西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 2月1日
2013年 02月 02日
この二人は、学年が同じ(かい枝が昭和44年5月生まれ、兼好が昭和45年1月生まれ)で、お互いに大学を卒業してしばらくしてからの入門。東京と上方の若手(落語界で43歳は、まだ若手だろう)実力者同士の会に、久し振りの参上だ。ネタ出しされていたのが、かい枝『親子茶屋』、兼好『厄払い』。
会場は六分ほどの入り。この二人で・・・・・・。次のような構成だった。
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(開口一番 笑福亭笑助 『寄合酒』)
桂かい枝 『受験生ブルース』
三遊亭兼好 『花筏』
(仲入り)
三遊亭兼好 『厄払い』
桂かい枝 『親子茶屋』
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笑福亭笑助『寄合酒』 (19:00-19:17)
この人も、一昨年6月のこの会以来。その時のネタが『ん廻し』だったから、同系統の噺での開口一番である。鶴瓶-笑瓶-笑助ということで、鶴瓶の唯一の孫弟子になる。マクラではいつも「他の師匠から稽古してもらった噺を、落語のできない師匠に教えている」で笑いをとるが、まんざらネタではないのかもしれない。
この人の高座で失望したことがない。しっかりしているし、笑いのツボも押さえている。東京ヨシモト所属で、東西を往復して高座をこなしているが、笑鶴一門の将来を担う重要な一人になるかもしれない。
桂かい枝『受験生ブルース』 (19:18-19:40)
運動部の体罰問題から、日本人は基本的に「Mでしょう!」と、祭りの例を示す。火祭りや寒中に海に入る祭り、そして御柱など、どう考えてもMでなきゃやらないでしょう、との指摘。海外のトマト祭りなどがS的であるのと対照的と解説。結構、当たっていよう。
新作の本編は、ブログによると去年ネタおろししたばかりの噺らしいが、非常に結構だった。子どもが受験生の夫婦の喧嘩の内容が中心。
妻が「結婚前に、会社の人達があんたのこと部長、部長って呼ぶから若いのに部長で偉いんだと思ったら、見た目が貫禄があるから、あだ名が部長で、本当は係長代理補佐なんて、騙された!」と言えば、夫が「おまえだって、近所の町内会長かと思ったら。オバサンたちが“通じ”がなくて困る、って言っていると、お前だけが“絶好調”で、皆から“腸内快調”って。呼ばれているやないか」
などの会話の後、父親が息子のためにと、歴史年号をを覚える語呂合わせなどの壁の貼り紙の内容で笑わせる。例えば、1841年「天保の改革」は、「いやよ xxxの 水野忠邦」(*ご想像にお任せします^^)
こんな父親の息子なので、試験の解答が可笑しい。
「EUとは」→「だいたい41度くらい(風呂の温度!)」とか、
「方位を四つ書け」→「ホーイ、ホーイ、ホーイ、ホーイ」、といった具合。
母親が先生の話を聞いて、正攻法では無理と考え、とにかく息子を志望校に入れようとした方法がサゲにつながるのだが、なかなか良く出来た爆笑ものの新作になっている。この人の新作、はずれが少ないなぁ。
三遊亭兼好『花筏』 (19:41-20:09)
春を迎え、スポーツも野球やサッカーの話題で盛り上がってきたといった話から、あの柔道の監督問題になり、兼好自身のプライベートなネタへ。「へぇ、そうだったの?!」という興味深い話だったが、内容は伏せておこう。
以前にも聴いたことがあるが、その時もあったのか記憶が定かではないのだが、なかなか優れた演出があった。いわゆるカットバックの手法。水戸での相撲興行も明日が千秋楽となり、提灯屋がなりすました大関花筏と、九日間連勝の地元の千鳥ヶ淵を戦わせたい、という勧進元の依頼に、親方は「申しましたように花筏は病気でして」と断ろうとするが、勧進元が、宿の女中や、板場の職人などの「証言」を三人挟む。
「いえいえ、親方、とても花筏は病気とは思えません。なぜなら」、ということで、三人の証言(?)として、メシは山盛りを五杯、酒も飲むし、どんちゃん騒ぎで、とても病気なはずがない、などが当人達の言葉として振り返られるのだが、時間と空間を拡げる効果的な仕掛けだと感心した。
三遊亭兼好『厄払い』 (20:20-20:40)
一月に四十三になり、節分で後厄も終わるが悪い事がなかったのは皆さんのおかげ、というマクラは、このネタに相応しい。昔の人に比べて、同じ四十や五十、六十歳でも、今の人は子ども、という指摘は同感。
本編は、まさに旬のネタ。この噺はこれまで市馬、小満んで聴いている。門付け芸の一つであり、この噺として残っていることが、落語の持つ歴史の伝承という意味で実は非常に大切な気がする。
せっかくなので矢野誠一著『落語歳時記』(文春文庫)から、口上を書かせてもらおう。
「ああら、めでたいなめでたいな、今晩今宵のご祝儀に、目出たきことにて払おうなら、まず一夜あければ元朝の、門に松竹しめ飾り、床にだいだい鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大介百六ッ、この三長年が集まりて、酒盛りいたす折りからに、悪魔外道がとんで出て、さまたげなさんとするところを、この厄払いがかいつまみ、西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山のほうへサラリ、サラリ」縁起の良い口上を書き、それを読んだ人には、きっと何か良いことがあるでしょう^^
桂かい枝『親子茶屋』 (20:41-21:10)
二席目は、見台、膝隠しのない東京落語スタイル。短いマクラでは、終演後に豆まきがあることが告げられた。なかなか結構な余興である。
本編は、前半の親子の会話は結構だったのだが、見せ所である大阪はみなみの色街で父親が遊ぶ場面が、少し残念。せっかくはめ物で上方落語ならではの演出があったものの、芸者との会話や、「狐釣り」の踊りの所作などに、色気や艶に欠けると言わざるを得ない。師匠文枝、米朝、そして三代目春団治などの名人の芸と比べるのは可哀想だが、もう少し茶屋遊びをする必要がありそうだ。まだ四十三、ぜひ修行してもらいましょう。
せっかくなので、『米朝ばなし-上方落語地図-』(講談社文庫)の「宗右衛門町」から、少し引用。サゲの補足説明の意味もある。まず、サゲの部分から。
「やれやれ。ちょっと一服させてくれ。いや、これはどこのお方かは存じませんが、こんな年寄と一座してやろうとおっしゃって下さる。ありがたいことで。ひとつこれをご縁に。・・・・・・あ、おまえ、セガレやないか!」
「あ、おとっつぁん!」
「セガレか。・・・・・・必ずバクチは、ならんぞ」
*
粋なサゲですが「飲む、打つ、買うは三道楽」ということをマクラにふっておいて話に入ります。酒も飲んでるし、芸者遊びもやってる。あとは「バクチはするなよ」と言わないとしょうがない。
明治も末のころには、もうそんなお茶屋は宗右衛門町の通りにはなかったそうですが、江戸時代から明治の初期には二階で散財しているのが下から見えるようなことであったらしい。三味線、お囃子の入るにぎやかな話です。
明治は遠くなりにけり、である。だからこそ、厄払いやお茶屋遊びなどの噺を聴きたくもなるというものだ。
さて、終演後、兼好も登場して豆まきだ。私も前の方の席でもあり、子袋に入ったナッツをいただいた。
縁起の良さを感じながら外へ。桜木町の駅に向かう通りに輝く赤提灯を横目で見ながら帰宅を急いだ。帰って一杯飲みながらブログを書こうと思ったのだが、ほろ酔い気分で「明日できることは明日にしよう」と、怠け心に負けてしまった。
ようやく書き終わるには、テレビ(WOWOW)の「寅さん」を見終わる必要があった。あぁ、日本人は落語と寅さんだ、としみじみ思う節分前日の週末である。
しかし、私は、かい枝さんが師匠を含めて昭和の上方の名人達の後継者となれると思うからこそ、あえて厳しいことを書いています。
もちろん、師匠五代目文枝、米朝、そして三代目春団治と比べるのは「それは、せっしょうなぁ」ということかもしれませんが、今の上方落語界で、果たしてどれだけの噺家さんが、あの名人達の芸を継承できるのか・・・・・・。
しばらくは、奥さん公認(同伴?)のお茶屋遊びをしていただき、五年後位に、またこの噺をお聴きしたいと思います^^
「受験生ブルース」は、結構でしたよ!
