『擬宝珠』—柳家喬太郎による古典掘り起こしの成果の一つ。
2014年 01月 18日
その中で、喬太郎が演じた『擬宝珠』について、少し書いてみたい。
関山和夫著『落語風俗帳』(白水Uブックス)
まず、「落語でブッダ」の良き参考書として先日紹介した、関山和夫著『落語風俗帳』から引用。
擬宝珠(ぎぼし)
実に馬鹿々々しい咄だが、この咄も観音さまに、いささか関わりがある。今は演り手がないので、あえて触れておきたい。これも仏教が親しまれていたからこそ出来た咄である。鼻の圓遊の速記を読むと実に面白い。安永二年(1773)に江戸で出た咄本『聞上手』所収「かなもの」が原話のようである。圓遊向きの落語だ。初代柳家小せんもこれを演じたというが、この種の咄に手をつける人はまず少ないと思われる。
『落語風俗帳』の発行は1991年。だから喬太郎が発掘する前である。本書は次のように続く。
風俗資料としてもなかなか面白い。圓遊は、開口一番「ええ、今日は『金の味』というおはなしを一席うかがいます」といっている。本題に入るところに「明日ありと思ふ心の仇桜夜半に嵐の吹かぬものかは」という真宗の説教で有名な松若丸(のちの親鸞聖人)の歌が出てくるのも興味深い。
さすがに喬太郎は松若丸の歌は登場しない。
では、本書から圓遊の演じた筋書きをご紹介。
若旦那は原因不明の神経病にかかっている。年老いた両親は大変心配する。横浜から出入りしている幇間の桜川長光に「倅は何か心に思い続けていることがあるに違いない。なんとか倅にそれをいわしてくれれば金側の時計を一つくれてやる」といって聞いてもらう。長光は若旦那と一緒に浅草の観音さまへ行く。若旦那は「実は私は五重の塔のてっぺんの唐金の擬宝珠の真っ青のところがなめたいんだ」という。そこで長光は寺に頼みに行き、二百円を寄付して許してもらう。足場を組んでのぼり、若旦那は擬宝珠をペロペロとなめた。金属をなめることは、唐土(もろこし)の莫耶(ばくや)のの故事にあると浅草寺(現在は聖観音宗)の僧がいったとする。両親が心配してやって来た。しかし親はよろこんだ。
「倅もやっぱり擬宝珠が好きだった。先祖代々擬宝珠が好き。わしらもあちらこちら、なめ歩いた」と話し合っているうちに若旦那がおりてくる。
「五重の塔は、うまかったか」
「沢庵の味がしました。よほど塩がきいておりました」
「塩は三升か、四升か、五升か」
「なあに、上は六升(緑青)の味がしました。
喬太郎版をご存知の方は、違う部分に気付かれるだろうが、本人から答えを語ってもらおう。
出版もされているが、柳家喬太郎がポプラ社のWebマガジン「ポプラビーチ」に以前連載していた「落語こてんパン」のバックナンバーのページが残っている。「擬宝珠」のページから引用。
ポプラビーチ連載「落語こてんパン」の該当ページ
古典落語として取り上げてしまったが、明治の頃の新作である。ステテコ踊りという珍芸で一躍人気者となり、新作を創り、当時の古典の改作も手がけた、初代三遊亭圓遊師匠の作品である。その後手がけた演者は、そう多くはないようで、現在は完全に埋もれてしまっていた噺である。
僕はこの『擬宝珠』を持ちネタにしているが、そういう噺だから、もちろん誰かに教われる訳もなく、速記から掘り起こしたのである。
だから「連綿と伝えられて多くの演者によって練られた噺が古典落語」とするならば、『擬宝珠』を古典というカテゴリーに括っていいのかどうかは分からない。まぁしかしこれだけ古ければ、古典と言ってしまって良いだろう。そもそもどこからが古典でどこまでが新作か、落語には確たる定義がないのである。
ただ、僕が今演じる『擬宝珠』には、だいぶ僕の手が入っている。
圓遊師の速記では、若旦那から気鬱の原因を聞き出すのは、出入りの幇間(たいこもち)であった。ネタ下ろしして何度かは、幇間で演ってみたのだが、どうもうまくいかない。親にも医者にも打ち明けない気鬱の原因を、出入りの芸人には吐露するというのが、演じていてしっくりこないのだ。大家(たいけ)の若旦那と職人という立場は違えど、精神的にはつながっている幼な馴染みという設定に変えて、何とか演じられるようになった。
本人が語るように、幇間を出入りの職人で幼な馴染みの熊さんに替えているが、本筋はほとんど変えていない。
もちろん喬太郎なので、彼なりのクスグリを挟む。熊さんが若旦那に病の原因を聞く場面で、「原因は女じゃない・・・じゃあ『崇徳院』じゃないんだ」「もしかして蜜柑が食べたい・・・違う・・・『千両みかん』でもないんだねぇ」と笑わせる。
しかし、これは落語愛好家の方々の仲間内の笑いのようなもので、落語を詳しくない方も含めて笑いをとるところは別の部分である。昨夜もそうだったが、それは、熊さんが擬宝珠を舐めたいと言う若旦那の病の理由を、恐る恐る父親に告げたところ、「・・・やはり息子もそうだったか」と一族の不可思議な好みの血統を打ち明ける場面であり、父母の出会いのきっかけも擬宝珠舐めだった、と告げる場面でも笑いが増幅する。
だから、非常にこの噺には深いものがあって、好みや趣味などは、他人から見たらとんでもない奇異なものであることが多い、という人間の本質を照らし出しているのである。
だから、落語についてブログを書いている者など、落語を知らない、あるいは好きではない人からしたら、とても“真っ当な人間”のすることとは思えないだろうなぁ。
でも書くよ^^
その昔、幇間の重要な仕事に「旦那の財布を預かる」と言う仕事があったそうです。
財布を預かり、如何に安く費用を抑えるか? が幇間の腕の見せどころだったそうですが、現代ではその文化が消えてしまい、幇間遊びをしても踊りや、襖の芸は見る事が出来ても、その文化には触れる事も出来なくなっています。
その点で、この部分に違和感を感じ変更したのは懸命だと思います。
仕事上ですが、先日、お客さまが幇間を連れて来ました。
色々と芸を披露していましたが、現代の幇間はビジネスライクでした(^^)
たしかに幇間という職業自体が今日では理解されにくいですから、喬太郎が出入りの仲の良い職人にしたのは妥当ですね。
その結果、『崇徳院』じゃない、『千両みかん』でもない、というギャグも使えます^^
先代文楽が“ひいさん”に座敷遊びを実地訓練されていた時代なら、幇間と若旦那の関係でも違和感がないのでしょう。
お座敷遊び、したことないなぁ。
マクラで自分の入院体験など“痛い”話をふって始めることが多いようで、こういう噺、彼は好きなのでしょうね。
『あたま山』『首提灯』『胴斬り』などと同様の、ある意味で落語らしい荒唐無稽でSF的なネタ。
不条理とも言えますが、落語ならでは、とも言えると思います。
喬太郎、今年は去年よりは聴こうと思っていますが、どれだけ都合と運に恵まれるかが問題です^^
コメントありがとうございます。
そうでしたか。
貴重な情報、ありがとうございます。
この記事へのアクセスが急増して不思議だったのですが、どうもテレビの番組で取り上げたらしいですね。
そのうち、擬宝珠愛好倶楽部でもできるのかな^^