小三治への五代目小さんの教えとは—柳家小三治著『落語家論』より。
2014年 05月 12日
柳家小さん師匠の十三回忌に馬風、山田洋次監督ら100人
“昭和落語界のドン”五代目柳家小さん師匠(享年87)の十三回忌法要が9日、東京・新宿の京王プラザホテルで営まれた。
落語協会の元会長の鈴々舎馬風(74)、同会会長の柳家小三治(74)のほか、山田洋次監督(82)ら約100人が出席、思い出話に花を咲かせた。11日からは新宿・末広亭で「十三回忌追善興行」が行われる。16日の命日には五代目の長男で六代目小さん(66)らが世田谷区の菩提(ぼだい)寺・乗泉寺へ例年通り墓参する。
[ 2014年5月10日 05:30 ]
このニュースにもあるように、末広亭五月中席の夜の部では、十三回忌追善興行が始まった。新宿末広亭五月中席番組表
そのプログラムの、なんとも賑やかなこと。私などは、入替え制のため、昼の部の主任雲助の高座への影響を心配しないこともない。外に並んだお客さんのざわめきで、トリの時間は、さぞかし落ち着かない様相を呈しているのではなかろうか。
今週は都合がつかずこの興行に行けそうにはないが、ブログでは16日まで五代目小さんに関連することを書こうと思っている。
ちなみに、昨年の2月26日には、二・二六事件と小さんのことについて書いた。
2013年2月26日のブログ
まず、先日孫弟子の三三について書いたのことからのつながり(?)で、三三の師匠小三治の本から紹介したい。
柳家小三治著『落語家論』
小三治の『落語家論』は、月報『民族芸能』に連載された「紅顔の噺家諸君」というタイトルのエッセーを中心に2001年に小沢昭一さんが発行者である“新しい芸能研究室”から単行本で発行され、その後2007年にちくま文庫として再刊された。ちなみに、私は単行本で読んだ。
このブログを書きはじめた年の2008年、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」の100回記念で小三治を特集した際にも引用した内容を、もう少し詳しくご紹介。
2008年10月15日のブログ
知る人ぞ知る逸話だが、師匠小さんから小三治が受けた、“きつ~い”一言とは何だったのか。
通常、噺家の稽古というのは、師匠の前に座ってお願いしますと両手をついて、頭を下げて、師匠がしゃべってくれるのを聞いて憶えるえわけだけれど、小さんの弟子の中で、そういう稽古をひとつでもしてもらったものが何人いつのだろう。
ボクには悲しいことにひとつもない。もっとしくこく食い下がればよかったかもしれないが、今だにひとつもない。
「噺を教えてください」
と言うと、
「芸は盗むものだ。お前はオレの弟子なんだから、オレが高座でやっているところを聞いて憶えろ。盗め。覚えたら聞いてやる」
よその弟子には向かい合って稽古をつけてるところを見たけど、自分の弟子にはこんな調子だ。よその弟子がうらやましいと思ったことが、何度あるかしらない。
ボクは、憶えたものを聞いてもらうことしかなかった。それにしたって、そこはこうやる、あそこはこうやると細かい指摘はほとんどない。その上、信じてもらえないかもしれないが、向かい合って聞いてもらったことは、ただの一度だけであった。
ボクの噺を一通り最後まで聞いた後で、腕組みして、一呼吸二呼吸沈黙があって、たったひとこと、
「お前の噺は面白くねぇな」
このひとことは効いた。グサっと心の臓を突き抜けた。しかも、どうしたら面白くなるのでしょうかとは聞けない威厳があった。そんなことは自分で考えるのだ、人に聞くもんじゃないうという、裏を含んだ口調であった。
面白くないというのは決定的なことだ。どうしたらいいんだろうと当然考える。考えたってわからないことではあるけれど、頭をかかえてしまう。ほかの師匠なら、こうやれば面白くなるということを細かく教えてくれるが、師匠小さんはまず教えてくれない。
口癖は、「その了簡になることだ」である。師匠からの噺の教訓はこの一語だけだ。
盗め!
面白くない!
その了簡になれ!
それぞれ簡単な言葉だけれど、こんな難しいことはない。
ボクは、師匠小さんはほったらかしで何も教えてくれない、と愚痴を言っている訳ではない。その逆で、よくほったらかしにしてくださいました、という気持ちでいっぱいだ。ここはこうやるんだよと親切に教えてくれれば、なんとかそのようにできるかもしれないが、それ以上のものはできなくなってしまわないだろうか。
三三も、『道灌』を兄弟子のはん治に稽古してもらい、ある日、師匠小三治が「俺の前でやってみろ」と言われて、最初の科白「ご隠居さんこんちわ」のダメ出しをされ、この言葉だけで約一時間の稽古が、師匠からの唯一の稽古だったと語っている。小三治も師匠小さんから向かい合って聞いてもらえたのは、一回のみ。
さて、「盗め」「了簡になれ」という言葉を実際に体験する場面があったことをご紹介。
あるとき、師匠が「気の長短」を演じるのを人形町末広の高座のソデで見ていて、ハッとした。気の短い方がじれてくるところがあの噺では一番むずかしいのだが(これもずっとあとになってわかってきたことだが)、その短七つぁんにハッとした。
ダラダラした長さんの話を聞いているうちに短七つぁんがイライラしてくるわけだが、イライラしてくると、座ってる師匠の足の指がピクピク動いたのである。お客さんからは、どんなことがあったって見えない場所だ。ボクはそれを発見したうれしさとあきれ返ったのとで、ボーッとしてしまった。
「その了簡になれ」
なァるほどなァ。イライラするときは足の指を動かせ、と、もし教わったとしたら、フーンそんなもんかで終わっちまっただろう。
『長短』は、小さんが盟友三代目桂三木助から教わり、その代りに小さんが『大工調べ』を三木助に教えた、という逸話がある。
マニュアル時代などといわれる今日。言われたことしか出来ないロボット人間ばかりになることと、小さんの教えは好対照ではないかと思う。
たまにマクラで、ファストフードのハンバーグ屋で「チーズバーガーとコーヒー20個づつ」と注文したら「店内でお召し上がりですか?」とマニュアル通りに聞かれた、という小咄がある。他の人にも頼まれた買出しであることを察することもなく、そういった臨機応変な対応を拒むマニュアル社会を風刺する、私の好きなネタだ。
五代目小さん、小三治、そしてその弟子へと「盗め」「了簡になれ」(本来は「料簡」かと思うが本書ではこの字)という教えが継承されることは大事なことだろう。
次は、その“料簡”に関する小さんと山田洋次の対談について、明日(か明後日)書きたいと思う。