落語者 古今亭菊志ん 『祇園祭』 (4月8日深夜)
2011年 04月 10日
マクラで携帯や写真やらの落語会でのべからず集を話題にしていたが、テーマはともかく、なかなかエンジンのかかりが悪く少し心配な出足だった。しかし、本編はこの人の“スピード”と“リズム”を楽しむことができた。
以前にこのネタのことを書いたことがあるので、私の過去のブログから、あらすじを引用したい。
2009年7月4日のブログ
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(1)江戸っ子三人が連れ立って伊勢参りを済ませた後、京見物にやって来たが、
京都の夜の街で金を使い過ぎてしまい二人は先に江戸に帰り、京都に叔父の
いる男だけが残る。
(かつては、残る江戸っ子を八五郎として、八五郎が病に伏せ、他の二人が先に
江戸に帰る、という筋書きが主流だったようです)
(2)叔父と茶屋で祇園祭を楽しむ予定だったが、祇園祭の当日、伯父に用事が
でき、替りに茶屋で一人で楽しむことに。
(この部分も叔父に替わって一緒に飲むことになったのが叔父の知り合いの京者、
という設定もあります)
(3)茶屋に居合わせた京者がいつしか京都の自慢話を始めた。「王城の地だから、
日本一の土地柄だ」と自慢する京者。「ワァー、ハー、ハーッ」という間延び
した笑いが、短気な江戸っ子をいらつかせる。ついに京者が、江戸を「武蔵の
国の江戸」ならぬ「むさい国のヘド」と言うに至り、江戸っ子は“切れた”。
(4)江戸っ子は、京都の町の面白くないところをことごとく上げて反論していく。
そしてこの噺のヤマ場に向かう。、
(5)江戸と京都の祭りのどっちがいいかという話になり、二人は祭り囃子や神輿
の情景をそれぞれ言い合って譲らない。
京者が祇園祭の囃子を「テン、テン、テンツク、テテツク、テンテンテン・・・
・・・」とやり、対抗して江戸っ子は「なんて間抜けな囃子だい。江戸は威勢
がいいやい。テンテンテン、テンテンテンツクツ、ドーンドン、ド、ド、ドン、
テンツクツ、テンツクツ・・・・・・」とやり返す。
(6)二人のお国自慢合戦はまだ続き、京者が
「御所の砂利を握ってみなはれ、瘧が取れまんがな」と言うと、江戸っ子は、
「それがどうした!? こっちだって皇居の砂利を握ってみろい・・・・・・」
「どうなります?」
「首が取れらぁ!」で、サゲ。
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(1)と(2)は、いわゆる地噺、噺家がストーリーを説明する場面。このネタのヤマは(3)以降となる。
何と言っても、京者の京自慢と江戸っ子の江戸自慢の戦いが、この噺の聞かせどころだが、広島出身の人なので、上方なまりも、まぁまぁであり、江戸っ子の啖呵は定評のあるところ。こういった元気な噺を聞くと、うれしくなる。
終演後の対談で、花緑との二人会の話があった。菊志んが語ったとおり、昭和46(1971)年生まれの同じ年ではあるが、花緑が入門で7年、真打昇進で13年先輩。今年7月に菊志んが、8月に花緑が四十歳となる。二人会では、お客さんより当の二人がいちばん楽しんだ、と言っていたが、なかなかいい交流だと思う。柳家と古今亭の中堅同士で切磋琢磨する会、機会があればぜひ行きたいものだ。
菊志んと三三との二人会に行った記憶がある。ブログを書き始める前のことか、と思っていたら2009年3月の内幸町ホールだった。相当に脳細胞が減ってきた・・・・・・。
2009年3月6日のブログ
二人は誕生日が同じ7月4日。三三の方が三歳若いが、入門と真打昇進が菊志んより一年先輩の“兄さん”である。ちなみに映画『しゃべれども しゃべれども』の落語指導は三三と菊志んだった。
こういった芸達者な相手との二人会でも、十分に拮抗するだけの実力者であることは認める。NHK新人演芸大賞も同門の先輩である菊之丞が受賞した翌年、桂かい枝が受賞する前年の平成15(2003)年に獲得している。(当時は菊朗、ネタは『紙入れ』)
しかし、もう一つ名が売れないのは、たぶんにこの人が“器用”過ぎるからなのかなぁ、と思わないでもない。あるいは、髪型を含め“現代的”に過ぎるのだろうか。しかし、そういったことも、プラスの個性だとも言えるので、必ずしも小言の対象とはならないだろう。
いずれにしても、まだこれからの人だ。圓太郎や一朝くらいしか名前が出ない、この噺の新たな担い手として期待しているし、機会があればもっともっといろんなネタで聞いてみたい人だ。
それにしても、このネタは『祇園会』として欲しいものだ。ネタを現在に合わせてしまって、その言葉の持つ風情が失われてしまうような気がしてしょうがない。これは、噺家への小言ではなく、落語界への小言になるのかもしれない。残しましょうよ本来の演目の名を。今じゃ噺を聞いても演目とのつながりが分からなくなった噺はいくつかある、『妾馬』『宮戸川』などなど、そのネタへの好奇心から知ろうとする行為こそが、もう一つの落語の楽しみ方だと思う。たとえば、『八五郎出世』なんていう演題、私は嫌いだ。