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第40回 横浜にぎわい座上方落語会 2月15日

 なんとか行けそうなので電話でチケットを確保していたが、二週続けての大雪。上方とは今年は相性が悪いのかとも思ったが、朝には雪も止んだ。連れ合いと家の周辺の雪かきをした。テレビで交通機関の状況を確認したが、今回は大丈夫そうである。
 第40回を数える横浜にぎわい座上方落語会に、初めて行ってきた。出演する噺家さんも、全員初聴きである。
 会場の入りは、六分位だったろうか。雪で取りやめた方も少なくないだろう。

 にぎわい座のサイトからポスターを拝借。横浜にぎわい座サイトの該当ページ

第40回 横浜にぎわい座上方落語会 2月15日_e0337777_11113961.jpg


 40回記念で、「我ら芸歴40年」という副題つき。大きな写真の四人が、芸歴40年ということらしい。

 上方落語協会サイトの落語家名鑑から、出演者のプロフィールを確認した。上方落語協会サイトの該当ページ

桂小枝

1.芸名/桂小枝(かつらこえだ)
2.本名/青木 喜伸
3.生年月日/1955年 (昭和30)年 5月25日
4.出身地/兵庫県
5.血液型/A型
6.入門年月日/1974年 (昭和49年) 「五代目桂文枝」


→なるほど、入門からちょうど40年

笑福亭鶴志

1.芸名/笑福亭鶴志(しょうふくていかくし)
2.本名/冨松 和彦
3.生年月日/1955年 (昭和30)年 8月24日
4.出身地/大阪市
5.血液型/A型
6.入門年月日/1974年 (昭和49年) 6月5日「六代目笑福亭松鶴」


→ほんとだ、40年。

 以前、笑福亭松枝の『ためいき坂 くちぶえ坂』を紹介したが、その中にある下記の「たおれ荘」の住人で唯一噺家として残っているのが、この鶴志である。
2012年6月18日のブログ

 昭和47年に鶴瓶が入門した頃から、松鶴を慕って入門する弟子が急増した。弟子は“年季”が明けるまで通いで師匠宅で修行をするのだが、遠くから通う者たちのために松鶴は一計を案じた。

 弟子の増えた松鶴は、権利金を払ってやり、溜息坂の下の長屋の一棟に連中を住まわす事にした。
「朝と昼はうちで食べたらええ。晩飯と家賃はアルバイトでかせいでやっていけ。ええか、仲良う真面目にせえよ・・・・・・」
「たおれ荘」と名付けられた此の長屋で共同生活を始めたのは、「小松」「松橋」「一鶴」「遊鶴」「鶴志」の五人である。全員二十歳以下であった。ただでさえ危ない。
(中略)
 建物の古さは度を越していた。壁土は無数無残にこぼれ堕ち、数ヵ所畳に腐りが見え、部屋の中程には空いたか空けたか、床が陥没して下の土が覗ける所もある。布団は敷きっ放して垢じみ、すえた匂がする。畳は即ゴミ箱でチリ紙、カップ麺の殻、いかがわしい雑誌のいかがわしいグラビア等で足の踏み場も無い。極め付けは便所に戸が無かった事である。彼らは小も大も“”さらけ出し”で用を足して居たのである。又、その光景を横に見て食事をしていたと言う。驚嘆を通り越して尊敬すらしてしまう。


 この環境こそ、若手の噺家が修行中に住むべき家、ということができるかもしれない^^

露の都

1.芸名/露の都(つゆのみやこ)
2.本名/小山 眞理子
3.生年月日/1956年 (昭和31)年 1月21日
4.出身地/大阪府堺市
5.血液型/B型
6.入門年月日/1974年 (昭和49年) 3月3日「露の五郎兵衛」


→この人も同期なんだぁ。

笑福亭枝鶴

1.芸名/笑福亭枝鶴(しょうふくていしかく)
2.本名/松高 良和
3.生年月日/1957年 (昭和32)年 6月26日
4.出身地/大阪市福島区
5.血液型/B型
6.入門年月日/1975年 (昭和50年) 1月1日「五代目笑福亭枝鶴」


→厳密には39年だが、入門が元日だから40年と言えるのだろう。

 この四人、私とほぼ同世代。

 せっかくだから、もう一人。

笑福亭喬介

1.芸名/笑福亭喬介(しょうふくていきょうすけ)
2.本名/川﨑 直介
3.生年月日/1981年 (昭和56)年 7月22日
4.出身地/大阪府堺市
5.血液型/O型
6.入門年月日/2005年 (平成17年) 6月1日「笑福亭三喬」


→この人は、まだ10年目。

 さて、この五人での落語会は、次のような構成だった。
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(開口一番 笑福亭喬介『牛ほめ』)
笑福亭枝鶴 『宗諭』
笑福亭鶴志 『時うどん』
(仲入り)
露の都   『堪忍袋』
桂小枝   『蛸芝居』
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笑福亭喬介『牛ほめ』 (14分 *14:00~)
 三喬の二番目の弟子。だから、松鶴→松喬→三喬、なので、六代目からは曾孫弟子になる。兄弟子の喬若は2012年のNHK新人演芸大賞でテレビで観ている。あの時は宮治が逃げ切ったが、喬若も良かった。
 さて、この人。出囃子の太鼓を鶴志が打ってくれているとのこと。この噺は東京と上方とは、少し筋書きが違う。東京版では主役は与太郎だが、上方では池田の伯父貴の甥になる。年上の甥(従兄弟)から、いい金儲けの話がある、ということで、池田の伯父貴の家を褒めに行けと勧められる。与太郎ではないから、口上は自分で書いて池田へ行く、という寸法。この口上書きを懐に入れて、それを見ながら普請を褒めるのだが、なかなか楽しい高座だった。上方にしてはアクの強さのない大人しい印象もあるが、まずはしっかり大きな声で、ということでは問題なし。三喬の二人の弟子、今後も楽しみである。

笑福亭枝鶴『宗諭』 (21分)
 この後の鶴志が六代目の九番弟子、この人が十番目。六代目の子息五代目枝鶴の弟子で小つるだった。しかし、その師匠は未だに音信不通。師匠の名を継いだ。五代目枝鶴には数多くの逸話があるが、それはまた別途書こう。
 大雪の予報だったので、万一を考え協会から前日入りをするよう言われ、昨夜横浜に来たとのこと。新横浜駅で乗り換える時に横殴りの雪に驚いたらしい。
 オリンピックのフィギュアの外国選手が演技前に胸で十字をきるという話題から本編へ。非常に明るい高座に好感を持った。この噺の東西の違いは、上方は家が仏壇屋ということ。だから、若旦那はクリスマスツリーのように飾りつけをした仏壇をこしらえ、父親に「こんなもん売れるかいな」「隠れキリシンタン用です」というクスグリが楽しい。
 賛美歌312番「いつくしみ深~く」を若旦那が歌い、それを受けた番頭が「ああ母さんと~」と「里の秋」にするあたりは、なかなか聞かせた。
 音信不通の師匠の名を継ぐ思いは、いかがなものなのか。しかし、芸にはまったく暗さも重苦しさもない。後に出る兄弟子をいじるのもお約束なのだろう。この人の師匠譲りの上方ばなしをもっと聴きたいと思わせた高座。

笑福亭鶴志『時うどん』 (25分)
 聴きたかった、“たおれ荘”の卒業生。この日のいでたちは黒紋付と朱の襦袢。この対比が、上方風を思わせる。声の擦れ具合が師匠の六代目によく似ている。枝鶴がいじったように、剃りあげた頭や見た目は、まるで“入道”にようで威圧感があるが、その高座は師匠を彷彿とさせるふくらみのある内容だった。
 マクラでは、この日の入りを意識したネタ。さかんに「ちょうどこの位がええ」と繰り返す。初高座が新世界の新花月で、客は男ばかり、と振り返る。角座の思い出などを含めたマクラが約十分。
 本編、上方版は最初の夜に喜六と清八の二人で食べて、喜六が清八の一文掠める“技”を、二人の掛け合いの筋書きも同じように、翌日真似しようとする。
 最初の夜、喜六が清八がほとんど食べ終わった後、残った三筋のうどんを食べる場面が大変よい。一本づつ箸で持ち上げて、じっくり眺めてから口ですするように食べる。その仕草が、なんとも味がある。「後、二本」「残り、一本」とすする場面が結構だった。二日目、幻の相棒と会話をする喜六に、「あんた大丈夫か」と聞く初日よりも強面のうどん屋に向って箸で目を突く仕草で、「目ぇ突くでぇ」と何度か驚かすが、このへんの様子にも師匠六代目を思い起こさせるものがあった。
 押し出しのある見た目、低く響くその声、もっとも師匠に似ているとも言われることに納得。次は、ぜひ上方ならではの噺で、あらためて聴いたみたい。『らくだ』などは、きっとニンだろうなぁ。本編は15分ほどではあったのだが、これぞ上方版と思わせる充実した内容、今年のマイベスト十席候補とする。

露の都『堪忍袋』 (26分)
 昨夜の大雪、空席の目立つ客席のことから、鶴志、小枝とは同じ学年で今年の運勢も同じで、どん底で耐え忍ぶ年、とのこと。ということは、私もそういうことか^^
 昨夜は新横浜についてから、またJRで桜木町に向ったようで、東神奈川で乗り換えした際、小さな子供を二人連れた外人の女性が、指で下のホームを示し「横浜?」と都に聞いたらしい。都も分からないので、近くにいた若い男に「横浜行くのこのホームでいいのか、外人さん聞いてるんやけど」と尋ねたところ、若い兄ちゃんが、外人さんに向って「横浜、イエス、イエス」と答えてくれた。笑顔で「サンキュー」と言う外人さん。そして、都も兄ちゃんの手を握って「サンキュー、サンキュウ」・・・私は、そういう人なんです、で笑いが起きた。飼っている15歳の柴犬とご主人とに関する逸話なども含めたマクラの後で本編へ。
 喧嘩をする留とお咲夫婦の会話が、なるほど上方の夫婦の喧嘩ならこうなのだろう、と思わせる。圧倒的にお咲の科白が多いし、強い^^
 よくお世話になる「世紀末亭」さんのサイトから少し引用。「世紀末亭 上方落語メモ」の該当ページ

 ほんでなぁ、今、平兵衛はん言ぅてたあの「堪忍袋」早いこと縫え
 言わいでも縫ぅてます。ポンポン、ポンポン言ぃなはんな、ポンポンポンポン言わな、よぉもの言わんのか。昔のこと言ぅたろか、恥ずかしぃやろ、わたしの奉公先にあんたが出入りの大工として来てたときに、毎日弁当食べるときお茶入れたったら勘違いしやがって……人のおらんとこ無理矢理連れて行って「なぁ、一緒になってくれるやろ。ふんちゅうてくれ、ふぅんちゅえ、ふぅんちゅえ」子どもに糞さすみたいに「ふんふん」言ぃやがって。あのときあんた言ぅたやろ「体ひとつで来てくれたらえぇ」ちゅうて「お前が来てくれたら、なんもせんでえぇ。わしが何でもする、お前にケガされたらかなんさかい」来たら来たでなんにもせんと、ダラダラ・ダラダラして……、思い出したわ、あんたこれ言ぅたら顔赤こなるで、言ぅたろか「お前と一緒になれへんかったら、わしは死ぬ……」いぅて
 喧しぃわ、アホンダラ。早いこと堪忍袋縫えッ!
 縫ぅてます、縫ぅてます、今できたわ。これがちゃんと堪忍袋になってたら、わたしがズッと思てたことみな、こん中に入れてスッキリしたんねん、覚えとけ……


 東京の『締め込み』の夫婦喧嘩を思い起こすが、関西のオバンの迫力は凄い。ほとんど都は“地”で演じていたのではなかろうか^^
 この噺の東西の違い、もっとも上方らしさが出ているのがサゲに至る部分だろう。大人しそうな伊勢屋の嫁がやって来て、残り少ない袋の隙間に、一言だけと言って一瞬の間の後、「糞婆死ねぃ」。
 その姑が言いたいことを我慢するあまり玄関で倒れたからと袋を貸すことになり、パンパンになった袋が寝ている姑の前でほどけて嫁の最後の強烈な一言が飛び出し、それを聞いて・・・姑が元気になった、というもの。益田太郎冠者作で、珍しく東京から上方に移された噺だだ、なるほど、上方噺として仕上がっている。

桂小枝『蛸芝居』 (24分 *~16:04)
 テレビでレポーターなどで観たことはあっても、高座は初である。寒くて携帯コンロが手放せないとのこと。私はそんなもの身につけていないぞ^^
 鶴志と同じ年の入門だが、少しだけ早い分、トリがこの人になったのだと察する。ここまでの四席が筋書きは微妙に違うと言えども東西でかけられているネタだったが、ようやくトリで上方ならではの一席となった。それも、先日小佐田定雄著『噺の肴-らくご副食本』という本を中心に紹介した初代桂文治作の傑作芝居噺。詳しい筋書きについては2月1日のブログをご覧のほどを。
2014年2月1日のブログ
 
 次のような芝居を、意外と言うと小枝には失礼だが、しっかりとこなしていた。
(1)三番叟
(2)水まき奴
(3)仇討ち
(4)「阿国御前化粧鏡」(赤子を抱く芝居)
(5)子役の台詞のパロディ
(6)「夏祭浪花鑑」「女殺油地獄」(魚屋、魚喜の芝居)
(7)「勘兵衛腹切り」
(8)「だんまり」(旦那と蛸の戦い)
 
 サゲを替えたのは、やはり今では分かりにくかろう、ということだろうか。現在使われている本来のサゲは、こうである。

定吉 え~、旦那、酢ぅ買ぉて来ましたで。旦さん、酢ぅ買ぉて……、あッ、あ
んなとこ倒れてはるがな。もし、旦さん、どないしなはった? 旦さん、旦那様いのぉ~ッ
旦那 さ、定吉か? 遅かったぁ~
定吉 あんた、まだ演ってなはんのんか、そないなってまで。どないしなはったんや?
旦那 定吉、毒消し持って来てくれ
定吉 どないしなはった?
旦那 蛸に当てられたんや。


 実は、『噺の肴』によれば、このサゲも本来のサゲが「黒豆三粒持て来てくれ」だったのを、蛸の中毒に黒豆三粒食べたら治るというまじないが通じないので変わってきたのである。
 しかし、小枝は、逃げた蛸をつかまえて、「皆で酢蛸を美味しく食べましたとさ」でサゲとした。
 このサゲで、残念ながらそれまでの芝居ばなしの味わいが、少し消えたように感じた。本来のサゲで締めて欲しかったなぁ。
 また、肝腎の「だんまり」での蛸の芝居も、今ひとつ。
 『噺の肴』から、最後の「だんまり」の部分の説明を引用。小佐田定雄著『噺の肴-らくご副食本』

 旦那に気づいた蛸は旦那の顔にプーッと墨を吹きつける。あたり一面が墨で真っ黒になったところで「だんまり」というのは、暗闇の中で敵味方がさぐりあうという一幕である。
 ここで使われる「草笛入り合方」という曲がいい。適当にのんびりしていて、それでいて重みのある曲なのである。蛸や旦那でなくても「だんまり」たくなる名曲である。
 この場面、染丸や吉朝という「芝居狂」を自認する人たちは実にていねいに演じてくれる。


 やはり、染丸、吉朝、そして「落語でブッダ」最終回での文我などとは、正直なところ少し差を感じた高座。


 雪はもう止んでいたが、横浜から乗った相鉄線は全線各駅停車だった。首都圏の交通網、もう少し雪害対策が必要ではないかなぁ。

 「上方落語の会」には、できるものなら東京では聴けない噺を期待していたが、客への配慮もあるのだろう、五席のうち四席が東西でも演じられるネタ。もちろん筋書きの違いなどは上述したようにいくつかあるのだが、噺としての基本は大きくは変わらない。次回は、ぜひ上方ならではの噺を期待しよう。
 しかし、今回は初めての人の生の高座に出会えたことだけでも雪道を出かけた甲斐があった。中でも、鶴志である。松喬亡き今、六代目の芸の伝承者として、この人には期待したい。
Commented by 明彦 at 2014-02-18 00:41 x
上方落語=米朝一門と思っていた僕が笑福亭に惹かれたのは、ある若手の会のゲストとして何の先入観もなく、鶴志師を見てしまったからでした・・・。
実は読書家のインテリだそうですが、毒舌と下ネタに満ちたマクラ、そして知ったかぶりの男が誤魔化そうとして凄みまくる『千早ふる』『平の陰』のおかしさは、他の追随を許しません。
また先代小さんに私淑していて、『試し酒』『笠碁』『かんしゃく』を上方のレパートリーとして定着させました。
ただ、期待していた『らくだ』は、「もっと繊細さが欲しい」という印象でした。
六代目が持っていた深み、つまり懐かしい古風さや威厳と優しさ、そして庶民に対する共感は、全盛期に教えを受けた故松喬・松枝・呂鶴の諸師、
そしてある意味で鶴瓶さんや最後の直弟子である鶴二さんの方が引き継いでいると思います。

枝鶴師は親子の情愛がさり気なく伝わる『初天神』『子別れ』(母親が出ていく上方版)が結構でした。最近写真誌を賑わした小枝師は、「やる時は古典をとにかくちゃんとやる」印象ですが・・・。都師はおっしゃる通り、「大阪のおばん」キャラに負う所が大きいですね。
あと喬介さん、遠慮していたようですが師匠そっくりと言われ、喜六に自分のキャラを一体化させた高座は、時に大爆笑を呼びますよ。
長々と失礼しました。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-02-18 08:55 x
そうなんです、やっと鶴志、枝鶴という笑福亭の未見の噺家さんに出会えました。
なるほど、鶴志は小さんの十八番も似合いそうですね。『笠碁』聴いてみたいものです。
枝鶴は、その名を残すだけでも貴重な存在。師匠は、どこにいるのでしょう?
都には大阪の下町のおばちゃんの典型を見た印象。芸も達者ですね。
小枝は、落語もできる、ということは確認できました。
喬介、成長を期待します。三喬の高座もまた聴きたいなぁ。
今年は、上方落語強化年と考えています。(去年もそんなこと考えてたかなぁ)

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by kogotokoubei | 2014-02-16 12:20 | 落語会 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛