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小朝が、“守り、創り、壊す”ものとは、いったい何か—「Switch」より。

先日紹介した「Switch」の3月号、特集「進化する落語」を読んで、気になった点について書きたい。

 それにしても、表紙の一之輔の写真が刺激的で、電車の中で広げて読む際、少し躊躇させる^^

小朝が、“守り、創り、壊す”ものとは、いったい何か—「Switch」より。_e0337777_11114288.png

(「スィッチ・パブリッシング」サイトより借用)
「スイッチ・パブリッシング」サイトの該当ページ

 なお、Amazonにもレビューを書きました。(ニックネームは“幸兵衛”ではありません)
「Switch」2014年3月号


 さて、同書にある、小朝が千原ジュニアとの対談で語った内容。

小朝 前から僕は言っているんですが、「守る、創る、壊す」という三つの
    作業がこれからの落語には本当に大事になってくると思っているん
    です。落語というのは昔の日本人の庶民の日常を描いたものでも
    あって、そこで使われていた言葉を伝承していく役目もあると思
    うんです。日本文化を守るというかね。例えば「高ぇところから
    の言い草」なんていう言葉がある。これを今でいうと、上から目線
    でものを言うっていうことなんですけど、語感がまったく違うでしょ。
    若者にもわかるように直していくと犠牲になっていく言葉があるわけ
    で、だから守るべきものは守るし、壊さなくちゃいけないものは壊す。
千原  なるほど。
小朝  亡くなった古今亭志ん朝師匠がよくおっしゃっていたことなんで
     すけど、「芸事というものは自分のレベルより一段下げてやりな
     さい」と。自分の思っているレベルでぶつけていくと、お客さん
     がついていかれなくなるよということなんだけど、今のお客さん
     の噺に対する理解力や想像力で考えると、三段階ぐらい落とさな
     いといけない。だからと言ってどんどんわかりやすくしていくの
     はとても危険なことだと思ってます。
     ジュニアさんの世界ではどうですか?
千原  結果的にそこでずっと戦い続けた奴が残っていくような気がして
     ますね。例えば「倍返し」とか「じぇじぇじぇ」というワードを
     使ってしまった時点で終わりだなと思うんです。安易な方向に行
     かずにいかにやれるか   が重要というか。
小朝  ある天才的な絵描きさんに「モットーとしていることは何ですか?」
     と訊いたら、「描き足りないように描くこと」と言ったんです。
     僕はその考え方は日本文化の特徴のひとつだなと感じているん
     です。日本には少し手前で止める。寸止めの美学、あるいは中庸
     の美というものがあって、その余白をお客さんが頭の中で埋めた
     り、また余韻も生まれてくる。今のお客さんは描き足りないと
     満足してくれない。ここで踏ん張らないとまずいなという危機
     感を僕はずっと感じています。
      今の落語は少しずつコント化してきてますからね。会話の
     面白さに重点を置き過ぎてしまって、その会話をしている人
     物像がぶれたり、どんな場所でされているのかという情景が
     見えてこない。僕らはギャグという言葉を使わずに、「くすぐり」
     と言うんですが、文字通り、ちょっとクスっとくるところ
     どころが落語の特徴のひとつなんです。でも、そこに何か
     強烈なものをポンと入れるとお客さんがウケるから、
     ついついエスカレートしていく傾向があるんですよね。
     ですから僕の場合は昔風のやり方がいい噺とかなりアレンジ
     した噺の両方をやっているんですけど。


 最後の“昔風のやり方”と“アレンジした噺”について、小朝は高座でどう表現しているのかが、少し気になる。

 私は、ちょうどこのブログを書く少し前から、意図して小朝の独演会に行ったことがある。たしかに、彼は上手い。地噺で観客をドッカンドッカンさせるのはお安い御用だし、古典にしても、同じ頃に三三でも聴いた『唐茄子屋政談』に、格の違いを感じたものだ。

 しかし、2010年の5月3日、横浜にぎわい座での独演会以降、私は小朝を聴いていない。
2010年5月3日のブログ
2010年5月3日の昼夜二回口演の昼の部の構成は、次のようだった。
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(開口一番 春風亭ぽっぽ 悋気の独楽)
春風亭小朝 猫の皿~七段目
(仲入り)
春風亭小朝 こうもり~越路吹雪物語
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 小朝は終始、釈台を置いての高座。『猫の皿』が15分、『七段目』が12分。この二席は、短いながらも噺のエキスをしっかりと演じる高座で、トリネタに期待をさせてくれた。そして仲入り後、『こうもり』10分、最後のネタが25分。

 開演から終演まで1時間40分の会について、次のように書いていた。

 どちらかと言うと客に媚びたと思われる作品で2時間にも満たない落語会を終わらせる“金髪の噺家”の姿に、「今日こそは、かつての小朝の姿が見られないものか」と駆けつけた私を唸らせるものは、何もなかった。せっかく中入り前の落語に、この人の芸の片鱗をかいま見た思いがあったので、残念でならない。中入り前で帰ったほうが印象は良かったかもしれない。「夜の部」だって午後4時開演で6時前にお開きなら、「宵の部」だろう。もしかすると、同じネタでの二回口演かもしれない。誰かがブログで書いてくれることを期待しよう。

 いつか、釈台を使わない、落語長講二席の独演会をするまでは、この人の会には行かなくてよさそうだ。力も技もある。しかし、このような余力たっぷりで、たまにしか寄席や落語会には来ないだろうと思われる平均年齢の高い客層の受けばかり狙った会にばかり出会うと、この人への未練のある落語ファンだって、そのうち足は確実に遠のくだろう。同じにぎわい座を満員にする志の輔、談春、喬太郎達に、いまさら「噺」で対抗するような気持ちは、サラサラないようだ。“省エネ落語会”であり、“ビジネスマン落語家”としての印象が、また強くなった。

 小朝が今日話した中で、「あの志ん朝師匠も高座に上がる前には緊張して、手のひらに人の字を書いて飲み込んだ。越路吹雪がステージに上がる時は、マネージャー役の岩谷時子さんが背中に虎の字を書いて背中を押してあげると緊張感がとれた」という内容が印象に残るのは、今日の落語会でそういった緊張感をご本人が感じたとは到底思えなかったからである。

「落語界の綾小路きみまろか、あんたは・・・・・・」と呟きながら、ゴールデンウィークでにぎわう桜木町の駅に向かっていた。帰りの電車賃がもったいなく思えた落語会は久しぶりだった。


 最近の小朝の独演会がどういう構成が中心なのか知らないので少しネットで調べてみたら、古典&地噺の構成が多いのは変っていないようだ。短いネタをつないで演じることも、続いているようだ。

 しかし、落語会の感想を書いているブログは少なくないが、今回「春風亭小朝 独演会」でググってみたところ、なんとヒット数が少ないことか。彼の落語会には、ブログで書くようなお客さんが極端に少ないことの証左だとするなら、それは彼にとって良いことなのかどうか・・・・・・。

 
 「Switch」の内容に戻る。まさか、四年前のあの会の、『猫の皿』や『七段目』などの縮め方が、小朝の言う“寸止め”や“中庸の美”ということではなかろう。あの会では二席づつ四つのネタを披露していたのだが、私には、談志の『落語ちゃんちゃかちゃん』の小朝版のような思いがした。あえて言うなら、客に媚びた構成なのだ。

 志ん朝の言葉である、“自分のレベルより一段下げて”は、実に含みのある言葉で、解釈次第で変わってくる。

 もし、小朝が独演会でよくかける『池田屋』のような地噺に今日風のクスグリを入れて会場を笑わせることが、“一段下げる”ことと彼が思っているようなら、私は違うと言いたい。

 「守る」「創る」「壊す」という言葉は、示唆に富む。

「Switch」の内容から察すれば、日本文化の伝承となるものは守る、ということを言いたいようだ。これなら分かる。では、壊すのはいったい何か。噺を今の時代に合わせて作り直す、ということなら、わかる。ある意味で、それは“創る”工程で不可欠なことかもしれない。まさか、新作をかけることのみを“創る”と考えているわけではなかろう。

 これら三つの言葉は、ある一席の噺について語られていると思う方が自然かもしれない。

 古典落語のある特定の噺の、日本文化を伝承する言葉や習慣など守るべきものを守り、大筋に影響がなく今の時代では理解しにくい部分などは壊し、噺の骨幹を変えないで今日でも十分に伝わる一席を創る、ということなら非常に説得力を持つ。

 小朝の言う「守る、創る、壊す」ということが私の理解に近いとするならば、問題は、彼の実際の高座にどれだけその成果が反映されているか、ということだ。

 ブログを書き始めた2008年の9月、よみうりホールという大会場での独演会に行った際にも、せっかく『船徳』に感心していたのに、二席目の 『池田屋(近藤勇)』~『お菊の皿』でがっかりしたことを思い出す。
2008年9月20日のブログ
 
 年間250回前後の独演会や落語会を全国で開催する小朝は、落語をあまり聴かれたことのないお客さんを楽しませるためでもあるだろう、一席は地噺であることが多いし、短いネタを続けて演じることも多い。

 それそれの噺に“守り、創り、壊す”という行為が背景にあるかもしれないが、彼が客におもねっている姿には、彼が重要と唱える“中庸の美”や“寸止め”の潔さを、私は感じることができない。

 私は、小朝が古典長講のみの独演会、釈台と袴姿による地噺のない独演会をやっているなら行こうか思っているが、そういう情報を目にしないなぁ。

 “昔風のやり方”が古典で、“アレンジした噺”が地噺というわけでもあるまい。もし、彼がそう思っていて独演会のネタを構成しているのなら、それは間違っていると言いたい。それこそ、彼が自戒している“お客さんがウケるから、ついついエスカレートしていく”ネタに地噺は陥りやすい。

 小朝が独演会で、古典二席によって、昔風のものとアレンジされたものを披露してくれるのなら、ぜひ、両方を聴きたいと思っている。

 ちなみに、小朝は落語研究会や朝日名人会に出演しない。京須氏が選ばないのか、本人が誘われても断っているのかは、分からない。また、ネタおろしするような独演会は行っていそうにない。

 もし、あくまでも“食べるため”に受けようとするネタを加えている、ということなら、私は彼の姿勢そのものが“守り”に入っているのだと思う。しかし、天才的な噺家として将来を嘱望され、また、他の噺家への影響力を持つ彼にとって、食べるための会とは“守る”べきものなのだろうか。

 もし、若くして入門し、すでに一つの高みに達し、これからは演者として上昇するのが難しいのだとしたら、小朝には、第銀座落語会、六人の会などで発揮したプロデューサーとして、落語会を“進化”させて欲しいと願うばかりだ。

 最近の小朝のブログの内容は、ほとんど落語のことが書かれてなく、食べ物やらコンサートやら、私にはほとんど興味のない話題ばかりなのだが、2月25日の記事に、こんな一文を発見した。
小朝の2月25日のブログ

てなことで、本日はこれから広告代理店の皆さんと大イベントの打ち合わせです



 果たして、どんなイベントなのやら・・・・・・。

 彼は、私は一度も行くことができなかったが、小沢昭一さんと小満んとの会を主催したこともある。

 もし、そういった企画なら大歓迎なのだが、代理店との大イベントでは、違うんだろうなぁ。

 彼にとって、“進化する落語”は、果たしてどんなものなのか。同世代の人間として、非常に気になる存在だけに、ぜひ、小朝健在なり、を示して欲しい。“創る”が、小朝の持つセンスと時代性を生かした落語会であっても、それはそれで結構だと思う。
Commented by 佐平次 at 2014-02-28 09:35 x
小沢、小満んの会ではまともにやっていたけれど私好みではなかったです。
古典と現代を結び付けようという気持ちはわかりましたが。
小沢の最後の様子、グルグル回る噺を何回か見るのは辛くもあり楽しくもありました。

Commented by 寿限無 at 2014-02-28 13:31 x
 いつも拝見させていただいております。
 小朝の「守・創・壊」というのは、小さんの「守・破・離」からの発想かと思いますが、「守・破・離」は、落語に限らず、すべての芸事に通じる話であります。
 小三治は、小さん師匠から「お前の噺は面白くない」と言われてから自問自答して自分の噺を作り上げていきました。三三は、小三治師匠から、「今のお前の噺は最悪」と言われて、考えているのでしょう。小朝はたぶん言ってもらえる人がいないのでしょう。
 でも、落語って自分で自分を鍛えて行くしかないのです。つまり、「自得」の芸なのです。
 つい、余計なおしゃべりをしてしまいました。お聞きながしを……。
 貴兄の落語に対する温かい眼差しをいつも感じております。今後ともよろしくお願いいたします。
             夢より

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-02-28 15:44 x
一度でも行くんだったなぁ。

落語研究会での榎本さんの良き伴侶、山本文郎さんがお亡くなりになりましたね。
昭和は遠くなりにけり、です。
ご冥福をお祈りします。

Commented by 初音町 at 2014-02-28 22:49 x
笑点正月スペシャルで『落語』のゲストで小朝が登場。
全国何万人がたぶん期待をして画面を見ていたと思う。
長いマクラだと思ったら小話のつぎはぎ。
それだけで終わってしまった。
テレビ局の意向かもしれないが見事に裏切られた。

私も「落語界の綾小路きみまろか、あんたは・・・・・・」と一瞬感じたがきみまろさんはそういう芸なので良いと思います。

小朝は一体誰に向けて話をしているのだろう?

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-03-01 07:15 x
そうですか・・・・・・。

彼は、きっとテレビの前の「一般大衆」のために、レベルを相当下げて小咄をつないだのでしょうね。そうだとしたら、少し馬鹿にした話です。

決して、落語ファンを想定したのではないでしょう。
10分もあれば古典のエキスを凝縮した噺もできる人だと思うのですが。

Commented by ほめ・く at 2014-03-03 18:42 x
連想ゲームで「小朝」と言われれば即座に「手抜き」と答えますね。「芸惜しみ」でもいいかな。
本来なら大看板として落語界をリードして行かねばならない立場なのに、寄席にも滅多に出ない。
芸を小出しにしながら独演会で稼いでいるというのが実状なんじゃないですか。
志ん朝がどうのなんて、聞いて呆れます。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-03-03 21:41 x
結構、小朝に手厳しいですね^^
もし、今の小朝の高座を志ん朝が聴いたら、どう評するでしょうか。
決して褒めるはずもない。

彼には、そういう想像力もなくなってきたのでしょうかね。
力があるのに、その芸惜しみが、残念です。

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by kogotokoubei | 2014-02-27 00:24 | 落語の本 | Trackback | Comments(7)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛