『井戸の茶碗』のような話が、本当にアメリカであった!
2013年 03月 21日
朝日新聞サイトの該当記事
280円のお碗、実は北宋の名磁器 NY、2億円で落札
2013年3月21日10時39分
【ニューヨーク=中井大助】ニューヨーク州に住む家族が3ドル(約280円)で購入した磁器の碗(わん)が中国の北宋時代(960~1127年)の名器とわかり、19日に222万5千ドル(約2億1千万円)で落札された。
競売にかけられたのは定窯(ていよう)の白磁碗。直径が13・4センチで、内側にはハスの花、外側には葉の模様が彫られている。競売を実施したサザビーズによると、同じような模様と大きさの碗は、ロンドンの大英博物館が所蔵している一つしか確認されていないという。
所有していた家族は2007年にガレージセールで購入し、自宅に飾っていた。最近になって価値が気になり、専門家に鑑定してもらったという。
競売では20万~30万ドル(約1900万~2800万円)の値段がつくと予想されていた。しかし、4人が激しく争った結果、ロンドンの美術商が予想を大幅に上回る値段で競り落とした。
280円が-------->2億一千万円に、ということは75万倍である!
「定窯」とは何か、ということを調べたら、東京国立博物館には定窯の白磁の「皿」があるようで、こんな説明が記載されていた。
東京国立博物館サイトの該当ページ
定窯は宋時代を代表する白磁の名窯であり,窯址は現在の河北省曲陽県に発見されている。良質の磁土を用いて器壁は薄くのびやかに成形され,酸化焔焼成によって釉薬中の微量の鉄分が黄味をおび,あたたかみのある牙白色の釉膚となっている。流麗な蓮花文,文様の輪郭に向って斜めに刃を入れて彫る片切り彫りの手法によっており,深く掘られた部分に釉薬が厚く溜ることによって文様が浮かび上がって見えるのである。釉調の美しさと文様の見事さをかねそなえた定窯白磁の典型作といえる。
さて、それでは高麗茶碗の王、と言われている「井戸の茶碗」は幾らだったのか、ということで、あらすじを簡単にご紹介。
・清正公様脇の裏長屋で娘と暮らす貧乏浪人の千代田卜斎から、正直者で通っている屑屋清兵衛が卜斎に頼まれて普段は扱わない仏像を預かった。その仏像を、細川家家来の高木佐久左衛門が二百文で買って洗ったところ、底の台紙が破けて中から五十両出てきた。
・「仏像は買ったが、中の金子まで買ったわけではない」と佐久左衛門。清兵衛を呼んで卜斎に金を返すための仲介をさせるが、卜斎も、「先祖が困窮した時のために仏像に隠した金であろうが、その大事な仏像を手放すような愚か者には、この金はふさわしくない」と頑固に受け取らない。清兵衛が、この二人の間を往復し難渋して仕事にならない。卜斎の住む長屋の大家に清兵衛はいきさつを話したところ、大家が「今どき珍しい美談。さすが、花は桜木、人は武士」と喜び、仲介役を買って出る。
・施しを受けることはできない、と金を貰うことを固辞する卜斎に、大家が「どんな物でも先方に何かを渡し金を受け取れば、貰った事にはなりません」と説き、やっと納得した卜斎。いつも使っている古く茶渋で汚れた茶碗を渡し二十両の金を受け取る。ちなみに、五十両は、卜斎と佐久左衛門で各二十両、清兵衛が手間賃で十両である。
・この話を佐久左衛門の主である細川の殿様が耳にし「今どき、あっぱれな話である」と高木を呼び出して褒めたところ、居合わせた目利き(鑑定人)が茶碗を見て、「殿、この茶碗は世に二つと言われる井戸の茶碗という名品です」と言ったものだから、殿様が高木に三百両与えて自分のものにする。
・さて、この三百両をどうするかで、また清兵衛は佐久左衛門と卜斎二人の間を言ったり来たり。その結末は、割愛。
目利きが言う「世に二つ」が、「世に二つとない」という意味か、「世に二つしかない」なのか、勉強不足で分からないのだが、アメリカで発見された定窯の白磁碗は、今のところ「世に二つ」のようだ。このへんも、落語の内容と似ていて、つい笑ってしまった。
さて、「井戸の茶碗」の三百両が、いったい現在の価値でいくらになるか、ということを考えてみる。
まず、江戸の「金」「銀」「銅銭」の関係は次のようになっていた。
金一両=銀五十匁(もんめ)=銭四貫
一両小判でもっとも純度が高かった「慶長小判」で金の含有は約15グラムだったが、一匁は3.75グラムなので、銀五十匁は銀187.5グラムとなり、これで一両。通貨単位の一貫は1000文。だから銭四貫が4000文。落語の『五貫裁き』に登場する五貫は、一両と少し、ということ。
次に「一両」は現代の貨幣価値でいくら位か、ということ
江戸時代にもあったインフレなどの影響で一概に決められないが、米の値段などを考慮すると、一両が4万円から12万円位の幅で推移したと考えられる。ここでは一両を六万円として計算。ちなみに、単位として、一両=四分、一分=四朱、という構造がある。よって、一分が1万5千円、1朱が3,750円となる。
落語の泥棒ネタのマクラで使われることが多いが、江戸時代、泥棒が十両盗むと打ち首だったようで、泥棒もぎりぎりの金額しか盗まないことが多く、そこから「どうして九両三分二朱」などという言葉が残っている。「九両」は「くれよう」の洒落ですな。
では、一両=60,000円の妥当性を、他の江戸時代の物価との比較から検討したい。
例えば、そばの値段。『時そば』でご承知のように、そば一杯は十六文。60,000円=銭4000文、となるので、一文が15円、よって15X16=240円、ということになる。
また、当時の一般的な大工さんの給料は記録によると一日の手間賃銀五匁四分。もし月に25日働いたとすると、5.4X25=135匁となる。一両=60,000円=50匁ということは一匁が1,200円なので、1,200X135=162,000円ということ。月給162,000円で、そば一杯240円。まぁまぁ、物価の安かったであろう江戸時代なら、違和感のない数字かなぁ。
佐久左衛門は、卜斎が手放した仏像を200文で購入して、中から五十両、自分には二十両分配があったのだから、15X200=3,000円で買って、おまけが60,000X20=120万あった、ということになる。
そこで、あらためて三百両は現在ならいくらか、である。
60,000円X300=1800万円。
偶然だが、紹介した記事に、“競売では20万~30万ドル(約1900万~2800万円)の値段がつくと予想されていた”とある。
予想通りなら、ほぼ三百両で、「井戸の茶碗」と同じなのだが、細川の殿様のような人が複数で競った結果、2億一千万に跳ね上がったわけだ。
ここで思った。ガレージセールで幸運な持ち主に売った人に、この持ち主は、なにがしかの御礼を、普通はするだろう。
記事になって世間に知れた以上、だんまりはないわなぁ。
果たして、ガレージセールで手放した“アメリカの千代田卜斎”は、「それは受け取れん!」と固辞するのかどうか。このニュース、その後の顛末も気になるなぁ^^
謝礼をするとして、なまじの額ではかえって、、^^。
