「落語界は何処へ行く?」-古今亭志ん輔のブログ「日々是凡日」より
2012年 03月 06日
12時30分 スタジオイワトでの「真景累ヶ淵」第一回に向かう。
13時05分 打ち上げが中華なのを聞いていながら中華の店に入って昼飯。
13時25分 半輔を中華屋に残して一人スタバでエスプレッソ。なんとなく息苦しいのは気のせいだろうが事実。
コーヒーを飲んでいたらいろんなことが頭に浮かぶ・・落語界は何処へ行くのだろうか?落語協会ではない。
近頃どこを見てもチェーン店ばかり、その味気なさは当然だけど「客が入ればいいんだ」とこれも最近の経済のように金がモノの価値を決めてしまうようになった現在。本来さほど経済とは密接な関係ではなかった「落語」というモノを道具にして活計を立てようとするのはいいが、これも昨今の様子の通りダメになったらやめてしまうのではないのかしら。そもそも入門の動機が大した志もなく「やることがなかったから」なんて入って来た輩が多いのだ。然すればやめて行くのも簡単だろう。
また観客の質もかなり変化して同じようにチェーン店ならと大した期待もせずに入店して腹を見たして帰って行く程度の方々が全てではないけれど増えていることも事実だ。四代目小さんの「一つ間違えれば「落語」は悪ふざけになる」の様な「落語」を聞いて見て「ちょっと変わった味」を覚えて「これが落語だ!」と叫ぶだけ叫んで飽きたらいなくなる。後になにが残るのかと考えると寒気がする。そんな時期を迎えている気がしてならない・・。
落語を楽しみに聞く側とにとっても、結構重い問いかけと言える。チェーン店を引き合いにして、「客が入ればいいんだ」という言葉が、やや否定的に語られている部分から、昨年末の末広亭真山席亭の芸協への苦言のことを思い浮かべてしまう。
芸能の世界に住む人たちにとって、「経済の論理」は、なかなか馴染み深いものとは言えないかもしれない。しかし、喰わないわけにはいかない。それこそ、家族に加え弟子まで抱えているなら、なおさらである。
それこそ、瀧川鯉昇の最初の師匠で、奇人変人の誉れ(?)のあった八代目春風亭小柳枝のように、弟子と一緒に「雑草」を食べてでも生きてはいけるかもしれないが、そんな“サバイバル生活”など長続きはしない。当の小柳枝も落語家を廃業して仏門に帰依したらしいが、ぎりぎりの生活では、己の芸の修業だってままならないだろう。
志ん輔のブログには、彼のその時々の思いが、結構ストレートに綴られているように思う。この記事を書いた時に彼の脳裏にはどんな思いがあったのか・・・・・・。
・芸術協会の定席の不入りに関する席亭の悩みと苦言
・四代目小さんの言葉に代表される“悪ふさけ”に近い落語の横行
・フリーター的感覚の入門志願者の増加と、彼らを金銭的に支援してしまう、今どきの親
そんな実態を思いながらの、ため息まじりの文章なのか、と邪推する。
まったく見当違いかもしれないが、“落語ブーム”と言われて久しい今、現実はそんなに甘くない、ということなのではなかろうか。
ほどほどに採算が立つ程度に定席寄席に客が入り、噺家は挑戦も大事だが古典芸能の継承という役割は忘れず、表層的な人気に目を奪われない独立心のある個性的な入門志願者が増えること、そういったことが、志ん輔の落語界への不安をなくす道なのではなかろうか。志ん輔のブログを読んで、勝手ながら、そんなことを思っていた。
彼らがいなくなると一之輔や菊六も苦しいかもね。
志ん輔の思いの核心は分かりませんが、現状のままでいいと思っていないのは、間違いないのでしょう。
もしかすると、さん喬が昨年までの喬太郎に厳しい評価をしているのと、どこか相通じる憂いなのかもしれません。古典を、無理に笑わせようとせず、自分なりにしっかりやる、そういうシンプルなことなのかもしれません。
いずれにしても、今後もあのブログからは目が離せない^^
協会やら楽屋やらで、いろいろな話が出ているのかなあと思ったりします。憂える思いが集まって、時間を掛けて良い方へ動き出しますように。
