三代目春風亭柳好-謳いあげる噺家
2012年 03月 14日
以前に、柳好の初出し音源の大量発売を喜んでブログを書いた。
2009年2月11日のブログ
その時と同じ内容になるが、亡くなった日のことをご紹介。
昭和31(1956)年3月14日に、専属だったラジオ東京(現在のTBS)のスタジオで『穴泥』を収録し、その後に向かった鈴本で脳溢血で倒れ、その夜に亡くなっている。翌日の追悼番組の中で放送されたが、このCDにはその際の正岡容のメッセージも併せて収録されており貴重な音源といえるだろう。明治20(1887)年生まれ、享年70歳。落語芸術協会の所属だった。

日本伝統文化振興財団サイトの該当CD紹介ページ
遺作となった『穴泥』を収録したこのCDは発売後すぐに購入して聞いた。『青菜』『居残り佐平次』と併せた三席とも非常に結構で、特に『穴泥』は、この後に倒れたということが信じられない内容。
柳好の全盛期、当時の落語協会の中心人物であった桂文楽は、柳好のはなやかさや人気の高さから、「序列は上でも構わないから落語協会の方に来て欲しい」と真顔で語っていたらしい。当時は、芸術協会の寄席の方が落語協会よりも人気があったようだが、たぶんに柳好の貢献があったのだろう。
立川談志は、柳好について、あの『現代落語論』で次のように書いている。
謳いあげる春風亭柳好
『ガマの油』で人気のあった春風亭柳好が、「梅は咲いたか」、の出ばやしで、高座へ上がると、パッと高座に花が咲いたように明るくなったもので、専売特許といってよい『野ざらし』、そして『棒だら』、ああいった噺はもう聞けないと思うし、聞いた者だけが自慢できる楽しみがあった。
柳好の芸の特徴は、噺の全篇を謳いあげるような雰囲気になり、先代の鶴本の志ん生もそうだったというが、噺全体がトーンのよく効いた音楽のような感じで、抑揚のよさ、緩急自在な呼吸、いうならばおとなの楽しむ一級の娯楽品、映画でいうと、さしずめ007といったところかもしれない。
“謳いあげる”という表現は、まったく言いえて妙で、どの噺も、そのリズムの良さで、聞いていてうきうきしてくる。志ん朝も、“謳う”イメージがあるが、少し違う。
こういう実力と人気の両方を兼ね備えていた噺家が、その昔の落語芸術協会にはいたのだ。
ご興味のある方は、『ガマの油』をお聞きください。いいんだよね、これが!
若い頃は看板に名前が書いてあると、用事の途中でも中に入って聴いたそうです。
私が柳好師を部屋で聴いていると、入って来て一緒に聴いて、色々な事を話してくれました。
高座に出て来ると、「がま!」「野ざらし!」「たちきり!」とか声の掛かり具合が半端なかったそうです。
結局違う演目をやることもあったそうです。
この音源はSP版ですね。調子良い頃ですね(^^)
亡くなるひと月前の「野ざらし」の録音が残っていますが、あまり調子が良くないので、この頃から異変があったのかと思っていました。
もう少し長生きして欲しかったですね。(^^)
柳好は、寄席の客席から「がま!」「野ざらし!」の両方の声がかかると、どちらをかけても片方を望むお客さんに申し訳ないので、他のネタを選んだことが多いようです。
正岡容さんんが、遺作の『穴泥』の放送前に語っている通り、酔っ払いや幇間ネタも抜群ですね!
吉井勇が『幇間腹』を褒めていたことを正岡さんが本人に告げると、非常に喜んだらしいです。
柳枝(八代目)のような噺家さんも現在はいないですが、柳好のようなリズムを持った“謳う”落語家も見当たらない。どうしても、古い音源を聞いてしまいます。
志ん朝、馬生、柳枝もそうですが、早世が惜しまれます。
恰幅が良い色男で、とにかく芸人として魅力がありました。
金馬と共に戦後の落語ブームの立役者でした。
