J亭落語会 柳家三三独演会 JTアートホール 5月8日
2014年 05月 09日
会の前の野暮用が長引き、虎ノ門の会場に着いたのは開演三分前。向かっている途中で「開口一番は、諦めるか・・・・・・」と内心思いながらも三三の初の弟子小かじの成長を見ることも楽しみだったので駅からダッシュしてなんとか間に合ったのだが、彼は前座仕事のみで開口一番は・・・下記をご確認のほどを。
虎ノ門病院の隣りの、なんとも立派なJTのビルの二階にホールがあった。平坦な会場に椅子が250席ほど並べられている。フラットな客席だからなのだろう、舞台の上の高座がやたらに高い。前の方の席の方は首が疲れそうだ。
前売り券が完売だったはずなのに当日券の販売もあったような張り紙があったなぁ。開演から終演まで、結構前の方の良い席がまとめて空いていたのが不思議だ。
副題に「喜怒愛楽」の“喜”の会としてあったが、次のような構成だった。
*チケットにもJTのサイトでも「哀」ではなく「愛」なのだ。
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(開口一番 林家 扇『悋気の独楽』)
柳家三三 『金明竹』
柳家三三 『短命』
(仲入り)
柳家三三 『粗忽の釘』
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林家 扇『悋気の独楽』 (18分 *19:00~)
小かじではなかったので、落胆。内心、「急いで来るんじゃなかった」と呟く自分がいた。マクラで「林家一門というハンデを背負っています」というような表現を聞くと、洒落とは思えず、「だったら別な師匠選べよ!」と言いたくなる。まだ、身内をイジル自虐的なクスグリが似合うだけの経験も芸もない。
本編も、他の女流落語家でもそうなのだが、女性の描き方が良くない。特にお妾さんを、やや軽いノリのお茶目な若い女性として演じていたが、年増の艶っぽい女性を描くことからの逃げとしか思えない。笑ってくれるお客さんも少しはいたが、全体としては会場は冷えたまま、という印象。やや女性の二ツ目には厳しい言い方になるが、男性でもこのような高座なら同じ位のことは書く。差別しないのだ、同じ噺家なので。やはり、小かじが聞きたかったぞ。
柳家三三『金明竹』 (30分)
ゴールデンウィークの寄席が大入りだった様子や、上野動物園における珍しい動物のことなど、約8分のマクラから、意外な前座噺へ。三三では、たぶん初めて聴く。柳家なので、与太郎ではなく松公。前半の狂言を元にした「骨皮」部分から後半の上方者の言い立てまで、しっかり。
筋書は次のように師匠とほぼ同じ。稽古をつけてもらったのは誰かな、これも、はん治か。
(1)猫の髭を抜いて、松公がオジサンに叱られる
(2)店の前の掃除をしていて水を通行人にかけ、オジサンが謝る
(3)二階の掃除で水を撒き、オジサンに叱られる
(4)店番をしていると、雨宿りの人が軒を借りに来たので、オジサンの蛇の目の傘を貸す
(5)奥から出てきたオジサンに叱られ、傘を貸さない、断りの口上を教わる
(6)近所の人がネズミを捕るのに猫を貸してくれと言われ、貸し傘の断りの口上で断る。
奥から出てきたオジサンに叱られ、猫を貸さない口上を教わる
(7)隣町の相模屋さんから、目利きのためオジサンを貸して欲しいと言われ、“貸し猫”を
断る口上で、断る
(8)奥から出てきたオジサンに叱られ、オジサンは慌てて相模屋に出かける
(9)中橋の加賀屋佐吉の使いという上方訛りの商人が現われ、松公に二度、奥から女房が
出てきてからも二度、計四度、お決まりの言い立てを述べて帰る
(10)オジサンが帰宅し、女房とのトンチンカンなやりとりでサゲ
三三らしいクスグリと思えたのは、(6)の後、松に「そんなに心配なら、奥に行かなきゃいいのに」と小声でボソっと言わせるところ。これは、聴いている客の気持ちを代弁する科白と言える、なかなか結構な一言だった。上方者の言い立ての途中で、松公に向かって「よだれをふきなはれ」を三度ほど言わせる演出もあったが、私には蛇足に思えた。
どうしても私が気になったのが、四度聞くことになる上方者の言い立ての中で、「隠元禅師」を「えんげんぜんじ」と、四度とも聞こえたこと。「沢庵木庵隠元禅師」の部分は、「たくあん・もくあん・いんげんぜんじ」だと思う。上方者だから「い」が「え」と訛る、ということはないと思うなぁ。
三代目の金馬は、はっきりと「いんげん」と言っている。しかし、小三治の音源を確認すると、「い」と「え」の中間位の発音。三三は明らかに「え」に聞こえた。師匠版の影響だろうが、「い」に直した方が良いように思う。
この噺は、柳家とは微妙に言い立てが異なる三代目金馬版を元に、私も仲間内の宴会の余興で演じるので、細かいことだが、気になるのだ。
柳家三三『短命』 (20分)
高座に残ったままで二席目へ。マクラで師匠小三治の前座時代、楽屋で留さん文治(九代目桂文治)が、「あの前座は、俺を睨む」と他の師匠に漏らしていたという逸話が、その当時の小三治ならありそうで可笑しかった。
よくマクラで聞くことではあるが、三三は柳家で習う最初のネタ『道灌』を、兄弟子のはん治に稽古してもらった後、ある日、師匠から「俺の前でやってみろ」と言われ、冒頭の「ご隠居さんこんちわ」を散々ダメ出しされ、その部分だけで一時間。師匠からの稽古はこれだけだった、と振り返る。ご隠居の居る場所、その部屋の広さなどがその一言で表現できないといけない、との教え。大師匠小さんからの教えの継承なのだろうが、下手な素人落語を語る私には“警鐘”である^^
このマクラからスッと「ご隠居さんこんちわ」で本編が始まり、「まさか『道灌』!?」と思わせたのは、三三の遊び心からだろう。
もしかすると、三三のこのネタも初めてかなぁ。このネタで若手では白酒、中堅では喜多八が秀逸だが、それぞれ隠居の言い方の可笑しさ、隠居と八五郎とのジェスチャー会話、という切り札がある。三三は基本的な型を元にしていて、この人ならではの演出と言えるのは、隠居から、「もっと、思いめぐらせてごらん」と言われた八が、両手を大きく外から回して上に上げ、しばし黙考して、「生きていこう」と呟かせるあたりか。他の人にはないなかなか味のあるクスグリだった。
柳家三三『粗忽の釘』 (40分 *~21:02)
仲入り後の三席目。舎人公園で四月に花火大会があって行ったらしい。見物人の中に日本人の男と、東南アジアか南米出身かという女性の国際カップルがいて、口論が始まり、女性のたどたどしい日本語で周囲が笑った、という話などのマクラから、「赤出て行け」を「かかぁ出て行け」と聞き違える長屋の粗忽者の定番小咄をふって本編へ。
箪笥を背負ったまま元の長屋を出た亭主の道中(?)での出来事は次の通り。
(1)町内の赤と隣町のブチの喧嘩に出っくわし、箪笥を背負ったま後ろ向きに倒れて大変
(2)釣り人がいたので、つい見ていた
(3)豆腐屋が角にある路地を捜し歩いたが、八軒目の豆腐屋も見当違いで、なんとか
元の長屋に 戻り、大家に引っ越し先に連れて来てもらった。
夕方ようやく引っ越し先の長屋に着いた亭主。一服しようとするが、女房に先に箒を架ける釘を打ってくれ、と言われる。何度も煙草を吸いかけるがやめて釘を打つのだが、三三も私と同様愛煙家。吸おうとして吸えないイライラの表現に実感がこもっており、つい八寸の瓦釘を壁に打ち込む前提として説得力があった。
次に向いの家に行くのだが、亭主の頓珍漢な話のいきさつから、その家の女房が「釘さん」とか「路地さん」などと口走るのを向かいの亭主が聞いて笑いをこらえる場面が可笑しい。ようやく隣りに行ってからは、「落ち着いたら一人前」と女房に言われたこともあり、とにかく煙草を吸うこと吸うこと。J亭に相応しい演出^^
隣りの夫婦が煙に巻かれて聞く中で、夫婦ののろけ話を独演(?)する。キーワードとして登場するのが、きんぴらごぼう。伊勢屋で奉公していた女房が他の大工には出さないきんぴらごぼうを食事の時に出してくれた。そんなこともあって一緒になったが、毎日のように、きんぴら。少しの間をおいて、「きんぴらごぼう夫婦です」という一言で不思議に笑える。その科白の後、しばらく間を置いて「それでも、気が合うんですなぁ」と言うと、隣の亭主が「あなたと?」と聞き返す一言が、それまでの奇怪な行動があるだけに可笑しい。その後「これも夫婦の一つの形・・・幸せです」で会場またもや爆笑。直接的なギャグではないが、頗る可笑しかった。
雑誌「SWITCH」の落語特集を紹介した際の三三の言葉を再度引用したい。
2014年2月22日のブログ
一昨年のこの時期かな、落語を喋るのが本当に嫌になって、行き詰まってました。そんな時にたまたま、うちの師匠と話をする機会があったんです。落語がなぜ面白いのかという三分ぐらいの会話です。聴いている人に、この物語はどうなるのって興味を持ってもらえばいい。無理に笑いを欲しがっていろいろ入れると演者がしゃしゃり出て、お客さんの想像を邪魔してしまう。お客さんがスッと想像できて、うんうんって楽しめるように喋ればいんじゃないか。そんなところが面白いじゃないかっていう言い方でした。
その一言で、思い悩んでいたことや、漱石の話とか、いろいろと腑に落ちた。
「SWITCH」で三三の代表的ネタとして掲載されていたのが、実は『粗忽の釘』だ。
この噺は、鯉昇のような新作に近い内容での傑作もあるし、一之輔のように、盥での行水シーンという“キラーコンテンツ”(?)で爆笑を誘う例もある。
三三は、決して表面的なギャグで笑わすのではなく、大工夫婦の関係を、味のある言葉を効果的に散りばめて表現し、程の良い間も挟み、会場から笑いを引き出していた。師匠が言った“お客さんがスッと想像できて、うんうんって楽しめるように喋ればいんじゃないか”という助言が十分に反映された高座だったように思う。
一之輔にも感じたが、この噺は、三三が若くして結婚した奥さんとのこれまでを思い返しながら演じているのではなかろうか。志ん生にとっての『替り目』のような噺、と言えるかもしれない。だから、無理なクスグリなどより、「これも夫婦の一つの形・・・幸せです」といった科白が白々しくなく、一瞬の間のあとの自然な笑いにつながるのだと思う。滑稽噺の三三の新境地と私が感じた高座、今年のマイベスト十席候補としたい。
かつては人情噺が多く、「滑稽噺をもっと演じて欲しい」とブログで書いたことも度々ある。この会で滑稽噺三席を並べたのは、副題の「喜怒愛楽」の「喜」の会であったことを意識したからだろうが、きっと、今の三三には柳家の滑稽噺への深い思い入れがあるのだろう。また、二席目、三席目で感じたのは、人生とか夫婦ということに対する、素直な感謝の気持ちが感じられたことだ。あくまでクスグリとしての「生きてる」だったり「幸せです」なのかもしれないが、無理に笑いを狙ったものではなく、おおらかさを感じる科白として、私には印象に残った。
しかし、これだけ滑稽噺を聴くと、人情噺を聴きたい思いも沸いてくる。また『嶋鵆沖津白浪』が聴きたいなぁ、とか紀尾井ホールの『夢金』『富久』は良かったなぁ、夏には『唐茄子屋政談』を聴きたいものだ、などと思う。私とういう客は、我がままなのだ^^
帰宅途中の電車の中で思ったことだが、会場のお客さんは、噺の筋そのものの可笑しさで笑っていらしゃる方も多かったように思う。主催のサンケイリビングが販促の一環としてチケットを使っているのかどうか、詳しくは知らない。しかし、前売り完売なのに前から四、五列目がまとまって空席になっているのは、団体でキャンセルが出たかのような空き方だった。落語が会場と一体となって楽しむ“生”モノであることを考えると、演者にとっても良いことではないし、客にも「なぜ?」と疑問を誘発する。運営上の不手際を感じないこともないなぁ。
帰宅後、録画していた「花子とアン」を見て、パソコンを立ち上げ、気になる落語の音源を少し聴きながら寝酒をやっているうちに、いい気持ちになってきた。ブログを少し書こうかと思った時点で、すでに日付変更線を超えた。半分も書き終えないうちに、連れ合いから「いつまでやってんの」の一言。先週は飲み会が続いて連休の前半に親知らずが腫れたので、もしかすると、少しはこっちの体を気にかけてくれているのかもしれない。さすがに箒を架ける釘を打てとは言われなかったので、外に出て上弦を過ぎたばかりの月を見ながら、一服。
吸いながら思ったのは、JTホールでは、オープンスペースの喫煙室で吸えたこと。愛煙家にとっては嬉しい会場、なのだが、平坦な客席と高すぎる高座が、どうも落ち着かない印象も残った。今後も行くかどうかは、3,600円という木戸銭も考えると、“微妙”だなぁ。来場者に煙草を一箱プレゼント、という販促を期待したい。『粗忽の釘』の主人公と同様に私も一服すると落ち着くのだよ。私なら、そのお土産で“煙に巻かれて”あげる^^
三三のは夫婦の情愛を中心に据えた演出だったようですね。
枝雀の『宿替え』は、私の携帯音楽プレーヤーの定番の一つ。駅から家までの帰り道でこれを聴いてしまうと、思わず笑ってしまい、通りすがりの人が不思議そうな目で見ること二度、三度^^
三三は、亭主がしみじみとこれまでの夫婦生活を振り返るところが、なんとも結構でした。
まだ発展途上かとは思いますが、この噺についての三三の取組み方は良いと思います。
