子規の大晦日の句に、想うこと—1月30日は、旧暦の大晦日。
2014年 01月 29日
正岡子規の句である。
明日1月30日は、旧暦の12月30日で、大晦日。だから、当たり前だが1月31日が元旦。旧正月で春節と呼ばれる。
この句は、明治32(1899)年12月24日子規庵での第三回目蕪村忌句会での作。新聞「日本」の明治33(1900)年12月31日号に「大三十日(おおみそか)」と題して掲載された。
子規が亡くなったのが明治35(1902)年9月19日なので、その約三年前、三十五歳での発句。
この句を、大晦日で何かと気ぜわしく知人と行き逢っても知らぬ顔をしてしまう、と解釈したのでは、何らおもしろくない。
落語好きの方なら、この句の可笑しみがお分かりだろう。
大晦日は『掛取萬歳』『言訳座頭』『にらみ返し』などのネタでご存知のように、借金取り(掛取り)がやって来る日である。
その掛取りに道で行き逢っても、「そ知らぬ顔」でやり過ごす光景をネタにしたのだろう、と思う。
子規は、この句をつくった時期、ほとんど寝たきりになっていたはずだ。
落語が好きな子規であり、病床でもできるだけ明るく振る舞っていた彼のことである。きっと、行けなくなった寄席を想っての発句だったのではなかろうか。
だいぶ前にも引用したが、亡くなる前年、新聞『日本』に明治34(1901)年1月16日から7月2日までの期間、途中たった四日だけ休み、計164回にわたって連載された『墨汁一滴』より抜粋。(太字は管理人)
2009年12月22日のブログ
正岡子規 『墨汁一滴』
散歩の楽(たのしみ)、旅行の楽、能楽演劇を見る楽、寄席に行く楽、見世物興行物を見る楽、展覧会を見る楽、花見月見雪見等に行く楽、細君を携へて湯治に行く楽、紅灯緑酒美人の膝を枕にする楽、目黒の茶屋に俳句会を催して栗飯を鼓する楽、道灌山に武蔵野の広さを眺めて崖端の茶店に柿をかじる楽。歩行の自由、坐臥の自由、寝返りの自由、足を伸す自由、人を訪ふ自由、集会に臨む自由、厠に行く自由、書籍を読む自由、癇癪の起りし時腹いせに外に出て行く自由、ヤレ火事ヤレ地震といふ時に早速飛び出す自由。・・・・・総ての楽、総ての自由は尽(ことごと)く余の身より奪ひ去られて僅かに残る一つの楽と一つの自由、即ち飲食の楽と執筆の自由なり。
(後 略) (3月15日)
病に伏せる身の上であっても、彼の筆は決して暗くない。もちろん書いている内容そのものは健常者から見れば誠に可哀想ではあるが、彼はユーモアたっぷりに身の上を表現し、多くの“楽”と“自由”を奪われたが、「まだ、食べて、そして書くことができる」と自分自身を鼓舞しているようにも読み取れる。
この句を練っている時、きっと、こんな心情だったのではなかろうか。
「もうじき、大晦日だなぁ。この時期になると、よく聴くネタがあるなぁ。『掛取萬歳』に『言訳座頭』、そして『にらみ返し』か・・・・・・」
そういった心情が、この句に結びついたような気がする。
長病の 今年も参る 雑煮哉
これが、翌明治三十三年、新年の句である。
数多く失った“楽”や“自由”がある中で、また雑煮を食べることができる喜びの句とも思うが、“長病”の文字が、やはり重い。