JAL名人会 内幸町ホール 7月30日 三喬の熱演に感謝・・・・・・。
2013年 07月 30日
その後、しばらく呆然としていた。
しかし、なんとか残りを書き続けよう。
この会は、顔ぶれに笑福亭三喬、桂宮治などの名を見つけ、結構早い時期にチケットを確保していた。出演者によってはあっと言う間に売り切れる会だが、今回は八分程の入りだったろうか。
昨年八月の会で、松喬の『崇徳院』を聴けた時の感動は今でも忘れない。そして、あれが最初で最後となったことは、残念でならない。
2012年8月29日のブログ
出演者と演目、感想と所用時間を書き留めたい。ちなみに入場の際にいただいたプログラムには開口一番以外のネタが書かれている。
柳家緑太『狸の札』 (12分 *18:30~)
昨年の、松喬が出演した会以来。花緑の七番目の弟子、のはず。未だに協会のサイトのプロフィール欄には生年月日と出身(埼玉県和光市)しか記載されていない。入門年が不明。この人のすぐ下の弟子が先日池袋で聴いたフラワー。
昨年は、落ち着きすぎている、というような小言を書いたが、今回は素直に褒めたいと思う。滑舌は良く語り口は明瞭、カミシモもしっかり。今後に期待したい人だ。
桂宮治『道灌』 (20分)
会場に来るのに少し遅れた言い訳として、大阪のオバチャンが電車の改札でトラブルがあった、というマクラをふっていたが、テレカで改札を通ろうとしたオバチャンが本当にいたら、それはなかなか凄いものだ^^
ところどころオリジナルと思われるクスグリを入れた爆笑ネタで会場を沸かせた。しかし、やや“馬力”のみで単調に過ぎた感はある。
昨年のNHK新人演芸大賞を受賞した実力は、もちろんフロックではない。しかし、そろそろ得する見た目とパワーだけではない落語に進む段階のような気がする。まだ二ツ目であることは承知してはいるが、この人はもっと大きくなるだけの素養も心がけもあるように思う。芸協の期待の星。
笑福亭三喬『まんじゅう怖い』 (28分)
生の高座は初めて。しかし、かつてCSのSKY・A「らくごくら」などでよく見て聴いていたので初めてのような気がしない。
マクラで師匠のことは触れない。そして、暗いそぶりも一切見せない。当り前とも言えるかもしれないが、プロの仕事の証だろう。
上方落語の特徴である見台、膝隠し、小拍子の由来と六代目のことなどをしっかり語って本編へ。この噺は東京と上方ではネタの重さ、というか位置づけが違う。東京では、どちらかと言うと軽いネタとして捉えられているが、上方では演技時間も長いし、結構難しいネタと考えられている。その上方版の特徴の一つである“親っさん”が語る怪談めいた夢の話を三喬は演じなかったが、もちろん時間の関係だろう。大師匠六代目などはこのネタを一時間近く演じていた大作だが、JALの機内放送番組としては長すぎるからね。
しかし、大師匠譲りと思える、饅頭を銘柄を含めて丁寧に語る場面などは楽しかった。孤月堂の最中、戎橋橘屋の“へそ”、高砂屋の薯蕷(じょうよ)など。そして、今の時代のクスグリとして“551の豚マン”が入る^^
上方版の長講とはならなかったが、笑福亭の伝統をしっかり継承する見事な高座、今年のマイベスト十席候補とする。この人には師匠の芸をしっかり継いでいって欲しいし、その力は十分にあると思う。
三遊亭円橘『百川』 (25分)
仲入り前は初めてのこの方。いわゆる円楽一門だが、五代目円楽の門下に入る前は、三代目小円朝の最後の弟子だったようだ。萬橘(旧名きつつき)の師匠。住まいから“深川の師匠”と呼ばれているらしい。寄席に出ない(出られない)ので縁がなかったが、こういうベテランが、あの一門にもいるんだよね。
江戸の三大祭りや四神剣の丁寧な説明から始まる、安心して聴ける高座だった。百兵衛さんのあの口癖は、「へ!」としており、他の噺家さんのような「うっひょ!」などと凝ることはなかったが、それも自然で良いかと思う。演出上で一つ気になることがあった。百兵衛さんが二度目に二階の河岸の若い衆の座敷に上がって正体(?)がばれる場面。「四神剣の掛け合い人」と聞き間違えていた初五郎が、実は「主人家の抱え人」であったと気づくのだが、百兵衛さんに、「主人家の~」を言わせるのではなく、初五郎が自分で言う演出。あの場面は、やはり百兵衛さんが言って欲しかったなぁ。もしかすると、少し時計を見たような気もしたので、時間短縮のためだったかもしれない。
いずれにしても、こういうしっかりした江戸の香りのする“深川の師匠”についているから、萬橘の今後も楽しみだ。
ユリオカ超特Q 漫談 (18分)
初めてである。きっと他にもいろいろネタがあるのだろうが、自分の頭がそうなので自虐的と言える“ハゲ”を題材にしたネタ。NGが抜け毛、KYは、髪に良くない、などのネタで会場は沸いていたが、私はあまり感心しない。身体的な特徴(ハンデ?)をネタにするとなると、デブのネタ、チビのネタ、というものまでありえるかもしれないが、「本人がそうなのだからいいだろう」とは言えないように思う。お客さんのなかには、心地よく聴けなかった人も少なくなかったのではないだろうか。
*私の思いを表すため、やむなく普段は使わない蔑視的な表現を使っていることをご容赦ください。
桂米丸『杖』 (35分 *~21:04)
前半の師匠今輔との思い出話は貴重だった。途中からは先日末広亭で聴いた内容とほぼ同じ。しかし、最後に十分ほどで演じた新作は、末広亭の後でネットで調べたところ『さくら通り商店街』と書かれていた方がいて、何の疑問もなくその題でブログを書いていた。私のメモも“さくら通り”としていたので、やっぱり、と思ったのだった。しかし、『杖』が正しいようだ。なるほど、『さくら~』では、サゲが分かるからね。
いずれにしても、今年で八十八歳の若々しい高座にまた出会えてうれしかったなぁ。
なんとか書き終えたが、まだ喪失感は残ったままだ。
昨日午後四時半、とスポーツ紙にある。 三喬の出番は午後七時を少し回った頃だった。彼は師匠の訃報を知っていてあの高座だったのか、それとも知らなかったのか・・・・・・。きっと、高座を休むことを師匠も許さなかったはず。いずれにしても、彼の熱演に感謝するばかりだ。
上方落語の重鎮を一人失った。昨年ぎりぎりのところで生の高座に出会えたことは僥倖だった。合掌。
2日土曜日の秩父宮でのラグビー観戦の帰り、羽田から大阪伊丹行きのJAL機内で、機内放送の「JAL名人会」を聴きました。 ... more
松喬師のブログが先月上旬から更新されず、その後の高座がすべて中止になっているのを見ては心配していました。
私はCDとPCサイト「落語動画」でしか聞いたことがなく、いつかは寄席で生の松喬師をと思っていたのですが…。
ただただ哀しいです。
「好演」との評判をネットで目にしたものの、
その録画を最後まで見終えることができませんでした。
まだ、別れを告げるには早すぎる、という気持ちがあり、
現実を受け入れたくありません。
痛恨の一語に尽きます。
「この人がいれば上方は大丈夫」と思わせてくれる、
豪放、飄逸、艶を持った師匠でした。
早すぎます。
非常に悩ましい問題ですが、勘三郎、團十郎の時と同じような複雑な心境です。
三喬は、新幹線の時間を考えると最後を看取ることはできなかったのでしょうね。
しかし、彼の高座を後押しする師匠の力があったような、今はそんな気もします。
お2人ともさらりと故人に触れ、おそらく意識して松喬師匠の得意ネタで堪能させてくれました。
1日の繁昌亭夜席のトリは松枝師匠、因縁を感じると言いながら以前から決まっていた『らくだ』。この方の紙屑屋の哀しさは逸品です。
本当に残念ですが御病気のことを考えると、松枝師匠のブログにあるように「持てる物全てを出し切った」と言えるのかもしれません。
同期の松枝・呂鶴のお2人は、同じく全盛期の松鶴に鍛えられただけあって深みのある芸を持っていますし、
一門には三喬師を筆頭に、「松鶴と米朝の中間を目指す」芸を引き継ぎ発展させると思わせる人が何人かいます。
三喬師匠、大変な毎日の中高座に上られていますが・・・。
『まんじゅう怖い』は「おやっさんの話」を含む形で何回か聴いているだけに、ちょっと残念ですね。
松枝さんは未見なので、東京地区でぜひお聴きしたいものです。
『まんじゅう怖い』は、やはりあの場面がないとねぇ。
繁昌亭も良い顔ぶれですねぇ。
無償に地元で上方落語を聴きたくなるコメントでした^^