噺の話

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第44回 人形町らくだ亭 日本橋劇場 10月22日

久し振りの日本橋・人形町エリアでの落語会。調べてみたら、2月のらくだ亭以来だった。
 今月前半は、業務上のいろいろのため落語や寄席に行くことができず、20日の浅草が9月26日の末広亭での文治襲名披露以来となった。今回のらくだ亭は、落語と少し間が空くことを見越して結構早めにチケットを押さえていた会で、ベテラン陣の渋い(?)高座を楽しみにしていた。277席の一階会場は、七分ほどの入りか・・・・・・。この顔ぶれ、2,500円の木戸銭なら、もっと入ってよさそうなものだ。まさか志の輔の赤坂ACTシアター(1階と2階の合計1,300席!)に行く人とは客層が違うように思うので、小学館の宣伝不足かなぁ。
 
次のような構成だった。
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(開口一番 林家扇『金明竹』)
古今亭志ん吉 『代脈』
桂 南喬    『佐野山』
柳家小満ん  『忍三重』
(仲入り)
古今亭志ん輔 『子は鎹』
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林家扇『金明竹』 (18:51-19:02)
 残念ながら、少し辛口にならざるを得ない。相変わらず、会場を目一杯寒くした。あの言い立ての滑舌が悪く、たとえば「兵庫」なのか「表具」なのか聞き取れない。妙な上方弁を話す客に応対するお内儀さんも、男の噺家よりも色気も艶もないのは、どうも・・・・・・。基本をしっかり身に着けて欲しい。

古今亭志ん吉『代脈』 (19:03-19:24)
 冷えきった会場を何とか温めなおしてくれた。このネタは、一之輔の銀南が印象に残っていて、どうしても比べてしまうのは酷だと思うが、なかなかに頑張った高座。志ん橋に入門して七年目。先日の浅草では仲入りで、一所懸命に文菊のCDと池袋のチケットを売っていた姿を思い出す。見た目も語り口も、良い意味での噺家として適性を持っているように思う。決して体調万全ではないと思われる師匠を支えながら、ぜひ精進して欲しい。

桂南喬『佐野山』 (1925-19:54)
 最初は三代目金馬に入門し、金馬没後は二代目小南の預かり弟子となった、寄席の重鎮である。私は、この人や小里んが脇を固める寄席が好きだ。
 マクラで「モンゴルの国技の相撲、いや違った」と相撲好きであることを語り、「柔道やボクシングだって女性が活躍するんですから、相撲だってまわし一つで若い女性にとってもらえるなら、私は毎日通います」と、やや下品な笑いを浮かべるのも、ご愛嬌だ。このへんも、寄席と変わらぬいつもの高座、という様子で結構。末広亭で聴いた『短命』や『替り目』のような味とはネタの性格上違うのはやむを得ないだろう。地口の多い噺なので、途中はやや言いよどむ場面もあったが、それも十分に許容範囲。昔ながらの寄席の雰囲気漂う高座、結構でした。

柳家小満ん『忍三重』(しのびさんじゅう) (19:55-20:25)
 事前にネットで調べたが、小満ん以外での口演記録を探すことができなかった。帰宅してから調べたところ、この人形町らくだ亭や芝大門のかもめ亭の音源などを販売している「落語の蔵」サイトの石井徹也さんの「らくご聴いたまま」というコラムで、昨年震災直後3月13日の小満んの会におけるこの噺について、次のようなコメントがあったのを発見。「落語の蔵」サイトの該当ページ

長谷川伸の作品に想を得たと伺えば、成程と納得。北前船中の小騒動なら『旅の里扶持』か映画『浮草』のような噺になり、駆落ち者から旅芸人、旅役者、門付けの独り芝居と変わった夫婦が『鎌倉山』の趣向で料理屋の板場に「泥棒芸(とでも言うか)」に入り、祝儀まで貰うに至る、という趣向尽くしのような一席。本格に下座を入れたら、更に風趣の増す噺になりそう。『歌行燈』や『佃の渡し』が聞きたくなる。


 と言うことは、この噺は小満んの創作、ということのようだ。
 他にはブログを含めてこのネタに関する情報を探すことはできなかったので、せっかくだから(?)、何とかこの噺の筋書を頑張って書きたいと思う。少し長くなるが、記憶の曖昧な部分もあるし人名の誤字などは十分あり得ることをご了解のほどを。

 まず、お題の元である芝居の効果音「忍び三重」を、下座さんに弾いてもらってから本編が始まった。聴いて、「あぁ、あれか!」と分かる馴染みのある曲。闇の中での探り合いなどで使われる効果音とのこと。泥棒が家探しをする際に定番、というわけで、噺のヤマでは「有識 鎌倉山」の泥棒の場面が鍵となっている。

 さて、前半は越前船(北前船の中で八百石を越える船らしい)が舞台となる。 後半は江戸へ向かう途中の飛騨高山が主な舞台。こんなあらすじだった。
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前半(お題をつけるなら「越前船騒動」かな)

<越前船の航路と出来事>
・柏崎   銀三郎・おその夫婦が密航。
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・今町(現在の直江津) お蝶が乗船
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|     銀三郎・おその夫婦の密航が発覚。船長から、「海に飛び込め」と脅される。
|     様子を見ていたお蝶姐さん、「可哀そうじゃないか」と、二人の船賃を巧みに
|     値切って払ってやり、夫婦は助かる。
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・糸魚川  荷を積むために、沖で二泊することになった。
|
|     お蝶と夫婦は互いの身の上を語り合う。お蝶は信州善光寺の色街にいたが、
|     役者の嵐伝三郎に惚れて、芝居を打っている水橋(富山)まで行く途中。
|     銀三郎とおそのは、売れない旅役者と 三味線弾き。仕事がなく食べるもの
|     にも事欠き、思い余って密航したという。
|
・水橋   三人は下船。

ここまでが、前半。(ふ~っ
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後半(「夫婦芝居」?)
・水橋での再会
 水橋で芝居を打つ嵐伝三郎と涙の再会を果たすお蝶。喜んだ伝三郎は、銀三郎を弟子に
 抱え嵐伝助と命名。おそのも下座としてやとわれることとなった。

・天保の改革
 おりしも江戸で天保の改革があり、加賀前田藩の支藩である富山前田藩でも、芝居は
 興行できなくなった。悩んだ伝三郎。「そうだ、江戸では芝居小屋を浅草一ヵ所に集
 めることになったようだ。この際、江戸に出て役者として勝負してみようか」。
 お蝶も「そうおしな」と後押し。
 
・飛騨高山~日陰村
 江戸に出る旅の途中、飛騨高山を過ぎた日陰村で、お蝶は病に伏せる。
 しかし、お蝶は、伝三郎に「私は大丈夫だから、江戸に行っておくれ」と言う。伝助と
 おその夫婦には、「無事、伝三郎を送り届けてちょうだい」と頼む。
 江戸に向かう伝三郎。しかし、伝助とおそのは命の恩人であるお蝶を置いて江戸に
 行くことはできず高山に戻り、いわゆる「辻芝居」をして投げ銭を稼ぎ、日陰村の宿で
 病に伏せるお蝶の宿賃や薬代に充てるのだが、雨が降った日には稼ぎもできず、
 困り果てたその時、伝助に名案が浮かんだ。

・魚七
 夫婦の会話。
  伝助  こうなったら、泥棒でもするしかねえな。
  おその 何言ってんだよ、お前さん。
  伝助  本物の泥棒じゃあねえ。こういうことだ。
 と伝助はおそのに自分の計画を打ち明ける。

 さて、舞台はは高山の老舗料理家「魚七」。日が暮れ、泥棒装束となった伝助が魚七に
 忍びこむのだが、効果音として、おそのの「忍三重」の三味の音が響く。その音を
 聴いた魚七の店の者が騒ぎ出すが、主人は「静かに。皆、隠れて見るんだ」と、家の中
 で様子をうかがう。
 さて、台所に忍び込んだ伝助。「有識 鎌倉山」の泥棒の場面よろしく、鍋の蓋を取ると、
 鱈の煮つけ。 「ありがてぃ、かっちけねぇ。奪い取ったる鱈の煮つけ」と科白を語ると、
 隠れていた主人から、「大根役者!」の声。主が明かりをつけて伝助を見て、
 「おや、辻芝居をしていた人だね。どうして、こんなことを。何か訳がありそうだ」と
 親切な言葉がかけられた。伝助は、病で伏せているお蝶のためであると打ち明ける。
 魚七の主、「よ~く、分かった。鱈の煮つけの他にも何かこしらえて祝儀も出そうじゃ
 ないか。もう一度、芝居を見せてくれ」とうれしい言葉。店の者を皆集めて、あらためて
 “出前”芝居が始まる。
 伝助とおその夫婦の恩返しの芝居、そして魚七の粋な計らいでお蝶も快復した、という
 「忍三重」というお噺、これにてお開き。
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 精一杯思い出しながらのあらすじだが、サゲはこうだったか、正直自信がない。
 くどいようですが、人名の誤りもあるでしょうし、細かい点では違っているかもしれませんが、概ねこのような噺でした。(ほぉ~っ
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 筋書きや場面展開を解説する地の部分の多い噺で、小満んは、ところどころはやや苦労しながらつないでいたようにも思うが、そんな表面的なことなどは気にならず、初めて聴く筋書の面白さに惹かれていた。流石だ。もちろん、噺そのものの希少性を含めて、今年のマイベスト十席候補としたい。

古今亭志ん輔『子は鎹』 (20:35-21:05)
 仲入り後、いつもの飄々とした調子で登場。池袋で文菊と志ん陽の披露が始まったことなどのマクラから本編へ。
 この人のこの噺は、少し前になるが、2010年3月の改装前の東京芸術劇場(小ホール)以来。2010年3月15日のブログ
 2010年から2011年という期間は、師匠志ん朝の重圧(呪縛!?)から解放される途上の試行錯誤の時期かと思うが、その時の高座は悪くなかった。しかし、昨年後半から、没後十年を経て、これまでに肩にのしかかっていた師匠の重さから解き離れたような自由さがあり、それぞれのネタに、志ん輔らしさが出てきたように思う。
 ただし、この噺は古今亭の十八番ではない。以前にこのネタのことを書いたが、初代春風亭柳枝作の、とことん柳派の噺。2009年4月18日のブログだから、小三治の通しの名演があるし、さん喬と権太楼のリレーのCD(鈴本夏祭りでの口演)もある。師匠志ん朝は演じたが、立川談志はこの噺が嫌いだった(合わなかった?)ようだ。
 では志ん輔はどうだったか。結論から言うと、この人の持ち味が発揮された高座を堪能した。まず、全篇通じて言えることとして、独特の間を挟みながらのリズミカルな会話が心地良かった。また、この人ならではの新たな演出として、熊五郎が酒をやめる時に心境を語る場面が加わっていた。(以前はなかったように思う・・・・・・。)それは、吉原の花魁が家を出て行った後、ヤケで飲んだくれていたが、ある時、酒を飲もうとして盃を眺め、「こいつが、こいつのせいで・・・・・・」と、失った大きなものに思いを馳せて、ようやくやめることができた、ということをお店の番頭に語る場面だ。私も酒が嫌いではないので、この噺でいつも聴いていてひっかかるのが、番頭や金坊(柳派は亀吉)に、「えぇ、酒はやめました」と軽いノリでは語られると、「おい、そんなに簡単に止めれるの?」と思ってしまうのだ。よほどの葛藤があったはずなので、このひと工夫は効いている。特に酒飲みには実感として伝わった^^
 また、場面転換の鮮やかさも印象に残る。泣きじゃくる金坊から熊に会話が移る際の一瞬で表情を含む切り替えの見事さは、噺にこの人特有のスピード感を与えている。笑いと涙を適度に交えながらの志ん輔版『子は鎹』。師匠の呪縛から脱した芸が熟しつつあると感じた。もちろん、今年のマイベスト十席候補である。欲を言えば、やはり金槌ではなく“玄翁”(げんのう)にして欲しかったが、これは今日では無理な相談なのだろうか。ちなみに、師匠志ん朝も小三治も、もちろん玄翁である。


 終演後は、レギュラーメンバーのYさんと、ほとんどレギュラーと言って良い紅一点Iさんと三人で、いつもの蕎麦屋さんで「居残り会分科会」。お店に向かう道すがらの話題は、「どうして、こんないい会にお客さんが少ないのだろう」ということ。共通見解は、「(この会の噺家さんの良さを)分かっていないんだよねぇ」ということ。
 お店に着くと、人が店から溢れている。「あら、一杯かな?」と思い入ったら、一階のテレビを見ている人達だった。巨人が中日に勝つ寸前とのこと。非常に不愉快になったが、席は三階に空いているようなので、どうでもいい日本の野球のことは忘れて、さっさと階段を上がった。
 席につき、まずは生ビールで乾杯。話題はもちろん落語のこと。聴いたばかりの高座のこと、発表されたばかりの落語協会の新真打のこと、その他諸々の噺の話を肴に会話は弾み、予定通り(?)に帰宅は日付変更線を越えていた。パソコンを開けて疑問点を少しググッているうちに、上の瞼と下の瞼が仲良くなっていく。とても、ブログなど書ける状態ではなく、風呂に入り気持ちよく床についたのだった。
Commented by hajime at 2012-10-24 09:49 x
以前、「子別れ」を志ん朝師と小三治師で聴き比べた事があったのですが、
二人の一番の違いは熊さんの描写でした。

番頭さんと木場に行く途中で、番頭さんが先のおかみさんに会いたいだろう?と問うと、その答えが、志ん朝師は「会いたいですね」と素直に云うのに対し小三治師は「かかあにはそれ程でもないけど、子供には会いたいですね。」と語っています。
志ん輔す師はどちらだったのでしょうか?
もちろん両者とも本心は同じだったのでしょうが、表現の仕方で一見違って聴こえるのは面白いですね。

小満ん師の独演会のCDが以前は有料で配布されていたのですが、今は休止していますね。
記憶が確かなら、過去の演目に「忍び三重」があった様に思います。
配布が再開されれば良いですね(^^)

Commented by ほめ・く at 2012-10-24 09:59 x
こういう会に入りが寂しいというのは残念ですが、主催者側の姿勢にも原因があるような気がします。
HPにはまだ23日の会の広告が載っています。チケットぴあからは次回12月の会の案内が来ているのに。
そういう私も日程が合わず、毎回行けずにいるんですけど。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-10-24 11:34 x
ご指摘の場面。
かみさんにも会いたいけど、それ以上に金坊に会いたい、と熊に語らせます。
もちろん師匠志ん朝版と言えますが、まぁ、ニュアンス的には、そう小三治版と変わらない印象です。

志ん朝と小三治との違いとして私が印象的なのは、金坊と亀が、熊との会話で「泣く」か「泣かないか」です。
志ん朝も志ん輔も、金坊は泣きます。志ん輔は、あの得意の顔の表情で泣きます^^
しかし、小三治は、熊と出会った際の会話では、熊は泣いても亀は気丈にふるまって泣きません。
家に帰って母親に五十銭のことを問いただされて初めて大泣きしますね。
このあたりは、結構演出上で対照的だなぁ、と思います。

『忍び三重』のCDがあるなら、ぜひ手に入れたいです。ネットで探してみます。
毎度、貴重な情報に感謝です!

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-10-24 11:53 x
たしかに小学館の「らくだ亭」サイトの管理は、だらしないですね。
終了した公演の案内が結構長いこと掲載されていて、その次の公演情報への切り替えが遅いのでストレスがたまります。
会場で次回12月のチケットを販売していましたが、忘年会シーズンでもあり、まだ日程を決めれる状況でもなく購入を見合わせました。
雲助の『火事息子』には、ちょっと心を動かされましたが、さん喬の『掛取り』は、以前にも聞いたことがあるのと、あの噺は、市馬も含めてですが、どうしても噺家の持ち芸の露骨な自慢ネタという感じで好きになれないのです。そういう意味では、『芝浜』もネタ出しされていると敬遠する噺の分類に入りますねぇ。
「これでもか!」と迫られるネタ、という印象で、腰が引けます。

このあたりは、もちろん人それぞれで結構ですが、私は冬なら『二番煎じ』『富久』や『夢金』を聴きたくなります。
ついダラダラと書いてしまい、失礼しました^^

Commented by 佐平次 at 2012-10-25 11:04 x
恒例の旅行会と重なって、それはキャンセルしたのですが(団体はきつそうなので)、秋の野山が恋しくてらくだ亭はいかれませんでした。
始め、ちょろちょろ、中から終いが燃えたようですね。
終わった後も^^。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-10-25 11:58 x
きっと奥様もサンチにもうれしい秋の野山だったのでしょうね。

おっしゃる通りで、小満んと志ん輔の高座を大いに楽しみ、その後の「居残り分科」では、不在のある方の噂を肴に飲んだ酒が旨かったですよ^^

ご旅行のエピソードなどは、ぜひ次回お会いする際にお聞かせください。

Commented by 創塁パパ at 2012-10-27 08:16 x
小満んの、調べ物御苦労さまでした。本当にこういう落語会に出会えることが幸せです。
でも、まだブログ書いていません(苦笑)

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-10-27 09:16 x
小満ん、志ん輔、良かったですねぇ。
『忍び三重』は、三三あたりにもニンなように思います。なかなか味わい深い噺でした。

今朝、TBSチャンネルで2010年1月の499回の落語研究会かと思いますが、志ん輔の『子別れ』(通し)を見ました。
熊が酒をやめる時の心境を思い出す場面、すでにやってました。以前からあった演出のようです。
池袋で聴いた時の記憶がなんといい加減だったことか^^
今、WOWOWで「寅さん」やってますが、マクラで『抜け雀』のパロディです。さすが山田洋次!

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by kogotokoubei | 2012-10-23 20:47 | 寄席・落語会 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛