今年もまた、10月1日がきた。あれから10年・・・・・・。
2011年 10月 01日
命日に何を書こうか思案していたが、志ん朝のことを書くのではなく、十年前の今日が、私自身にとってどんな日だったか、ということを書きたいと思う。だから、志ん朝のことを期待されてお立寄りの方には、まったく申し訳ない個人的な内容なので、あらかじめお詫びします。
前にも書いたことがあるが、私は古今亭志ん朝の生の高座を見たことはない。落語は高校時代に興津要さんの『古典落語』を愛読書としていた位で大好きだったし、高校で先輩が卒業する際の予餞会で一席やらせてもらうなど、自分でも演じていた。受験勉強中にラジオで志ん生や金馬の声を聞くと、勉強は休憩となった(?)。
大学は体育会系で、オフは遠征費を稼ぐためのアルバイトで忙しく、とても落語など聞きに行く心と金銭的余裕はなかった。
そして、社会人になっても新潟での勤務で生の落語を聞く環境でもなかった。その後に転職して首都圏で住むようになったものの、仕事と友人との交遊(主に、酒です)にかまけて、しばらく落語とは遠ざかっていた。
しかし、十年前に志ん朝の訃報に接し、その衝撃と合わせて追悼番組などを見たことで、「あ~っ、ずいぶん長いこと落語のことを忘れていたなぁ・・・・・・」と、自分の中にあった落語への思いが蘇った。その後、志ん生や金馬、関西で過ごした学生時代にテレビやラジオで馴染んだ大好きな枝雀、米朝などの音源にあらためて接し始めた。仕事で都内へ出ると、なんとか時間を見つけては神保町で落語関係の古書を探すことにも励んだ。だから豊田書店には大いにお世話になった。今でもあのお店がなくなったのが残念でならない。
志ん朝が亡くなってから数年後、ある仕事仲間のMさんと飲んでいた時、その人も落語愛好家で大の志ん朝ファンのため話が合い、彼から「落語は生!」と強く主張されたことに刺激され、寄席や落語会に行き出した、という次第。加えて、落語を自分で演じる楽しさを思い出してしまって、週末のテニス仲間との合宿旅行では、宴会の余興で二席も演じるという暴挙に及んでいる。
ブログで偉そうなことを書いているが、ここにお立寄りいただく年季の入った落語通の方などに比べれば、生の落語との歴史は、なんとも薄っぺらなものなのだ。だから、ベテラン落語愛好家の方からの鋭いコメントを拝見する時など、いつも冷や汗をかいているのが実態。
十年前の今日の衝撃がなければ、そしてMさんとの出会いがなければ、落語会や寄席に今のように行くようにはならなかっただろうし、結果としてこのブログを書くことはなかったと思う。そういう意味で、10月1日という日は私にとって意味のある日なのである。今では、大先輩を含む落語ブログ仲間との交流もあり、より落語を通じた世界が広がってきた。一昨日の小金治さんの高座に出会う僥倖なども含め、落語を媒介として教わることは、あまりにも多い。
そんな思いにさせた、十年目の志ん朝の命日だった。
あらためて、まったく私の個人的なネタにお付き合いいただき、恐縮至極です。もしかしたら、志ん朝のことも後で書くかも知れませんが、まずは「小言幸兵衛と10月1日」のお粗末でした。
私も子供の頃からの落語好きですが、少し疎遠になったり、夢中になったりの繰り返しでした。
一番の思い出は、1997年11月17日国立小劇場での「落語研究会」ですね。
そう、志ん朝師が「文七元結」を演じた日です。
当日券を買う為に5時頃から並び、志ん朝師の高座を堪能しました。
その日の仲入りは雲助師で「二番煎じ」だったのですが、これが火の出る様な高座で、トリの志ん朝師に負けまいと演じていたのが印象的でした。
今では高い壁となる師匠も小三治師のみとなってしまい、月日の経つのを感じます。
これからも寄りますので宜しくお願い致します。(^^)
子どもの頃から、漫才やお笑いのトリオが大好きでした。中学から高校にかけてラジオの落語にはまりました。そして、大学から社会人と長い間にわたって落語とは距離ができ、その後の十年前の今日でした。
Mさんから刺激を受けた頃は、会社の同僚や後輩などと飲みに行ってハシゴになることも多かった時期ですが、一晩の飲み代で落語会に二度、あるいは三度行けることに気付きました。また、毎度同じような話題を繰り返す社内のノミニケーションの限界も感じていましたし、人間ドック恒例の肝臓のワーニングなども重なって、社内人脈との飲み会を減らし、その分が落語会や寄席に傾斜していったように思います。
結果として、毎週日曜のテニスと同様、利害関係のまったくない同好の友もでき、hajimeさんのような落語の達人の皆さんとブログを通じた交流もできるようになったわけで、非常に幸せに思います。
今後も、よろしくお付き合いのほどをお願い申し上げます。
