アメリカの独立記念日の「天声人語」や憲法13条のことなど。
2014年 07月 04日
天声人語
2014年7月4日(金)付
きょうは米国の独立記念日である。仰々しい式典があるとは聞かない。例年、花火大会やホットドッグの早食い大会が催されて、楽しそうではある。この祝日、いまの日本と無縁ではない▼ジェファーソンらが起草した独立宣言は1776年7月4日に採択された。すべての人は、「生命、自由及び幸福を追求する権利」を与えられている、とある。同じ文言が、日本国憲法13条にもある。わが憲法の定める幸福追求権の淵源(えんげん)は独立宣言にあり、といわれるゆえんである▼この間の解釈改憲への動きで、13条は変な使われ方をした。歴代内閣の説明はこうだ。9条で戦争を放棄していても、日本が攻撃された場合は個別的自衛権で反撃することができる。なぜなら国民の幸福追求権や平和的生存権が覆されるから。しかし、集団的自衛権で他国の助っ人をすることまでは許されない、と▼安倍政権が今回決めたのは、他国への攻撃でも日本国民の幸福追求権などが覆される場合があり、そのときは集団的自衛権を使えるということだ。同じ根拠でなぜ正反対の結論になるのか、まともな説明はない▼しかも解釈改憲ではないという。憲法解釈の「再整理」にすぎず、従来の見解の論理の枠内だとも。手品のようだといえば手品に失礼か。タネも仕掛けもあるようには見えない。それとも当方の言語能力や論理的思考力が欠けているのか▼こんな議論に使われるための13条ではあるまい。米国の「建国の父」たちなら、どう考えるだろうか。
なかなか良い内容だと思う。(偉そうに^^)
天声人語は、過去には大学入試に頻繁に登場するほどの名文として有名だった。書き手として思い出すのは、社会部時代に読売の本田靖春とも親交があった深代惇郎(ふかしろ じゅんろう)だな。
書き手も時代も替わり、最近は不思議な内容も目立っていたのだが、ここしばらくは結構読ませる。サッカーW杯で快進撃を続けるコスタリカが戦争を放棄している国であることを取り上げた内容は、兄弟ブログ「幸兵衛の小言」で紹介した。
2014年7月1日のブログ
憲法13条から集団的自衛権に飛躍する政府の詐欺的な屁理屈に関しては、「幸兵衛の小言」で、閣議決定の内容の紹介とあわせて書いた。
2014年7月3日のブログ
部分的にその内容を紹介したい。最初に、1日の朝日に閣議決定の内容が載っていたので、その中の、「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置」の全文を引用したのだが、ここでは(1)と(2)のみとする。(太字は管理人)朝日新聞の該当記事
3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置
(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。
(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。
この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。
(2)で述べられている憲法13条の条文を確認したい。
第13条[個人の尊重と公共の福祉]
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
この条文を踏まえ、私は「幸兵衛の小言」で次のように書いた。
この条文は、あくまで「国民は、個人として尊重」されること、そして、その個人の「生命、自由及び幸福追求に対する権利を尊重」することに力点がある。
もちろん、この権利は国民である自衛官にだって適用される。彼等に、「アメリカが困っているから戦闘に参加してくれ」と命令することは、その「個人の権利」を踏みにじるものであり、明らかに憲法違反である。
個人の「自由及び幸福追求」のために戦争を放棄することはあっても、戦争を容認することがあってはならない。
こんな滅茶苦茶な解釈のどこに、(1)で書かれている、“論理的整合性と法的安定性”があるのだろう。
戦争反対や、原発反対などの内容は「幸兵衛の小言」に移して「噺の話」では書かないつもりだったのだが、今回はご容赦いただきたい。それだけ、今が日本にとって重要な時期であると思っている。
