないからそれはしょうがないと思います。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-10-08 08:55 x
大須の音源は、なかには雑音が多いものもありますが、それを上回るまくらを含む内容の貴重性があります。
東横落語会よりは、まだ私は聴きやすいと思います。
そして、気取りや構えのない楽しい高座が多いんです。
私も、生の志ん朝は残念ながら聴いていないんですよ。
書きお越しは、結構しんどいですが、じっくりやろうと思っています。

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by kogotokoubei | 2014-10-05 08:49 | 志ん朝 大須の「まくら」 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛