喬太郎・扇辰・白酒 三人会 杜のホールはしもと 7月6日
2012年 07月 06日
次のような構成だった。
--------------------------
開口一番 柳亭市助『たらちね』
入船亭扇辰 『野ざらし』
(仲入り)
桃月庵白酒 『笠碁』
柳家喬太郎 『死神』
--------------------------
柳亭市助『たらちね』 (19:00-19:17)
たぶん初めて。先輩の市也の開口一番にはよくあたる(?)が、なぜか名前だけは知っているが、これまで縁がなかった。声がいい。きっと唄も師匠の指導で上手いのだろう。持ち時間は予定通りなのかもしれないが、途中は、少しだれた。しかし、なかなか好感の持てる若々しい噺家さん。市也にも良い刺激になっているだろう。
入船亭扇辰『野ざらし』 (19:18-19:51)
マクラで、開口一番の市助を少し褒めた(これは本音かな?)後、15~16年前に相模原JA(農協)の仕事で、各支所で落語をやらせてもらったことがある、と地元との縁を披露。
五分のマクラの後の本編は、サゲまでしっかり。
この人の大きな特長は、登場人物の感情表現を、顔の表情や声の加減などで、ややデフォルメして演出し、それが効果的であることに加え、喜怒哀楽の激しい側と相手との動と静の対照が噺に味わいを加えていることだと私は思っている。人物と場面によっては、ある意味、狂気じみた演出も際立つ。それは、遊雀にも時折感じるものだ。
そして、この噺でもその芸が随所に活きていた。
発端の、八五郎が長屋の隣家尾形清十郎から前夜の出来事を聞く場面で、尾形の怪談めいた話に八が大袈裟に怖がったり、尾形の紙入れを懐に入れて逃げようとしたり、「あんないい女なら幽霊でもいい」、と向島に出かける場面から、八五郎は絶好調。そして、「コツ」を求めて向島での八五郎は、サイサイ節をはじめとして、そのはしゃぎっぷりが最高潮に達する。釣針で自分の鼻を釣る(?)場面など、周囲の冷ややかな釣り人との動と静の対比が頗る楽しい。そして、その八五郎の傍若無人なはしゃぎぶりは、サゲで反撃を受ける。八五郎の一人芝居を船で聞いていた幇間の新朝が、八五郎の長屋のおんぼろ具合を面白おかしく「パーパー」といじることで、八五郎は反撃されるのだ。八五郎と尾形清十郎および釣り人との対比は、最終場面で幇間新朝と八五郎の対比に置き換わる。新朝の調子の良い語りの間、八五郎は口を挟む隙がない。全体の中では短い時間ながら幇間の芸も見事だ。八五郎がサゲで新朝を殴るのは、「コツ」のいい年増を待ち望んでいたのに幇間が現れたことのみならず、主役の座を奪われた八の怒りもこもっていたような気がする。
この噺は、サゲまで演じてこその味わいがあることを、扇辰の見事な高座が示している。もちろん、今年のマイベスト十席候補である。
桃月庵白酒『笠碁』 (20:03-20:33)
仲入りを挟んで、久しぶりの白酒。時事ネタとして“オスプレイ”のことで会場を沸かしてから、喬太郎、扇辰との前座時代のエピソードになった。内容は、ちょっと書けないなぁ。三人が前座で重なっている期間は、白酒が入門した平成四年四月から、喬太郎、扇辰が揃って二ツ目になる平成五年五月まで、ほぼ一年しかない。しかし、あの先輩二人から受けた白酒の前座修業時代は、いろんな意味で相当“濃い”時期でもあったのだろう。
九分のマクラの後半は碁の話となり、大師匠先代馬生とほぼ同じ素人が碁を見ていながらの小噺から本編へ。この人のこの噺は初めて聴く。「待った」で揉める二人の口論の中で、片や「一昨年の暮れのこと」を持ち出すと、相手が対抗して「八年前の九月」をぶつける。これは、師匠の型なのかオリジナルか不明。そもそも雲助のこのネタを聴いたことがない。やるのかなぁ?
白酒らしい演出を結構抑えた、この人にしてはおとなしい(?)高座。しかし、悪い印象ではない。この噺を磨いている途中、そんな印象。後日また聞いてみたいと思う。
柳家喬太郎『死神』 (20:34-21:12)
声が本調子ではなかったようだが、風邪気味か、あるいは疲労だろうか。夏休み-受験生-神頼み-神にもいろいろ、という二月に銀座で聴いた時とほぼ同じマクラ(3分)で本編へ。
二月の扇辰と文左衛門との三人会の記録を帰ってから確認したが、所要時間はほぼ同じ。
2012年2月18日のブログ
しかし、途中は少し急ぎ気味で、リズムも今一つ良くない。病人の足元にいる死神を消す呪文も、地元のことを含む即興の文句を、しっかり(?)言い間違えていた。このへんは余興で問題ないのだが、二月の銀座と比べると精彩を欠いている印象だ。
ただ、演出の上で印象的だったのは、近江屋の旦那を奇策で助けた礼金で飲んだ後の男の言葉、「ざまぁみろい~」が、やや狂気めいた演出で、これは良かったと思う。扇辰の影響だと、私は思っている。そして、その男に向かって死神がつぶやく、「おまえは、神か・・・・・・」も、二月にはなかったような気がするが、忘れているだけかもしれない。いろいろ、工夫をしているのは事実だろう。
蝋燭だらけの地下の洞窟。最近亡くなった方のクスグリは予想通りの二人に、曲独楽の柳家とし松を加えていたのが好感を持てた。残念ながら私は生で拝見したことはない。同じ協会の後輩として当り前と言えば当り前だが、やはり、加えて欲しかったのでうれしかった。
最後は男が死んだまま緞帳が下りた。古典の大作を多摩川越えの地でかけてくれたことには感謝だが、少し疲労の色を感じた。
喬太郎と扇辰。入門も二ツ目昇進も同期。真打昇進は二年の差がついたが、今や扇辰が少し先を行っているように思っている。それを裏付けるような二人の高座だった。それは、喬太郎が良くないのではなく、扇辰が聴く度に芸の幅と奥行きを見せてくれているということ。
二月の銀座での『夢の酒』も男女両方の演出が結構だったが、今回の『野ざらし』における男ばかり登場する滑稽噺でのエネルギッシュな高座にも感心した。越後生まれの江戸っ子、そんな形容ができるような、東京落語界での存在感を確固たるものにしつつある扇辰は今後も楽しみだ。そんなことを思いながらの帰宅後の一杯は、頗る旨かった。
多摩川越えの相模の地で滅多にない豪華な会でした。
白酒に「笠碁」はニンな噺だと思います。碁を打つ様子を、「のびる」「とめる」「はねる」などと言う専門用語を使いながら表現したり、新境地を開くネタになるかもしれません。
扇辰は、流石でした。
喬太郎、相変わらずどんな仕事も断らないのでしょう、疲労気味だったと思います。しかし、古典への意気込みは感じました。
喬太郎と百栄を聞きに行って古典だと結構ガッカリしてしまうのは失礼なんでしょうけど。それだけお二人の新作の面白さが高レベルなのでは?
お声かけていただければよかったのに^^
現在の喬太郎は、二席なら古典と新作でバランスをとるでしょうけど、一席の場合は、原則として古典を優先するように思います。
結構、真剣に古典に取り組んでいるはずです。
ご指摘の通りで、喬太郎と百栄の新作のレベルは相当高いと私も思います。
他の新作派では、最近聴いていないのですが、古今亭今輔にもセンスの良さを感じます。百栄の「甲子園の魔物」は今輔作ですからね。本来は、「新作の芸協」、他の一門との合同の件、どうなったのかなぁ。
今日鈴本夜の部、百栄が代バネということで、ひょっとしたらと思い行ってみました。入りはパラパラで年配のご婦人が多かったので、すっきり古典で締めるかなと思っていたら、なんと「マザコン調べ」。二度目の遭遇でした。
案の定、おばさま方は引き気味で受けは今ひとつの感じでしたが、私は狙いが当たって満足でした。
私は、最近の定席は末広亭か池袋が多く、鈴本にはしばらく行ってないんですよ。
夏の権ちゃんとさん喬の会、今年は行こうかなぁ、と思っていますけど、さてどうなることやら。
