西のかい枝・東の兼好 横浜にぎわい座 6月15日
2011年 06月 15日
「にぎわい倶楽部」と題した会で12回目らしい。さて構成は次の通り。
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かい枝・兼好 オープニングトーク
(開口一番 笑福亭笑助 『田楽喰い』)
三遊亭兼好 『道灌』
桂かい枝 『口入屋』
(仲入り)
桂かい枝 『恋するオ・ト・メ』
三遊亭兼好 『ねずみ』
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オープニングトーク (19:00-19:12)
“めくり”に「オープニングトーク」と書かれているのも、なかなか珍しいことだ。天満の繁盛亭で二人会を開き、震災のためのオークションをした話が中心だった。兼好が、文楽と志ん生が楽屋で飲んだ茶碗、というふれこみの偽物を偽物としてセリに出し5,000円で落札、かい枝が自分の本やDVDが思いのほか安く落札したので思い切って出前落語を提示したが、最終的な落札額10,000円、というのが笑えた。毎度、このオープニングは楽しい。
笑助『田楽喰い』(『ん廻し』) (19:13-19:28)
2月のこの会も、高座返しが宮治、開口一番が笑助だった。笑瓶のたった一人の弟子、ということにコメントは割愛するが、2月の『池田の猪買い』でも少し褒めたのだが、今日も悪くない。この噺、雀々と談春の二人会で聞いて以来。2009年9月2日のブログ東京なら『寄合酒』になるが、現在では「ん廻し」までやらないので、珍しさもあってうれしいネタ。東京、上方、それぞれに前座噺の楽しさがあって良いと思うし、私は上方噺も好きだ。(なぜか、力んでいるのは、上方落語を下にみなす、あの京○さんへの対抗心かもしれない)
せっかくだから、少しだけネタの補足。「ん」のつく言葉を話したら、その数だけ田楽を食べることができる、という遊びが噺の中心。もっとも多く、「ん」が四十三も入っているのが次のもの。「せんねんしんぜんえんのもんぜんのやくてん げんかん ばんにんげんはんめんはんしん きんかんばんぎんかんばん きんかんばんこんぽんまんきんたん ぎんかんばんこんげんはんごんたん ひょ~たんかんばんきゅ~てん」。漢字で書くとこうなる。「先年神泉苑の門前の薬店、玄関番人間半面半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂丹、瓢箪看板灸点」。ちょっと回転のゆるい人物が「かぼちゃ」と言う。「ん、入ってへんやろ、お婆さんはかぼちゃのこと何て言う?」「う~ん、かぼちゃん」「そんなん言うか!」「そや、パンプキン」という部分は雀々でも聞いたはず。誰の作か知らないが、ここの部分が妙にに好きだ。
兼好『道灌』 (19:29-19:47)
「夜目 遠目 傘の内」—梅雨に入り、傘をさした女性を見るのが好き、という話題から、「女性はどの位遠く離れていると美人に見えるか本能的に知っていて、この会場でいえば前から三列目より後ろ・・・前に座っている方はよっぽど自信があるのか、それとも・・・」というマクラで、会場の中年女性のお客さんが、身をよじって笑っていた。若干“ゲラ子”(ゲラおばさん?)が多かったかなぁ。やっぱり、上手い人は、こういう前座噺もしっかりしている。
かい枝『口入屋』 (19:48-20:32)
東京では『引越しの夢』になるが、上方では、結構やかましいネタ(?)。少し冒頭の口入屋での場面を引っ張りすぎた印象。この部分は噺家によってクスグリもいろいろ工夫できるところだが、本寸法にやろう、という思いが強かったのかもしれない。若干間延びした。笑いの一つのヤマは番頭が美人の女性使用人(候補)を前に、自分の裁量の大きさを誇示して「ドガチャガ」を繰り返す場面だが、ここは楽しめた。長講になった理由の一つが、今では通用しない江戸時代のお店(たな)の構造の解説があったことだが、たしかに、「膳棚」や「薪山」なんてわからんわなぁ。かい枝も丁寧に解説してくれたが、上方の噺の情報として頻繁にお世話になっている「世紀末亭」さんの「集成! 読む上方落語」のホームページから、この用語解説を引用。「世紀末亭」さんのホームページ
膳棚(ぜんだな)
食膳を並べて納めておく棚。昔は奉公人は銘々の箱膳で食事をし、
終わると各自の食器を膳の中に納めて並べておいた。その棚は台所
の土間に造りつけてあるのが普通で、釣膳棚というのは頑丈な腕木
で柱に打ち付けてあった。
薪山(きやま)
町家では夏のうちに一年中の薪炭を買い込んでおいた。それを湿気
を避けるため、二階と吹き抜けになった土間に面したところへ積み
重ねておいた。
『田楽喰い』の「ん」が四十三もある科白も同ホームページからお借りした次第。たっぷりの高座なんだけど、こういう言葉の解説などを挟むと、ややリズムが崩れるのも事実。あえて、用語解説は全て省略して、噺のリズムを崩さないようにし、もし可能なら終演後に用語解説を含むリーフレットなどを希望者にのみ配布する、という工夫なども要検討かと思った。
かい枝『恋するオ・ト・メ』 (20:42-20:52)
「ご安心ください、短いですから」と言っていたが、なんと10分。今年1月、NHKの「笑神降臨」で三作放送された新作のうちの一つ。『口入屋』が長引き、トリの兼好への配慮あったのだろうが、10分はないでしょう(^^)「笑神降臨」のことを書いたブログにご興味のある方はこちらをご覧ください。2011年1月8日のブログ
兼好『ねずみ』 (20:53-21:25)
オリジナルが誰かは分からないが、旅籠「ねずみ屋」の主人が、元は「虎屋」の主人であったのが今に至るまでのいきさつを、幼馴染で二軒隣りの同業者「生駒屋」が甚五郎に語るという設定。たしかに、腰が抜けている(あくまで精神的にだが)病人が語るのは辛く、幼馴染が替わりに代弁してやる、というのも不自然ではないのだが、何か腑に落ちない。要するに、三木助が作りあげたこの噺の世界では、もっと情緒的な空気が流れ、時折ぐっと心に迫るものがあるはずだ。たとえば、志の輔のこの噺などはそういう本流の人情噺として存在感がある。兼好としては、彼の持ち味であるリズム感と滑稽噺としての味付けで挑戦しているのかもしれない。しかし、あくまで好みであるが、この噺ではもう少し泣かせて欲しい。楽しかったが、残るものが少なかった高座、とあえて書いておく。彼なら、もっと出来るはずだ。
寄席も落語会も博打のようなもので、当たるも八卦・・・だが、今回はややハズレに近い。まず会場にゲラおばさんが多かった。そして、私の席の近くで鼾をかいて寝ているおっさんもいた。高座の二人も、これまでの会に比べると、やや精彩を欠いた、そんな印象。もちろん、水準を超える内容だが、この人たちへの期待が高い分、辛口になる。
桜木町駅へ向かう地下通路では、上りも下りもエスカレーターが止まっている。節電は、分かる。しかし、東電も政府も、国民が快く我慢するために、情報公開と現実的な政策を立案をしろ、と今ひとつだった落語会の憤懣を原子力村に八つ当たりしながら帰路についた。
東京の「寄合酒」とはまた一味違っていて、ナンセンスな処が可笑しかったです。
最近、噺家さんが、古典を改作することがありますが、その古典本来の持ち味や意味まで変えてしまっている事がありますが、私はあまり賛成出来ないと思っています。
例えば談志師が変えた「ぞろぞろ」や権太楼師が変えた?「真田小僧」の途中で切る型。等噺の持ち味を変えずにいて、しかも後から多くの噺家さんが採用する様な事なら良いと思いますが、噺の持ち味を無くしてしまう様な事は賛成出来ません。
昨晩コメントしたかったのですが、混雑していた為、今朝にしました。(^^)
寄席の時間の制約で噺を短縮版にするのはやむなしですが、オリジナルをしっかり身につけた上で、機会があれば通しで高座にかけられるようにするのが、まず基本だと思います。そして、無理なく「あぁ、これもアリだな」と思わせる改作ならいいんですがね。そうじゃないのも多いのは事実。
噺は生きていていいのですが、無理に今風にして笑わせようという改作は、私は苦手です。あえて例にだすと、談笑はどうも私にはダメなんです。好みの問題と言えばそれきりですが、個々の素材を現代に置き換えるだけの改作は、中途半端な新作と同じようにつまらない。つい長くなり失礼しました!
>談笑はどうも私にはダメなんです
実は私も彼には疑問を持っていました。
彼は確かに一見面白いのですが、その笑いが薄っぺらい様な気がします。
彼曰く、「薄型テレビ算」で、「誰も壺の売り買いに興味がある訳じゃない」と言っていましたが、そうじゃなくてその時の二人の心理描写が面白いので、そこを聴かせるのが芸じゃなかろうかと思うのです。
「ジーンズ屋ようこたん」も同じで、当時の高尾花魁が職人の処に嫁に来るのは、現代のアイドルの比じゃ無いだろうと思うのです。
長文、朝から失礼しました。
つい嬉しくなって・・(^^)
しかし、その「改作」の楽しさの源はオリジナルにあるのは間違いがないわけです。
談笑を聞いた若い人たちが、オリジナルの噺を聞きたくなるという効果はあるかもしれませんが・・・・・・。
かい枝の「口入屋」のことで書きましたが、今日では通じない言葉も、もし説明をすることで噺のリズムを崩すなら、解説なして進めてもいいと思います。それを機に、聴き手が江戸の生活や文化を学ぶことの契機になることのほうが、副次的な効果としては大きいだろうと、私は思います。
私も笑福降臨でかい枝さんを発見してから毎回お二人の落語会を楽しみにしていました。
膳棚私もどういう状況かよく解りませんでしたがこの説明で92パーセントぐらいまで理解できました、
ありがとうございます。
口上屋はほぼ初お披露目だったようですが、
それを感じさせないところやっぱりすごいと思いました。
かい枝さん今度は中野で27日に青菜
やるそうです。こちらは行かれますか?
“92パーセント”ですね^^
笑神降臨のことを書いた時には、かい枝さんご本人からコメントをいただき驚きました。
残念ながら中野には、都合が合わず行けないですよ。
次も、たぶん、にぎわい座かと思います。
さて、
『田楽喰い(ん廻し)』で「パンプキン」の演出は、誰が最初かということについて、疑問を呈されてました。私の記憶に間違いがなければ、たしか昭和が終わるころ(いきなり「ころ」と適当な表現ですみません!)、京都・安井の金比羅サンの米朝一門会で、桂雀三郎師匠が最初に演ったと記憶しております。
普通、A「カボチャの別の言い様があるやろ」B「カボチャの別の言い様? …あったあった、唐茄子ン」A「なんでやねん。カボチャの別の言い様やがな」B「あーーーっ、ナンキン(大阪ではこう申します)や。ナンキン言うのんにナンキンした」A「何をしょーもないことを…」と演じられます。その「唐茄子ン」を雀三郎師匠が「パンプキン」とやられたのです。
噂では、楽屋におられた米朝師匠が「パンプキンて何や?」と、若手にたずねられたとか。…ご存知なかったんですね。
まぁ、それ以来、米朝一門を中心に、このギャグが広まったようでございます。
たぶん、こんな感じやと思われます。
失礼しました。
そして、貴重な情報に感謝、です。
なるほど、雀三郎なら十分ありえますね!
その一門会には、当然師匠枝雀もいたはずなので、弟子雀三郎の“パンプキン”に、どんな感想を発したのか、など想いは募りますねぇ。
米朝師匠が知らなかったというネタも、ありそうです^^
あらためて、楽しく貴重な情報をご連絡いただき、ありがとうございました。
ご本人にコメントをいただくと、いつも“ドキッ”とします^^
『口入屋』は好きな噺なので、どんどん磨いていただき、かい枝さんの十八番になることを期待しています。
ブログをたまに拝見しておりますが、海外のみならず国内でも東奔西走で、もの凄いフットワークですね。
お体ご自愛いただき、今後のより一層のご活躍をお祈りいたします。
私は「引っ越しの夢」というタイトルは嫌いでして。「口入屋」は上方
落語の中でも「相当」に「ネタ」としては「大ネタ」ですので、今後の
かい枝さんに期待します。
今日は、子供に風邪を移され家です(苦笑)
日常的なようで大きな場面展開もありますし、登場人物も男女あわせて多彩ですね。
かい枝の師匠文枝も十八番でしたが、この噺でイメージするのは、私の場合はどうしても枝雀なんです。
だから、リズムが合わずもたもたして笑いも少ないと、やや辛口になる。悪い癖かもしれません^^
p.s.
昨夜の市馬は、飄々と、そして楽しそうに師匠の十八番をやってました。力みが少しとれたかもしれません。唄わないよう注意しているのかなぁ・・・・・・。
