NHK BSドラマを見て、遅ればせながらのご紹介—『いねむり先生』
2014年 03月 03日
このドラマは、伊集院静の『いねむり先生』を土台にしている。NHKのサイトから引用。
NHKサイトの該当ページ
作家・伊集院静は、妻の死をきっかけにアルコール中毒にかかり、心身ともにボロボロの状態に陥っていた。そんな伊集院を救い、作家の道へと立ち直らせたのは「先生」=色川武大との出会いだった。伊集院は、誘われるがまま、競輪場を巡り夜な夜なマージャンに明け暮れる「旅打ち」に出る。二人が旅した時期に、色川が執筆していたのが最高傑作といわれる「狂人日記」。生きる哀しみとそれに寄り添う生き方を問いかける実話ドラマ。
色川武大を國村隼、伊集院静の役を村上淳が演じた。
先に小言を一つ。
ドラマでは、二人で競輪場への“旅打ち”に行く途中の電車の中で、突然色川武大が発作で震えだす場面がある。それは、“丸い”蜜柑を見て、という設定だったのだが、原作とは違う。

伊集院静『いねむり先生』(集英社文庫)
その場面を原作から引用する。昨夜の伊集院は、サブローという名になっている。
お茶を買って席に戻ってみると、先生の様子がおかしかった。
うずくまるようにしたまま下を向き、目を閉じている。
目の前に開いた弁当は食べさしのままで箸の一本が足元に落ちていた。
—どうしたんだ?身体の具合がどこか悪いのだろうか。
先生の様子があかしい。
—発作か・・・・・・。
ボクは一瞬、そう思った。
膝の上に置いた手は握り拳をこしらえて、その指が震えていた。
ボクは先生の顔を覗き込んで耳元でささやいた。
「先生、先生」
返答がない。
「先生、大丈夫ですか?」
先生はボクの声が聞えたようで、二度、ちいさくうなずいた。
そうして握っていた拳をゆっくり開いて握り、大丈夫だからと言いたげな仕草をした。
大丈夫と言われても額から汗が噴き出して鼻先や首筋に流れ落ちていた。
(中 略)
デッキに出て、Kさんに電話を入れた。
「すいません。サブローですが、小銭が切れそうで・・・・・・」
「サブロー君、今、どの辺りを電車は走っているの?」
「静岡辺りだろうと思いますが」
「あのね、窓から富士山は見えてたかい」
「えっ、富士山って、あの富士山ですか」
「そう」
「たしか窓を開けて競輪の話をしてましたから・・・・・・。でも今はカーテンを閉じてありますが」
「君が閉じたの?」
「いいえ」
「じゃ、それだよ。富士山のせいだよ」
「えっ、何とおっしゃったんですか」
「だから、具合がおかしくなったのは富士山のせいだよ。あのね、君に話しておかなかったけど、先生ね、尖ったものを見てるとおかしくなる時があるの」
「・・・・・・尖ったもの?」
「そう鳥のくちばしとか、円錐形のものもダメなんだ。恐怖でおかしくなるんだ。富士山が見えなくなれば元に戻るから。悪いけど徹夜明けなんで切るよ」
「は、はい・・・・・・」
丸いものと、尖ったものでは、極端に違う。なぜ、ドラマで間違えたのか不思議だ。
蜜柑は“円錐形”とは言えないだろう。
まさか、“円錐”を“円”と勘違いした・・・・・・。
まさか世界遺産になった富士山に敬意を表して変えた?
文中のKさんは、今ではネットなどで明らかになっているので、黒鉄ヒロシであることを補足。
さて、この本については、もっと前に取り上げようと思っていたが、延び延びになってしまった。
文庫が出るのを待っていたせいもある。それでも昨年8月に文庫化されてすぐ読んだのだが、なかなか書くきっかけがなかった。だから、NHkのドラマは、小言を言うネタの提供(?)も含め、書くためのきっかけを作ってくれたのわけで、感謝すべきかもしれない。しかし、國村隼はまぁまぁだったが、伊集院役が少し弱かったかなぁ。
昨年9月にテレビ朝日で西田敏行、藤原竜也でドラ化化されたらしいが、見ていない。漫画化もされているらしいが、そちらも未見である。
伊集院静については、2011年の4月26日に、こんな記事を書いた。2011年4月26日のブログ
-----2011年4月26日の記事(抜粋)---------------------------------
私は仕事や私用で大容量のデータなどを送る場合、「宅ふぁいる便」を使うことがある。「宅ふぁいる便」のサイトのエンターテインメントの一つに、「私の職務経歴書」というシリーズがあり、最新の第5回は仙台で被災した伊集院静さんへのインタビューである。非常に興味深い内容なので、リンクさせていただく。
「宅ふぁいる便」サイトの“私の職務経歴書”伊集院静
長いインタビュー記事で、読み応えがある、一部紹介したい。まず、冒頭の部分から引用。
伊集院さんはエッセイ『大人の流儀』(講談社)の中で、これまで多くの危険を経験してきたと書かれています。ですが今回、仙台のご自宅で経験した地震は、その中でも特別な体験でしょうね?
「もちろんです。そしてそれは、とても不幸なことです。私が仙台に居を移したのは16年前のことですが、そういう場所を選んだということは、人間として手ぬるくなっていたのかもしれません。
私が仙台に移り住んだのは、そこが今の女房(女優の篠ひろ子さん)の故郷だったからです。幸いなことに、女房を含め、身内が命を落とすようなことはありませんでしたが、引っ越しをする際、私は海沿いの土地に家を持つことを提案したんです。私は瀬戸内の海辺で生まれ育ちましたからね。
それでも、海辺ではなく高台に家を建てたのは、女房の母親の『神主が来てお祓いした土地は、10年住まないと本物にならない』という話に従ったからです。昔の人の言うことは、90%は間違いがないということを私は知りました。女房たち家族は16年前、私の意見を退けたことで、自分の命を救ったわけです。
私にとってこれは、死というものが生と紙一重であることを改めて実感した体験でした。2年前、地震に備えて耐震工事をすませておいたのは正しい判断だったし、非常食や手回しラジオなどの防災品を用意しておけと命じたことも功を奏しました。言われた通りに備えをしてくれた女房には、感謝をしなければいけません」
「昔の人の言うこと」を聞くことの重要性について、なんとも説得力のある裏づけと言えるではないか。この後に、“あの人”の「天罰」発言について、こう答えている。
この震災を「天罰」と意味づけした人がいましたが、人生の中で、被災を経験するということに何か意味はあるのでしょうか?
「いえ、意味などありません。地震というのは、地球が起こしているんです。天罰でもなければ、神の啓示でも何でもありません。
そもそも津波という語は、慶長16年(1611年)に発生した慶長三陸地震の記録で初めて出てきた言葉ですが、そのときは住民の9割が亡くなったそうです。しかしその後、被災地は見事に復興しました。今回の震災についても、同じことが言えます。復興は、必ず行われるでしょう。もしかすると、以前よりよくなるかもしれません」
前妻の夏目雅子さんのことについての内容も印象的だ。
夏目雅子さんが亡くなったのは1985年9月11日です。伊集院さんにとって、そのことを語るには25年もの年月が必要だったわけですね?
「死は哀しいものです。しかしそれは、『二度と会えなくなる』という意味において、それ以上でも以下のものでもありません。そのことに気づくには、それなりの時間がかかったけど、哀しみには終わりが来るんです。
私は、数年前に観た映画のこんなセリフに心を打たれました。チェチェンの老婆がそこで、こんなことを語ったんです。『あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終わりがあるのよ』と」
私は未見だが、伊集院さんが見た映画は『チェチェンへ アレクサンドラの旅』かと察する。老婆の、哀しみにも終わりがあるのよ、という言葉が心に響く。
最近発行されたエッセイ『大人の流儀』と自伝的小説『いねむり先生』、両方さっそく読もうと思っている。伊集院さんなら、その印税を有効に使ってくれそうな気がするし、何と言っても、前者は“小言幸兵衛”と波長が合いそうだ。後者は落語愛好家でもあった色川武大さんのと交流がたっぷり書かれているらしいので、これまた楽しみ。最近読む本は原発関係書ばかりだったこともあり、一息つくことも必要だろう。読後、感想を書かせてもらうつもりです。
-----2011年4月26日の記事はここまで---------------------------------
この「宅ファイル」サイトの記事は、まだ残っているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
この記事の後、『大人の流儀』はすぐに読んで記事にしたものの、『いねむり先生』は、ようやく今になって取り上げることになってしまった。
それにしても、“復興は、必ず行われるでしょう。もしかすると、以前よりよくなるかもしれません”と語った伊集院静は、三年たっての今の状況を、どう語るだろうか。
さて、『いねむり先生』のこと。
なぜ“いねむり”先生かは、有名な話ではあるが、ナルコレプシーという睡眠障害の病気のため色川武大は、突然いねむりしてしまうから。この先生が、伊集院静の人生において、非常に大きな存在となる。
この本、なぜ昨夏読んでいたのに紹介するのが長引いたのか・・・・・・。
伊集院静の自伝“的”小説なのだが、あくまで、色川武大との交流を中心にしている内容。その色合いは決して明るくない。妻の夏目雅子が亡くなった後、アルコール依存症、ギャンブル依存症などで心身共にボロボロになってからの伊集院が、色川武大という人生の師に出会って、小説家として再出発する直前までが時間設定。だから、明るくなりようがない。
もちろん、色川武大と周囲の人達との交流は楽しいものもある。
“旅打ち”に行った一宮でJAZZの看板を見つけ、その店に入る際の次のような記述なども、私にはうれしい。
「あのネオン、JAZZと見えるんですが」
路地の一番奥にあったので、ボクも目を細めて、そのネオンの文字を見た。たしかにJAZZと書いてあり、店名の方は半分消えていた。
「本当ですね。JAZZってなってます」
途端に先生が白い歯を見せて笑った。
宝物でも発見したように笑い出した顔を見ていてKさんの言葉がよみがえった。
「好きなものが多い人でね・・・・・・、映画だろう。ボーボビルというか軽演劇だね。それと落語だ。それからJAZZ、JAZZはちょっとしたもんだよ。あとは相撲と、・・・・・・ええっとそれからドラッグに、あっ、忘れてた、喰い物だ。これは驚くよ」
落語、相撲、JAZZ・・・・・・我ら居残り会仲間との共通点が、なんともうれしい。
お笑いやJAZZだけなら良いのだが、“ドラッグ”が、色川武大を幻覚で悩ませることになる。それは、伊集院が悩む発作と幻覚体験への理解にもつながるのだが、それらの描写は、やはり明るいとは言えない。
よって、ブログで書こうと何度か思ったが、どうしても暗~い気分にこちらも惹き込まれてしまって、書くことを躊躇っていた。
しかし、NHKのドラマを見て、ようやく書く気になった。あえて、伊集院静(サブロー)が重い発作と幻覚で悩まされる部分を紹介したい。場所は新潟の弥彦競輪近く、観音寺温泉。文中の“男”とは宿の近所に住む男。
葉桜になった木の下にボクと先生と男は座っていた。
月が中天に昇ろうとしていた。
先生は老婆が持たせてくれたバスケットの中の鶏身を美味そうに食べていた。
ボクは一升瓶に入ったにごり酒を茶碗に注いで飲んだ。
背後の雑木林から山鳩の鳴き声がした。目の前の水田から、時折、魚だろうか、水の跳ねる音がした。
「フィッシュ・アー・ジャンピング・・・・・・」
男が歌っていた。
先生はその歌に合わせるように、大きな身体を揺らしていた。
「サマータイム・・・・・・」
男の歌声が急に甲高くなった時、背後の雑木林からゆっくりした調子で聞こえていた山鳩の鳴き声がにわかにせわしくなった。
—どうしたんだ?
どこからともなくざわめきが聞こえた。
—これはもしかして・・・・・・。
ボクはうしろを振りむきたかったが、それができなかった。
怖かった。男の歌声はさらに高調子になっている。怖くて男を見ることもできなかった。
歌声も、鳴き声もテンポがどんどん速くなっている。そうしてそれらの声が遠ざかる。
その時、車輪の響く音がかすかにした。
太鼓の音もした。
ボクは唇を噛んだ。
—よりによってこんな時に・・・・・・。
ボクは膝の上に置いた手でズボンを鷲づかんだ。
車輪の音が少ずつ大きくなっている。
発作が始まろうとしていた。
ボクは顔を上げて棚田のむこうにある山を見た。遠景を、空とか海とか、かわらずにそこにあるものを眺めるのがいいと医者に言われていた。
(中 略)
取り囲む馬車が迫ってくる。目の前を一台の幌馬車が駆け抜けた。ボクはあわてて身をのけぞらせた。すぐに背後からボクの頭の上を一頭の馬が飛び越えて行った。今度は首をすくめて、その場に四つん這いになった。顔を上げると、正面から裸馬に乗り顔に白いものを塗りたくったインディアンが一人、斧を手にこちらに向かってくる。
ボクを狙っている。ボクはあわてて四つん這いのまま泥水の中を右に左に駆けずり回る。
(中 略)
「助けてくれ」
怯えた犬のようにうろたえながら、ボクは泥水の中を逃げまどっていた。
その時、四つん這いになって泥水の中に埋っていたいたボクの手がゆっくりと何かにつかまれたような感触がした。ボクは思わず手を引っ込めそうになったが、もう片方の手にも、その感触が伸びて、ボクの両手は何かに包まれたようになった。
生暖かい感触だった。
包まれた手が静かに持ち上げられ、顔を上げると、そこに先生の顔が月明りに照らされていた。
「大丈夫だ」
先生は言った。
「大丈夫だよ。連中は去って行ったよ」
「・・・・・・」
ボクは何も言うことができず、ただ何度もうなずいていた。
そうしてボクは意識を失った。
この後、目を覚ましたサブローは、先生と男と一緒に酒を飲み、水田に入って泥だらけになって子供のようにはしゃぐのだ。
サブローの発作は、これを機におさまった。
「大丈夫だよ。連中は去って行ったよ」と言う先生にしか、サブローの発作と幻覚の怖さを知ることはできないだろう。
この本は、博打と同様に心の病を共有(?)する師弟の交流を、あくまで淡々と描く。そこには、綺麗ごとなど存在しないし、作者は自分の最悪の時期の失態を隠そうともしない。なぜなら、酒に博打に、借金にもがき苦しんだ過去を明らかにしなければ、そのどん底を救った“先生”の存在の大きさが浮かんでこないからだ。
伊集院静は、色川武大という師に巡り合って、どん底の哀しみから救われた体験が、彼に大震災で苦難の生活を強いられている人々に向かって「哀しみにも終わりがある」と語らせているのだろうと思う。
もちろん、まだまだ大震災とFukushimaによる哀しみは終わろうとはしていない。その終わりを一日でも早くする責務を持つのが誰か、どんな組織かは言うまでもないだろう。
病気と自慢話ばかりの会合くらいつまらないものはありません。
きっと佐平次さんとも話が合っただろうと察します。
しかし、居眠りするのが難点^^
居残り会では、伊集院静のことになると、「いい女ばかりと一緒になりやがって!」というやっかみになりますけど、彼も結構苦労しとるのですよ。
伊集院が、色川御大との交流によって、どのように救われていったのか興味があったからなのですが、美文家の筆は、実にもの悲しい一篇を仕立てていました。これは読んでいて切なかったなあ。
先生とサブロー(伊集院)との“旅打ち”でのさまざまな出来事は、楽しい面もあるのですが、紹介した幻覚の部分などは、哀しいですね。
時たま、KさんやIさんなどが登場する場面で、少しホッとするのですが、全体は暗くて重い。
そんな訳で記事にするのを躊躇っていた次第です。
西田と藤原のテレ朝のドラマがどんな演出だったか知りませんが、決して明るいドラマにはならないでしょう。
しかし、それも人生の実相なのだと思います。
色川武大という人を知るためにも、なかなか良い本です。
