その日、江戸は雪だった-旧暦三月三日、桜田門外の変。
2012年 03月 24日
大老井伊直弼は彦根藩主であったわけだが、彦根藩と聞くと、落語では柳田格之進を思い浮かべる。格之進は彦根藩士。しかし、今日は落語の話ではなく、この桜田門外の変のことを少し書きたい。
徳川四天王の一人であった藩祖の井伊直政から数えて十五代目の藩主井伊直弼が水戸の浪士に討たれた日は、雪だった。吉村昭著『桜田門外ノ変』から引用したい。

吉村昭著『桜田門外ノ変』(新潮文庫)
襲撃メンバーが前夜集合したのは品川の引手茶屋稲葉屋。
その茶屋を集合場所にきめたのは、薩摩藩士の有村雄助の助言によるものだった。
品川は薩摩ばかりの下駄の音
品川で口がすべると愚僧なり
という川柳があるほど、品川遊郭の客は、増上寺の僧たちとともに三田の薩摩藩邸の者たちが上客であった。有村たちは稲葉屋に行って近くにある品川宿随一の妓楼相模屋にあがるのが常で、稲葉屋の主人とは親しく、恰好の集合場所であった。
鉄之介は、稲葉屋の男に案内されて最後の打合わせ場所である相模屋に行った。
あの相模屋が登場。『幕末太陽傳』では長州藩士の隠れ場所だった。関鉄之介たちとは別の部屋に、もしかすると高杉晋作や居残り佐平次がいたのかもしれない。どうしても落語から離れられんなぁ^^
事件の日の雪が、当時においても季節外れだったことが、最後の打合わせにおける次の会話から分かる。
「明日は潮干狩りの日だそうな」
一人が、言った。
品川の潮干狩りは、深川のそれとともに江戸の行楽として名高い。舟を遠く沖に出し、やがて潮が引いた一面の砂地で、舟からおりた男女が蛤をひろう。ひらめを踏んでとったり、海水がわずかに残った潮だまりにいる小魚もひろう。それが終ると、舟の上で宴をひらく。
「この寒さでは、貝をひろうのに手も足もこごえるだろう」
他の者が、つぶやくように言った。
実際に翌3日は潮干狩りよりも雪見酒の合う天候になったようだ。
「雪だ」
という声に、鉄之介は目をさました。
決行の日だ、という意識が全身を走り、かれははじかれたように体を起した。
雨戸がわずかにひらかれ、同室の者たちが外をのぞいている。夜が明けはじめているらしく、かすかに明るんでいる。
雪がちらついているのか、と思った鉄之介は、立つと雨戸に近づいた。
かれは、眼をみはった。ちらついているどころか、激しい降雪だった。
「大雪ではないか」
かれは、驚きの声をあげた。
「まことに・・・・・・。雛祭りの日だというのに・・・・・・」
岡部も、呆れたように雪を見つめている。
屋根をみると、まだ雪にうすくおおわれているだけで、振り出して間もないことを知った。
雪は、決行に利か不利か。同志たちの顔にも判断つきかねる表情がうかんでいる。
鉄之介は、かれらの気持ち浮き立たせるため、
「赤穂の浪士討入りも雪だったぞ」
と、言った。
「ノーサイド」という月刊誌の連載をまとめた『日本史が楽しい』という半藤一利編集による対談集があって、その中に「桜田門外の変と尊皇攘夷」という題で、吉村昭、綱淵謙錠との対談があるので引用したい。旧暦3月3日は今の暦なら3月24日頃という話題が冒頭にあり、いくつかの話題で対談が進むが、雪についても語られている。半藤一利編著『日本史が楽しい』(文春文庫)
半藤 さて、次は雪なんですけど。
綱淵 僕は樺太出身ですから、雪にはわりあいうるさいほうなんです。
吉村 そりゃそうでしょう(笑)。
綱淵 昔見た桜田門外の映画では、吹雪のような粉雪を降らしまして、
それが死んだ人びとの上にパァーッとかかって埋めていく。
これはたしかに悲壮感があった。でもね、3月24日に東京で降る
雪が吹雪とは、どうしても考えられない。
吉村 ボタン雪ですよね。しかも相当積もったらしい。後始末のときに、
井伊家は血のついている雪までもっていったんですから。
綱淵 薩摩の有村治左衛門が最後に腹を斬って雪を食べる。あれも、雪
が相当積もってないと、食べられません。
吉村 雑誌で「江戸時代の何になりたいですか」というアンケートが
きたとき、桜田門外の変が起きたときに傘の見世が二軒出ていた
という、あの傘見世のおやじになりたかったなと思った。そうしたら
事件をうまく書けたと思うんだ(笑)。
その傘見世のことは、『桜田門外ノ変』で、次のように書かれている。
あたりは森閑としている。濠に動くものがみえるのは数羽の鴨であった。
桜田門の近くの濠端には、傘見世と称されている葭簀張りの茶店が二軒出ていた。その付近は、登城する大名行列を見物する者たちでにぎわうので、それを見込んで、傘見世ではおでん、餅、酒、甘酒などを売る。ことに年頭と五節句には諸大名がぞくぞくと登城のため桜田門を入ってゆくので、必ず傘見世が出るのが常だったが、雛節句の日とは言え、大雪なので同志たち以外に人の姿はない。
ちなみに、大名の登城の際の行列は、地方から江戸見物に来た人々にとって定番の見学コースであり、家紋の解説本が大名行列見物の必須アイテムだった。人が集まるところに店が出没するのは、昔から変わらないようだ。吉村昭の本は、いろんなことを教えてくれる。
それにしても、あの事件を目の当たりに確認できる傘見世のおやじになりたい、という吉村昭の思いは、さまざまな記録文学の傑作を遺した作家らしいが、吉村昭が客に甘酒を供しながら、外の様子に注意を配っている姿を想像するだけで、なぜか可笑しくなる。
昨年は映画にもなったが、明治政府になって“義挙”と称された襲撃犯たちは、この事件後に決して英雄としての人生を歩んだわけではなかった。
さすがに雪ではなく雨になった旧暦3月3日。この雨は関鉄之介達の涙なのか、それとも井伊直弼の涙だろうか。私は旧暦3月3日の今日、雛祭りではなく、雪の桜田門を思い浮かべていた。
こういうところが吉村小説の底深い魅力ですね。
こういう作家がいたんですね。五十路半ばで出会えて幸甚です。
阿川弘之は戦争に特化した記録文学において秀逸ですが、吉村は市井の人々の描写が、なんとも凄い。
今回は、ほんのサワリですが、そのうちもっと吉村昭のことを書きたいと思っています。
『史実を歩く』は未読なので、近いうちに読ませていただきます。
