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噺の話

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朝日の「足元」が見えない—「日本の現在地㊦」と社説などから。

先日㊤を紹介した朝日新聞「2013年参院選 日本の現在地」の㊦が掲載された。サイトでも確認可能。
「朝日新聞」サイトの該当記事

 ㊤と替わって、今度は、いわゆる「右翼」と「左翼」から一人づつ。

「お手軽な愛国主義に席巻され」と題したコメントは、「一水会」代表・木村三浩。プロフィールが以下のように紹介されている。

きむらみつひろ 56年生まれ。81年、「反米愛国・自主独立」を掲げた新右翼「統一戦線義勇軍」を結成、議長に。00年から現職。著書に「憂国論」「『男気』とは何か」など。



 木村の指摘は、次のようなものだ。

 「アメリカと仲良くすることが日本の国益につながる」という政治家や官僚の言説がまかり通っていますが、国益は、目先の損得とは全く違う次元で構想されるべきでしょう。大国の陰に隠れてものを言うような国が、他国から尊敬されるはずがありません。

 決定的だったのは、イラク戦争への加担です。真っ先に開戦を支持し、協力した。そこには日本独自の判断なんかみじんもないし、その判断が妥当だったかの検証すらいまだに行われていません。こんな現状を放置したまま憲法を改正したら、集団的自衛権の旗印のもと、アメリカの下請けとして、どこまでも引きずられて行くことになる。ゆえに現時点では、憲法改正には反対せざるを得ません。

     *

 <何を「取り戻す」>

 TPP(環太平洋経済連携協定)もそうです。日本をアメリカに売り渡すことになると、右翼の立場から反対しています。だけど安倍晋三首相は、東京都議選告示前の街頭演説で遭遇した反対派の人たちを「左翼の人達」「恥ずかしい大人の代表」とフェイスブックで批判しました。日の丸を持っている人もいたのに、自分の言うことに反対する人間はみんな左翼だとレッテル張りをして攻撃する。お手軽な時代にふさわしい、お手軽な政治手法です。

 何よりも許せないのは、アメリカに付き従っている代償行為として、お手軽ナショナリズムを政治がくすぐっていることです。その典型が、今年4月28日の「主権回復の日」。沖縄を例にとるまでもなく、主権なんて回復されていないじゃないですか。あまりにも腹が立ったので、「羊頭狗肉(ようとうくにく)の戦後レジームからの脱却を許すな」という横断幕を掲げ、記念式典の開催に合わせて3日間、初めて国会前で座り込みをしました。

 自民党は「日本を取り戻す」と盛んに言っていますが、どこから何を取り戻すつもりなのでしょうか。政治の言葉にくすぐられ、踊らされたらロクなことにならない。「取り戻す」の内実はきちんと検証されなければなりません。


 私は、木村の主張を好意的に受け取った。

 かたや「左翼」代表としては、社会運動家・太田昌国が、「自己批判できない左翼の敗北」と題して、次のように主張している。 

 日本は産業構造が大きく変化し、少子高齢化も進んで新しい時代を迎えています。私たちはかつてのような「経済成長第一」の考え方自体を見直すべき時期に来ているはずです。いったんは解決したと思われた貧困問題も再び浮上し、中堅の働き手も高齢者も子どもも、それぞれつらい状況を生きている。問題の根がどこにあるのかをよく見極め、具体的な解決策を打ち出していくのが、本来の政治のあるべき姿でしょう。

 ところが安倍政権は、目の前に山積している課題を放置しながら、矛盾を糊塗(こと)するかのように外に「敵」をつくり、ナショナリズムをあおっている。「日本を取り戻す」という威勢のいい言葉で目くらましにしようとしている。

 残念ながら、社会全体が抵抗力を失っている感じがします。メディアの批判的な言論もすっかり衰退しました。社会はここまで、むざむざと壊れるものなのかと、呆然(ぼうぜん)とすることもあります。

     *

 <新しい運動模索>

 もともと無政府主義に惹(ひ)かれていた僕は、党や組織を絶対化することが諸悪の根源だと考えていましたから、無党派ラジカルの立場からイラク派兵阻止や反安保など様々な社会運動にかかわってきました。ソ連崩壊は抑圧的な社会主義の崩壊であって、広い意味での社会主義思想が再生するためにはプラスだと評価する立場です。

 だからこそ、ますます非人間的になっていく状況を人間の理性がいつまでも放っておくとは思わない。批判の理論と実践が人々の間から生まれないはずがない。こういう時代だからこそ、左翼は再登場しなければならないんです。

 そんな芽はどこにも見えないじゃないか。一体どこにあるんだと言われれば、確かにそうかもしれない。でも失敗に学び、どうすれば「権力を取らずに社会を変えられるか」という問題意識は生まれています。反権力ではなく、非権力・無権力の立場から新しい言葉、新しいスタイル、新しい社会運動の模索が始まっています。それは、大きな希望です。

 いま世界をおおっている現代資本主義は、5世紀かけて形成されてきた強靱(きょうじん)なシステムです。これを批判する思想と運動が、いったん敗北した後によみがえるには、まだまだ時間が必要なのです。



 ちなみに、太田のプロフィールは次のようになっている。

おおたまさくに 43年生まれ。「現代企画室」編集者。南北問題や民族問題を研究。著書に「『拉致』異論」「鏡としての異境」「チェ・ゲバラ プレイバック」など。




 木村の“自民党は「日本を取り戻す」と盛んに言っていますが、どこから何を取り戻すつもりなのでしょうか。政治の言葉にくすぐられ、踊らされたらロクなことにならない。「取り戻す」の内実はきちんと検証されなければなりません”という言葉に異論はない。

 そして、太田の“残念ながら、社会全体が抵抗力を失っている感じがします。メディアの批判的な言論もすっかり衰退しました。社会はここまで、むざむざと壊れるものなのかと、呆然(ぼうぜん)とすることもあります”という感慨には共感できる。

 よく言われることでもあるが、もはやかつての「右翼」「左翼」と、紹介されている二人の見解にも表れているように、今日の「右翼」「左翼」の実態は相当変わってきている。

 「日米安保体制」に批判的な「右翼」は、かつて想像できなかっただろうし、「非権力」「無権力」からの新たな社会運動を唱える「左翼」も、従来のイメージからかけ離れていると言える。もう、かつてのイメージの「右翼」≒「保守」であったり、「左翼」≒「権力打倒」を払拭しないと、発言内容だけでは「右」か「左」かの判断ができない。


 さて、あらためて今回の特集のこと。朝日は㊤の五人、㊦の二人の発言から、いったい次の参院選に向けて、何を伝えたかったのか。


 「とりあえず、いろんな考えを持つ人たちの発言を載せました」というのが、この特集の意図ということなら、それはそれでよし、としよう。

 では、肝腎の朝日新聞の「足元」はどれだけ強固なものなのか、それは社説にでも表明されているのだろうか。

 最近の社説で参院選に関して主張が少しは明確になっていそうなのが9日の社説だ。全文をご紹介。「朝日新聞」サイトの該当記事

(社説)参院選と憲法 首相は疑念にこたえよ

 憲法改正の行方を左右する参院選なのに、議論がどうにも深まらない。改憲を持論とする安倍首相が、選挙戦では多くを語らないからだ。

 まずは「アベノミクス」で参院選を戦い、改憲は政権基盤を安定させてから——。首相がそんな計算から議論を逃げているとしたら、あまりにも不誠実な態度だ。

 首相はこの春、改憲手続きを定めた96条をまず改正するよう訴えていた。参院選の結果次第では、日本維新の会などを含め改憲発議に必要な3分の2の勢力を、衆参両院で確保できると踏んだからだろう。

 ところが、その後の維新の会の低迷や、改正に慎重な公明党への配慮もあって、96条改正に正面から触れなくなった。

 かといって、首相が改憲を棚上げにしたわけではない。街頭演説では「誇りある国をつくっていくためにも、憲法改正に挑んでいく」と語っている。

 問題なのは、首相は「私たちはすでに改正草案を示している」というばかりで、どの条項から改めたいのかを明確にしていないことだ。

 自衛隊を「国防軍」と改め、集団的自衛権の行使を認める。首相がそう考えているなら、なぜ9条改正をめぐって野党と堂々と議論しないのか。でなければ、有権者に十分な判断材料を示せない。

 憲法に対する首相の基本的な認識についても、疑念を抱かざるを得ない。

 首相は日本記者クラブの党首討論会で、権力に縛りをかける憲法の役割について「王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方」だと語った。自民党草案には基本的人権を制約する意図があるのでは、との質問に答えてのことだ。

 だが、民主主義のもとでも権力や多数派がしばしば暴走することを、歴史は教えている。それを時代錯誤であるかのように切り捨てるのは、認識不足もはなはだしい。

 参院選後は、消費税率引き上げの判断や環太平洋経済連携協定(TPP)など課題が山積みだ。仮に改憲派が多数を占めても、改正が直ちに政治日程に上るかどうかはわからない。

 一方で、参院選は与党の優位が伝えられ、今後3年間、衆参両院で与党主導の態勢が続く可能性がある。

 改憲が現実味を帯びてきた中での参院選である。「改正する」「しない」の抽象的な二元論では済まされない。

 具体論がなければ、一票の行き先は決められぬ。



 この社説が指摘する、 “問題なのは、首相は「私たちはすでに改正草案を示している」というばかりで、どの条項から改めたいのかを明確にしていないことだ” って、本当に問題なのだろうか?

 安倍右傾化自民党の狙いは、あまりにも明確だろう。安倍が言うように「改正草案」の内容を吟味すれば、十分にメディアは問題点を指摘できるはずだ。

 そもそも、この選挙戦において安倍は確信犯として憲法改正に関する具体論を避けているのは明白だ。

 最後の「具体論がなければ、一票の行き先は決められぬ」という言葉は、読者に、「そうか、そうだよなぁ、それじゃ決められないなぁ」という空気を助長し、無関心派や棄権組を増やすことにさえなりかねないのではないか・・・・・・。

 この論調で最後を締めるなら、「具体論を避け、アベノミクスのプラスのイメージに頼って選挙を乗り越えようとしても、有権者に対して説明責任を果たしているとは言えない」とでも書けばよいわけで、思考中止を肯定するような表現は大いに疑問だし、安倍晋三への悪口を言っているだけのようで、まったくオピニオンにはなっていない。


 今、朝日を含むかつての「左翼」メディアは、自分達の足元が見えていないか、あるいは、その足元を固めることを放棄しているようにも思える。そして、産経を代表とするかつての「右翼」メディアは安倍自民党の広報部門に成り下がっている、と言ってもよいだろう。

 21日には、テレビ局も大新聞も選挙結果の速報のために多くの人間を動員するのだろうが、「当確」を早く出すのことは、政治の本質的な問題としては、まったく重要ではないだろう。
 選挙の開票速報を、どこかのテレビ局が勇気をふるって放送しないで、ぜひ落語でも放送してくれないかと期待しているが、なかなかそうはならない。

 いっそ、投票日は、じっくり自分達メディアの今後のあり方について、社内で議論を戦わせる時間に充ててはどうか。そんな気がする。「速報性」なら、今やネットの時代である。新聞には、もっと別な使命があるはずだ。
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by kogotokoubei | 2013-07-18 00:24 | 責任者出て来い! | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛