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「道徳」や「武士道精神」という言葉を、死語にするな!

すでに警察沙汰となった大津の中学校での「いじめ」に関して、どんどん隠されていた情報が表出してきた。

 まず、東京新聞から引用。東京新聞 TOKYO Webの該当記事

大津・中2自殺 複数教員が問題認識
2012年7月14日 13時55分

 昨年十月十一日にいじめを受けていた大津市立皇子山(おうじやま)中二年の男子生徒=当時(13)=が飛び降り自殺した事件で、中学校の複数の教員が自殺の直前に、男子生徒が加害者とされる生徒との間でトラブルに巻き込まれていると把握していた。大津市教育委員会が明らかにした。教員は生徒が自殺した日に、関係する生徒らを対象に、暴力や迷惑行為があったかを調べるアンケートをする予定だった。

 市教委は「学校は自殺するまで、いじめだととらえて対応しきれていなかった」と説明した。

 教員が異変を察知したのは昨年十月一日と五日。担任が、自殺した男子生徒と加害側とされる生徒が、暴力を伴うけんかをしているような様子を目撃し、「大丈夫か」と声をかけた。男子生徒が「大丈夫」と答えたため、「いじめではない」と判断した。

 しかし昨年九月にも、ほかの生徒から担任に「いじめじゃないですか」とする指摘が二回あり、トラブルがあると推察。複数の教員で、アンケートを取って詳しく調べる必要があると話し合った。

 教員は連休明けの十一日にアンケートを予定した。だが生徒は登校せず、朝に自宅マンションの十四階から飛び降り自殺した。

 自殺直後の十月中旬、全生徒を対象にしたアンケートでは「先生も見て見ぬふりをしていたと聞いた」などの回答が多数あった。

(東京新聞)


 次に、朝日。朝日新聞 asahi.comの該当記事

2012年7月14日14時44分
自殺6日前にいじめ対策会議 情報受け担任ら 大津

 大津市立中学2年の男子生徒(当時13)が自殺した問題で、自殺6日前の昨年10月5日、生徒がけんかをしたり他の生徒から「いじめを受けている」という情報が教師に2度寄せられたりしたことを受け、担任らが対応策を考える会議を開いていたことがわかった。

 市教委はこれまで、生徒が暴力を受けていることを把握していたが、「教師はいじめと認識できなかった」と説明している。この会議では「いろいろな可能性の中でいじめについても考えて対応する」ことを決めていた。

 担任は10月1日と同5日に生徒に声をかけ、生徒は「大丈夫」という返事だったと市教委は説明。5日には、学校側は生徒の父親を学校に呼び、いじめられているという情報があったことを伝えたという。

 市教委学校教育課の担当者は「当時、明確にいじめられているとは認識できなかった。もう少し踏み込んだ対応をやるべきだった」としている。



 肝腎な部分を太字で再度引用。まず、東京新聞から。
 教員が異変を察知したのは昨年十月一日と五日。担任が、自殺した男子生徒と加害側とされる生徒が、暴力を伴うけんかをしているような様子を目撃し、「大丈夫か」と声をかけた。男子生徒が「大丈夫」と答えたため、「いじめではない」と判断した。

 しかし昨年九月にも、ほかの生徒から担任に「いじめじゃないですか」とする指摘が二回あり、トラブルがあると推察。複数の教員で、アンケートを取って詳しく調べる必要があると話し合った。


次に朝日。
自殺6日前の昨年10月5日、生徒がけんかをしたり他の生徒から「いじめを受けている」という情報が教師に2度寄せられたりしたことを受け、担任らが対応策を考える会議を開いていたことがわかった。 

 新聞の記事であるので、実際に教師と亡くなった生徒との間にどのような会話があったのかは、当事者でしか分からない。ほかの生徒による指摘に対し、担任や他の複数の教員が、どれほどの危機感を持っていたのかも察するしかない。
 しかし、自殺の六日前に「対策会議」を開いたのに、その内容は「アンケートをとろう」という結論だったということか・・・・・・。

 事実は分からないことも多く、あくまで部外者だから言えることかもしれないが、私はこの教師達の「判断基準」「行動基準」を疑う。

 中学生は、精神的にはまだ子供である。核家族化が進み、家庭での「躾」や、近所の怖いおじさん・おばさんがが失われた今、教室には精神的に成長途上の子供たちがいる。「やってはいけないこと」を分かっていない子供や、人に自分の思いを上手く伝えられない子供が、たくさんいる。

 そんな集団において、教師は何をすべきなのか・・・・・・。

 本来は家庭、親の役割である“躾”を学校が担うものではない、という意見もあろう。教室は“学ぶ”場であり、教師は授業こそが仕事だ、という主張もあるかもしれない。

 しかし、例えば、小学校の役割は何なのか?

 家庭から初めて他人とのコミュニケーションや共同作業を行う上で、「相互扶助」や「共生」という精神を培う役割が間違いなくあるだろう。「卑怯」な行為は咎められるはずだ。
 そして、本来は小学校で獲得しておくべきそれらの知徳が十分ではなかったら、それは中学校での“引継ぎ事項”としての役割になりえるのではないか。私はそう思う。いわゆる「社会性」の獲得である。
 「相互扶助」「共生」「卑怯な行為の否定」など、いわゆる“躾”の最初の「教室」は本来家庭であるべきなのだが、それを補う役割を学校の「教室」は持たざるを得ないのではないか。

 今日の教師には、さまざまな事務的作業を課され、時には“モンスターペアレント”への対応もあるだろう。だから、子供の「声」を聴こうとする余裕がなくなっているのかもしれない。加えて、本来教育の場にふさわしくない「競争原理」の導入などにより、ますますその傾向は強まるだろう。

 しかし、そういった“構造的問題”があるにせよ、あなた達は、「生きた人間」を「教え、育む」職業を選んだのだ。どんな、急ぎの用を犠牲にしてでも、人として間違ったことを正し、子供の叫びを聴くことが優先されなくてはならないのではないか。

 暴力、あるいは、いじめは度重なるものであったと想像できるし、だからこそほかの生徒も、きっと勇気をふるってアラームを出したはずだ。

 担任は、アンケート内容として報道されているように、いじめを容認、あるいは楽しんでいたとするなら、ほかの教師は、担任か否かなど関係なく、加害者本人に、何らかの注意をしたのか。また、校長に対して担任の行動、いや非行動について問題提起をしたのか。担任を説得して、加害者に注意をさせ、それでもなかなか暴力が止まらないようなら、担任と一緒にでも加害者の親に注意をしに行こうとしたのか。

 もしも、対策会議を開いていたのなら、「アンケート」などと言う「悠長」な対策ではなく、なぜ、翌日にでも加害者本人と親に会って厳重注意をするとか、被害者とその親に対して接触を試み様子をみるなど、直接的な行動ができなかったのか。

 あまりにも、判断も行動も遅すぎたと言えないか。そして、コトが起こってから、彼ら、学校と教育委員会、は後悔しているのだろう。今になって自分達の非を認めているから、アンケート内容の隠蔽などで自己保身することになったと思われてもしかたはない。

 しかし、この問題は大津だけに限定したことではない。どうして、教育の場は、こんなになってしまったのだろうか。


 藤原正彦の『国家の品格』から、また引用したい。「第五章 『武士道精神』の復活を」から。
藤原正彦著『国家の品格』
 

情緒を育む武士道精神

 美的感受性や日本的情緒を育むとともに、人間には一定の精神の形が必要です。論理というのは、数学で言うと方向だけで決まるベクトルのようなものですから、座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。私は、こうした情緒を育む精神の形として「武士道精神」を復活すべき、と二十年以上前から考えています。



 「武士道精神」とか「道徳」などという言葉を目にすると、きっと「右翼!」とか「軍国主義!」などの言葉での反論があるかもしれないが、そんなことは気にせず、引用を続ける。

 武士道は武士道精神という美徳を忠実に実践しているという一点で、人々に尊敬されたのです。金銭よりも道徳を上に見るという日本人の精神性の高さの現れです。
 騎士道はキリスト教の影響の下で生まれましたが、馬に乗って戦うことがなくなると、イギリスでさらに諸々の要素を加えて深みを増し紳士道へと発達しました。騎士道と同様、武士道にもさまざまな精神が流れ込んでいます。
 まず仏教、特に禅から、運命を引き受ける平静な感覚と、生を賤しみ死に親しむ心を貰いました。儒教からは君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の間の「五倫の道」や、為政者の民に対する「仁慈」を取り入れました。神道からは、主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、親に対する孝行などの美徳を取り入れました。
 最も中心にあるのは、日本に昔からあった土着の考え方です。日本人は万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、「卑怯なことはいけない」「大きな者は小さな者をやっつけてはいけない」といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないかと思います。
 「禅や儒教は舶来のものじゃないか」と言う人がいるかも知れません。禅はもちろん中国で生まれたものですが、中国にはまったく根付かなかった。鎌倉時代に日本に来て、一気に日本に根付いた。これは、禅が中国人の考えとは相容れないもので、日本人の土着の考え方と非常に適合性が高かったということです。鈴木大拙氏の言葉によると、「日本的霊性」に合致していたのです。だからこそまたたく間に鎌倉武士の間に広がった。禅と儒教は日本人の間に古くからあった価値観です。理論化したのは中国人ということです。そして、いつものことながら、日本人はそれを神道などと融合しつつ、日本化し、武士道精神へと昇華させたのです。


 
 「道徳」が大事だと思うが、それは学校で「道徳」という授業を復活して欲しいということではない。その「精神」が問題なのだ。

 これから、この大津の中学の警察の捜査が進むにつれてマスコミや世間のバッシングも、しばらく増えるだろう。きっと、加害者である中学生、そして担任の先生への批判は、今後増え続けるだろう。
 しかし、周囲も、そして当事者も、「卑怯」なことはやめようじゃないか。いまや「弱い者」になった彼らを一斉に非難するだけなら、同じことを根に持つ「いじめ」はなくならない。そう思う。

 いつからか、「武士道精神」とか「道徳」と言う言葉は、肯定的に扱われない、いわばタブーとされてきたのではないか。しかし、今の日本にもっとも大事なのが、こういった言葉であり、精神ではないかと思う。これらの言葉を“死語”にしてはいけないと思う。いじめに限らず、「皮膚感覚の道徳観」の欠如が、問題にされなくてはならない。今こそ、「競争」や「利益」などと言う言葉よりも語られなくてはならないのではないだろうか。
Commented by YOO at 2012-07-15 00:57
「今こそ、「競争」や「利益」などと言う言葉よりも語られなくてはならないのではないだろうか。」
まったく同感です。すべて保身や金から判断するという意識が蔓延しているのだと思います。
しかし国のトップがあの有様なのですから。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-07-15 07:00
国のトップが、まっさきに自分達の「利益」と「保身」を優先させているからこそ、市民がしっかりしなくてはならないようにも思います。
反面教師、ってやつですかね^^

メディアは“大津の犯人探し”をするより、大震災からの復興、フクシマの収束に対して国のトップとしてすべき仕事をしていない彼らの悪事を追求すべきです。

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by kogotokoubei | 2012-07-14 20:38 | 責任者出て来い! | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛
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