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噺の話

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“話がつかないこと”を望む政府と、沖縄問題-「内田樹の研究室」より

野田“どじょう”首相の沖縄訪問のニュースを見ると、相変わらず政府と沖縄との間に、何とも先の見えないやりとりが続いているのだが、この問題について、今日27日の「内田樹の研究室」から引用したい。内田樹の研究室

 内田樹のアメリカに対する考え方については、以前にTPPの関連から『街場のアメリカ論』を紹介したことがある。2011年12月1日のブログ
 同書の第一章「歴史学と系譜学-日米関係の話」は、トクヴィルの著作『アメリカにおけるデモクラシー』を中心に語られているが、内田のアメリカに関する考え方の源流には、あの本にも書かれていた、アメリカ人の絶えることのない「西へ」の思いを斟酌することで共通していると思う。そして、次の言葉が沖縄問題を考える上でも示唆的だ。

 日本は以来百五十年、アメリカを欲望してきた。
 それはヘーゲル的に言えば、「アメリカに欲望されることを欲望してきた」ということと同義である。


 「以来」というのは「ペリー以来」の意味である。

さて、「内田樹の研究室」から。

沖縄の基地問題はどうして解決しないのか?
沖縄タイムスの取材で、沖縄の基地問題について少し話をした。
この問題について私が言っていることはこれまでとあまり変わらない。
沖縄の在日米軍基地は「アメリカの西太平洋戦略と日本の安全保障にとって死活的に重要である」という命題と、「沖縄に在日米軍基地の70%が集中しており、県民の91%が基地の縮小・撤収を要望している」という命題が真っ正面から対立して、スタックしている。
デッドロックに追い詰められた問題を解くためには、「もう一度初期条件を点検する」のが解法の基本である。
まず私たちは「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」という問いから始めるべきである。
ところがまことに不思議なことに、沖縄の基地問題を論じるためにマスメディアは膨大な字数を割いてきたが、「アメリカの西太平洋戦略とはどういうものか?」といういちばん大本の問いにはほとんど関心を示さないのである。


 まず、「原点」に戻って、「なぜ今もなお、日本に米軍基地が、必要なのか」と言う議論などは、政府やマスコミからは聞こえない。
 「内田樹の研究室」は、このあと中国とのiPadの商標権の問題や現在の韓国、フィリピンの米軍基地の現状について触れてから、次のように続く。

これらの事実から言えるのは、「アメリカの西太平洋戦略とそれに基づく基地配備プラン」は歴史的条件の変化に対応して、大きく変動しているということである。
当然、これらの全体的な戦略的布置の変化に即応して、沖縄米軍基地の軍略上の位置づけも、そのつど経時変化をしているはずである。
だが、その変化について、それが「沖縄における米軍基地のさらなる拡充を求めるものか」「沖縄における米軍基地の縮小撤収を可能にするものか」という議論は政府もメディアも扱わない。
というのは、沖縄の米軍基地はこれらの劇的な地政学的変化にもかかわらず、その軍略上の重要性を変化させていないからなのである。
少なくとも、日本政府とメディアはそう説明している。


 なぜ、内田が指摘するような、“本質的”な問題を政府もマスコミも語らないのか。

戦後67年間ずっとアメリカに日本は国防構想の起案から実施まで全部丸投げにしてきた。
自分で考えたことないのである。
国防はもちろん軍事だけでなく、外交も含む。
日本のような小国が米中という大国に挟まれているわけだから、本来なら、秦代の縦横家のよくするところの「合従連衡」の奇策を練るしかない。
だが、「日米基軸」という呪文によって、日本人はスケールの大きな合従連衡のビッグピクチャーを描く知的訓練をまったくしてこなかった。
ここでアメリカに去られて、自前で国防をしなければならなくなったときに、対中、対露、対韓、対ASEANで骨太の雄渾な東アジア構想を描けるような力をもった日本人は政治家にも外交官にも学者にもいない。どこにも、一人も、いない。
だって、「そういう構想ができる人間が必要だ」と誰も考えてこなかったからである。
日本のエスタブリッシュメントが育ててきたのは、「アメリカの意向」をいち早く伝えて、それをてきぱきと実現して、アメリカのご機嫌を伺うことのできる「たいこもち」的な人士だけである。
 (中 略)
基地問題がスタックしているのは、「スタックすることから利益を得ている当事者」がいるからである。
ひとりは「もめればもめるほど、日本政府から引き出せる金が増える」ということを知っている国防総省であり、ひとりは「いつまでもアメリカを日本防衛のステイクホルダーにしておきたい」日本政府である。
交渉の当事者双方が、「話がつかないこと」の方が「うっかり話がついてしまうこと」よりも望ましいと思っているのだから、沖縄の基地問題の交渉は解決するはずがないのである。
悲しいけれど、これが問題の実相なのである。



 たしかに、「話がつかないこと」を望むのが日本政府の実態なのかもしれない。しかし、それを認めるのは、あまりにも情けないし悲しいものだと、内田と同じ日本人である私は思う。

 基地の移設先の論議より、まずアメリカと話し合うべき根本的な問題がある。しかし、対話、あるいは議論できる“器”のある国のリーダーが、今はいない。

 たまたま映画『山本五十六』を見たこともあり、阿川弘之の『山本五十六』や『井上成美』を読み返した。たしかに、結果として日本はあの戦争に突っ走った。しかし、たとえば海軍で米内・山本・井上のトリオが結束していた時には、陸軍や政府やマスコミ、そしてマスコミに煽動された多くの国民が支持した日独伊三国同盟の締結は阻止できていた。しかし・・・・・・なのだ。そして、“沖縄”は、まさにあの戦争の負債である。それを、いまだに日本は払っている。

 そろそろ、「話をつける」時期なのではないか。それをできる“個人”としての英雄が期待できないのなら、日本が得意な“チーム”で、難題に当たるしかないのではなかろうか。天才ではなく、長期的な視野に立てる優秀なリーダーと、献身的に働くメンバーによるチームワークこそ、今は求められているのではないかと思う。モノづくりも含めて、日本はそういったチームの存在が鍵を握ってきたはずだ。

 そろそろ、戦後70年に届こうかという今、「アメリカへの欲望」という甘えを捨てなければ、同じアジアにおいてさえ、中国、韓国や中東諸国のしたたかさに、さまざまな局面で遅れをとるのではないか。いや、エルピーダの件に顕著なように、すでに特定分野では、かつて先頭を走っていた産業がアジアのライバルの後塵を拝している。ビジネスにおいても国を挙げて世界で戦おうと戦略的な手を打っている国と、さまざまな足かせのある状況で個々の企業が悪戦苦闘している日本、そのギャップは余りにも大きい。今や、、戦後の日本が通産省を中心に産官一致協力して世界を相手に戦ったあの姿を、よりドラスティックに展開しているのが、“国家資本主義”と言われる国々の戦略なのである。徒手空拳では、これまでの花形産業が没落の一途となる。

 しかし、現在の政府は東電など“仲間内”の特定企業への配慮は厚いのに比べ、長期的な視野から日本の文化、そしてそれぞれの産業や農漁業を育成しようという展望は、ほとんど見えてこない。沖縄問題はもちろん重要だ。しかし、「話をつける」気がないなら、何らは進展はない。時間と税金の浪費である。そして、政府やマスコミもアメリカばかり見ていては、それこそ方向性を誤る時代に、すでに入っている。日本という国の将来像をしっかり見定め、相手の目論見を見極めてアメリカとの「話をつけ」ながら、他にも考えるべき重要な課題を解決しなくては、気がついた時に日本は、世界に存在意義の薄い極東の島国になるだけであろう。そう考えると、政治家に期待できない分だけ、やはり官僚が鍵を握るように思う。あらためて、震災とフクシマを契機に日本という国をどうするのか、非常に大きな転換期にあると思う。

 沖縄問題から、ちょっと飛躍してしまったが、結構本質的には共通する問題があるように思う。日本の産業の成長のための障壁をなくすという課題や、震災からの復興のための様々な課題なども含め、政府はそれらの課題に関して「話をつけない」、ということを基本としているような気がしてしかたがない。
Commented by 佐平次 at 2012-02-28 11:00 x
変化を恐れ馴染んだ環境にずっぽり、いろんな危険信号は見えているのに「見て見ないふりをする」のですね。
本音を言うのも怖いし。

Commented by 小言幸兵衛 at 2012-02-28 13:00 x
慣れ親しんだぬるま湯環境に浸り、既得権にしがみつき、そこにある危機は「見て見ぬふり」をする。
そのうちに、どんどん日本が政治だけでなく三流国になってしまいそうな気がします。
震災やフクシマも、「喉元過ぎれば・・・」にならないよう、災害対策の失敗を真摯に認め、将来に活かさなきゃならないはずですよね。

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by kogotokoubei | 2012-02-27 21:02 | 責任者出て来い! | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


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