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春彼岸に相応しい『菜刀息子(『弱法師)』は、上方の『火事息子』だと思う。

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写真は、四天王寺のサイトより。

 春のお彼岸、明後日21日は中日、春分の日のお休み。大阪の四天王寺では「大師会」が開かれる。四天王寺のサイトより引用。

3月21日 終日
大師会
場所 境内一円

 弘法大師の月命日、毎月21日は俗に「お大師さん」と呼ばれ、境内に露店が並び、たくさんの参詣の方が来られます。弘法大師は聖徳太子を讃仰され、若き日に四天王寺に詣でて、西門にて入日を拝する日想観を修された。この機縁により毎月21日に大師会としてのお詣りが江戸時代より盛んになったと言われております。この日は、中心伽藍を無料開放し、五重塔最上階回廊も開放しております。また、境内一円に食べ物のお店や日常品、アンティークなどの露店が出ます。 お詣りがてら覗いていかれるのも一興です。



 春のお彼岸に旬な噺は上方にある。『天王寺詣り』もそうだが、この噺は春でも秋の彼岸でも該当しそうなので、春彼岸ということで『菜刀息子(ながたんむすこ)』、別名『弱法師(よろぼし)』を取り上げる。

 昨年の三月、まさに旬な時期、ざまで桂文我の見事な高座に出会った。その時の記事を土台に、粗筋をご紹介。
2013年3月10日のブログ

 主な登場人物は、商売の内容は詳しくは分からないが何らかのお店の旦那、その女房、一人息子の俊造、家出をした俊造を探しに行くのが出入りの熊吉(熊五郎の場合もある)だが、この噺の特徴として他にも声だけで登場する多くの出演者が脇を固める。

(1)父親が息子俊造を叱るところから噺は始まる。紙を裁断する断ち包丁を買って来いと俊造を使いに出したのに、菜や大根を切る菜刀(ながたん)を買ってきた、と言って息子を責める父親。何とかその怒りの矛先をそらそう、息子を庇おうとする母親。しかし、父親の出て行って苦労をして来い、の言葉を真に受けたのか俊造は家から姿を消した。

(2)時間の経過が、巧みに表現される。
 鍋ぁ~べ焼ぁ~き~うど~ん。この後に、カラスが「カァ~」(文我は扇子で顔を隠して、「カァー」)
 さて、翌日深夜になっても戻らないので、出入りの熊吉が呼び出され、親戚を訪ねる。この時の複数の訪問先とのやりとりは、最初は一軒づつ語られるが、その後は訪問先の返事を、「俊造はん、いいえ、宅へは来てはらしまへんで」「うちには、来てへんで」「ここんとこ顔を見てへんなぁ」などと畳み掛けるた部分が結構だった。

(3)この噺では、この手の畳みかけで時間の経過を表現する演出が他にもある。俊造が家出してからの時間の経過を、物売りの声で語る。
 ここからは、私の記憶も曖昧なので、いつもお世話になっている「世紀末亭」さんの「上方落語メモ」からご紹介。
 実は、桂吉朝最後の高座の記録であることが、このページを見て分かった。「世紀末亭」さんサイトの該当ページより

 竹ぁ~けの子ッ 蕗やぁ~竹ぁ~けの子ッ
 葦ぉ~しやスダレは要りまへんか~い
 金魚ぉ~え 金魚ぉ~ッ
 蓮やぁ~オガラ 白蒸しの~ぬくぬく~
 さぁ~や豆ぇ~ 鉄砲豆ッ
 ミカンどぉじゃい 甘いおミカンどぉじゃい
 おぉ~しめ縄 飾り縄ぇッ
 七草ぇッ 七草ぇッ
 鍋ぁ~べ焼ぁ~き~うど~ん


 文我は、ミカンはなくて、スイカがあったように思う。モノ売りの声で四季の流れを表現し、さて七草になり、寒い夜「鍋ぁ~べ焼ぁ~きうど~ん」屋の声の後に、カラスが「カァ~」と鳴く。

(4)一年がたち、春の彼岸。熊さんがお供えを持ってやって来た。
 その後の夫婦の会話を、「上方落語メモ」から吉朝版で引用。

女房 「お仏壇へ供えとくなはれ」言ぅてくれはった、親切なもんだすなぁ。これがホンマのお供養やと思てな……、これ、見てるか? 綺麗なやろ、何で死んだんや、辛かったんか……
 お父っつぁん、あんたもなぁ、あの子のため思て言ぅたっとくなはったんだっしゃろ、そらよぉ分かってます。せやさかい、恨みには思いまへん。恨みには思えしまへんけどもな、たまにはだっせ、たんまには「えらい可哀相なことをした、わしの言葉がきつかったんと違うやろか」と、ちょっとぐらい思てくれはってもえぇんと違いまっしゃろか。
 なぁ、お父っつぁん、お父っつぁん……、ここはあんたとわたいと二人だけだっせ、何でホンマのこと言ぅとくなはらん。お父っつぁん、あんたも悲しぃて悲しぃてたまりまへんねやろ? お父っつぁん、何であんた……
 また、癖が出てしもた。何でこない愚痴になってしもたんやろなぁ、あんたの心持ちはよぉ分かってるはずやのに。けど、今日はえぇお天気だすなぁ
旦那 ホンに、そぉじゃなぁ、今日は中日か?
女房 そぉだすがなお父っつぁん、お彼岸の中日だっせ。天王寺さんへ参ったげとくなはれ、な、なにかには、なにかに別として天王寺さんだけは参ったっとくなはれ。
旦那 そぉじゃなぁ、遊びがてらブラブラ行ってもえぇなぁ
女房 「遊び……」そぉだすなぁ、体にも薬だっせ
旦那 いつ出かける?
女房 わたいはいつでも
旦那 そぉか、羽織
女房 へぇ……


 私はこの噺を上方版の『火事息子』と位置付けているが、上方らしく、女房の口が達者である。

(5)二人で天王寺さんへやって来た。『天王寺詣り』ほどではないが、境内の露店の呼び声が登場。
 

 おみやお買いやぁ~す 豆板お買いや~す
 亀山のチョ~ンベはん 亀山のチョ~ンベはん
 孫の手どや、孫の手。二銭に負けといたろ
 そぉら、えぇ孫の手や、でや孫の手買わんか?
 本家ぇは竹ゴマ屋でござぁ~い(ブゥ~~~ン)
 どなたも休んでおいきやす、どなたも掛けて一服しておいきやす
 どなたも休んでいっとくなはれ、どなたも一服しとくれやっしゃ……


 
 女房は、東京で言う乞食、あるいは物乞い、上方のお薦(こも)さんに施しをしようとする。

 そこで旦那が言う言葉がサゲに関係するので、ご紹介。

旦那 あのなぁ、乞食に銭やんのもえぇけど、只やったらあかんで。
女房 はぁ
旦那 何なと持ってるもん買ぉてやんのんじゃ、な、灯芯(とぉすみ)の三本でも、辻占の一枚でも持ってたら、それを買ぉてやっといで。ただ銭やったらやるほぉも損や、もらうほぉかて冥加が悪いわい。何なと買ぉてきてやれ。
女房 はぁ、けどたいがい何にも持ってぇしまへんで
旦那 あぁ、ほなな、何なと言わしてやり「みぎやひだり」でも「どぉぞいちもん」でも「なんぎふじゅ~」でも何でもかまわん、それをな言わしてから銭をやんのんじゃ。な、それがあれらの芸じゃ。
 あれらかて苦労しとるわい「どないしたら可哀相に聞こえるやろ? どないしたら哀れに思てもらえるやろ?」と思てな、一生懸命苦労して声出しよる。その声聞ぃてから銭をやんのんじゃ、えぇな、ただやったらあかんで。



(6)女房が施しをするお薦の中に、何と息子が・・・・・・。
 慌てて夫の元に戻って来てからの会話を、少し長くなるがご紹介。

女房 お、お父っつぁん
旦那 あ、熱ッ。何じゃい?
女房 せ、せがれ、せがれ…
旦那 何じゃて、せがれが生きてよった、生きてよったせがれが? え、一年ものあいだ誰の世話にもならんと生きてたか、そぉか……
 会ぉてやりましょ、どこにいてんのんじゃ、会ぉてやりましょ、え、どこに立ってんのんじゃ?
女房 立ってやしまへん、座ってます
旦那 座ってる? 座るとこなんぞあるかい? え、鳥居の根元? 石の鳥居かい……
 去(い)の、人違いじゃ。帰ろ。せやないかい、今現在、引導鐘を撞いてもろたとこじゃ、そのせがれが生きてるはずがないやないか、帰ろ
女房 いなしまへん、いなしまへんで……
 お父っつぁん、あんたなぁ、久し振りに会ぉたせがれが出世してたら会ぉてやろ落ちぶれてたら黙って帰ろ、そんな無慈悲な母親はいやしまへん。父親(てておや)知りまへんで、父親(ちちおや)の気ぃは知りまへんけどなぁ、お腹痛めて産んだ子ぉの顔忘れるよぉな、そんな母親はいてしまへんねん。お父っつぁん、あんたなんといぅ無慈悲な……
旦那 これッ、婆さん。あんた罰(ばち)が当たるで、ホゲタがいがむで。せやないかい、父親も母親も親といぅ字に変わりはないわい、久し振りに会ぉたせがれじゃ「よぉ生きててやってくれた、あの時はわしが言ぃすぎた、さぁ帰ろ。もぉどこへも行ってくださるな」言ぃとぉて言ぃとぉてたまらんわい。
 そぉやって家(うち)連れて帰ってどぉなる? 「あぁ、これ着ぃ、これ食え」猫かわいがりに可愛がってたら、そら親のこころは満足じゃろ、それであいつがどぉなると思う? えぇ、せやないかい、あんたあれの傍へ一生涯付いててやれるか? やりょ~まいがな。
 老少不定(ろぉしょ~ふじょ~)と言ぅても、年いたもんが先に行くのは順当じゃ、今にもふた親が目をつぶいだら、あれはどぉなるんじゃ? それでのぉても辛(から)い世間「あぁ、この人はアホじゃないが気があかん」身を捨てて庇ぼぉてくださる人があると思うのか?
 その日ぃから路頭に迷よぉてあっちぃブラブラこっちぃブラブラ、ここで小突かれ向こぉでどつかれ、病犬のよぉになって野垂れ死ぬのが目に見えるよぉじゃわい。それなりゃこそ、若い時のもぉひと苦労、さしてやれと言ぅのじゃわい。
 父親のな、父親のこころにはこっから先の我欲も混ざらんのじゃい。なればこそ、血の涙を流してここのとこは「帰ろぉ」と言ぅのじゃ、分からんのか婆さん。
女房 すんまへん……、よぉ~お分かりました。女といぅのは幾つになってもあかんもんだすなぁ。いにまひょか
旦那 いの……、あぁ姐さん、それみたらし団子か? それ十(とぉ)ほど包んどぉくれ、いやいや遠くへ持って行くんじゃない、そこにあるのは餅か? それも上へ乗しといとぉくれ。
女房 お父っつぁん、何をしてなはんねん?
旦那 婆さん、これ、乞食にやってけぇへんか
女房 へッ、へぇ
旦那 言ぅとくで、ただやんねやないで、なんなと言わすねん。それを聞ぃてからやんねやで
女房 へぇ……
 お薦はん、おこもはん、あの旦那はんから施しだっせ。これ、あんたも物もらうときに何なと言ぅことがおまっしゃろ、大きな声で言わなあけしまへんで、な、大きな声で言ぅてみなはれ。
俊造 へぇ……、菜刀誂えまして、難渋いたしております~。



 題名の『弱法師』は、俊徳丸伝説に基づく四天王寺を舞台にした謡曲『弱法師』からきているのだと思う。Wikipediaの「俊徳丸」より伝説と謡曲の概要を引用。
Wikipedia「俊徳丸」

 河内国高安の長者の息子で、継母の呪いによって失明し落魄するが、恋仲にあった娘・乙姫の助けで四天王寺の観音に祈願することによって病が癒える、というのが伝説の筋で、この題材をもとに謡曲の『弱法師』、説教節『しんとく丸』、人形浄瑠璃や歌舞伎の『攝州合邦辻』(せっしゅうがっぽうがつじ)などが生まれた。


謡曲『弱法師』

 俊徳丸伝説を下敷きにした能。四天王寺を舞台とする。観世元雅作。他の俊徳丸伝説より悲劇性が高く、俊徳丸は祈っても視力が回復せず、回復したような錯覚に陥るだけである。題名は普通「よろぼおし」と読むが、謡曲の本文中では「よろぼし」と読む(金春信高注釈 『弱法師』)。



 最期は、大店の大旦那としての厳しさを見せ、息子にあえて苦労させようということで終わる。

 この噺も『火事息子』も、その後に息子が、あの親子がどうなるのか案じられないこともないが、あくまで落語。サゲでお開き^^

 東京『火事息子』は、道楽が嵩じて臥煙になり、上方『弱法師』は、気の弱さからお薦さんになる。設定は違うが、父親と母親の子どもへの情愛表現の違い、許したいが許せない父親の葛藤など、この二つの噺で表現されるものには共通項が多いと思う。

 春彼岸に相応しいネタ、私は“なかなか(菜刀)、よろし(弱法師)い”と思いますが、いかがですか(苦しい042.gif)。
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by kogotokoubei | 2014-03-19 06:49 | 落語のネタ | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛