人気ブログランキング |

噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

円朝の初吉原と、粋な花魁の計らいについて。

 8月11日は、三遊亭円朝の命日。
 
 落語の神様のように言われることが多いので、あえて、人間臭いところを探してみたいと思う。

e0337777_11125779.jpg

 矢野誠一著『三遊亭円朝の明治』
 
 矢野誠一さんの『三遊亭円朝の明治』は平成11(1999)年に文春新書で発行され、二年前に朝日文庫でも発行された。第一章の「江戸の人気者」の、あの有名な鏑木清方の「円朝像」のことなども含む部分から引用。
*矢野さんの本では“圓”の字を使っているが、この記事では“円”で統一します。

断髪

 三遊亭円朝が自慢の圓朝髷をおろして、新時代にふさわしい断髪にした時期については、はっきりとわからない。わからないが、売物にしていた道具をを使った鳴物入りの芝居噺を、弟子円楽の三代目三遊亭円生襲名を機にゆずり渡し、自らは素噺一本に転じた明治五年(1872)には、すでに断髪だったと思われる。
 (中 略)
 こんにち残された三遊亭円朝の写真のいくつかから、いかにも気難むずかしげな晩年の表情をうかがうことができるのだが、それらの写真をこえて、近代肖像画の傑作とされている鏑木清方の「円朝像」くらい、数多くの資料が伝えるこの不世出の藝人の風貌の的確に描かれたものもあるまい。1930年、帝展に出品され、現在東京国立近代美術館におさめられている。湯呑を手にした高座姿は、円朝作品の速記掲載を売物にした「やまと新聞」創刊者でもある篠野採菊を父に持つ清方の幼い頃の瞼の像が描かれたもので、むかしの高座の忠実な記録画ではないのだが、そこには明治という新時代に権威と名誉を求めて対峙したひとりの藝人の全人格が活写されている。もちろん清方の「円朝像」は短髪の黒紋付姿で、着物も大島紬様のもので、衿もとにのぞく半衿も黒と、地味な好みに統一されており、円朝髷姿で赤い襦袢をちらちらさせた時代の面影だにない。

若き日の醜聞

 それだけに岡鬼太郎のいう「緋の襦袢の頃」の軽佻浮薄な衒いに充ちた、円朝の人気者ぶりが気になるところだ。この時代の円朝の尻を、「藝者もあれば、娘も後家さんもといふ風に何十人といふ婦人が」毎晩のように追いまわしたと、「天保老人の談」として「新小説」に記している伊原靑々園は、同じところに、さればこそ「金廻りも好いと云つたやうな訳で、随って其んな縮緬づくめの衣裳なんかも拵へられたといふ勘定」とも記している。このあたりの色模様に関しては、小島政二郎も虚実とりまぜ得意の筆にしているが、当然のことながらこの時代の円朝には婦人をめぐる醜聞のほうも少なからずあったはずである。


“藝者もあれば、娘も後家さんもといふ風に何十人といふ婦人が”毎晩のように追いまわした時代の円朝について“虚実とりまぜ”て小説にしたものとしては、松井今朝子の『円朝の女』が有名だが、矢野さんが名を出している小島政二郎の『円朝』から、紹介したい。
e0337777_11125768.jpg

小島政二郎著『円朝』

 小島さんの祖父の利八が寛永寺出入りの大工の棟梁で、円朝とは幼友だち、寺子屋が一緒だった。この本は、その祖父から得た貴重な円朝の情報を見事に織り交ぜた名著だと思う。

 その利八と円朝が初めて吉原に行った時のお話から。
 円朝の贔屓客は、何も女性に限られたことではない。男性の贔屓客も大勢いた。
 そういう一人に宮野というお金御用の旦那がいた。この人に連れられて、円朝は桐佐という引手茶屋へ遊びに行って、吉原芸者を上げて遊んだことがあった。その一座に、米八という若い芸者がいた。
 その時は、九つ(十二時)ごろまで遊んで駕籠で送られて帰って来た。
 一度でも馴染が出来たので、その後間もなく、
「一度おいらん遊びがして見たい」
 と、ふだんから云っていた利八を語らって、桐佐へ行った。そのころは、二人とも両という金が自由になる身分になっていた。
 桐佐から送られて、二人は彦太楼という大籬へ上がった。芸人は上げないキメになっているので、仕方がなしに円朝は薬種問屋の若旦那ということにして上がった。彼には長尾大夫というおいらんが相方に出、利八には若竹大夫というおいらんが相手になった。
 (中 略)
 二人とも、十分満足するほど持てなされた。桃の花の咲いている夢の国へ遊びに行ったような思いがした。当分二人とも、この夢の国で見た楽しい思い出が忘れられなかった。

 円朝と利八の幼馴染みの初吉原は、たいそう上首尾だったようだ。
 それにしても、薬種問屋の若旦那と偽って登楼とは、まるで『紺屋高尾』や『幾代餅』のようで可笑しい。
 その吉原の揚屋町には小槌という寄席があって、円朝に口がかかった。場所柄昼席で、昼は暇な人が多く大勢聞きにくるので、円朝は喜んで引き受けた。
 初日、行って見ると、下足札が足りないくらい大入りだった。
「師匠、お陰さまで‐」
 席亭は大喜びで、楽屋へ挨拶に来た。
「時に、彦太からお祝いものが届いておりますが‐」
「お祝いもの?」 
 彦太楼と聞いて、円朝はあるツマズキを感じた。
「なんです一体?」
「これなんですが‐」
 畳紙(たとう)を開くと、高座幕だった。古代紫に白で薬研(やげん)が染め出されて、左の肩に「若旦那へ」、下に彦太楼内と書かれていた。
 贈り主は、云うまでもない。一ト目見るが早いか、ここでも彼はうれしいような困ったような思いをしなければならなかった。
「若旦那なんて‐。ワチキは知っていたんざますよ」
 そう云って、面白そうに笑っている長尾大夫の白い顔が、古代紫の中から浮かんで見えた。籠の鳥の彼女がどうして若旦那の秘密を知っていたのだろう。


 薬研については、本書の注で「薬種を押しつぶして粉末にする銅製のうつわ」と書かれている。
 そう、あの薬研である。

 薬種問屋の若旦那と嘘をついて一晩の夫婦となった円朝に対して、なんと長尾大夫の粋な計らいであろうか。

 薬研が染められた幕には、円朝もさぞ驚いたと思うが、このあと高座に上がった円朝は、客席を見て再び驚いた。

 寄席の客席に立兵庫に結い上げたおいらんの、はなやかな、一種の威厳のある姿を見出したことは、臍の緒を切って初めての経験だった。恐らくこの後の生涯に二度あることとは思えなかった。うしろには、彼女から贈られた幕がありありと二百人の客の目の前にあった。

 
 著者の祖父利八の思い出だろうと思うので、私はこの話はフィクションではないように思う。
 結局、長尾大夫は、寄席に十日間通い続けた。

 円朝の『紺屋高尾』の久蔵のような、身分を隠しての初吉原、そして、薬種問屋の若旦那という偽装を利用した長尾大夫の粋な趣向、円朝を巡る逸話の中では結構異色で楽しいものではなかろうか。
Commented by 彗風月 at 2014-08-13 11:34 x
芸人にも里の女性にも、生き方にゆとりと粋があった時代ですねえ。昨今の我々には、てんでそういう趣がなくなってしまったように思います。
そうそう、谷中・全生庵の幽霊画は8月いっぱい見ることができるそうで、一度は出かけてみようかと思います。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-08-13 23:06 x
お久しぶりです。
越後からの返信です。
洒落が分かる日本人が時代の変遷もあって減ってきた、ということでしょうか。
せいぜい、一緒に落語を楽しむことのできる仲間を大事にしなければいけないと思います!

Commented by 介護労働者 at 2014-08-14 21:16 x
北国の住人 寄席体験は東京在住時二十代後半から38の半ばまで
てはわけで

この話し

事実上はどうか知りませが
粋でありんす

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-08-14 23:10 x
お立ち寄りいただき、コメントまで頂戴し誠にありがとうございます。
「北国」という表現が、なんとも含みがありそうで考えてしまいましたが、東北か北海道に現在はお住まいということなのでしょうね。
長尾太夫のような女に会ってみたいものです!

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2014-08-11 11:12 | 今日は何の日 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛