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ある噺家の二人の師匠や、あの噺の歴史について。

 五代目小さん十三回忌特別シリーズを書いた中で、迷った末に割愛した内容がある。

 このまま埋もれさせるのが惜しいので、末広亭の追善興行も今夜が楽日、私の五代目小さん十三回忌特別シリーズも千秋楽特別篇として書きたいと思う。

 その前に、追善興行の番組表を確認。私は行けなかったのだが、記録として残しておきたいので、末広亭の番組表をコピーさせてもらった。


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 長男の六代目小さんと孫の花緑が皆勤。当然、かもしれない。そして、小燕枝が口上で皆勤に加え高座も含め休みなし。人柄が伝わってきて、この噺家さん、あらためて好きになった。
 次に出演が多いのが、口上と高座で九日出演のさん喬。
 小三治は初日のみ。なかなか寄席でも出会えない小はんが三日出演。残念ながら小のぶの名はない。

 小のぶの他にも残念ながら名前のない人、入船亭扇橋について書こうと思う。


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入船亭扇橋『噺家渡世』(うなぎ書房)

 『噺家渡世-扇橋百景』は、2007年7月に、うなぎ書房から初版発行。長井好弘の編集。

 七年前に発行された後で掲載された朝日新聞の記事がまだ残っているので、そのうちリンク切れになるだろうから、写真以外の全文を引用。その写真は、お互いにファンであった島倉千代子からもらったベストを着て笑っているのだが、なかなか良い表情なのだ。朝日新聞サイトの該当記事


「汗かかない訓練しなくちゃ」 落語の扇橋、芸歴50年記念し自伝出版
2007年10月12日

 古典落語の大看板、入船亭扇橋(76)が芸歴50年を記念して初の自伝『噺家(はなしか)渡世』(うなぎ書房)を出した。昭和の名人たちの指導を直接受けた最後の世代で、俳人としても知られる。

 東京都青梅市生まれ。57年に三代目桂三木助に入門し、三木助没後は五代目柳家小さん門下に。70年に真打ち昇進し、九代目扇橋を襲名した。以来、古典落語一筋だ。

 師匠の家に住み込む内弟子を体験した最後の世代だ。修業時代の思い出といえば、始終空腹だったこと。先輩が捨てた傷んだすしを食べたこともある。「ものは腐りかけがうまいというが、本当ですね。噺家も死ぬ前の方がいいのかな。でも口跡が悪くなるし、いいのは65までかなあ」

 三木助、小さん、志ん生といった名人たちの高座から多くを学んだ。翻って最近の落語はテンポの速さが気になる。

 「もっと間(ま)が欲しい。汗をかいての熱演なんてのはみっともない。プロは汗をかかない訓練をしなくちゃ。噺家は自分では笑いも泣きもしないでお客を泣き笑いさせるもんです」

 俳句を始めたのは中学入学前。水原秋桜子(しゅうおうし)の「馬酔木(あしび)」に投句し、「橋本光石」の号で歳時記にも載る。桂米朝、小沢昭一、柳家小三治、加藤武らと作っている「東京やなぎ句会」では宗匠もつとめる。

 「俳句をやると植物の名前も覚えるし、季節に敏感になる。枕で『サザンカが咲いていますな』と言うだけで、気分が出るでしょ」。俳句も落語も、大事なのは言葉をそぎ落とすことだという。

 「梅が香や根岸の里の侘(わ)び住まい」という句がある。「根岸の」以下はどんな上の句にもつく「万能俳句」として有名だが、評論家の矢野誠一さんの調べで、実は先代の扇橋の作だったことがわかった。不思議な縁があるようだ。


 “もっと間(ま)が欲しい。汗をかいての熱演なんてのはみっともない。プロは汗をかかない訓練をしなくちゃ。噺家は自分では笑いも泣きもしないでお客を泣き笑いさせるもんです”、という言葉が重い。小三治も同じような考えではないかと思う。だから、あの二人は仲が良いのだろうなぁ。

 九代目扇橋を継いでから、“万能俳句”の作者が先代であることが分かったわけで、たしかに不思議な縁があるものだ。

 昭和32年の11月、浪曲が大好きで旅回りの一座と九州に巡業してからの帰り、東京駅に出迎えてくれた浪曲作家の水野春三から、「おまえさん、浪曲は難しいよ。これから浪曲やって都会で妻子を養うってのはとても無理だ。だから、落語やったらどうだ」と言われて動揺した橋本光永青年だったが、縁あってその約一年後に三木助の門下となり前座名が木久八。翌年、初高座を迎えた。

初高座

 内弟子のころは、昔はもう、楽屋ン中、歩くんでも、音を立てて歩いたら大変ですよ。畳のへり踏んじゃいけないし。静かにね、まるでペルシャ猫が歩いているように、すーっと、いつの間にか後ろへ忍び寄ってるみたいな。そういう歩き方をしてたんです。このごろは静かに歩いてると、
「おい、どうしたんだい、体の具合でも悪いの」
 なんて、聞かれたりしますがね。
 最初に教わったネタは「寿限無」でした。三木助のところでは、初めは必ず「寿限無」から。十二月十七日に入門して、で、あくる年、昭和33年の5月には、寄席に出ました。初高座は横浜の相鉄演芸場、そこで「寿限無」を演りました。浪曲やってるころにずぶん人前に出てるはずなんだけど、あがっちゃって。けっこうお客さんがいたと思うんですが、まったく顔は見られなかったなあ。
 当時の三木助は日本芸術協会(現・落語芸術協会)の所属でしたから、楽屋には幹部の先代春風亭柳橋、先代桂小文治、古今亭今輔、先代三遊亭円馬、先代三遊亭円遊、それから先代柳亭痴楽なんて師匠連がいましたね。
 前座では、とん馬さん(三遊亭遊三)と、当時は今児といってた桂歌丸さんがいました。それから、今の橘の圓さん。これは冨太馬って名前でした。歌丸さんは、太鼓がめちゃくちゃうまかった。こっちは田舎の人間だから、太鼓なんか、お祭りの時しか叩いたことないでしょ。上手な歌丸さんが、うらやましかったですよ。
 そうそう、昭和33年9月には、芸術協会で六人真打ってのがあったんですよ。桂伸治(のちの十代目文治)、春風亭柳昇、三遊亭小円馬、桂小南、三笑亭夢楽、先代春風亭柳好の各師匠が一度に昇進した。落語協会では、三遊亭歌奴(4月、のちの三代目円歌)、林家三平(9月)という売れっ子二人が真打になってます。
 三木助は、弟子への稽古は滅多にやらなかった。あたしの入門してすぐは兄弟子がやってくれた。でもあたしは、「四人癖」とか「初天神」、「手紙無筆」、「道具屋」なんか教わってます。一度、『世界画報』っていう雑誌があたしの稽古風景を取材に来て、あたしが三木助の前で聞いてる写真が大きく載ったことがありましたよ。


 三木助が芸術協会にいたからこそ、扇橋は両協会の噺家さんと交流が出来たわけだ。歌丸の太鼓かぁ・・・・・・。

 次に、昭和36年、師匠三木助の最期の場面。

 亡くなる直前だから、15日だったのかなぁ。おかみさんが台所に来て、「ちょいと。あんたのこと、お父さんが、泣いて頼んでるから、行ってごらん」っていうから、飛んでいったの。
 師匠はあたしを見ると、「俺が死んだら、小さんのとこへ行くんだ。そして、『芝浜』やってくれ」と言うんです。そして、小さん師匠に、「『芝浜』を覚えて、こいつに稽古してやってくれ」って、吐き出すように頼んでました。文楽師匠にも言ってましたよ、「稽古してやってくれ」と。あん時は、「ああ、申しわけないなァ」と思いましたね。
 師匠はあたしのことだけを頼んで、三人の子どものことも、おかみさんのことも、何にも言わない。だから、おかみさんは怒ったの、泣いたの。
「一言でもいいから、子どものことを言ってもらいたかった」
 って。情けなかったんでしょうねえ。
 最期のときは、あたしと木久蔵と二人だけしかいなかったんです。おかみさんは、向こうで何か電話をしてた。「もう、死に水とらなきゃまずいよ」ってことになって、二人で三木助の唇を濡らした。それで、すーって、引き取る感じ。吐いて死ぬんじゃなくて、吸って死ぬんだね。「息を引き取る」っていうのは、あれなんだなって思いました。まるで芝居を見ているような感じでした。おかみさんは、間に合わなかった。私と木久蔵だけで、死に水を取って・・・・・・。


 師匠三木助が、どれほど当時の木久八を評価していたかを物語る逸話である。

 しかし、五代目小さんの『芝浜』の音源は、たぶん存在しないはず。扇橋の『芝浜』は誰に稽古してもらったのだろうか。

 さて、師匠の遺言と言うべき指示に従って、木久八は目白に向かった。
 小さん門下へ

 小さん門下に移った時には、上に小せん、さん助、つばめ、あのころ小団冶っていってた先代燕路、小のぶ、かゑるだった馬風、さん吉なんて人がいる。あたしは九番目ぐらいだったでしょうか。
 三木助門下から小さん師匠のところへ行ったのは、三人。あたしと小はんさん(木久弥)と、後にやめちゃった木久次です。円輔さん(木久松)は円馬師匠のところへとか、兄弟弟子はあっちこっち分かれちゃった。木久蔵は、林家(八代目正蔵)へ行った。でも、そのおかげで、彦六師匠の物真似で食ってんだもんね。文楽師匠ンとこへ行くってのは、一人もいないんだ。まずかったと思うよ。誰か行くっていうかと思ったら、誰も言わねェんだもの。で、圓生師匠も言わなかったな。でも、あそこは弟子が大勢いたからなあ。
 目白に行ってすぐ、師匠の小さんに「俺の『さん』を付けて、さん八にしよう」って言われて、「木久八」から「さん八」に改名しました。
 そして五月には、あたしも二つ目になったけど、十日に三日は目白の師匠宅に掃除に行くんです。そういう約束なんですが、今の若い連中はなんにもしてないんじゃないかなあ。
 小三治なんかは、要領がよかったんだ。そのころね、こっちはまだ新婚で、二人だけ部屋で寝てんの。そこへ、
「トントントン、アニさん」
 っていきなり、あいつが来やがってね。
「なんだい」
「悪いけど、今日、師匠んとこ行ってくんないかなァ」
 休むときは、ちゃんと代わりの誰かを差し向けるという。で、「ちょっと待ってろ、おまえ」って、あたしがガサガサさせてたら、「やってやがったな、アニさん」なんつって。
 小さん門下は、とにかく放任主義。三木助のところとは大違いだったなあ。


 なんとも、楽しい回想である。扇橋と小三治との仲の良さが伝わる逸話の一つだ。

 小三治の入門から真打昇進は、落語協会サイトで次のように記載されている。落語協会サイトの該当ページ
1959(昭和34)年03月 柳家小さんに入門 前座名「小たけ」
1963(昭和38)年04月 二ツ目昇進「さん治」と改名
1969(昭和44)年09月 真打昇進 十代目「柳家小三治」を襲名


 同様に扇橋もご紹介。落語協会サイトの該当ページ
1957(昭和32)年12月 三代目桂三木助に入門
1958(昭和33)年05月 初高座 前座名「木久八」
1961(昭和36)年01月 三木助没後、五代目柳家小さん門下へ
1961(昭和36)年05月 二ツ目昇進 「柳家さん八」と改名
1970(昭和45)年03月 真打昇進 九代目「入船亭扇橋」を襲名


 ご覧のように、扇橋が小さん門下に替わったのは昭和36年の一月。小三治は昭和34年に入門しているので、三年目の前座として扇橋を迎え、扇橋はすぐに二ツ目に昇進したということになる。

 さて、今回の特別篇のトリは、扇橋の十八番のあの噺の伝承に関する、私にとっては意外なお話。
 林家はけっこうしゃれたものを着てましたね。総領弟子の柳朝さん(先代)の感化で、ああなったのかなァ。夏なんかアロハシャツ着て、コーヒーを淹れてました。そんな時は、いつも小はんが手伝ってた。林家は、キリマンジャロがお気に入り。こっとは銘柄なんか知らないからね、香りはいいけど、ちょっと酸っぱいなあと思ってましたよ。
 その柳朝さんが、まだ照蔵だった時、よく稽古してもらいました。よく覚えているのは「麻のれん」だね。小さんがあたしの「麻のれん」「を聞いて、「おめェ、この噺、誰に教わった?」って聞くんですよ。「照蔵アニさんからです」、「あれは、俺がおせえたんだよ」って。「麻のれん」は、小さんから照蔵のところへ行って、私の所に戻ってきたんですね。



 へぇ、『麻のれん』は、小さん→柳朝→扇橋、だったんだ!

 このネタは三代目小さんの十八番でもあった。五代目小さんは、三代目の得意ネタを三代目を尊敬していた七代目可楽から数多く教わったことは、今回のシリーズで紹介した通り。

 ということは、『麻のれん』の系図(?)は、こうなるのだろうと思う。

  三代目小さん→七代目可楽→五代目小さん→五代目柳朝→九代目扇橋

 と伝わったのではなかろうか。

 十三回忌を迎えた五代目小さんのことを思いながら、さまざまな本をあらためて読んでいるうちに、扇橋の十八番ネタの意外な系統にたどり着いた。

 末広亭の追善興行に出演が叶わなかった扇橋の快復を祈りながら、特別篇のお開きとしたい。
Commented by 佐平次 at 2014-05-21 10:28
けっこうな特別編でした^^。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-05-21 11:54
記事を書いた後でこの本で検索したら、以前の佐平次さんのブログが現われました^^
流石ですね!
胃ろうしているようですので、再び高座に出会える可能性が低いのは承知ですが、祈りを込めた書いたつもりです。
それにしても『麻のれん』のことは意外でした。

Commented by ほめ・く at 2014-05-22 19:01
昭和40年頃に、小さんの弟子でさん冶とさん八っていう有望な若手がいると評判でした。
その頃、人形町末広で二ツ目当時のさん八を観ましたが、まあ粋で鯔背で絵に描いたような江戸っ子の高座でした。後年の渋い芸風とはまた一味違ってました。
復帰は難しそうですが、立派な弟子を育てて本人も満足でしょう。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-05-22 21:19
ブログお休みの中でのコメント、恐縮です。
師匠宅の道場でも二人は鍛えられたんですよね。
たしかに、二人とも弟子をしっかり育ててくれたと思います。
昨夜の睦会でも、その二人の弟子の高座結構でした。

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by kogotokoubei | 2014-05-20 00:55 | 落語家 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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