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コルトレーンと桂枝雀の共通点とは?—平岡正明『毒血と薔薇』より。

 明日7月17日は、ジョン・コルトレーンの命日。ビリー・ホリディ、石原裕次郎の命日でもあるが、今回はコルトレーンのこと。
 1926年9月23日生まれ、1967年7月17日に肝臓癌で満40歳での死だった。アメリカはノースカロライナ州生まれのモダンジャズのサックスプレーヤーで、一部のジャズファンからは“神聖視”されている人物。
 
 『らくだ』について書いた時に、平岡正明の『志ん生的、文楽的』を引用した。
2012年6月27日のブログ
 この本は桂米二の会に行った際、深川の古書店で見つけたのだが、読んだ後に、「次は平岡のジャズの本を読もう」と思っていた。
 一カ月ほど前、帰宅前に古書店をぶらついていたら、なんと『毒血と薔薇-コルトレーンに捧ぐ』を半額で入手できた。しばらく“積ん読”だったが、ようやくコルトレーンの命日前に読了できた。

コルトレーンと桂枝雀の共通点とは?—平岡正明『毒血と薔薇』より。_e0337777_11085522.jpg

平岡正明著『毒血と薔薇-コルトレーンに捧ぐ』(国書刊行会)

 平岡正明が亡くなったのが2009年の7月9日、本書は、ほぼ亡くなる二年前、2007年7月20日発行。コルトレーン没後40年になんとか間に合わせるべくの刊行だったようだ。

次のような構成。
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はじめに

第一部 毒血と薔薇
毒血と薔薇 コルトレーンに捧ぐ

第二部 ジャズ喫茶の蛾の死骸
ジャズ喫茶の蛾の死骸
歌笑 闇市にバップは流れる
肝臓兄弟(レバー・ブラザー)マイク・モラスキー
   『戦後日本のジャズ文化』への返礼
モラスキー教授がセクシーだなんて
相倉さんのこと ジャズ批評の夜明けを走る

第三部 「魅惑されて」
アニタ・オディ「魅惑されて」
ジェレミー・スタイグ「ラヴァーマン」
痛い音
うまい煙
ジャズ女
佐久間アンプに苦みが加わるとすれば
佐久間アンプが美神と格闘する
幻にあらず・郷間和緒

第四部 寺島靖国をぶっ壊す
寺島靖国をぶっ壊す

解説=菊地成孔

[資料]
ジョン・コルトレーン・ディスコグラフィー
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 平岡の本は、『志ん生的、文楽的』では、落語を語りながらジャズが登場し、本書においてはジャズを論じるために、落語が引っ張り出される。
 第一部の表題作でコルトレーンを語る際にも、冒頭は桂枝雀のネタで始まる。このへんが、落語もジャズも好きな者には、たまらない。

 閻魔が茶漬けを食べている。
 サラサラッ、皿。瓜の奈良漬を齧って箸を置いたのを待って、松本留五郎が言った。
 閻魔はん、なんでパレスチナに行かはったん?
 う。・・・・・・それはな、キリストに招ばれたん。やっこさん最後の晩餐だと言うて。食い納めじゃい、あんたもよばれんか、いう誘いでな、天上にもつきあいというものがあるねン。



 コルトレーンを語るのに、枝雀の『茶漬えんま』から書き出すことができるのは、平岡正明しかいないだろう。
 このイントロは、コルトレーンの『アセンション』のことにつながる。
 『アセンンション』は1965年の作品。マッコイ・ターナーやエルヴィン・ジョーンズとの、いわゆる“黄金のカルテット”の晩年、カルテット崩壊のきっかけとも言われる作品で、コルトレーン初のフリージャズへの試みの記録。邦題が、いつのまにか『神の園』となっていることに違和感を覚える平岡が、枝雀が演じる小佐田定雄作の新作落語で、何を言いたかったのか。

 平岡は、この落語とジャズの因果関係を読者に伝えるために、『茶漬えんま』のストーリーを紹介する。その後半から『アセンション』へ、どうつながるか、引用する。

 釈迦、キリスト、松本留五郎は三人並んで蓮池の底を通して血の池を眺めている。血の池地獄はいまでは冷水装置によって澄み、湖畔には瀟洒なテラスハウスが建ち、亡者がヨットを浮かべ、ディスコ・ミュージックで踊っている。昨日よりは今日、今日よりは明日と拡大する欲望を満足させる無限地獄だ。閻魔の忠告通り、そっちのほうが性に合っている松本留五郎はそれを見て浮かれ出し、これ、騒ぐでない、ア、アブナイ!釈迦とキリストの制止もあらばこそ、ドブーン。三人は蓮池に落ち、底を抜いて血の池地獄へ真逆様。
 アップアップしている三人は渡し守の赤鬼に助けられた。内緒だぞ。釈迦とキリストが鬼に助けられたと知られると世間体がわるいでな。
 オッ釈迦サーン、大丈夫デス。私ガ山上ノ垂訓ノ時、使ッテ山ヲ登ッタ縄梯子ガアリマス・・・・・・。昇る。アレ、永イコト使ッテナカッタカラ、切レタ。
 キリストはん、大丈夫です。ほれ、私が垂らしておいた蜘蛛の糸が見えますやろ。あれを使うて極楽に戻ればよろし。
 釈迦とキリストは蜘蛛の糸を昇り始める。松本留五郎も上がってゆく。
 あっ、これ、留五郎はだめじゃ。私とキリストは清浄な身によって糸が切れたりはせんが、留五郎の罪の重さで切れる。キリストはん、留五郎の頭を蹴ってくれなはれ。
 そのとたん、蜘蛛の糸は切れた。ザバーン。釈迦とキリストと留五郎は血の池地獄に真逆様。神も仏もないものか。
 『アセンション』は「昇天」と訳すのがやっぱりいいみたいだね。釈迦はカンダダに蜘蛛の糸を垂らしてやるときなんて言ったと思う? アセンション・プリーズだ。この説話の主題は、釈迦は退屈しているということである。枝雀落語にジャズを感じる。それも1960年代の前衛ジャズを。


 
 “平岡節”のほんの一端である。

 私自身は、コルトレーンはマイルスを離れたばかりの1950年代末から60年代前半の作品が好きで、かつてジャズ喫茶にたむろしていた二十代後半も、コルトレーンの晩年の作品には魅かれなかった。
 『至上の愛』などと言うタイトル自体、ハードバップ大好き人間の私には、相容れないものがあった。

 だから、学生時代を関西で過ごし、ジャズ好きで落語、なかでも枝雀好きの私だったが、とても次のような平岡の発想は浮かばなかった。

「地獄八景亡者戯」から「茶漬えんま」への飛翔は桂枝雀の内面のドラマでもある。前者は長く埋もれていたものを桂米朝が発掘した陽性の地獄めぐりである。鯖にあたってあの世に行ったトリックスターが地獄で閻魔をからかい、人呑鬼の腹に飛び込んで暴れ、苦しんだ鬼が閻魔を呑みこもうとする。これ、なぜわしを呑もうとするかと、閻魔がただすと、ダイオウを呑んで腹下ししたいと鬼が答える。大王と漢方の下剤大黄をかけたシャレだ。
 師匠米朝のこのサゲを変えたのが枝雀だ。人呑鬼の苦しみを見かねた閻魔が、腹中の四人のトリックスターに、出てきたら極楽に遣ってやるぞと言う。出てきた四人は縛られた。あ、閻魔が嘘をついた。聞いた地獄の鬼どもが飛びかかって閻魔の舌を抜いた。
 閻魔大王という冥府の支配者が嘘をついて舌を抜かれるという逆転を案出して、枝雀自作の(落語作家・小佐田定雄と共作)「茶漬えんま」に、彼が創出した最高のキャラクター松本留五郎を登場させ、極楽に行った留五郎が、天上から蜘蛛の糸を垂らして地獄の亡者釣りをしている釈迦と一緒に地獄に落ち、釈迦を救いにきたキリストもかつて昇天したロープが切れて、それではと三人揃って蜘蛛の糸をのぼったが、釈迦が留五郎を蹴落とそうとしたために、三人揃ってまた地獄落ち。枝雀は、コルトレーンに欠如していた笑いをもって『至上の愛』から『神の園』へと飛翔をやっていたのである。


 
 枝雀の『地獄八景・・・』から『茶漬えんま』を、コルトレーンの『至上の愛』(1964年)から『アセンション』に重ねて語る人があろうとは、まったく思わなかった。平岡正明、恐るべし。

 私が社会人になって毎夜のようにジャズ喫茶でバーボンを飲みながら、「コルトレーンは最後、神になりたかったんだろうなぁ」などと思っていたのだが、どうも平岡の言い分は違っていた。枝雀以外の落語家や、私のお気に入りの筒井康隆、山下洋輔も登場する部分を引用。

 アフリカでは土人がタムタムのリズムに乗ってミサイルを担いでいく、と筒井康隆『アフリカの爆弾』(文藝春秋、1968年)を評したには山下洋輔だ。そのタムタムのリズム表記を、
「タン・タン・タン、タタン・タン(タ)」
とカッコ内にタを入れれば完璧であると指摘したのも山下だ。
 初代桂春團治「へっつい盗人」にこれに近いリズム感があった。重いへっついに天秤棒をさしわたして、泥棒二人が「ヨトサのコラサのヨイヨイヨイ」と掛け声をかけながら、丼池の夕まぐれを去ってゆく。駕籠かきの息杖の振りかたや、天秤の荷を担いでゆく棒手振り商人のリズムを彷彿とさせるものがある。さまざまなリズムの実験が行なわれた1960年代、われわれはリズム感のわるい者をバカと呼んだ。
 トレーンは『ヴィレッジヴァンガード・・・』以後、精霊(スピリチュアル)の入り込んだ自分の内面に拘泥して、空間の発展を止めるのである。第三世界が浮上しつつある重要な時期に、トレーンは空間の長征を止め、自分の心の礼拝堂に籠って宗旨の乗り換えばかりやる。第三世界すなわち反乱する植民地。帝国主義支配に反抗する地点をこの地上に五〇も百も燃え広がらせなければならないこの時期に、ジョン・コルトレーンは坊主になろうとする。


 コルトレーンが、なぜ「坊主」になろうとしたと平岡が説くのかは本書を読んでもらうとして、私は、どうしても“精霊(スピリチュアル)の入り込んだ自分の内面に拘泥”する前のコルトレーンが好きだ。

 平岡のこの書では、『至上の愛』以降に関する内容が中心なので申し訳ないが、落語とジャズとの平岡流インプロビゼーションを紹介したことで許してもらい(?)、“黄金のカルテット”時代の代表作を紹介したい。

コルトレーンと桂枝雀の共通点とは?—平岡正明『毒血と薔薇』より。_e0337777_11085615.jpg

バラード/ジョン・コルトレーン
BALLADS/JOHN COLTRANE
(impulse UCCI-9001)

[収録曲]
1. Say It (Over And Over Again)
2. You Don’t Know What Love Is
3. Too Young To Go Steady
4. All Or Nothing At All
5. I Wish I Knew
6. What’s New
7. It’s Easy To Remember
8. Nancy (With the Laughing Face)

[パーソネル]
John Coltrane (ts)
McCoy Tyner (p)
Jimmy Garrison (b、7を除く)
Reggie Workman (b、7のみ)
Elvin Jones (ds)

[録音]
1961年12月21日(7.)
1962年9月18日(6., 8.)
1962年11月13日(1.~5.)

 アルバムの一曲目、“Say It (Over And Over Again)”をお聞きください。
夜なら、お酒が美味くなりますよ。

Commented by 創塁パパ at 2012-07-22 06:52
やっぱり「バラード」ですなあ(笑)

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-07-22 07:55
あのアルバムは、全曲いいですね。
マッコイのピアノも結構。
やはり私は黄金カルテット時代までです。

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by kogotokoubei | 2012-07-16 17:04 | 落語とジャズ | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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