司馬遼太郎さんと相撲
2011年 02月 13日
和田宏著『司馬遼太郎という人』
この本は、見出しの全てが著者である和田さんが記憶に残る司馬さんの言葉で統一されているのだが、この部分の見出しは「大相撲に八百長はありえない」、である。
はっきりとは憶えていないが、大相撲の話をさかんにするようになったのは90(平成2)年より少し前からではなかったか。もっぱらテレビ観戦で、桟敷席まで足を運ぶといった入れ込みようではなかったと思う。このあたりの司馬さんのプライベートな生活は、まったくといっていいほど知らない。
結構テレビ好きだったと聞く。ソファに寝そべって、チャンネルをリモコンで頻繁に変える人だったというのだが、本人からもみどり夫人からもそんなことを聞いた覚えがない。
そのころ「週刊朝日」の「街道をゆく」の担当者であった浅井聡さんは、同じ三重県出身の双羽黒に似ていると司馬さんに書かれて、釈然としない思いだったと書いている。たしかに横綱にはなったが、なにやら変人の匂いのするお相撲さんだった。
浅井さんと同じ社のHさんは司馬さんの前でうっかり「大相撲では八百長がある」といったばかりに、猛反撃されたらしい。のちに司馬さんは浅井さんに「H君もかわいそうになあ、悪い先輩からああいうふうに思い込まされたのや」といったという(司馬遼太郎記念館誌「遼」第九号・2003年秋季号)。おおまじめなのだ。
(中略)
私も、大相撲にはなぜ八百長がないかという司馬理論を延々と聞かされたことがある。それは室町期の芸能論から始まる堂々としたものであった。しかしそれを支えているのは少年のような純真さである。めずらしく、反論は許さんぞ、といった気迫があった。大相撲関係者は惜しいことをした、これをどこかに発表してもらうべきであった。
和田さんが指摘している通り、司馬さんの主張は残念ながら文章としては残っていない。文明や文化を大ぐくりで論じる文章や対談は多いが、個別の芸能、たとえば落語や歌舞伎、そして相撲などについて書かれた著作は少ない。(私が知る限り、ではあるが)
少なくとも、平成の始め頃に相撲界にあったものは、“八百長ではない”と司馬さんは主張していたのだ。ある意味では、それだけ相撲という芸能の世界もその芸を上手く魅せていたのだろうし、マスコミも客も大人だったのだろう。今のような煽るだけ煽って責任は取らないメディアばかりではなかった、と言えよう。
私も、司馬さんが少年のような純な目で「相撲に八百長はない!」と力説する姿を、ぜひ聞いたり見たりしたかったものだ。勝手な思い込みだが、きっと杉浦日向子さんが江戸時代について指摘した“抽象的ロマンティシズム”と通じるものがあったに違いない。