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志ん朝の命日に想う、いろいろ。

また10月1日がやって来た。

 古今亭志ん朝が旅立って、13年が経つ。

 最初に父、志ん生のこと。今年は命日9月21日になにも書かなかったからね。

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名演 古典落語CD BOOK_牡丹燈籠(宝島社)

 先日、柳家小満んの会で『牡丹燈籠・お札はがし』を聴いてから、志ん生のこの音源を聴いた。
 その音源は円朝の原作とCDのセットになっていた宝島社発行のCD BOOKで、CDには時期の違う次の二つが収録されていた。
 ① 『牡丹燈籠 ~お露新三郎~』(昭和32年7月10日ニッポン放送/28分20秒)
 ② 『牡丹燈籠 ~お札はがし~』(昭和35年7月27日ニッポン放送/27分34秒)

 どちらも倒れる前の高座。
 ①は、お露新三郎の出会いから、新三郎がお露に会いたいあまりに夢を見る場面、山本志丈が久し振りにやって来てお露が死んだことを告げ、その後、お露とお米の幽霊がやって来る最初の夜まで。
 ②は、お露新三郎の出会いの場面を地を交えて振り返ってから、お露とお米の幽霊が毎夜やって来る場面。そして、伴蔵がその光景を観て、お露とお米の腰から下がないことに気づき驚いて白翁堂に伝え、白翁堂が新三郎の死相を見る。その後、新三郎は谷中新幡随院の墓場でお露とお米の墓、お露が毎夜持ってくる牡丹燈籠を見つけてお露が幽霊だと知る。新幡随院の良石からお札と仏像を借り受けて家のあらゆる入口にお札を貼ったので、幽霊の二人は入ることができない、というところまでを演じ、その後にお札はがしになると地で説明してサゲ。

 この二作、共通して語られる場面で、時期の説明に違いがある。
 それは、萩原新三郎がお幇間医者である山本志丈と2月に亀戸の臥龍梅を観に行った帰りに、柳橋のお露の住む寮(別荘)に立ち寄って、二人とも一目ぼれした後、山本志丈が、次に新三郎を訪ねる時期である。
 原作では、6月23日となっている。

 ①の方は、6月で、ほぼ原作通り。無沙汰の理由を志丈は風邪が流行って忙しかったと言った後で、柳橋のお露の寮を訪ねた際の新三郎とお露の様子から、自分が仲介して二人が惚れ合ったなどということが、出入りしているお露の実家飯島家に知れると面倒なことになるので足が遠くなった、と付け加えている。お露が新三郎に恋焦がれて死んだのが5月ということも含め、ほぼ原作通り。
 しかし、②では、志丈は4月に新三郎を訪ねて、無沙汰の理由は風邪が流行ってと言うが、二人の仲を案ずるという表現はない。お露が死んだのは3月になっている。

 あえて譬えるが、文楽はこの噺を持っていなかったが、几帳面な文楽ならこんな間違いはしない。
 
 『お札はがし』の昭和35年は倒れる前年、ちょうど70歳の時だ。そろそろ、もの忘れをする年齢であったこともあるだろうが、志ん生の大雑把な性格にもよるのだと思う。いつ志丈が新三郎を再訪しようが、噺の大筋には影響しない、という思いもあったのではなかろうか。

 私は、時期設定に間違いがあろうと、古希を過ぎてなお円朝に挑戦した志ん生は凄いと思う。

 そう考えると、72歳での先日の小満んの高座もたいしたものだ。やや言いよどみはあったが、時期的な経緯は原作に沿っていたし、前半のお露新三郎の出会いの場面や、後半の幽霊となったお露とお米の新三郎訪問の場面も、しっかりと演じられていたように思う。


 さて、古今亭のこと。
 馬生の口癖「何でもいいんだよ」は、父譲りであろう。たしかに、そういった大らかさは芸人には大事だろうと思うが、志ん生のそれは、スケールが違う。

 そんな父であり師匠であった志ん生について、馬生と志ん朝の兄弟が同じ席で語っている記録がある。

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『世の中ついでに生きてたい』(河出書房新社)

 『世の中ついでに生きてたい』は平成17(2005)年の発行。

 この中に、昭和52(1977)年に週刊朝日に掲載された、結城昌治と馬生、志ん朝との対談があるので、引用したい。朝日新聞から『志ん生一代』が発売されたばかりのことだろう。その本のことから対談が始まる。

 対談当時、馬生は49歳、志ん朝は39歳の若さ。結城昌治は馬生より一歳年上なので、50歳。

結城 ご身内のことを好き勝手に書かせていただいて、いろいろご迷惑をおかけしたんじゃないかと思って恐縮してますが、とにかくわからないことだらけでね。今まで自伝などに書かれているのは、志ん生師匠の生まれた日からご両親の名前まで違っているんですよ。これは驚きでした。
志ん朝 実の子の私たちがあんまりよく知らないですものね(笑)。
結城 取材に協力していただいた皆さんは、五、六十年前の記憶をたどるわけでしょう。いろんな方に会って聞けば聞くほど話がゴチャゴチャになっちゃうんですよ。それぞれ記憶が違ってるんですね。だから周りから固めていって、このへんだなと思って書くしかない場合が多かった。四十過ぎまではほとんど無名でしたからね。
志ん朝 ぼくなんか初めて聞くような話がずい分とありましたね。知らないことのほうが多いですよ。
結城 馬生さんから見たお父さんはどういう人でしたか。
馬生 あの通りですよ。ほんとに豪放なところを他人に見せるけれども、内心は非常に気の小さい人だったしね。そういうところがよく描けてましたよ。
結城 内ヅラと外ヅラのちがいはありませんでしたか。
馬生 そういうことはなかったですね。内も外もたいして変わんないんです。
結城 家の中でも明るくて?
志ん朝 いや、明るくないんです。
結城 志ん朝さんが生まれてからだいぶ明るくなったと聞いてますが。
志ん朝 明るくなったといってもわりに仏頂面してるときのほうが多いですね。たまに機嫌がいいとシャレ言ったりしてますけど。
馬生 確かにね、弟が生まれてからかなり明るくなりましたよ。それ以前はうちに帰ってこない日のほうが多かったり、帰ってきてもおふくろさんと言い合ったりもしましたしね。



 志ん朝が生まれた当時の父親の喜びようは、本人が知るはずもない。高座では『桃太郎』ばかり演じていたらしい。

 紹介した対談中、馬生は、弟の発言を聞きながら、「お前が生まれる前は、親父はもっとひどかったんだぞ」と心の中で呟いていたような気がする。

 十歳違いの兄弟。馬生には、“うちに帰ってこない日のほうが多かったり、帰ってきてもおふくろさんと言い合ったり”していた志ん生の思い出はばかりが強く残っていたのだろう。
 それに反して、志ん朝には、機嫌が良かったり悪かったりはしていても、ほとんど家にいる志ん生の面影が強かったはずだ。

 冒頭に書いた志ん生の『牡丹燈籠』について、こんな会話がある。

結城 人情ばなしを最後までものにしたがってたでしょう。志ん生師匠の人情ばなしはうまく笑わせてくれましたけど、それでもワーッというのは無理ですよね。
馬生 人情ばなしをやっても笑わせなければダメだといってましたね。確実に笑わせるところを一ヵ所残してましたよ。これには感心しましたね。『牡丹燈籠』をやったって一ヵ所笑わせるんですから。『牡丹燈籠』は笑わせるものじゃないでしょう、怪談だから。
結城 それは客を喜ばせなければならないということと、もし受けなかったらという気の小ささ、両方合わさってたんですかね。
馬生 さあ、そこまでいくとちょっとわからないんですけどねえ。たとえばね、飯島平左衛門に萩原新三郎は首を切られるところをね、「ザッと切ると首がコロコロッと・・・・・・」-みんなワッと笑うんですよ、そういう描写が非常におかしんですね。普通だったら、首を切られてその首がコロコロなんておかしいわけがないんです。おやじさんがやるとおかしいんですよ、ねえ。「エーッ」と笑いの静まるのを待つくらい受けるんです。で、「これは夢でした」というとまたワーッと受ける。
志ん朝 それとね、うちのおやじさんの人情ばなしというのは、むずかしくやらないんです。構えないんですね。普通は、講釈と人情ばなしはどう違うのと聞かれるくらい構えるでしょう。しゃべるときの態度もスッとやりながらツーッとしゃべっていくでしょう。そこがうちのやじは緩急自在でしたね。世間ばなしをするような感じなんですね。「実は、皆様にこういうようなことを・・・・・・」という言い方じゃなくて、「この間ね、あそこに行ったんですよ。そうしたらね・・・・・・」という調子なんですね。
 ところがこれをね、ぼくらがやったんじゃダメです。世間ばなしをするように軽くはできないですよ。おやじは構えないでできるんですね。
 これはとてもすばらしいことだと思うんです。大概の人は構えますよ。そのときのなりだってかなり気にするでしょう。それをうちのおやじは、前はだけちゃっても平気で、どんどん落語じゃなくて人情ばなしをやってっちゃうんですね。これがすごいなと思いますね。



 そうそう、首が落ちてコロコロッ、で笑った。

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『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)

 『よってたかって古今亭志ん朝』(志ん朝一門、文春文庫)の巻末には、「古今亭志ん朝 主要演目一覧」が記載されている。主要なホール落語会における全演目一覧で、非常に有益な情報だ。

 回数の多い順にネタを並べると、次のようになる。

12回( 1) 愛宕山
11回( 2) 黄金餅・夢金
10回( 4) 付き馬・火焔太鼓・品川心中・化け物使い
 9回( 9) 船徳・搗屋幸兵衛・富久・酢豆腐・抜け雀・大工調べ・三枚起請・明烏・
       唐茄子屋政談
 8回( 4) 井戸の茶碗・居残り佐平次・鰻の幇間・三年目
 7回( 4) 大山詣り・厩火事・柳田格之進・お若伊之助
 6回( 7) お化け長屋・文違い・干物箱・五人廻し・二番煎じ・宿屋の富・芝浜
 5回(14) 巌流島・お直し・今戸の狐・火事息子・子別れ・甲府い・締め込み・茶金・
       お見立て・寝床・碁泥・刀屋・首提灯・四段目
 4回(11) 粗忽の使者・猫の皿・小言幸兵衛・稽古屋・三方一両損・幾代餅・
      宗珉の滝・佃祭り・もう半分・百年目・坊主の遊び
 3回(12) 花見の仇討ち・そば清・高田馬場・試し酒・妾馬・駒長・
      口入屋(引越しの夢)・崇徳院・三軒長屋・蒟蒻問答・文七元結・
      水屋の富
 2回(20) 王子の狐・風呂敷・錦の袈裟・替り目・らくだ・花色木綿・中村仲蔵・
      おかめ団子・お茶汲み・雛鍔・ぞろぞろ・紙入れ・たがや・御慶・
      へっつい幽霊・豊志賀の死・百川・真田小僧・
      蔵前駕籠・浜野矩随
 1回(38) 天災・元犬・粗忽の釘・ずっこけ・のめる・二人かしまし・和歌三神・
      近日息子・蛙茶番・麻のれん・三助の遊び・たぬき・つるつる・疝気の虫・
      因果塚の由来・宮戸川・夏の医者・三人無筆・しびん・禁酒番屋・
      紺屋高尾・長屋の花見・ちきり伊勢屋・素人鰻・首ったけ・佐々木政談・
      反魂香・近江八景・代脈・堀の内・羽織の遊び・幇間腹・千両みかん・
      野ざらし・あくび指南・強情灸・藁人形・時そば

 志ん朝が約400回のホール落語会における演目の中で、円朝の怪談噺は『豊志賀の死』が2回のみ。
 昭和56(1981)年7月31日の東横落語会と昭和57(1982)年6月22日の志ん朝の会である。

 『牡丹燈籠』は演じていない。
 ネタの好みもあるだろうが、とても父志ん生のようには出来ない、という思いが強かったようにも思う。

 『世の中ついでに生きてたい』の対談の内容を読むと、馬生と志ん朝との、志ん生の芸に関する見解の違いが分かって興味深い。
 馬生は、志ん生の音源を聴かない、と語っている。志ん朝は、倒れる前の音源を中心に聴いているようだ。

 この本には、志ん朝と江國滋さんとの対談も含まれており、『船徳』や『明烏』は志ん生から稽古をしてもらっており、当時、文楽に稽古をつけてもらうのは、はなから諦めていたと発言している。

 馬生は、志ん生に近づこうとして、また離れ、最終的に独自の芸風を築いたように思うが、果たして志ん朝は、どうだったのか。

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美濃部美津子『三人噺』(文春文庫) 
 美濃部家の長女、美津子さんへの聞き書きによる『三人噺 志ん生・馬生・志ん朝』。
 この表紙、実にいいねぇ。
 単行本は、志ん朝の一周忌にあたる平成14(2002)年の10月に発行され、その後文庫にもなった本。
 ニッポン放送アナウンサーだった塚越孝の聞書き。あの、ツカちゃんも、今はもういない。ポッドキャストで、ずいぶん多くの噺を知ることができた。
  
 さて、美津子さんが、志ん朝の芸風について語っている部分をご紹介。

 志ん朝の場合は、明るくて派手なしゃべり口調はお父さんの系統ですよ。志ん朝の芸風を「完璧な文楽型を目指した」と言っている人がいるらしいんですが、あたしはちょっと違うんじゃないかと思ってるんです。確かに噺としては完璧でしたが、その日の気分によってくすぐりの入れ方が違ったり、いい加減というかフラ(持って生まれた個性や味)のいいところはお父さんと同し。志ん朝は文楽さん的なキッチリした部分と、お父さんの雰囲気を混ぜるつもりでいたんじゃないでしょうか。


 さすが、実の姉はよく分かっている。

 昭和48年、志ん生が旅立った。馬生が45歳、志ん朝、35歳の秋のことだ。

 その五年後に起こった落語協会分裂騒ぎ。結局、志ん朝は尊敬していた円生と袂を分かち、兄が副会長であった協会に復帰した。真打昇進に関する考え方では、大量真打昇進を行う会長の小さんではなく、厳しく吟味すべしという円生と思いが近かっただろうから、内心、忸怩たる思いであったと察することができる。

 私は、馬生が父であり師匠である志ん生に対して複雑な思いがあったように、志ん朝も、兄については相克する二重の思いがあったと察する。
 それは、戦前、戦中の厳しい世の中で、美濃部家の屋台骨を支えてくれた兄、美濃部清への感謝の思いという一面。もう一面は、落語協会において、自分とは父志ん生の評価、真打昇進規準などに対する考え方が違い、やや保守的とも思える噺家馬生に対して煮え切らなさを感じる思い。若かりし日の志ん朝は、「兄貴世話になった」という感謝の念と、「馬生師匠、それじゃ落語界は変わらないよ!」という思いも混在していたのではあるまいか。

 四十路を迎えた昭和53年の騒動の後、志ん朝は自分の芸を磨き上げることに邁進し、政治的な行動から遠ざかって行ったように見受けられる。
 兄への複雑な思いの相克も、時間の経過とともに次第に解消されていったのだろう。

 しかし、師匠である志ん生への思いは、兄と別であり、あの「構え」のない芸風を最後まで目指していたのではなかろうか。
 
 晩年、その思いは実りつつあったと思う。
 それは、大須演芸場での独演会の音源から感じる。
 マクラの楽しさも含め、志ん生の芸風のように、構えのない実にのびやかな雰囲気で高座をつとめる志ん朝の姿を想像することができる。
 古希を過ぎた志ん朝の高座を聴くことはできなかったが、大須の音源で、その将来を察することができる楽しいマクラや、何とも自由な雰囲気で演じられるネタを味わうことができる。

 大須のマクラ集、河出さんで出版してくれないかなぁ。でも、無理か、結構文字では書けない内容もあるからね。

 志ん朝の命日は、父や兄のことも含む美濃部家のことに、いろいろと思いが至るのであった。
Commented by YOO at 2014-10-01 23:30
大須の音源、私も今年になって買いましたが、寄席でリラックスしたなかでのまくらも噺もすごくいいですね。一日でも生で聞きたかったなぁ。とつくづく思います。
自分が志ん朝師匠の亡くなった年齢に近づいて来たこともあってか、とりわけまくらがたまりません。
やっぱり毛も歯も欲しいですよね。(こういうのは書いちゃいけなかったでしょうか?)

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-10-02 20:58
大須、いいですよねぇ。
私も馬生の享年を過ぎ、着実に志ん朝の63歳に、年齢が近づいています。

大須の音源、マクラの書き起こしをしようかと思っています。
ゆっくり時間をかけてですが。

毛も歯も、そして・・・この後は書いちゃいけません^^

Commented by 水カステラ at 2014-10-04 11:50
大須には何度か志ん朝師匠を聞きに行きました。
あるときでっかいカメラを持った記者のような男が後ろの立ち見のところから高座が始まっているのに位置を変えては無遠慮にシャッターを押しまくっていました。ちょうど私の横に来てバシャバシャ撮っていて此畜生と思っていたら、高座から志ん朝師匠がユーモアを交えてその男に注意をしてくれました。
内心胸がすく思いとはまさに此の事でした。
今となっては良い思い出であります。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-10-04 15:14
羨ましい!

カメラ男のこと、って音源で残っていましたっけ・・・・・・。
記憶がないなぁ。
きっとその部分は削除されているのでしょうね。
つい、まくらの書き起こしを始めてしまいました^^

Commented by 右朝 at 2014-10-07 01:29
該当の場面と異なる可能性もありますが,カメラマンに注意する箇所は,CDに入っています.

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-10-07 08:49
そうですか!
忘れていたようです。
毎日毎日、脳細胞が激減しております。

探す楽しみが増えました^^
お知らせ、ありがとうございます。

Commented by どぎー at 2014-10-07 23:48
志ん朝師匠の命日に、志ん陽さんが若手を引き連れ、座長としてお江戸日本橋亭で住吉踊りをやってました。
今年で3回目だそうですが、来年以降は10月1日にやるようになるかも、とのことでした。
師匠が大事にしていたものを弟子が大事にして、良いものですね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-10-08 09:01
志ん陽の住吉踊りの試みについては、彼の更新の少ない(^^)ブログなどで知っていました。
大事な一門の財産でもあります。ぜひ継続してもらいたいですね。
大須の音源でも、踊りの上手な方、そうじゃない方のことなど、マクラで楽しい話題として語られていますね。

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by kogotokoubei | 2014-10-01 00:24 | 今日は何の日 | Trackback | Comments(8)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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