らくご街道 雲助五拾三次 -大川- 日本橋劇場 6月19日
2014年 06月 20日
滅多に聴くことのできない『宮戸川』の通しに期待し、何とか都合をやり繰りして日本橋へ。一階277席は、終演時点で七割位だったろうか、私が来たこの会の中では多い方だ。
次のような構成だった。これが本来の“独演”会。
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五街道雲助 『鰻屋』
五街道雲助 『汲み立て』
(仲入り)
五街道雲助 『宮戸川~通し~』
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五街道雲助『鰻屋』 (25分 *18:59~)
いつものように、開演時間を待ちきれないように登場。ロビーで販売している手拭いの宣伝から。これまでこの会で演じたネタをデザインした手拭いで、日本橋(富沢町)萩原さんによるものらしいが、ごめんなさい、ちょっと手が出ませんでした。言訳になるが、サイン入り本や師匠馬生の絵が入った手拭いは買わせていただいておりますので、許して。
さて、営業的マクラの後、「お題が大川ということで、川に因んだお噺を三席」とのこと。生まれ育ちが本所二丁目で大川には馴染みが深いと説明したが、このブログご覧の方の中には、 「鰻屋で川?」と思われる人もいらっしゃるだろう。実は、冒頭でしっかり登場する。友人に「飲みに行こう」と誘われた男が、過去の苦い思い出を披露する場面だ。この男、酒ならなんでも、特に奢ってもらえるなら、「メチルでもエチルでも」「電気(ブラン)でもガスでも」(このクスグリで笑った)という安上がりの飲み助。以前に悪い仲間に騙され、思わせぶりで浅草界隈をあちこち歩かされ、最後に吾妻橋の下で養老の瀧の話を持ち出されて「(川の水も)酒と思えば飲める」言われて、「悔しいから二三杯飲んだ」と語る。なるほど、川に因んだ噺であった。
その話を聞いた相手が、鰻屋へ行こうと誘う。先日行ったら、鰻さき職人がいないので主人が詫びとして胡瓜のコウコでただ酒を飲ましてくれたらしい。さっきのぞいたら、主人が表を不安そうに見ていたから、まだ職人が戻っていないはずと、二人は店へ。
この噺、文楽で有名な『素人鰻』(可楽なら『士族の鰻』)をより軽い内容に改作したものでサゲは同じ。雲助も二席目のマクラで種明かしをするが、通説の初代円遊の作ではなく、雲助は「前の前の」と言っていたが五代目三升家小勝の作なので、「前の前の前」になるなぁ。右女助の六代目小勝の前ということになる。
二人が、鰻を捕まえられない主人を助けようとする。最初に目をつけた脂の乗った鰻は開店当時から逃げて生き延びている傷だらけの鰻で、名前も“与三郎”、次に狙った細身の鰻は、コホン、コホンと咳をする病気持ち、時折水の上に首を出し、「千年も万年も生きたいわ」と、『不如帰』の浪さんのようなことを言う。これらのクスグリで会場が笑いで包まれた。川に因んだ冒頭の部分からサゲまで、適度にクスグリの入った楽しい高座だった。
五街道雲助『汲み立て』 (28分)
そのまま高座に残って一席目の作者のことを説明してから、昔は稽古ごとが流行ったが、目当てはその女師匠だったと炬燵の下で手を握る小咄を挟んで本編へ。
小唄の稽古が進まない男をいじる仲間の科白が可笑しかった。「お前の声は、たとえて言えば、梅雨時に長屋のはばかりに入り、出たとたんに借金取りに出会ったような声だ」って、どんな声^^
常磐津の美人のお師匠さん目当てに通う面々。建具屋の半公が師匠とできているらしい、という噂が気になって、師匠の家で手伝いをしている与太郎に真偽を確認すると、噂は間違いなさそう。怒り心頭のもてない連中が、仕返しをたくらむ。師匠と半公が舟遊びに行くとのことで、“有象無象”のご一行も船に乗り、笛や太鼓で大騒ぎして、半公の野郎をののしって、最後は殴ってぼこぼこにしよう、ということになるのだが・・・。
最後の舟遊びの場面、半公が三味に合わせて端唄「お伊勢参り」を聴かせるが、なかなかのもの。
この噺は六代目円生の独壇場と言われており、雲助も円生版を踏まえているように思う。しかし、私は桂文朝の音源も好きでよく聴いている。肥船が登場することやサゲが汚いということもあるからだろう、今ではなかなか演じ手のいない噺になってしまった。しかし、江戸っ子の“有象無象”が繰り広げる内容は、まさに落語の一つの典型とも言えるものであり、もっと寄席などでもかけられても良いように思うなぁ。楽しい舟遊びの場面もあり、旬の噺でもある。
五街道雲助『宮戸川~通し~』 (53分 *~20:59)
二席目後半で多発(?)した「べらぼう」という言葉の起源に関する話が、意外でもあり興味深かった。真偽は定かではないと言っていたので、後日調べてみようと思う。
さて、滅多には聴けないこの噺の通しである。先に結論から書くが、実に見事だった。
この噺の起源は、近松門左衛門が、実際にあったお花と半七という男女の心中事件を元につくった浄瑠璃「長町裏女腹切」にさかのぼる。それから1世紀もたった文化年間に、江戸で四世鶴屋南北が書いた「寝花千人禿(やよいのはな・せんにんかむろ)」(茜屋半七)がヒットし、その芝居を元に初代三遊亭円生が道具入り芝居噺にしたのだから、本来は芝居噺の後半が大事なのである。
しかし、その後半が暗くて笑いがないということだろう、今日では前半のお花・半七が霊岸島の叔父さん宅の二階で艶っぽい一夜を明かす場面までの内容で演じられるのがほとんど。『お花・半七なれそめ』という別題もある。その前半に宮戸川は登場しない
たしかに、笑いの多い前半と後半とでは、まったく趣きが違う。だからこそ雲助がどう演じるか興味深かった。その期待に十分に応えてくれる高座だった。
ネタ選びとしても結構で、旬を外していないし、お花と半七の住む小網町も会場のすぐ近くである。質屋茜屋の倅の半七、その隣の船宿桜屋の娘お花。かたや碁か将棋に興じ、かたや友達のみぃちゃんの家に頼まれてお客さんの接待で帰りが遅くなり、お互いに締め出される。半七が家の木戸を叩くと、父親である半左衛門が出てきて、まるで『六尺棒』のような会話が交わされるのが楽しい。お花の母親が継母であるという設定が、十七の娘が夜分に締め出される不思議を、少しは正当化(?)していた。
そして、半七の霊岸島にいる叔父さんの家に結果として二人で行くことになるのだが、この場面では笑いをとるクスグリをほとんど挟まない。だから、結構暗くて重~い調子ではあるのだが、そういった基調が通しで演じるには必然性のある姿なのだと納得した。では、笑いがまったくないかと言うと、それはそれ雲助である抜かりはない。霊岸島の叔父夫婦、この爺さんと婆さんがしっかり笑わせてくれる。「未だにお爺さんと一つ違い」と笑い転げる婆さんの姿が頗る可笑しい。そして、寝ている婆さんを見て爺さんが「夢は五臓の疲れと言うが、どんな夢を見ているのか、口中よだれだらけにして」と、サゲへの伏線をしっかり挟み込んだ。
お花と半七の一夜のことも、ごくあっさりと語って、翌朝「二人を一緒にさせてください」と半七に頼まれた叔父さん、張り切って仲人役として両家に出向く。桜屋の親は大喜びだが、茜屋の半左衛門は怒って勘当。「勘当、結構、こっちが養子にもらって一緒にさせる」と啖呵を切る叔父さん、粋で鯔背だねぇ。つい「よぉ、霊岸島!」と声をかけたくなる^^
五街道雲助著『雲助、悪名一代』
さて、所帯を持った二人なのだが、その後に不幸(実は夢)が待っている、という筋書になる。
ここからは、あらすじの紹介にもなるので、雲助の本『悪名一代』から芝居がかりの部分を引用しよう。この本については以前書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2013年11月21日のブログ
この噺、雲助が手掛けた最初の芝居がかりのネタということで、本書では結構詳しく解説されている。
お花の一周忌、菩提寺で弔ってから山谷堀で船に乗った半七。そこに、酔った男が乗り合わせて、つい酒の勢いで一年前の悪事を自ら暴露することになる。その後、この噺の大きなヤマである芝居がかり。
亀とは、お花を殺した三人組の一人、正覚坊の亀。船頭(仁三)も仲間である。
半七 これで様子がカラリと知れた
亀 何をしやぁがる
(ツケ)バタバタバッタリ
(三味線)佃
(太鼓)ドドンドン ドンドンドン
半七 去年六月十七日、女房お花が観音へ参る下向の道すがら
亀 俺もその日は大勢で寄り集まって手慰み すっかり取られたその末が
しょうこと無しの空素見(からひやかし) すごすご帰(けえ)る途中にて
俄に降りだす篠突く雨
船頭 暫し駆け込む雷門 夜目にもそれと美しい二十歳の上を不二つ三つ
四つに絡んで寝たならばと こぼれかかった愛嬌に気が差したのが
運の尽き
半七 丁稚の報せに折よくもここよかしこと尋ねしが 未だに行方の
知れぬのは
亀 知れぬも道理よ
(太鼓)ドドンドン
多田の薬師の石置き場 さんざ慰むその後で助けてやろうと思ってが
後の憂いが恐ろしく 不憫とおもえど宮戸川
船頭 ドンブリやった水煙
(太鼓)ドドンドン
半七 さてはその日の悪人は汝(わい)らであったか
亀 亭主と言うは汝(うぬ)であったか
半七 はて良い所で
亀 悪い所で
一同 逢うたよなぁ
赤字のところで、びしっと決まるのだ。雲助をご存知の方は、ぜひ場面を想像していただきたい。
この噺、芝居噺でしょう!
この後、小僧に夢から起こされた半七、お花が雷門で雨宿りしていて無事と分かり、サゲ。
旬なネタ選びに加え、この噺本来の、初代円生由来の味わいを満喫させてくれた高座、文句なく今年のマイベスト十席候補とする。
三席とも川に因んでいるだけでなく、旬も十分に考慮されていて、大いに満足の落語会だった。
さて、終演後は、同じ日本橋にいたI女史、M女史と私の三人と、国立演芸場で一朝・志ん輔の二人会だったリーダーSさんが、お互い歩み寄り(?)ということで神保町の居酒屋で待合せての居残り会。
吉田類の「酒場放浪記」で見たことがあり、私が推薦した店は、庶民の味方の値段で、店主の会話も楽しい居酒屋さんだった。話はお互いの落語会の感想はもちろん、あちらこちらに飛んだり跳ねたり^^
生ビールから熱燗、そして最後はSさんによる「瓶ビールの美味しい飲み方講座」のために何本空いたのか・・・・・・。
ラストオーダーの声を聞いて、名残惜しくお開きとなったのだが、その帰りがけ、壁に張ってある新聞記事に気が付いた。なんと、我々四人(よったり)が座ったテーブルは、あの映画『舟を編む』の撮影をした場所であった。撮影では、リーダーSさんの席には加藤剛、Mさんの席にはMさんの大好きな小林薫、Iさんの席は黒木華、そして私の席には松田龍平が座ったのであった。何ともうれしい発見を喜びながらのお開きだった。
帰りの電車では、「舟を漕ぐ」だった^^
日付変更線を超えて田園都市線の終点、中央林間に到着。小田急に乗り換えなのだが、驚くことに、相模大野の脱線事故で電車が止まっているとのこと。
私は、酒の勢いと、普段から万歩計をして歩くことに情熱を燃やすSさんを見習って、一駅分を自宅まで30分歩いて帰ったのだった。
帰ると、ちょうどW杯のコロンビア対コートジボワール戦が始まった。風呂から上がってサッカーを眺めながらブログを書いても、もちろん書き終わるはずもない。それにしても、楽しい落語会、そして居残り会であったなぁ。