噺の話

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落語の楽しみ方—江國滋著『落語美学』より。

 むかし家今松の高座に関する落語愛好家の方々の多様な評価をブログで読んで、“落語の楽しみ方”って何だ、という素朴な疑問に突き当たり、何冊か落語関連本のページをめくって、江國滋の三部作の二冊目『落語美学』に目がとまった。

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江國滋著『落語美学』

 冒頭の章が「落語への招待」である。
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落語への招待
 1 私の落語鑑賞
 2 誇張のおかしさ
 3 落語的リアリティー
 4 かなしさを伝える
 5 幻想の世界
 6 場面転換と省略
 7 仕種の妙味
 8 題名とサゲ
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「私の落語鑑賞」は、あえてアンツルさんの本と同じタイトルにしたに違いない^^
その中から、まず引用。

「落研」という組織がどこの大学にもある。落語研究会、略して落研。それが寄り集まって即ち全落連—と、そこまでは知っていたが、先日慶応の落研会員の一人に会って「君たち落研の人は・・・・・・」といったら「ラッケンというのは素人で、ぼくたちはオチ研と呼んでいるんです」と教えられた。
 ラッ研かオチ研か知らぬが、ぼくはかねてから大学の落語研究会なる存在自体に疑問を感じている。一と口に「落語研究」といい「落語鑑賞」という。だが、そもそも落語というものは研究だの鑑賞だのと開きなおって聴くべきものだろうか。気随気儘にふらりと聴いて、アハハと笑いのめす、それでいいのではないか。だから、研究会などと肩ヒジはらずに、すなおに「落語愛好会」ぐらいにしておけばいいのに、と思ったりする。
 この間も日大落研の女子学生が、おそろしくまじめな顔で「どういう聴き方をして、何を研究したらいいでしょう」と問うので、
「何もそうむつかしく考えないで、すなおに聴いてすなおに笑うこと。それに、一流といわれる人の噺をできるだけたくさん聴くこと、それだけじゃないかな」
 と答えたのだが、彼女にはそんな無責任な返事がどうもものたりない様子だった。
 また、ある地方大学国文科の女子学生から「落語のサゲの分類を研究して卒論を書こうと思うが、ついては参考文献を教えてほしい」という手紙がきたこともある。「それほど学問的な研究だとは思いません」と返事を出したら、それっきり何もいってこなかった。


“すなおに聴いてすなおに笑うこと。それに、一流といわれる人の噺をできるだけたくさん聴くこと”という言葉に、落語の楽しみ方の要諦が明確化されている。

 もちろん滑稽噺もあれば人情噺もあるので、すべてが“笑う”ネタばかりではないのは百も承知で、大事なことは“すなおに”ということだと、江國滋は伝えたかったのだろう。

 そういう意味では、ブログにいっぱしの感想やら能書きなど書いている私なんぞは、この“すなお”さを忘れかけていないか、大いに考えさせられる。

 さて、この文章の少し後には、本書が発行された当時の落語界の状況や、落語好きな著名人のことが書かれていて興味深いので引用したい。
 そんなわけで、ぼくは落語を天下の大芸術だと思っていないのだが、そのくせ「落語なんて」という人に出会うと、にわかにムラムラと反撥心が生じてくるからおかしい。
 よく落語と聞いただけで「くだらないもの」ときめこんで、さげすむような顔をする人がいるが、その人たちが考えるほど落語は低級ではない。それでなければ、落語があんなにもハバひろい層によって支持されるはずがない。早い話、危機だ危機だといわれながらも、つぎつぎに誕生したホール落語は、いずれも満員札止めの盛況だ。客席は、お年寄りから若いBG、学生まで、色とりどりである。それも観客動員数が多いというだけではなくて、いわゆる有名知識人にこよなく愛されている点でも、ちょっとほかの芸能には類がない。ひところ東横落語会に行くと小泉信三博士や志賀直哉氏の姿がきまって見られた。中川一政画伯にお目にかかったら「落語というものは大したものだと思うね。ぼくはむかし、絵で食えなかったら落語をやろうと思っていたんだ」といわれたし、亡くなられる直前に尾崎士郎氏も「わたしは落語がうまいんですよ」といっておられた。「落語の題名を借りて純文学の短編をいくつか書いてみたいね」といわれたのは阿川弘之氏だ。また、現存するただひとりの元大審院長霜山精一氏は、ラジオで落語ばかりひろって聴いておられた。ノーベル賞に輝く朝永振一郎博士の唯一の趣味が落語であることは、まだ記憶に新しいところだ。

 本書は、昭和40(1965)年に東京書房から発行され、その後旺文社文庫に加わり、今ではちくま文庫で再販されている。ただし、ちくま文庫での発行は2006年と、たった六年前なのに、新刊書店でもなかなか置いていないのは残念である。重版されてしかるべき好著なのだが。

 ちなみに、BGとはビジネス・ガールのこと。今日では、「死語」だね^^
 昭和40年といえば、古今亭志ん朝が27歳。昭和31(1956)年から始まった東横落語会には、二年前昭和38年に『天災』でデビュー、翌昭和39年には『百人坊主』(『大山まいり』)、そして昭和40年には『粗忽の釘』で出演している。
 昭和30年代終盤から昭和40年代にかけての落語界、その後四天王と言われるようになる若手の台頭もあったし、大御所の文楽、円生、病後とはいえ志ん生、正蔵などが健在であった。三代目金馬が昭和39年に亡くなるまでを昭和の黄金時代と言ってよいのではないだろうか。

 次の「誇張のおかしさ」以降は、具体例をあげて、落語を味わうツボのようなものを解説してくれるのだが、「場面転換と省略」から少し引用。『明烏』における場面転換と省略の鮮やかさを紹介した後の部分。

もう一つ、『夢の酒』という噺の中で—
 
「あたしゃ昼寝なんかしたことがないんだがね。(蒲団をかけてもらって)ああ、ありがと、ありがと、あハハ・・・・・・淡島大明神さま、どうぞ倅の見ました夢のところへ導いて下さいますように・・・・・・あァあ、いい心持ちだ・・・・・・」

 *

「ご新造さァ・・・・・・ン、大黒屋の大旦那がいらっしゃいましたよォ」

 聴き手を、現実の場面から夢の中に誘う、その導入の役割を「ご新造さァ・・・・・・ン」という下女の一と言に果たさせているわけだが、余計な説明は一切はぶいて一瞬のうちにガラリと場面を変えているのがまことにあざやかである。
 これがもし講談だったら、それぞれ*印の部分に、
「・・・・・・お話はかわって、こちらは二人の若い衆、いまやおそしと若旦那のご入来を待ちかまえております」
 だとか、
「・・・・・・いつしかぐっすり眠りにおちたかと思うと」
 といった説明が入るところだろう。現在、落語がこれほど盛んなのに、講談が滅亡寸前である理由の一つは、こんなところにもあるような気がしてならない。

 落語愛好家の方なら、『明烏』の説明で、どこに「*」があるか想像できるはず^^

 こういう本を読むと、落語を聴く楽しみが倍加するように、私は思う。


 “すなおに”聴く、というのは、何ら知識を持たず、という意味ではない。聴くときの心のあり様をいっているのだ。
 やはり、落語の舞台である江戸~明治のこと、それぞれのネタのことなどを知っているのと知らないのとでは、楽しさが違う。私はそう思う。
 
 寄席や落語会に意識的に行くようになって数年だが、江國滋の三部作(『落語手帖』『落語美学』『落語無学』)や、矢野誠一の数冊の著作が、私の落語指南役であった。

 新刊書店や古書店でも、五十音順で並んだ書棚に、今では娘さんの数多くの本の片隅に江國滋の本を見つけることができれば、それは僥倖といっても大げさではない。
 もちろん神保町やネットでなら見つけることはできるが、落語ブームと言われる中で、江國滋や矢野誠一の本がそれほど売れているようには思えない今日の状況を、私はなかなか“すなお”には喜べない。
Commented by ほめ・く at 2012-11-17 17:11 x
未だブログを始めたころ、落語について優れた記事を掲載しているサイトがあって、いつも感心しながら読んでいました。
ところが間もなく閉鎖してしまったのです。
理由は、記事を書いていると単純に落語それ自身が楽しめなくなったというのです。噺を聴いていても、これをどう書こうかといつも考えてしまうのだと。
だからその方はブログをやめてしまいました。
その気持ちわかる気がします。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-11-17 17:27 x
なるほど、身につまされるお話です。

あくまで備忘録として始めたはずなのですが、今や、義務感のようなものがあるのは正直なところです。
まだ、落語も楽しめていますし、好きで書いている部分が多いので大丈夫だと思いますが、書くために、見て聴くことの楽しさがなくなってきたと判断したら、私もブログをやめるかもしれません。
“たかが落語、されど落語”という精神で、今のところは、何とか続けられると思います。

Commented by 明彦 at 2012-11-18 21:29 x
江國さんも矢野さんも、確か噺家からの反発に嫌気がさして、「批評」の筆を折ってしまったのでしたね・・・。
(最近矢野さんが書かれたものを読むと、結局「シンブンシ(=志ん生・文楽)爺ぃ」として開き直っているような気もしますが)
僕は演劇評論を少々かじっているのですが、昔横行していた高みから叩くようなものに反発していたものの、今は作り手に媚びる傾向が主流なので、ちょっと情けなく思えます。
そして落語の場合だと、広い視野に立った江國さん・矢野さんが顧みられなくなり、特定の噺家・一門を持ち上げるものが主流になるとしたら・・・困ったことですね。
今ではプロの評論家よりブロガーの方が影響力が大きいのですから、覚悟と責任が求められると思います。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-11-19 09:18 x
矢野さんが、次第に“アンツル化”しているなぁ、と私も感じております^^
アンツルさんは、当時の金馬や可楽(八代目)、権太楼などへの評価が手厳しいことについては、私は賛成できないのですが、一流の芸の目利きであったことは間違いありません。

江國さん、矢野さんの後に続くのが京須さんだと思っていたのですが、う~ん、ちょっと老害が出始めているようですね。

ブログにあまり期待されても困りますが、評論家を生業としている人が人間関係の“しがらみ”があるのは仕方のないところでしょうから、何ら利害関係のない立場で、“すなお”な気持ちで今後も書かせていただこうと思います。

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by kogotokoubei | 2012-11-17 11:09 | 落語の本 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛