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『蛸芝居』—初代桂文治の作による、上方芝居ばなしの傑作。

NHK Eテレの「落語でブッダ」最終回は『蛸芝居』だった。

 第一回から、まだ再放送があるので見逃した方は次の予定をご参照のほどを。

第1回
落語と仏教は大の仲良し
柳家喬太郎 古典落語『仏馬』(東)
Eテレ 12月 2日(月)
Eテレ再放送 12月 9日(月)
総合再放送 2月 4日(火)

第2回
笑いとお説教の関係
笑福亭たま 古典落語『猿後家』(西)
Eテレ 12月 9日(月)
Eテレ再放送 12月16日(月)
総合再放送 2月11日(火)

第3回
江戸っ子人情と法華信仰
入船亭扇辰 古典落語『甲府ぃ』(東)
Eテレ 12月16日(月)
Eテレ再放送 12月23日(月)
総合再放送 2月18日(火)

第4回
落語の中の仏教説話
露の団姫 古典落語『松山鏡』(西)
Eテレ 12月23日(月)
Eテレ再放送 1月 6日(月)
総合再放送 2月25日(火)

第5回
禅問答を落語で表現すると
柳家喬太郎 古典落語『蒟蒻問答』(東)
Eテレ 1月 6日(月)
Eテレ再放送 1月13日(月)
総合再放送 3月 4日(火)

第6回
なにわ商人文化と浄土真宗
桂 塩鯛 古典落語『お文さん』(西)
Eテレ 1月13日(月)
Eテレ再放送 1月20日(月)
総合再放送 3月11日(火)

第7回
宗教を笑い飛ばす!?
五明樓玉の輔 古典落語『宗論』(東)
Eテレ 1月20日(月)
Eテレ再放送 1月27日(月)
総合再放送 3月18日(火)

第8回
日本人、こころの原風景
桂 文我 古典落語『蛸芝居』(西)
Eテレ 1月27日(月)
Eテレ再放送 2月 3日(月)
総合再放送 3月25日(火)



 仏教的な視点ではなく、扱われている歌舞伎やお囃子が盛り沢山な、この芝居噺について書こうと思う。

 桂派の元祖、初代桂文治の作。生年は逆算で安永三(1774)年とされている。文化十三(1816)年十一月二十九日、四十三歳没。(『古今東西落語家事典』より)


『蛸芝居』—初代桂文治の作による、上方芝居ばなしの傑作。_e0337777_11113460.jpg

*朝日カルチャーブックスの一冊として、昭和57(1982)年、大阪書籍より発行

 露乃五郎の『上方落語夜話』によると、文治の出身については京都説と、摂州西成郡柴島村という説があるようだ。

 同書から、少し引用。

桂の祖、初代文治

 大阪の巷で辻ばなしが座敷ばなしになり、会咄がさかんになり、長咄(人情ばなし)も現れ、見台、鳴り物、小拍子と、後に上方落語の特色と言われる道具立てが出そろったところで、いよいよ大阪に落語の定席が生まれました。

 すなわち、初代桂文治の開いた、座摩神社境内のはなし小屋がそれで、現在関東関西をひっくるめて、桂なにがしと名乗る落語家は、さかのぼると、みなこの桂文治に帰することになります。


 初代三笑亭可楽が山生亭花楽と名乗って三人の天狗連の噺家と共に江戸の下谷稲荷神社で寄席を開いたのが、寛政十(1798)年であるから、ほぼ同じ時期に、大阪初の定席が文治によって開かれたわけだ。

 文治の作品は多いが、とりわけ芝居ばなしは定評があるところ。なかでも『蛸芝居』は、上方の芝居ばなしの傑作と言ってよいだろう。

 昨年発行された小佐田定雄さんが桂枝雀について書かれた本を紹介した。
2013年9月16日のブログ
『蛸芝居』—初代桂文治の作による、上方芝居ばなしの傑作。_e0337777_11113429.jpg

小佐田定雄著『噺の肴-らくご副食本』

 小佐田定雄さんには、『噺の肴-らくご副食本』という楽しい本がある。弘文出版から平成8(1996)年発行。

 この本の「芝居噺浪花面影—蛸芝居」の章には、この噺に登場する芝居のことやお囃子のことが、詳細に、そして楽しく紹介されているので引用したい。

 このネタに登場する順に分けてご紹介しよう。旦那から番頭、手代、丁稚、女子衆にいたるまで大の歌舞伎好きn、という船場の商家で、果たしてどんな芝居が繰り広げられるのか。

(1)三番叟

 朝、奉公人たちを起こすのに、旦那は砂糖の紙袋を頭にかぶり、身に風呂敷をまとって『三番叟』を踏みはじめるのである。『三番叟』が一日の芝居の最初に演じられるものであることをふまえているわけです。


(2)水まき奴

 三番叟が終わると、定吉&亀吉の丁稚コンビは表の掃除にかかる。掃除うぃしながらできる芝居はなかったか・・・・・・と考えた結果、武家屋敷の堀外の水まき奴の芝居をはじめる。
「おれについて、こう来いやい」
 という台詞で

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ふたり連れ立つ・・・・・・という唄にノった丁稚たちは花道に見立てた向かいの路地へ入って行く。花道の引っ込みがあるなんて、なかなか上等の奴さんたちである。


 
 二人にしておいてはロクなことはないということで、定吉は仏壇の掃除、亀吉は裏庭の掃除を言いつけられる。

(3)仇討ち

 さて、仏壇の前へやって来た定吉はさっそく位牌を前に置いて仇討ち狂言のひとこまをはじめる。
「冷光院殿貴山居士さま」
 と呼びかけるがキッカケで鉦入りの「青葉」という曲になる。
 (中 略)
 定吉は気取って手を合わし、吉右衛門張りの悲痛な台詞をはじめる。
「いつぞや天保山御幸のおり、何者とも知れぬ者の手にかかり、あえないご最期。おのれやれ・・・・・・とは思いましたなれど、まだ前髪の分際にて・・・・・・。姿を変えて入り込みしが、合点のいかぬはこの家のハゲちゃん。今に手証を押さえなば、ハゲの素っ首討ち落とし、修羅のご無念、晴らさせましょう」
 気分よく芝居の世界に遊んでいた定吉だが、突然背後から
「誰がハゲちゃんや!」
 と頭を小突かれて我にかえる。旦那に目撃されていたのだ。


(4)「阿国御前化粧鏡」(赤子を抱く芝居)

 次に定吉は坊んの子守りを命じられることになる。
 泣き出した坊んをいろいろとあやしてみたり、鼻クソを食わしてみたりするのだが一向に泣きやむ気配はない。途方に暮れた定吉の脳裏に
「そやそや、赤子を抱いてする芝居があったなァ」
 と悪魔のささやきが聞こえた。お家騒動もので、忠義な奴が若君をふところに抱いて落ちのびていく場面である。1975年九月に東京の国立劇場で上演された「阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすがたみ)」という芝居で一度だけ見たことがある。いまの梅玉が福助時代で、赤子をふところに入れての立ち回りを見せてくれた。
 (中 略)

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ねんねんよォ・・・・・・と坊んの子守りをしながら芝居の世界に入っていると、同僚の亀吉クンが応援にかけつけた。もちろん子守りの応援ではない。芝居の応援である。落ちのびて行く場面には必ず追っ手がかかってくるものだ。心やさしき亀吉はたのまれもせんのに、追っ手の役を買って出た。気持ちよく子守り唄を歌っている定吉の後ろから亀吉が
「イヤーッ!」
 とかかると、定吉も心得たものできれいに受け留める。下座と演者が子守り唄を交互に歌うこのシーンは、この噺のひとつの山場と言ってもよい。


(5)子役の台詞のパロディ

調子にのった定吉は、亀吉が絶妙の間で打ち込んできたのを返すはずみに、あろうことか抱いていた坊んを庭にほうりだしてしまうのだ。
 この坊んをほうりだすという派手(?)な型は三友派の演じ方と言われており、地味好みの桂派では、仏壇の阿弥陀像を子供の代わりに使って庭にほうり投げることになっている。
 あわてて坊を抱きあげた定吉だが、頭を下に抱きあげてしまう。
「坊んがさかさまやがな!」
 と叱られて
「さかさまいのォ」 
 まだ芝居をやっている。「かかさまいのォ」という子役の台詞のパロディである。



「今後、芝居の真似をしたらひまを出す」と言われてめげる丁稚コンビではない。
 やってきた魚屋を呼び止めると、この魚屋も大の芝居好き。

(6)「夏祭浪花鑑」「女殺油地獄」(魚屋、魚喜の芝居)

鳥屋ぶれを聞くなり魚喜もがのって芝居をはじめる。

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鯛や鯛々 大坂町中売り歩く・・・・・・という下座唄にのって花道を出る気分で店へ入って来る。この唄は「夏祭浪花鑑」の道具屋の場というめったに出ない場面で、魚屋の団七が花道から登場する場面で使う。近松の名作「女殺油地獄」の豊島屋の場で、主役の河内屋与兵衛が油の荷をかついで帰って来る場面にも同じ曲で、文句だけは
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油々と 大坂町中売り歩く・・・・・・変えたものを歌っている。



 この後の光景。

 旦那の前でピタリと直った魚喜が気取って言う。
「ヘイ、旦さん。なんぞ御用はござりませんか」
 さすがに旦那も毒気をぬかれて
「そらなにを言うねんな。うちはもう役者が多うて困ってんがな」
 とボヤくが、魚喜も負けていない。旦那にどんな魚があるかとたずねられると
「豊島屋(てしまや)ござをはねのけて、尾上鯛蔵、中村蛸助、市川海老十郎・・・・・・」
 



(7)「勘兵衛腹切り」

 結局、鯛と蛸を買うことになって、魚喜ははしり元-台所へ魚を運ぶ。蛸はしる鉢でふせておいて、井戸端に出て鯛を三枚におろしにかかる。鯛に庖丁を入れたとたん、また悪い病気がおこる。
「ええハラワタやなァ。そや。こんなハラワタ使うて芝居あったで。『忠臣蔵』の六つ目。勘平の腹切りや。二人侍が『勘平、血判』『血判たしかに』・・・・・・」
 とハラワタをつかんでしまう。
「ウワァ、えらい血ィや」
 と手を払ったところが、井戸端にのせてあった井戸の釣瓶にその手が当たった。釣瓶は空まわりして井戸の中へドブーン!魚喜、井戸端へ片足をかけ、釣瓶縄をつかんで柱巻きの見得となる。
「アララ、あやしや」」
 それを聞きつけて定吉もかけつけて来る。
「いぶかしやなァ」
「水気」という囃子をバックに二人の荒事芝居は続くわけだが、冷静な旦那が水をさす。
「魚喜。おまえ、こんなとこで目ェむいてる場合やあらへんで。表の盤台から、横町の赤犬がブリをくわえて行ったで」
 魚喜、ギックリ驚いて
「エッ!すりゃ、ブリ子の一巻を。遠くへ行くまい。あとおっかけて、オオそうじゃ」
 と、いっさんに駆け出して行く。
 この場面、現在この噺を演じる人たちは「ハマチ」を犬に盗まれて「ハマチの一巻を」と言っているが、本来は「ブリコの一巻」であったらしい。


 出世魚、ということも次第に忘れられようとしているのではなかろうか。
 ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ、これが関東、ワカシ→イナダ→ワラサ→ブリ、これが関西の名付けのようだが、今では養殖ものがハマチ、天然がブリとなっているようにも思う。

 それはともかく、『蛸芝居』、ようやく“主役”の登場である。

 著者は、この場面に導入するための重要な言葉遣いについて、人間国宝の言葉を紹介する。

「この様子を聞いておりましたのが、すり鉢の中の蛸で・・・・・・」
 なにげない地の文であるが、この語順には気をつけないといけない-と米朝は言う。このフレーズの中で、一番の意外な言葉である「蛸」を一番最後まで隠さなくてはならないのだ。同じことでも
「この様子をすり鉢の中で聞いておりましたのが蛸で・・・・・・」
 と言ってしまうと、「すり鉢の中で」のところで「蛸」がバレてしまって効果が激減するのである。


 
 なるほど、落語は奥が深い。

 さて、この蛸が、これまた歌舞伎好き!

 すり鉢のふちに二本の手をかけて-この際、「どれが手だ?」などという夢のない質問は受け付けないことにする-ゆっくりと持ちあげはじめる。さながら深編笠の浪人が、笠をとってその立派な顔を舞台にあらわすように、すり鉢を右に持って、口をとがらせてキッと見得をする。と、ツケの音と同時にボーンというドラの音が入る。この時の蛸の顔で、この噺の勝負はつく。現代では文枝、染丸、吉朝が「日本三大蛸顔」の持ち主として推薦できる。



(8)「だんまり」(旦那と蛸の戦い)

蛸は囃子にのってそろそろ逃亡をくわだてる。
 (中 略)
 旦那に気づいた蛸は旦那の顔にプーッと墨を吹きつける。あたり一面が墨で真っ黒になったところで「だんまり」というのは、暗闇の中で敵味方がさぐりあうという一幕である。
 ここで使われる「草笛入り合方」という曲がいい。適当にのんびりしていて、それでいて重みのある曲なのである。蛸や旦那でなくても「だんまり」たくなる名曲である。
 この場面、染丸や吉朝という「芝居狂」を自認する人たちは実にていねいに演じてくれる。



 ということで、小佐田さんも推薦の「日本三大蛸顔」の一人、桂吉朝の高座を観ていただきましょう。

 魚喜の登場する場面からの後半をどうぞ。これがいいんだよね。

 YouTubeを“置いて”皆さんに“パス”、これが“オクトパス”・・・・・・なんちゃって^^



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by kogotokoubei | 2014-02-01 10:30 | 落語のネタ | Trackback | Comments(0)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛