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「市場原理から教育を守るために」—内田樹著『昭和のエートス』より。

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 内田樹著『昭和のエートス』(文春文庫)

 文庫で再刊になったのを機に、内田樹の『昭和のエートス』を読んだ。

 まず、「エートス」って何、という疑問に、Wikipediaでは、社会学上のエートス論として、マックス・ヴェーバーの主張を、次のように解説していた。
「エートス」Wikipedia
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生活態度 -
 古代ギリシア語のエートスが、「習慣」を意味しているように、エートスは、それに
 ふさわしい行為を営む中で体得される「習慣によって形作られた」行為性向である。
 社会化によって人々に共有されるようになった行為パターンないし生活形式とも
 いえよう。

心的態度 -
 しかし、ある行為がいくら機械的に反復されてもエートスは作り出されない。その
 行為性向は意識的に選択される必要があるからだ。この「主体的選択に基づく」行為
 性向がエートスである。

倫理的態度 -
 そして、この行為を選択する基準が「正しさ」である。「正しい」行為とは、内在性
 の基準(行為に固有の価値)が選択され、(目的達成の手段ではなく)行為それ自体
 が目的として行なわれるような行為のことである。外的な賞罰なしには存続しえない
 行為性向はエートスではない。
 したがって、エートスの究極的な支えは個人の内面にある。
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 この定義を踏まえて「昭和のエートス」という言葉の意図するところを慮ると、昭和という時代の“習慣によって形作られた”「生活態度」であったり、あの時代の人々が“主体的に選択”した「心的態度」のことや、昭和の時代に“個人の内面”にあった「倫理的態度」のこと、ということになる。

 とはいえ、本書が、著者が新聞や雑誌などに掲載された複数の文章から、あまり時事的ではない内容のものを選んで、四つの章とオマケを含む三十九の文章で構成されたものである以上、「お題は、こんな感じかなぁ」という思いで付けられたかとも思う。だから、あまり無理に書名と個々の内容を結び付けても意味がないのかもしれない。しかし、全体を通じて読後には、著者の“失われた大事なもの”や“失われつつある大事なもの”についての強いこだわりや警鐘という印象が残るので、このお題は結構適合していると思う。

 今後、この本に関連して書く機会が多いと思うが、まず最初は、「第2章 国を憂うということ」にある「市場原理から教育を守るために」から、ほんの少し引用したい。

 このテーマは、これまでもブログ「内田樹の研究室」や、他の著作から同様の内容を紹介したことがあるが、大事なことなのでしつこく取り上げたい。初出は「論座」(朝日新聞出版)の2007年2月号。富山の県立高校で発覚した履修単位不足問題をマクラ(?)に、教育現場への市場原理の導入への批判が展開される。
*太字部分は、本文では強調するための傍点がある文字。

 学校教育、とりわけ公教育は市場原理を貫徹させるために生まれたものではない。むしろ市場原理が人生活の全場面に貫徹することを阻止し、親と企業による収奪から子どもたちを保護するために誕生したものである。
 マルクスが『資本論』に書いているとおり、十九世紀末のイギリスにおいて、公教育が推進されたのは子どもを誰におもましてまず親から守る必要があったからである。当時の下層階級の子どもたちは六~八歳から(早いものは四歳から)労働に従事した。貧しい親たちはためらうことなく子どもたちを工場や炭鉱での労働に追い立て、時には大人たちより長時間にわたって、苛酷な業務に就労させたのである。この非人間的な児童労働がもたらす身体的・道徳的な荒廃から少年少女を守ることが学校教育の義務化の最初の、そして最大の目的であった。「教育を受けさせる義務」は保護者たちの子どもに対する権力を規制したものであり、子どもたちに学校に通うことを義務づけたのではない。


 国政に乗り出そうとして、今や時の人となった橋下が、大阪でやろうとしたことは、まさに教育の場への市場原理の導入である。万が一、彼が国政に影響を持つことになった場合、教育の場は「アメ」と「ムチ」でズタズタになる恐れがある。
 アメリカではオバマが大統領就任前の共和党政権時代から、支出削減政策の切り札のように、消防隊員や教員たちの一時解雇が激増した。つい最近も現状への不満からシカゴで教員による大きなストがあったが、オバマは大統領選に向けて教職員たちの支持を獲得するために、どんな手を打とうとしているのだろうか。教員の評価方法なども含めた教育の場への市場原理の導入や人員削減がいかに間違っているかは、たとえば最近『さっさと不況を終わらせろ』でポール・クルーグマンも指摘している通りだ(この本のことは、近いうちに何か書きたいと思っている)。アメリカの誤りを他山の石とせずに、同じ轍を踏もうとしている新自由主義信者の橋下には、残念ながら、内田の主張は伝わらないようだ。

 紹介した上記の文章の後で、内田は、教育史的な事実として、十九世紀のアメリカで、資本家(ブルジョワ)たちが学校を公費で運営することに抵抗したことへの反論として、「費用対効果」を持ち出したのが、教育と市場原理の「結託」の始まりであり、あくまで納税者の抵抗を乗り切るための説明として言い出されたという起源を忘れるべきではない、と主張する。

 仮に費用対効果で学校教育を語る口吻がひろく日本社会に定着していたとしても、それは「そうでもいわないと」強欲な親たちや利己的な資本家たちが子どもを「人材」として功利的に育成し、消費することを妨げないからである。もっと平たく言えば、私たちが現代社会の学校教育で「費用対効果」ということが口にされるのを黙許しているのは、人間を深く損なう「本態的な邪悪さ」を制御するためなのである。「毒を以て毒を制す」以上、自分が扱っているのが「毒薬」であるという自覚だけは忘れて欲しくない。


 教育の起源、そして論法としての「費用対効果」の起源、その両方を十分に踏まえて、新自由主義者たちが今後やらかしかねない悪事を注視していく必要がある。そうしないと、「毒薬」が「日本の教育」のすみずみまでに浸透して、のっぴきならない事態を招きかねない。

 「費用対効果」で教育をとらえた場合、教育を受ける側は「消費者」として考え、行動する。それが、どれだけ今日の教育現場の荒廃の根底にあるか、内田は強調する。

 消費者は自分が購入する商品について、その有用性や意義についてあらかじめ熟知している(ことになっている)。スペックを熟知しており、他社の同種商品と比較考量して、「お買い得」であると判断したからこそその商品を購入しようとしているのである。「その商品は何の役に立つんか?」という問いに答えられないような売り手から商品を買うはずがない。
 学校というのは原理的に言えば、「それが何の役に立つのか?」を子どもたちがまだ知らないし、それを表現する語彙も持っていないことを教わる場である。というより、「それが何の役に立つのか」を子どもたちがまだ知らず、言葉で表現もできないからこそ子どもたちは学校に通わなければならないのである。学びとは学び終わったあとになってはじめて自分が学んだことの有用性や意味について知ることができるという順逆の転倒したかたちで構造化されている。


 消費者である子どもが、授業を聴くという「苦役」を「教育サービス」と交換する「取引き」をすることになったことが、教育の場への市場原理の導入が招いた不幸であることは、内田がブログや他の本でも再三指摘している。

 劣等比較とは言え、維新の会の人気は、彼等の間違った決断や行動を許しかねない。それこそ、「昭和のエートス」が根付いていた時代ならば、決してあり得ない政治状況が目の前で展開しつつあるように思う。また、安倍晋三という、一度死んだはずの名前が生き返ろうとしているが、彼が振りかざすであろう、「憲法改正」問題についての文章も本書には含まれている。

 「昭和」は遠くなったが、その「エートス」は、取り戻すことはできるのではないだろうか。それは、本来日本人が誇るべき「生活態度」であり、「心的」な、また「倫理的」な態度であると思う。失われつつある「エートス」を、平成の世で、3.11とフクシマを経験した日本人だからこそ、今一度持ち得ることができるはずだ。そんな気がする。
Commented by 佐平次 at 2012-09-14 09:42 x
私もこの文章には強い共感を覚えました。
昨日アップした佐伯「経済学の犯罪」も行ってみれば橋下や安倍たちに対する強烈な批判です。
内田と佐伯が同じようなことを言うのが面白いです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-09-14 16:22 x
佐伯啓思の本、恥ずかしながら一冊も読んでいません。
これから、ぼとぼちと読みたいと思います。
どんな分野でも市場原理を導入し、競争させればうまくいく、というロジックの危さについて、大手新聞やテレビでは、ほとんど批判しないのでしょうねぇ。
最近は、政治家連中の言いたい放題を見るのが嫌で、テレビは落語や映画位しか見なくなりました^^

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by kogotokoubei | 2012-09-12 18:31 | 責任者出て来い! | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛