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噺の話

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“由緒正しい貧乏人”、本田靖春—『我、拗ねものとして生涯を閉ず』より。

今日のメディアの状況を傍観すると、“ジャーナリズム”とか“ジャーナリスト”という言葉が死語になっているように思えるが、かつては骨のある“ジャーナリスト”がいて、国家や社内の権力と体を張って闘っていた、という一つの証しを紹介したい。

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本田靖春著『我、拗ねものとして生涯を閉ず』

 本田靖春の『我、拗ねものとして生涯を閉ず』(講談社文庫)は、著者の“遺書”と言ってもよい本である。
 
 闘病中に月刊『現代』に掲載されていた内容だが、2005年に講談社から単行本として発行され、2007年に上下二巻で講談社文庫で発行された。

 本田靖春は、昭和8(1933)年に京城で生まれ、2004年に71歳で亡くなっている。大学卒業後に読売新聞に入社し、本田の言い分を借りるなら、「社会部が社会部であった」時代の読売で記者として活躍し、昭和46(1971)年に独立。吉展ちゃん事件を扱った『誘拐』(講談社出版文化賞受賞)や『不当逮捕』(講談社ノンフィクション賞受賞)、『私の中の朝鮮人』『警察回り』などの著作をものにした、いわゆるノンフィクション作家だった。

 記者時代の功績としては、今日の献血制度につながる、当時の売(買)血問題を取り上げた「黄色い血」キャンペーンが有名だ。

------<本書の目次>----------------------
-文庫版の“上”-
第1部 由緒正しい貧乏人
第2部 植民地朝鮮、支配者の子として
第3部 戦後民主主義、光輝く
第4部 新聞記者への道
第5部 社会部配属、そして暗転
第6部 撥刺たる警察(サツ)回り、そして遊軍

-文庫版の“下”-
第7部 社会部が社会部であった時代
第8部 渾身の「黄色い血」キャンペーン
第9部 病床で飽食日本を斬る
第10部 正力コーナーへの嫌悪
第11部 さらば、読売新聞
絶筆 拗ね者の誇り
---------------------------------------

 上記のように、文庫は上下二巻で合計十一部構成。

 第1部の「由緒正しい貧乏人」から、少し引用する。

 私は折りにふれて、自分のことを由緒正しい貧乏人といってきた。ふつう「由緒正しい」はお家柄にかかる修飾語で、貧乏人にはそぐわない。世にお仲間はたくさんおられるはずだが、先祖代々ずっと貧乏人だったことを、ちょっと強調しただけの話である。
 いついだったか、国民の九割が中流意識を持っている、という意識調査の結果が発表されたとき、私は裏切られたような気がした。おいおいお仲間たちよ、どこへ行ってしまったんだ・・・・・・と
 私はモノを欲しがらない。「由緒正しい」家系に流れる遺伝子の関係であろうか。欲しがったところで手に入らない。それなら欲しがらない方がましではないか。ご先祖さまがそういう暮らしを何百年のあいだ重ねて、貧乏に安住する気質が強まっていったのかも知れない。そして生まれついたのがこの私というわけである。


 本田靖春は、父親が一時は京城や日本で日本高周波という会社の経理担当として羽振りの良い期間もあったようだが、引き揚げ後は会社の統廃合や父の病死などもあり、窮乏期間が長かったようだ。
 本田は生涯賃貸住宅暮らしを貫いていた。また、その暮らしに奥さんもまったく反対しなかったようである。
 そんな“由緒正しい貧乏人”の社会へ向けられた目は厳しい。この文章は2000年頃に書かれたものなのだが、本質的な問題はまったく変わっていない、いや、より悪化しているように思う。

 思い出した。わが家には電子レンジもない。これが必要であるかどうかについては、意見が分かれるかも知れないが、かみさんによれば不要ということなので、ないままにしている。彼女は、電気オーブンを使ってケーキ類まで焼くので、狭いキッチンの場所ふさぎをする電子レンジは、邪魔な物と認定されているようである。
 わが家のような暮らしは、いまの世の中だと、落ちこぼれとして類別されそうである。それを認めたうえで、世の経済学者、経済評論家、経済ジャーナリストらの諸先輩に、ずっと抱き続けてきた疑問をぶつけてみたい。あなた方は、不況から脱出するための最も効果的な手段は個人消費の拡大である、と異口同音に唱え続けている。経済学的には、たぶん、そういうことになるであろう。しかし、あなた方の眼には、いわゆる繁栄がもたらした精神面での大いなる荒廃が見えていないのではないか。
 古くは、衣食足りて礼節を知る、といった。
 いまの日本で、「衣」はあり余っている。片付けられない症候群の若い女性の部屋が、それこそ足の踏み場もないほど、袖を通さなくなった衣類で埋め尽くされ、なかには堆積をつくっている光景が、ちょくちょくテレビに映し出される。最近では、すっかり見慣れてしまって、観て驚かなくなった。つまり、衣服で溢れ返っているのである。「食」の方もそうであろう。回転寿司というと、最初のころは、ネコでさえそっぽを向いて通り越す、というイメージがあったが、昨今はいいネタが供されるようになったと聞く。慶賀の至りというところだが、子連れのおかみさんたちが、大口を開いて頬張るさまを見ていると、ちょっと待てよ、という気分にさせられる。



 3.11後の電力不足の際にあれほど叫ばれた“節電”の声は、いまやまったく聞くことがなくなった。

 EH家電のテレビCMさえ復活している。もうじき“オール電化”まで息を吹き返し、頃を見計らって“電力不足、燃料高騰、地球温暖化”、だから「原発」というキャンペーンがゾンビのように生き返るかもしれない。

 3.11とフクシマを、あえて“災い転じて福となす”とするなら、“節電”“省力化”“無駄の排除”そして、“相互扶助”という言葉や文化を推進させる機会であったはずだ。

 もし一言で言うなら、“もったいない”という言葉こそ、一昨年や昨年を象徴する言葉になるべきではなかったのか。それこそ“流行語大賞”をとるほど巷に普及しても不思議のない歴史的な位置づけにあったのではなかろうか。

 しかし、安倍政権とその取り巻きマスコミの“洗脳”よろしく、再び飽食と贅沢の復活があちこちに見え始めた。


 デフレ脱却は、インフレ社会の中で、際限なく個人消費の拡大を目指すものではない。利益を度外視して、その価値に見合わないような低価格戦争により、労働者の賃金や生活などが圧迫されることをなくするためだったはずだ。また、中小企業も含めて、企業が適正な利益を得て社員や社会に還元させる原資を得るためではなかったのか。

 アベノミクスによる恩恵は、果たして誰が得ているのか。この四月に一部の産業や企業で若干の賃上げはあるだろう。しかし、消費税は上がるし、社会福祉のための国民の負担は増えている。しかし、“景気が良くなった”という共同幻想に浸り、咽喉元を過ぎて“もったいない”を忘れているのが、今の日本社会ではないのか。

 本書の中から、あえて、読むのが辛い部分を紹介する。

 本田靖春は、月刊「現代」に執筆中にも、数回にわたって手術や療養で休筆を余儀なくされている。

 第8部の冒頭から。

 すでに書いたことだが、私は肝ガンを抱えている。そいつが見つかったのは、1998(平成十)年であった。当時、人工透析に通っていた阿佐谷の診療所の春の定期検診で発見された。一センチに満たない小さなものであった。
 投げやりに聞こえるかも知れないが、告知を受けたとき、私は手術などしないで放っておく道を選んだ。老人のガンは進行が穏やかで、差し迫っての問題ではない、との説明があったからである。
 ガンが成長して、それが命取りになる事態はいつごろくるのか、医師はいわなかったし、私も訊かなかった。妙な言い方になるが、そのときまではとても生きてはいられないだろう、と考えたのである。
 それには根拠がある。私が透析に入ったのは1993(平成五)年九月だが、診療所の所長に、透析を始めた患者の平均余命を尋ねてみたところ、「うちの場合で五年というところですかね」との答えがあった。ちなみに、十年間の生存率はおよそ10パーセントだという。
 その日、家に帰ってからかみさんに意見を求めると、「あと二年間、頑張れないかしら」といった。当時は体調がひどく落ち込んでいて、四時間にわたる透析を終えたあと、待合室で三時間前後横になってからでないと、家路につけない状態にあった。私自身は、一年間もてばいい方だろう、と考えていたくらいだったのである。
 病気の話はなるべく手短かに片付けたい。読まされる側にとっては、迷惑以外の何物でもない、と思うからである。
 肝ガンが発見されたとき、透析に入ってからすでに五年余が経っていた。平均余命は消化していたのだから、ありがたいとしなければならない。残りの人生を一年と踏んでいた私からすれば、充分に長生きしたことになる。
 そういう気持ちでいたところ、翌99(平成十一)年七月、左眼が突然、見えなくなった。硝子体出血であった。
 このときはあわてた。右眼はすでに失明しているから、左眼もダメだとなると、全盲になる。執筆はもうできない。それでは死んだも同然である。
 悲壮感というやつは嫌いなので、ごく軽く読み飛ばしていただきたいが、私はこの連載を書き続けるだけのために生きているようなものである。だから、書き終えるまでは生きていたい。正直なところ、寿命が尽きる時期と連載の終結時を両天秤にかけながら、日を送っているのである。
 (中 略)
 東京女子医大糖尿病センターに入院し、レーザーの治療を受けたところ、硝子体の出血は収まって、視力を回復することができた。といっても、視力検定表のいちばん上の字がわからないので、0.1以下である。でも、倍率4のレンズを使って、原稿を書くことはできる。一日も早く退院して、執筆に復帰しなければならない。


 本書が、本田靖春の遺書であるということは、このような文章が物語る。
 
 ほとんど裸眼では見えない状態で、うすぼんやりした残った左眼にレンズを当てて書いていた文章には、著者の命の重さが乗っており、執念が込められている。

 しかし、執筆が可能となってからも苛酷な試練が続いている。

 翌2000(平成十二)年は大忙しであった。六月に大量の下血をして、S状結腸ガンが判明、患部二十センチを切除する手術を受け、体力を回復するいとまもないうち、十二月にはエソに冒された右脚を腿のところから切断した。それを追いかけるように翌年七月、今度は左脚をやられ、これも同じ部位から切り落とす羽目になる。
 こういうありさまでは、肝臓のことを気に病むゆとりはない。ずっとそのまま放ってある。この分では、肝ガンを抱いたまま灰になるだろう。
 それもいいかな、という思いがある。なぜなら、このガンは私が社会部記者をやっていた証のようなものだからである。世に勲章を欲しがる奴がゴマンといるが、そんなものはいらない。私には肝ガンという「記念メダル」がある。せっかくだから、そいつを最期まで育ててやるのも一興であろう。



 こういった満身創痍の状態で綴られた得がたい“ジャーナリスト”の「遺言」を、今後も度々紹介しようと思う。

 本田靖晴ならば、今の政治状況、都知事選挙などについて、どんなことを言い、書くだろうか。間違いないのは、その視点は権力側にあるはずもなく、“由緒正しい貧乏人”の視点だろう、ということだ。


 本田靖晴が見限った読売新聞は、正力→ナベツネの伝統(?)をしっかり維持して、原発推進の旗を振っている。

 本田が生きていれば、今の読売の状況をどう言うだろうか・・・・・・。

 没後十年、3.11とフクシマの後に、彼が何を語るかを聞けなかったのが、心残りである。
Commented by 佐平次 at 2014-01-15 10:37 x
本書、興奮して読みました。
生きていてほしかった人です。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-01-15 12:09 x
本田靖春が語る「社会部が社会部であった時代」は遠くなりましたね。
今の読売は、原子力ムラの広報誌のようなものです。
売(買)血の実態を探るために、ボロを着て顔に靴墨を縫って変装し山谷に飛び込むような記者は、今では存在しないでしょう。
本田の猪瀬に対する印象なども後日紹介するつもりです。

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by kogotokoubei | 2014-01-14 07:01 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛