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噺の話

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京の噺家 桂米二でございます 内幸町ホール 9月13日

 五月の深川に続き、桂米二の会に参上。残暑きびしい中、新橋駅から地下通路を通って、先月JAL名人会で笑福亭松喬の名演を聴いて以来の会場に着くと、いつものように、米二ご本人がモギリを務めていた。こういう光景から、この会の持つ暖かさが伝わる。会場は七分ほどの入りだろうか。結構固定客も多いように見受けた。

 深川の会の時には残念ながら急用で欠席だった、この会を紹介してくれた落語ブログ仲間であり「居残り会」レギュラーのYさんが、今回は会社を休んでまで(遅い夏休みとのこと^^)参加。
 チケットもYさんが事前に予約してくれていたのである。師匠ご本人から、いつものように、裏に丁寧な噺の中の用語解説のあるチラシを受け取って、自由席の会場へ。前から数列目の中央部、もっとも好きな場所に陣取った。一番前は首が疲れるし、後ろすぎてもよく見えない。十列目以内の中央に近い席がベスト、だと思っている。ちなみに、寄席の場合は桟敷も好き。

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桂吉の丞 『強情』
桂吉坊  『稲荷俥』
桂米二  『始末の極意』
(仲入り)
桂米二  『遊山船』
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桂吉の丞『強情』 (19:01-19:17)
 見台と膝隠しのある高座に元気良く登場。吉朝の七番目、最後の弟子である。ちなみに、この後に登場する吉坊が五番目。マクラで、「米二師匠の会に、吉朝門下から二人出るというのは大阪でも滅多にない貴重な会」と言っていたが、たしかに五月の深川の会には米二の二人の弟子(二乗、二葉)が出演していたなぁ。今回は、吉朝門下の若手で組まれたが、結構な試みだと思う。
 この噺は最初「“Z”師匠に稽古をつけてもらいました」と言っていた。結局“Z”=ざこば、であることを暴露してしまうのだが、これも演出のうちだろう。非常に珍しい上方ネタで、初めて聴く。金を借りた男、辰っあんが、ひと月で返すと決めたものの自分には金(五十円)はなく、結局他の知り合いに借金までして返しに行く。しかし、最初に貸した強情な男が、「催促なしのある時払いでええと言ったやないか。遊んでいる金ができたら返しにおいでとも言ったが、この金はどう見ても苦しんどる金やでぇ」と返済を受け付けない。借金をした二人目の強情男に返しに行くと、「辰っあん、わては、あんさんが借りた金はひと月で返そうと決めた心意気が好きで貸したんやでぇ。嘘も方便、拾ったとでも、昔貸した金が今朝戻ってきたとでも言って、返してきぃ」と突っ返す。借りた辰も、貸してくれた男二人も、とんでもない強情である、ということでドタバタ劇が構成された噺。
 なるほど、ざこばにはニンなネタだろう。吉の丞の口調もところどころに“Z”師匠を思わせるものがあるし、この人にも良く似合う噺だ。入門からちょうど十年、三十歳の元気な若手は、非常に好感が持てた。先日の桂文三、阿か枝の高座でも感じたが、上方の若手や中堅、なかなかしっかりしている。東京よりは層が厚いのではないだろうか、とも思っている。

桂吉坊『稲荷俥』 (19:18-19:41)
 昨年五月に、テレビ朝日「落語者」でこの人の『蔵丁稚』と『崇徳院』が放送され、その力量に驚いた記憶がある。
2011年5月7日のブログ
 ようやく生の高座を、意外にも米二の会で聴くことができた。これまた、上方ならではの噺。別名『産湯狐』。
 筋書きを少しご紹介。高津神社から一台だけ客待ちをしていた人力車に一人の男が乗った。客が行き先が「産湯稲荷」と告げる。しかし、車夫の梅吉は「狐が恐い」と断る。他の車夫が結構狐にだまされてひどい目にあったようだ。しかし、最後は祝儀につられて客を乗せる。梅の狐の怖がりようを客は面白がって、途中、「自分は産湯稲荷のつかいの狐だ」と
一芝居して、車代を払わずに降りてしまう。しかし、車には大金の忘れ物があり、梅はその金で近所の者を読んで大盤振る舞い。三味線、太鼓で盛り上がっているところに、例の客が訪ねてきて・・・・・・という筋書き。
 吉坊が大師匠の米朝に稽古をつけてもらったとマクラで言っていたが、予習(?)として米朝の音源を聴いていた。ほぼ、米朝版と同じ演出だが、細かい点で、客が梅吉に払おうと言った車代は、米朝は二十銭、吉坊が三十銭だった。これは、噺への影響はほとんどない。大きな相違点は、サゲで米朝と科白の順番(「穴があったら入りとぉございます」という客の言葉と、「お社作って、お祀りいたしますがな」という梅の言葉の順)を逆にしていた。吉坊は、あながあったら、でサゲであるが、サゲとしては吉坊版のほうが自然で良いように思う。
 1999(平成11)年に吉朝に入門しているので、十四年目。東京なら年数的に真打の声がかかる時期だが、この人は真打の実力はもとよりあるし、上方落語界の将来を担う一人、と思わせる堂々の高座。上方落語、なかなか粒が揃っているなぁ。

桂米二『始末の極意』 (19:42-20:19)
 東京の『しわいや』。この噺は、上方も東京も、けちや、始末(ムダ使いしないこと、倹約すること)に関する小噺を並べたネタで、その小噺のトリに持ってくる内容の違いが東西で違っている。
 米二がマクラとして披露したネタの中には、志ん生の音源で馴染みの深い小噺が含まれていて、懐かしい思いがした。たとえば、けちな男が、眼の半分を隠して生活していて、開いている眼が突かれたから、「このために片方を隠していたんだ」とばかり、もう片方の眼を開けたら、世の中知らない人ばかりだった、というネタ。こういうシュールな小噺は大好きだ。米二は、この噺の後、「ついてきてくれてはりますか!?」と会場に問いかけをするのだが、そこで会場も沸く。
 上方版のこの噺は、「始末の極意」を先生とあがめる男の家に聴きに来た男が、庭の木に片手でぶらさがり、指を順番に離していき、サゲにつながる。東京版のトリの小噺となるのは、この二人の会話の前半部分。上方版のほうが、何かと念が言っているように思う。

桂米二『遊山船』 (20:29-21:00)
 このネタが聴きたかった。上方噺の大いなる特長は、三味線と太鼓などハメ物による演出である。吉坊の『稲荷俥俥』でも、車夫の梅吉の家での宴会の模様を三味線(豊田公美子さん)と太鼓(きっと吉の丞だろう、なかなかダイナミックだった^^)が場を盛り上げていたが、この噺でも下座さんの存在は大きい。
 上方噺には欠かせない二人、喜八と清六の二人が主人公ではあるが、川の下に浮かぶ「遊山」の屋形船の乗員が、たくさん登場する楽しい噺である。
 マクラでは、自宅の「よく言えば3階のロフト、実際は天井裏の収納」が自分の部屋で、とても節電には協力できない、という自虐的な話。かつて、室温計で五十度(目盛のテッペン)までになったことを目撃したことのある部屋で、とてもエアコンなしでは居ることができないらしい。中央部分に梯子で上り下りするための一畳ほどの空間があり、よく物を落とすが、吹き抜けになっていた、下手をすると一階まで落ちていくとのこと。暑さを物語、この自宅における三階の自分と一階のお内儀さんという位置関係が、見事に本編につながったマクラだった。
 笑いながら聞き入っていたが、なかなかこういうマクラは聴けないのだ。なぜなら、本編は喜六と清八が、暑さしのぎに大川(淀川)かかる難波橋に出かけ、橋の上から川に浮かぶ屋形船(遊山船)を見て、さまざまな可笑しいやりとりとする、という筋が中心。見台を橋の欄干に見立てでの演技は、まさに上方噺ならでは、という構図で、なるほど、多くの上方の名人上手が手掛けてきたことが納得できる。そういう意味では、たとえば昨年の命日に紹介した七代目笑福亭松鶴(旧名、松葉)の音源に比べると、米二は、このネタで重要な陽気さという面で、少し不足している気がする。
2011年9月22日のブログ

サゲにもつながるが、後半で稽古屋の船がやってくる場面はヤマ場である。上方ハメ物入り噺ではお馴染みの、「その陽気なことぉ」の一言で三味線と太鼓が鳴り出すのだが、今一つの勢い。ここは、ごくごく陽気な一言で鳴り物を呼び込む部分なのだが、大人しい印象。しかし、よく考えると、これもこの人の持ち味とも言える。人情ものでは、この人の語り口が活きる。
 そういった抑えた口調ではあったが、「芸妓がゲイシュウ、舞妓はマーシュウ、万さんならマンシュウ」など、二人組のトンチンカンな会話では十分に笑わせてくれた。
 一席目のマクラで、ネタ選びに苦労していることを匂わせていたが、この人の著書『上方落語十八番でございます』には、一席目も二席目も含まれていない。通算で今回が二十二回らしいから、“十八番”は、ほぼ出し尽くしているのかもしれないなぁ。
 この本のことを書いたブログから、Yさんとのお付き合いが始まったことを思うと、縁とは不思議なものだ。
2010年5月14日のブログ


 終演後は、そのYさんと二人だけのミニ居残り会。会場近くのビアレストランはいつになく混んでいたが、ビールとドイツ風(?)の肴で、落語のことやら、さまざまなネタで楽しい会話。上方落語に詳しいYさんとは、若手や中堅のレベルは東京より上方の方が上かもしれない、ということで意見の一致をみた。もちろん、それなりの力量のある人だから、関東の地で聴くことができる、ということかもしれないが、関東の落語会や寄席では、たまに、寝るしかないようなとんでもない高座に出くわすが、私の経験では、上方の噺家では滅多にそういうことがほとんんどない。
 そんなことを話しながら、会場で配布されたチラシの一枚に、今後の米二の予定が記載されていたのを見た。それは、すでに終了した落語会の裏を使ったもの。さすが、「始末」の極意やなぁ^^そのチラシには、9月15日岐阜、16日、19日は京都、23日が神戸(園田)、24日~28日は繁昌亭、など小さな会館と思しき会を含む今後の予定が、びっちり書かれていた。10月には愛媛のお寺での落語会も予定されている。この内容は、ご本人から送られてくるメールマガジンで紹介されている内容と同じだが、あらためて印刷されたものを見ると、その活動力の凄さを感じないではいられない。「これだ、これが上方の噺家の力の源泉だ」と思わされた。ビールやハイボールを飲みながらYさんと上方の噺家のアグレッシブさなどを語り合っているうちに、夜も更けてきた。さぁ、次はいつだったっけ、などと言いながら二人は新橋駅に向かっていた。帰宅は、ギリギリ日付変更線を越える前ではあったが、とても寝る前にブログを書き終わることはできなかった。

 先月の松喬、先週の文三と阿か枝、そしてこの会と、間に睦会を挟んではいたが、このところ上方シリーズが続いた。なかなか得るものが多かった。最近、東京の噺家が関西で落語会を開催する機会が増えてきたこをとを思うと、今は上方に住んでいるほうが落語愛好家にとっては幸せなのではなかろうか、と思わないでもない。真打制度がなくても、あるいは制度がないからこそ、上方では若手が育つ環境と伝統があるのかもしれない。もちろん、単純に東京で真打制度をなくせばいい、ということではない。地域落語会をはじめとして、噺家を支援する伝統的な文化が残っており、かつ生半可な芸では満足しない厳しい落語愛好家の存在など、長い伝統に立った上方落語界を取り巻く環境も影響しているだろう。上方落語家から感じる、一人一人の、言い方は良くないかもしれないが、根っこの部分の強さ、そんなものをここ最近の落語会からは感じている。聴かなければ後悔するであろう噺家が、西の方にはうじゃうじゃいそうだなぁ。
Commented by 創塁パパ at 2012-09-15 09:10 x
久しぶりの米二の会は楽しかったです。この人は、本当に「落語」が大好きな人なんだなあとつくづく思いました。こういううるさ型が東京はすくないと思います。もちろんいい意味での。なにしろ、りくやんですから。
吉坊も大好きな部類の噺家さんですね。
ああ、関西担当を離れるのが寂しいよ(苦笑)

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-09-15 09:30 x
ご出張帰りですね。お疲れさまです。
吉朝門下が脇を固めた、米朝落語の継承者米二の会。なかなか楽しい顔ぶれでした。
吉坊は、今回の遠征(?)で菊六との二人会もあったことを、後から知りました。
上方の噺家さんの関東での会も結構探せばあるようなので、今後は適宜ご一緒しましょう!
しかし、土曜の夜や日曜が多いんですよね。
平日夜か土曜の昼の会を探すようにしたいと思います。

Commented by ほめ・く at 2012-09-15 10:18 x
「遊山船」は2年前に吉弥で聴きましたが陽気な芸風がニンで結構でした。この人が2番目。
4番目・しん吉も独特の雰囲気を持っています。
こうして見ると随分と人材が揃っていますね。
というより、上方落語家の層が厚いのかも知れません。
東京もウカウカしてられません。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-09-15 10:52 x
三番弟子が、NHKで優勝したよね吉ですからね。吉朝一門、実に粒揃いです。
松鶴一門にも逸材は多いし、知れば知るほど東京より上方の層の厚さを感じます。

Commented by 佐平次 at 2012-09-15 18:31 x
残念でした。
今度は何とかと思っています。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-09-15 19:12 x
いえいえ、いろいろとありますから。
不死身、いえ富士見高原からですね^^

Commented by 明彦 at 2012-09-16 23:57 x
こんばんは。米二師匠を堪能されたようで嬉しかったです。地道で精力的な活動には、やはり頭が下がりますね。
『遊山舟』は米二師匠では聴いたことがないのですが・・・(この方の場合、喜六というよりも豪遊している方の階級に見えてしまいそうですが、腕でカバーしていたようですね)。
この夏上方で『遊山舟』は、桂雀三郎と笑福亭鶴二の両師匠で聴きました。
お2人とも「陽気」かつ骨太な芸風なので、賑やかで楽しい中にも、金持ちへの憤りや夫婦の結び付きが伝わって来ました。

僕の方から江戸落語の状況を見ますと・・・。
①活字媒体で取り上げられる割合が、上方落語とは比較にならないほど多い。②ホールでの独演会を満員にし、しかも通の評価も高い師匠が何人もいる。③繁昌亭の動員は足踏み状態なのに、定席に幅広い世代の観客がよく入っている(注:お盆の鈴本夜席の印象)。 ④(米朝・枝雀以外の)上方落語を知らず、また関心がなくても「落語ファン」そして「落語評論家」で通用する。⑤雀々・吉坊その他の人々が拠点を移した。
といった点で、やはり落語を支える層の厚さが違うのか、と思えてならないのですが・・・。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-09-17 16:46 x
分かりやすく箇条書きでご指摘されている内容について、一言。
①活字媒体で取り上げられる割合が、上方落語とは比較にならないほど多い。
→たしかに、全国レベルのマスコミは、どうしてもニュースが東京寄りです。私は関西で学生生活を送り、そこそこ大学としては全国レベルで強い運動部に在籍しておりましたが、ニュースの量は間違いなく、関東>関西、でした。東日本の大会と西日本の大会のニュースの大きさの何とも差があったことを思い出します。芸能の世界も同様ですね。

②ホールでの独演会を満員にし、しかも通の評価も高い師匠が何人もいる。
→たしかに、そうかもしれません。私は1000人を越える会場や、4,000円を越える木戸銭の会には、原則として行きませんけどね。

③繁昌亭の動員は足踏み状態なのに、定席に幅広い世代の観客がよく入っている(注:お盆の鈴本夜席の印象)。
→これは、若干の反論(^^)を。平日の末広亭、池袋、それも芸術協会主催の場合は結構悲惨な日があります。定席は、そう簡単には満席になりません。顔ぶれ次第です。

④(米朝・枝雀以外の)上方落語を知らず、また関心がなくても「落語ファン」そして「落語評論家」で通用する。
→数年前なら、私も赤面するご指摘です。落語発祥の地である上方の噺家さんを、もっと知ってから、「評論家」は発言し著作を発表すべきでしょう。しかし、京須さんは、もう無理でしょうね。

④雀々・吉坊その他の人々が拠点を移した。
→これは、関東のファンにはうれしい状況^^
しかし、「なぜ?」という疑問はあります。

お互いに、「隣りの芝生~」なのかもしれませんね^^

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by kogotokoubei | 2012-09-14 08:30 | 寄席・落語会 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛